「塾長としてどういった人物を目指すか」という亮介おじさんの問に対して俺は、「ご家庭の緩衝材になりたい」と答えた。生徒の想いを受け止めるのはもちろんのこと、子育てや仕事に疲れる親御さんの想いも受止め、そのことをしてご家庭の潤滑油としての役割を担うのをその目標としたい、との謂いであった。この指針はそう悪いものではないとの自負は今も変わってはいない。しかし、言葉ならばなんとでも言えるとの自戒は、毎日、二時間にも満たない浅い眠から覚めるたびに胸の奥を激しくまさぐってくる。
要するに、俺は悪手を打ちすぎたのだった。
生徒の親を納得させるために基礎も成っていない生徒に予習型の授業カリキュラムを組むと、無断欠席が増えた。子ども受けを狙い、年配の講師たちのコマ数を減らし、大学生の講師陣で固めると、教室はサル小屋になった。経営状況だけを見ても、黒字に転がったことはこの一年で一度としてなかった。授業料を滞納する家庭さえあり、対処の方法について経営マネージャーに相談すると、退塾させるのは賢明な判断ではないと言われた。「今は評判が大事」と釘を刺され、回収出来ない分は俺の給与から引かれた。そうまでして守りたい評判ではあったが、「塾ナビ」に寄せられた口コミを見ると、俺の校舎は最低評価であり、それというのも、「ポストにチラシが十枚も入っていた。迷惑」というものであった。この犯行について思い当たるアルバイト講師がいないではなかったが、バカらしい校舎のバカらしいチラシをポスティングさせられるとしたらば、真面目にやれと言う方が無茶である。塾と俺のどちらが先に潰れるか……、これは不様な根競べというほかなかった。
それでも俺には、少しばかり頭の弱い生徒から好かれる才能があるらしかった。あるいはそれは、俺に生徒を叱る才能がないというだけのことなのかもしれない。島田さんは、辛抱強さこそが俺の美徳だと言ったが、最近では、あれはただの皮肉でしかなかったのではないかと思っている。
もちろん、まったく怒らない、という教育態度が間違っていることは俺だって気づいていないわけではなかった。ちょっと賢い生徒であれば、俺の嘘くささと、大学生講師陣の人間的な軽薄さに気がつき、それに生理的な不快感を抱くとともに、自分が置かれたぬるま湯的な状況に辟易し、すぐに親に退塾を申し出るに違いない。じっさい、そういう生徒も何人かはいた。いや、生徒本人やその親からハッキリとその旨を告げられたことは一度もない。俺が、おそらくはそういうことなのだろうと当推量しただけである。不満も何も告げず、いつのまにか消えている客ほど恐ろしいものはないことは、前職で身に染みて感じていた。
そういう風にして退塾して行った生徒に対して、「不気味ですね。」と言った講師がいた。教員志望の、中級くらいの私立大学に通う学生で、その子の数学を一年以上受持っていた。「宿題はきちんとやってくるし、テストの点数もメキメキと上がってきていました。なのに突然、というのは……。」
篠田先生は、熱っぽくそう言うのだった。
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