感謝祭が近づくと大半の入院患者は親が迎えに来て一時帰宅する。閉鎖病棟に残るのは問題を起こしたばかりの子どもか、たとえば宗教上の理由などの事情があって感謝祭を祝わない家庭の子どもくらいのものである。僕のベッドは男子の四人部屋にあったが、同室の三人はみんな一時帰宅していった。病棟で過ごす最後の夜には、部屋にいるのは僕一人だけになった。
病棟で感謝祭を迎える子どもたちにも祝祭的な気分を味わってもらうためなのか、その日の夕食はいつもより華やいだ雰囲気だった。テーブルには糊のきいたクロスがかかり、色紙のテッシュやひざに載せる布のナプキンが置いてある。ジュースを飲むグラスもふだんのコップとは違う脚つきのものだ。食堂に入った僕たちはいつものようにトレイを取って列を作るのではなく、すぐさまテーブルに通された。七面鳥のローストを切り分けた皿を大柄な黒人コックがうやうやしく一人一人の席に運んできた。
しげしげと目の前の料理を眺めていたら、向かいあわせに座るニッキが僕に話しかけてきた。
「出発が明日でよかったね。すてきな最後の晩餐を食べそこねずにすんだ」
「うん、他の子たちにお別れを言えないのは残念だけど」
「クレイジーな連中のことは気にしないでいいの。帰国したらきれいに忘れちゃいなさい」
「君のことも忘れたほうがいい?」
「当然よ。こんなところで思い出作りなんて冗談もいいとこ」
ニッキとはここで初めて出会ったわけではない。八月から約三か月間アイダホ州ボイシーにある同じ高校に通い、文学と美術のクラスで一緒だった。彼女が閉鎖病棟に来たのは三日前、僕が入院してから十日目である。髪をブルーとピンクに染めて高校でも不思議な雰囲気のある子だったけれど、まさかここで再会するとは思わなかった。最初に顔を合わせたとき、二人ともお互いを指さして理由もわからないまま発作的に大爆笑した。彼女の左手首には包帯がぐるぐると巻かれていた。
「いきなり学校に来なくなったからどうしたんだろうって、学校でみんなと話してたんだよ」と、ニッキは言った。
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