実家で療養している妻から封筒が送られてきた。離婚届と、それに押印することをもとめる文面の手紙が一枚、同封されていた。さっそく私は、妻に電話をかけた。八回コールして出なかったので、あちらからかけなおしてくるのをまつことにした。
が、一日たっても、二日たっても、妻からの着信はなかった。
ついには一週間がたった。私は、書斎の机の上においた離婚届に押印した。そして、それをもとあった封筒にしまった。送りかえすつもりはなかったが、心理戦をしかけてきていると見える妻に対し、温度のひくい怒りをおぼえたのであった。押印はやつあたりの態であったが、妻の要求にただこたえただけとも言え、つまりは妻の思惑どおりであるわけだが、それに気づいているぶんだけ、私の方が一枚うわてだと感じた。むろん、そのことすら妻の思惑どおりだという可能性も否定できないが……。
気にしないために、仕事に手をつけることにした。文芸誌に載せるための短編小説のゲラなおしである。が、すでになんども読みかえし、推敲したのちのものであるため、なおそうにも、なおし方が判らなかった。完成形だとは思わないが、そもそも完成させたところで、良いものになるとは思えなかった。自作に厭きていた。
つぎに私は、学生から送られてきた、未完成の小説に赤を入れることにした。
それは、三百枚を超え、いよいよ佳境にさしかかっていた。文章につよい勢いがつき、ために、文法が混乱をきたし、少しく明晰さが欠けている箇所が散見された。が、作者のあともどりをうながすような、些末な表現の入れかえなど、いまさら執筆のじゃまになるだけだとも感じた。
ながめすぎて、原稿に焦点があわなくなった。じぶんでもどこを見ているのか判然としなくなった。私が、今にいないのはたしかだった。はじめて小説新人賞用の原稿を書いたときに、私はいるのだと、気がついた。
二十代最後の年だった。私はすこし前に新聞記者を辞めており、それと入れかわるようにして学習塾の正社員になった、同棲している女にやしなってもらっている身だった。要するにヒモになったわけだが、いざヒモになってしまうと、いだくのではないかと予想していた苦悩のようなものはまるで生じず、毎日がただただ楽だった。楽に生きても良いのだと思った。
小説家になろうとこころざしたわけではなかった。新聞記者時代、横沢先生を取材させていただいた際に、「君は小説を書けばいいよ」と言われたことがあったが、よくよく思い出してみても、それが理由とは思えなかった。気づけば私は、近所の本屋にいて、原稿用紙とえんぴつを持って、レジに並んでいて、気づけば私は、自宅の安アパートの一室で、机に向かってえんぴつを走らせていた。書かなくてはならないものがあるなどとはもうとう思わなかったし、書いてみたいと思うことが頭にたまっていたわけでもなかった。すべてが、「気づけば」ですすんでいた。
西向 小次郎 投稿者 | 2020-01-15 10:59
音読発表のつもりで音読させて頂きました!
私は!吉田という名前に!縁を感じたのかもしれません!私の知っている吉田は!めちゃくちゃ喋る吉田と!全然喋らない吉田がいます!どちらも!ダンディを!好きだと思います!私は!音読をしたいと思います!
だから!
もっと!会話があると!楽しいです!
僕だったら!この妻に!もっと!文句を言っていると!思います!
なんでもかんでもタダになって!
言い訳も!出来ない!世界に!なったように!感じました!
家の周りの!食い物が!食い飽きても!まだ帰ってこない妻のために!鉛筆を削る!旦那を!僕は!想像しました!
鉛筆の需要が!なくなれば!エコだ!とか!妻に言わせて!電話越しに!鉛筆削りの音を!聴かせて!少し!喜んだセリフでも!混ぜます!それが!なかなか居ない前提で!世界が回っていることを!この妻に!文句を言って!やりたいです!