地方新聞社に勤めて七年、私は誤植を見つけるのが誰よりも早いと、社内では評判だった。
我が社の印刷場は、社屋の裏手にある薄暗い平屋だった。活字の匂いというものがあるとすれば、それは鉛と油と、微かな埃の匂いが入り混じったものだ。植字工たちが、棚に並んだ無数の活字箱から、一つ一つ文字を拾い上げていく音――カチ、カチ、という小さな音の連なりが、いつも印刷場に満ちていた。私は校正係として、この場所に足繁く通い、刷り上がったばかりの紙面を、幾度も読み返す日々を送っていた。
校正という仕事柄、活字の欠けや、逆さ植字、インクの滲みで判読できなくなった一字などを、人一倍、注意深く追う癖がついていた。だが、その癖は、いつしか仕事の範疇を超え、私的な収集にまで及ぶようになっていた。
私は、自分の目に留まった奇妙な誤植・欠落記事だけを、こっそり切り抜いて、一冊の帳面に貼り集めていた。同僚たちは、それを単なる校正マニアの道楽だと思っていただろう。私自身、最初はそのつもりだった。だが、切り抜きが百枚を超えた頃、私はある共通点に気づいてしまった。
欠落する文字が、ある特定の漢字に偏っていたのだ。「委」「応」「帳」「録」「目」――こうした字が、他のどの字よりも高い頻度で、誤植として消えている。植字工に尋ねても、特に理由は思い当たらないという。活字箱の中で、その文字だけが摩耗しやすいわけでもなさそうだった。
私は帳面を繰り、記事の内容そのものにも目を向けるようになった。すると、これらの欠字が起きる記事は、単なる誤植では片付けられない、妙な共通性を帯びていることに気づいた。
ある記事――「M島検疫□にて謎の人数誤差、当局は否定」。検疫「所」であるはずの文字が、活字の欠けで判読不能になっていた。記事本文はごく短く、詳細は一切書かれていなかったが、隔離を終えた乗客の人数が、点呼のたびに食い違うという投書があった、という一行だけが、辛うじて読み取れた。
別の記事――「町の電話交□局、深夜の誤接続相次ぐも原因不明」。交換「換」の字が抜け落ちている。局員の証言として、「応答不可の回線から、奇妙な呼び出しがある」という一言が引用されていたが、その先は活字が擦れて読めなかった。
さらに別の記事――「某紡績工場、反物の柄に不可解な誤差、識者は否定」。この記事には欠字はなかったが、なぜか「柄」の一字だけが、他の活字よりも一回り小さく、まるで別の版から拾ってきたかのように不揃いだった。
私はこうした記事を、地方紙のみならず、隣接する郡の新聞にまで手を広げて探し始めた。灯台の観測記録に触れた記事、嫁入りの日取りにまつわる古い風習を紹介した記事、観相図譜という古い写本に言及した記事――探せば探すほど、似たような欠字・不揃いの記事が、次々と見つかった。まるで、この地方で起きる、説明のつかない出来事は、必ず活字の欠落という形で、新聞に痕跡を残しているかのようだった。
休日を使って、私は県立図書館の書庫にも通うようになった。古い縮刷版を一冊ずつ繰り、目に留まった記事を、手帳に書き写す。司書には、郷土史の調べ物だと説明していたが、内心では、自分が何を探しているのか、次第に判然としなくなっていった。ただ、欠けた文字を見つけるたびに、胸の奥で、何かが小さく疼くのを感じた。それは恐怖に近いものだったが、同時に、抗いがたい好奇心でもあった。
私は同僚の植字工に、それとなく尋ねてみた。
「この『委』の字だけ、妙に欠けやすいと思わないか」
植字工は、怪訝そうな顔をした。「そんなこと、気にしたこともないな。活字なんて、古くなれば、どれも同じように傷むもんだろう」
「他の字より、明らかに欠ける頻度が高いんだ。数えてみれば、わかる」
「お前さん、少し根を詰めすぎじゃないか」植字工は、笑いながら私の肩を叩いた。「校正なんて、細かいことに気を配る仕事だ。だが、何もかもに意味を見出そうとすると、身が持たんぞ」
その忠告を、私はもっともだと思った。だが、その夜も、私は帳面を開かずにはいられなかった。
ある夜、私は帳面を最初から読み返してみた。切り抜きを時系列に並べ直すと、欠字の頻度は、年を追うごとに、わずかずつ増えているように見えた。まるで、この地方のどこかで、何かが少しずつ、確実に、蓄積されているかのようだった。
私はふと、恐ろしい考えに囚われた。もしかすると、この欠落を生んでいるのは、活字の摩耗でも、植字工の不注意でもなく、こうして切り抜きを集め、法則を見出そうとする、私自身の行為そのものではないか。誰も気づかなければ、それはただの誤植のままだった。だが、私が集め、並べ、法則があるかのように扱い始めたことで、欠落そのものが、意味を持ち始めてしまったのではないか。
この考えを、私は誰にも話さなかった。話したところで、正気を疑われるだけだろう。だが、帳面を閉じる前、私はもう一度、最初の頁から、欠けた文字を一つずつ数え直してみた。「委」の字が欠けた記事は、これまでに十七件。「応」の字が欠けた記事は、十三件。「帳」の字は、九件。「録」の字は、五件。「目」の字は、三件――数え終えて、私は妙なことに気づいた。この数字の並びに、何かの規則があるようにも、単なる偶然のようにも、どちらとも取れる、危うい均衡があった。
私はその夜、帳面に新しい頁を足し、こう書き記した。
「この帳面自体が、いずれ、この地方の欠落の一つとして、どこかの新聞に、小さく報じられる日が来るのだろうか。それとも、この帳面は、誰にも見つけられることなく、私一人の妄想として、静かに朽ちていくのだろうか」
書き終えて、私はしばらくの間、その一文を見つめていた。「帳」の字を、私は今しがた、何度も書いたばかりだった。この一文の中にも、いずれ、同じ字が欠け落ちる日が来るのだろうか。そう考えた途端、背筋に冷たいものが走った。もし本当に、観察すること自体が欠落を呼び込むのだとすれば、私がこうして書き記した一文もまた、いずれ誰かに読まれ、そして、その読む行為によって、新たな欠落を生む種になるのかもしれない。
だとすれば、この帳面を閉じることこそが、唯一の対処なのかもしれない。だが、私にはそれができなかった。ここまで集めてきたものを、今さら手放す気にはなれなかった。たとえそれが、際限のない連鎖の一部に、自分自身を組み込むだけの行為だとしても。
答えは、まだどこにもない。私はただ、明日も校正机に向かい、活字の欠けを探し続けるだけだ。それが単なる職業病なのか、それとも、この地方に潜む何かへの、避けがたい引力なのか――その判断すら、私にはもう、下せそうにない。
窓の外では、輪転機の低い唸りが、今日も変わらず響いている。明日の朝刊が、今まさに刷り上がろうとしていた。私はその音を聞きながら、ふと、明日の紙面のどこかに、また新たな欠字が生まれているのではないか、という予感を覚えた。それを見つけるのが、まだ誰も気づいていない読者よりも先であることを、私はどこかで、密かに願っている自分に気づいた。
この帳面を、いつか誰かが見つけることがあるだろうか。もしそうなったなら、その者もまた、私と同じように、欠けた文字の連なりに、何かの意味を読み取ろうとするのだろうか。そして、その行為そのものが、また新たな欠落を呼び込むのだとすれば――この連鎖は、いったいどこまで続いていくのだろう。私にそれを知る術は、今のところ、どこにもない。
完
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