ぼくはぽんた。

一希 零

小説

2,107文字

ブンゲイファイトクラブ6(BFC6)応募作。予選最終候補作品。

ぼくはアライグマのキャラクターのぬいぐるみ。名前はぽんた。

たぬきを彷彿とさせる名を与えたのは、ぼくの持ち主がぼくをたぬきと勘違いしたからだ。幼い子供に判別を求めるのは酷かもしれない。同僚には鵞鳥と名付けられたペリカンのぬいぐるみだっていた。鵞鳥という単語を幼少時に知っている彼女はなかなかに博識だ。鵞鳥は気付けば姿を消していた。よくあることだ。

名は自分で選べない。当初、自分の名前に不満がないわけではなかったが、今はとても気に入っている。名を与えられることは特別だ。単に可愛ければつけてもらえるわけではない。好かれているからといって名が与えられるとも限らない。愛だ。愛とは、特別に好き、を意味する。ぼくは彼女にとっての特別になった。それはぼくがぼくになったことを意味する。

 

彼女はぼくと遊び、ぼくと一緒に眠り、一緒に起きた。スターウォーズごっこをしたり、三匹のこぶたごっこをしたりもした。旅行にも行った。泣き虫の彼女を幾度も励ました。努力家の彼女を側で応援した。特別な思い出もあるが、一緒にいることに何より意味があった。ぼくらは同じ時間を過ごした。彼女はみるみる成長し、幼女から年頃の女の子になった。ある日、彼女は家を出ることを決めた。隣の県にある全寮制の中高一貫校へ進学した。ぼくは連れて行ってもらえなかった。かわりに、同じアライグマのキャラクターで、ぼくより二回り小さいぬいぐるみを彼女は連れていった。無理もない。ぼくはアライグマの実寸サイズくらいある。それに寮は危険も多い。少し悲しかったが、彼女が帰ってくるのを待った。

六年後、彼女は高校を卒業して戻ってきた。大学へ進学したが、大学には実家から通うことにしたため、再びぼくらは一緒に過ごした。大学を卒業して就職すると、彼女は一人暮らしを始めた。今度はぼくも連れて行ってくれた。彼女に彼氏ができて同棲することになっても、ぼくを連れて行った。彼女の彼氏もぼくを大切にしてくれた。彼女は立派な大人の女性になった。そして、ぼくもいくらか老いが目立つようになった。

人間と同じ時間を過ごせばぬいぐるみも歳をとる。人間のような速度で成長することはないが、ゆっくりと老いてゆく。毛はパサつき、絡まり、ダマになる。定期的に拭いてもらってもすぐにベタついてくる。体内の綿が潰れ、劣化し、身体の形が歪んでくる。生まれたばかりの写真と比べるとまるで別人だ。色味も異なる。生き物みたいに、月日とともに変化するのだ。

ある日、彼女はぼくを病院に入院させることを決めた。決して安い金額ではなかったはずだが、ぼくが長く生きることを望んでくれた。ぼくには夢があった。ひとつはアンティークなぬいぐるみになることだ。キャラのぬいぐるみでも、長い年月の先にテディベアみたいな貫禄もあるいは醸し出されるかもしれない。もうひとつは、彼女と一緒に棺に入ること。二つの夢は両立しないかもしれない。いずれにせよ、ぼくの夢を彼女もよく理解してくれていた。ぼくはもっと長い時間を過ごしたい。病院には一カ月ほど入院することになる。中の綿をすべて抜き出し、新しい綿と入れ替える。

 

病院へ送る前、彼女は幾分不安がっていた。中身をまるっきり入れ替え、毛を手入れし、身体の形を矯正されたぼくは、果たして以前のぼくと同じと言えるのだろうか、と。ぼくに精神や意識といったものは無く、ただこの身体だけだとしたら、中身をすべて入れ替えたとき、それは果たして「ぽんた」なのだろうか。

ぼくにもわからない。ぼくも不安だった。彼女の関心を失えば、ぼくはぼくでなくなる。ぼくがぼくであるのは、彼女がただぼくをぼくとして、ぽんたとして認識するか否か以外にない。ぽんたという固有名は永遠に失われ、コンビニのキャンペーン用に大量生産されたアライグマのキャラクターのぬいぐるみのただの一体となる。既に生産終了したシリーズは、メルカリに一万円で売られる程度の市場価値だ。

ぼくはだれ? ぼくはぽんた。たくさん、彼女にそう言った。ぼくはぽんた。ぼくが変わってしまっても、ぼくをぼくとして認識してもらうために。そうすれば、たちまちぼくはぼくになる。たとえ一度記憶を無くしても、すぐに思い出すことができるから。

「寂しい。もしぽんちゃんに何かあったら」

「君が不安になっていたら、ぽんたも心配しちゃうよ」

「うん」

「大丈夫、大丈夫だよ」

「ぽんちゃん、いってらっしゃい、だね」

「コンビニで発送だから、帰りにアイス買おうか」

「ハーゲンダッツのグリーンティーがいいな」

 

薄暗い箱の中、二人の会話に耳を澄ました。ぼくは彼女と初めて出会った頃のことを思い出した。小さな彼女は、彼女のお婆さんの家でアイスキャンディーを舐めていた。彼女のお婆さんが、彼女にぼくをプレゼントしたのだ。彼女はアイスを舐めながら、不思議そうにぼくを眺めていた。きっとぼくが何のキャラクターか知らなかったのだろう。そんなに可愛くないなあ、と思ったかもしれない。アイスを舐め終え、彼女はぼくを抱っこした。「ぽんた、ぽんただ! ふわふわ」彼女はそう言った。

 

ぼくはぽんた。

2024年11月3日公開

© 2024 一希 零

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"ぼくはぽんた。"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2024-11-04 02:28

    おもしろかったです。
    こういうのが良い、ってなりました。
    誰もが(?)思っていた、いや、少なくとも私は思っていたぬいぐるみ病院への疑問が上手く作品となって言語化されていて良かったです。ラストも良いです。

  • 投稿者 | 2024-11-07 21:31

    ありがとうございます!

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