通勤途中の顔ぶれは、何度か見かけたものが揃っていた。
皆、それぞれの目的を果たすために、前を向く。
今彼らは自分がどんな表情をしているのか、考える必要はないのだろう。
ただ今日という命を、存在する限りを全うするために、
彼らは前を向き、考えられるだけの余力をもって、今日に臨む。
信号待ちの自転車は、一時の沈黙と、人々の視線を交差させるが、
この混線に、どれひとつとして抱き合う思惑はなく、
横断歩道の先でさえ、遠い過去のことに等しく。
玉川上水に溜まった泡ぶくを、眺めていた
その老人の引きずった脚は、伏見通りをなぞる。
桜並木に誘われるのか、緩やかな坂を上って消えた。
今日の終わりを目指し、目的を果たした者と、果たせなかった者と、
どちらにも同じように、日暮れの時間は訪れ、
また信号待ちをする人々は、遠い過去に視線を交わせる。
明日のことを考えているのか、
それとも昨日のことを考えているのか、
その表情からは、窺うことはできない。
夜風が
伏見通りに散っていた桜の花弁を
巻きあがらせるのを見つめるまでは、
誰一人として、その思いを瞳に宿すことはなかった。
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