耳というものは、本当はもう少し控えめなかたちをしていたほうがよかったのだと思う。
朝、目を覚ましてしばらく、わたしは布団の中で天井をながめている。アパートの上の階で、誰かが歩いている。スリッパがフローリングをこすっていく音。それから、水道の蛇口を捻る音。よく聞けば、その人がカップをシンクの底に置くときの、ことん、というかすかな着地の音まで聞こえる気がする、というのは大袈裟だとしても、わたしの耳はとにかく拾いすぎる。布団の繊維が伸び縮みする乾いた音。冷蔵庫の低い唸り。窓のすきまから、まだ薄暗い駅前の通りを救急車が遠ざかっていく音。世界はずっと喋っている。
昨日の最後のお客さんの声が、まだ耳の奥に少し残っている。
三十代くらいの女の人で、最近、家のなかで、自分の足音だけがやけに大きく聞こえるようになった、と話した人だった。夫が単身赴任で出ていって、二週間。
「たぶん家が、わたしの足音に慣れていなかった頃を、急に思い出してるんだと思います」
とその人は言った。
わたしはうなずいた。
〈うなずく〉という動作は、相づちであるまえに、まず相手の声を体に通す動作だ。通したものは、簡単には抜けていかない。だから今朝も、彼女の家の知らない床板の音が、わたしの部屋の床のあたりで、ほんの少しだけ、軋んでいる気がする。
体を起こして、台所に立つ。お湯を沸かす、というほどのことでもなく、電気ケトルにスイッチを入れる。インスタントの紅茶。ティーバッグから糸を引いて、白いカップにそっと落とすときの、あの細い音。それからお湯。沸点というほど熱くはないお湯が注がれる、息に似た音。湯気がのぼる。湯気には音がないと思っていたが、本当はある気がする。空気がやわらかく押し上げられる、ほどけていく、そういう音が。
世界には、聞かなくていい音が多すぎる。
そう思いながら、わたしはどれもうまく聞き流せない。
身支度をして外に出ると、街は朝の顔をしている。
わたしの住むアパートから駅まで、歩いて十二分。十二分のあいだに、街は二度ほど顔を変える。最初の七分は、古い商店街を縦に抜ける。シャッターが半分しか上がっていないクリーニング屋。軒先に水を撒いている八百屋。ラジオから流れる地方局の交通情報、「次は、踏切での事故により、JR——」。八百屋のおじさんがホースを持ったまま誰かと喋っている。喋っている内容ではなく、語尾の上がり下がりだけが耳に入る。商売の声というのは、不思議と肺の奥のほうから出ているように聞こえる。
商店街を抜けると、空が広くなる。
そこから先は、再開発のはじまった駅前のエリアで、新しいビルがまだ何棟か工事中だ。クレーンの音、鉄骨に何かを打ち付ける音、男たちが指示を出す声。誘導員の女性が「右よし」「左よし」と機械のように繰り返している。音の調子だけ聞いていると、お経のようでもある。新しい街は、古い街よりずっと大きな音を立てる。けれど、その大きな音のおかげで、人々の声はかえって小さくなる。誰も自分の話を、その音に勝たせようとはしないからだ。
横断歩道を渡る。スクランブルの中央で、わたしは一瞬だけ立ち止まりたくなる。四方から人がやってきて、すれ違って、また別の方向に流れていく。誰もが、自分の通り道を持っている。
「明日休みだから」「いやそれは無理」「もう一回、送ってもらっていい?」
断片だけが耳に入る。誰かの一日の、ほんの一秒だけが、わたしのそばを通り抜けていく。
そういう一秒一秒が、わたしの体には溜まる。
駅の北口を出ると、すぐ目の前に、灰色の細長い雑居ビルが立っている。一階は街金の看板、二階は学習塾、三階は名前を聞いたことのない美容外科、四階は閉鎖中、そして五階に、わたしの勤め先がある。
——対話喫茶・ラパン。
ガラス扉に小さく、白い文字で書かれているだけの店だ。看板はない。「喫茶」という言葉に騙されてふらりと入ってくる人が、年に何人かはいる。けれど、メニュー表のかわりに「30分 / ¥2,500」とだけ書かれた紙を見せると、たいてい首をかしげて出ていく。その紙には小さな文字でこうも書いてある——「ご注文は、あなたのお話です」。
店長はいつもそれを「うちの一行詩」と呼ぶ。
エレベーターは古くて、五階に着くまでに必ず一度、四階あたりで一瞬かたまる。その停止のあいだ、機械が何かを思い出そうとしているように、上の方からかすかな音が降ってくる。わたしはその音を、ほとんど毎日聞いている。毎日聞いていて、それでも飽きずに耳をすませてしまう。日課というよりは、ほとんど癖だ。
店に入ると、コーヒーの匂いがする。
これは奇妙な話で、ラパンではコーヒーを淹れていない。ドリッパーもサイフォンも置いていない。それなのに、ドアを開けるとふわっとあの香りがする。豆のにおいがどこかに住みついているのだ、と店長は言う。何代か前にここに入っていた喫茶店の名残らしい。テナントを替えても、壁の中までは入れ替わらない。
「みみちゃん、今日も早いねえ」
店長が、奥の小さなカウンターでメガネを拭きながら言った。五十代の終わりに見える女性で、本当は四十代だと言い張っている。化粧はせず、髪はざっくり後ろで束ねている。彼女は、お客さんの前ではほとんどしゃべらない。すべての会話は、わたしたち聞き役にまかせる。彼女の役目は、コーヒーを出さないこの店で、それでもどこか喫茶店であり続けるための、重しのようなものだ。
「おはようございます」
「制服、奥にね」
奥、と言っても、カーテンで仕切られた半畳ほどのスペースだ。そこにロッカーがあって、わたしの分の制服が掛かっている。白いブラウス、グレーのスカート、薄手のエプロン、それから、
うさ耳のカチューシャ。
クリーム色のフェルトでできた、そんなに大きくないやつだ。安物ではないが、高級でもない。耳の内側だけ、淡いピンクの布が貼ってある。これを最初に見せられたとき、わたしは一瞬、断ろうと思った。けれど、店長は冗談を言うふうではなく、ただ静かに言った。
「みみちゃんの仕事は、聞くことです。お客さんに、それをわかりやすく伝えるためのものです。サインみたいなものだから」
と。
わたしは鏡の前で、それをそっと頭にのせる。
不思議なことに、つけた瞬間、わたしの輪郭が、ほんの少しやわらかくなる。
正確に言えば、輪郭が一段、世界のほうへ譲られる感じがする。
わたしの体ではなく、〈聞く人〉という役の体になる。
鏡の中の、童顔の女が、自分でも少し情けなくなるほど、それを似合わせている。
——本物みたいだね、とお客さんはよく言う。
——みみちゃん、本物のうさぎみたいだ、と。
笑って受け流すたびに、自分の頬の筋肉が薄く疲れていく。
開店までは、あと十五分。
カウンターの向こうの席を整える。椅子のクッションを叩き、ティッシュ箱の角度を直し、メモ用紙を補充する。お客さんは、しゃべりながら何か書きたくなるときがある。書かれたものを読んでほしいわけではない。書く、という行為が、声にならないものをいったん外に出してくれる。だからメモ用紙は、ラパンでは「もうひとりの聞き役」だと、店長は言う。
わたしはそのもうひとりの聞き役を、毎朝そっと整えている。
席に座ると、自分の心臓の音がよく聞こえる。
左の胸の中で、小さく、規則正しく。これはいつも、少しふしぎだ。世界中のあらゆる音を拾ってしまうわたしが、自分の心臓の音だけは、いちばん最後に気づく。だれかと向き合っているあいだは、ほとんど忘れている。閉店して、戸締まりをして、灯りを落とした店内に一人座ったときに、ようやく、ああ、と思う。今日もずっと動いていたんだな、と。
ふと、母の声が耳の奥でよみがえりかける。
「みみは聞き分けがいいから」
それは褒め言葉のはずだった。
わたしは奥歯で、その声をかるく噛み止める。客が来る前に、自分のことを思い出してはいけない。自分のことを思い出していると、お客さんの話を聞くときに、わたしの輪郭が固くなる。固いものに、人は柔らかい話を載せたがらない。
時計の針が、あと五分のところまで来た。
深く息を吸って、ゆっくり吐く。耳のあたりで、フェルトの繊維がかすかに鳴る。フェルトにも音があるのだ、ということを、わたしはこの仕事をはじめてから知った。
階段の方から、足音が一組、上がってくる。
今日のいちばん早い予約のお客さんだ。
わたしの耳は、もうその人の足取りから、何かを拾いはじめている。
歩幅が少し狭い。階段の三段目で一度止まった。たぶん、来るかどうか、そこで一度、迷った人だ。
ドアの前で、その足音が止まる。
半呼吸ほどの間。
取手に手がかかる音。
——ようこそ、ラパンへ。
声に出す前に、わたしはまず、口の奥でそれを言う。そうしないと、声が、わたしの中をきちんと通ってこない。
そしてドアが、ひらく。
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