メニュー

胸中、開縁ベル

無花果回

人は恋に落ちるのではなく、ときに胸の内側で勝手に幕を上げられてしまふ。相手はそれを知らず、当人さへまだ認めてゐないのに、内臓も理性も沈黙も光も配役を与へられ、上演は始まる。『胸中、開縁ベル』は、そのどうしやうもなく受動的な、感情の開幕を描いた一篇である。

タグ: #恋愛詩 #詩

746文字

きみが手をあげて
空に小鳥の名を訊いた、その指の
すこしの傾きで
ぼくの肋骨あばらぼねのうらがわ、
ちりん、と
鈴がひとつ、めざめる

 

 

第一りん

 

 

ふだん黙していた内臓たちが
ほう、と息を吐いて
それから息を、のむ
まだ緞帳どんちょうはおりたまま
ほこりだけが客席のあるじだった

 

胸中きょうちゅう劇場
ながらく、空席のままだった
切符はだれにも配られず
緞帳のむこうで
ぼくは寝ていた、たぶん、うまれてから ずっと

 

きみのまつげが午後の光を
ひとさじ、ひとさじ
すくいあげるたびに
ぼくのなかの観客のだれかが
膝にひろげた予定表プログラムを、そっと
たたみなおす

 

 

第二鈴

 

 

きみが「あ、」と言いかけて
言葉を呑んだ、その
呑まれた言葉の
かたちのままに
ぼくは息が、できなくなる
言われなかった一音が
ぼくのなかで
舞台監督に、なる

 

これは恋ではない、と
ぼくの理性が、つよく、ささやく
理性はいつも公演中止を勧めてくる
劇場の支配人で、几帳面で、こわがりだ
だが今夜の支配人は
よろこびに似たかんばせ
うつくしく敗北しつつある

 

 

第三鈴

 

 

きみがふりむく、まだふりむかない
ふりむこうとしている、その
途中の横顔の、ほんの一センチ
ぼくの胸のうちがわで
緞帳をにぎっていた手の
ちからを
ふっと、ぬく

 

幕が、あがる
劇場は、くらい
舞台はまだ、白紙のままで
脚本もなく
役者もなく
ただ
照明係の影だけが
泣きそうな顔をして
ひとすじのスポットライトを
きみの、
横顔の、その
一糎に
合わせる

 

ちりん、ちりん、と
ぼくの肋骨あばらぼねの裏で
鈴は、まだ、なっている
これからのことを
だれも、しらない
ぼくも、しらない
きみは、なおさら、しらない

 

それでも幕は、あがってしまった

© 2026 無花果回 ( 2026年5月11日公開

読み終えたらレビューしてください

みんなの評価

0.0点(0件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  0
  0
  0
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

「胸中、開縁ベル」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"胸中、開縁ベル"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る