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「なあおい、そうだろ?」
何やら「ヤリステの拓」が聞いてきた。ヤリステの拓は役所内でやり捨てた女性があまりにも多いため、女性からは軽蔑の意味で、男性からは尊敬の意味でそう呼ばれている。俺はそれまでの話をさっぱり聞いていなくて、上の空で「ああ、そうだな」と軽く答えたのだが、それに対してヤリステの拓はひどく喜んだ様子で、「そう言ってくれたのはお前が初めてさ」と握手を求めてきた。誰も同意しなかった話とはどんな話だったのだろうと今になって興味をそそられたが、もう聞き返せる段階ではなかった。ほんの数秒で人の権利は剥奪され、永遠に復権することがないのだ。
これがこの人生で最後の拓との会話になるのだが、そんなことはどうでもよかった。すべての人間は、すでに多くの人間との最後の会話を終えているのだ。
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俺はランボーの詩を読んだんだ、ランボーはいい、あれを読まない奴は人生の半分を損している。
見つけたぞ、
何を、
永遠を、
それは太陽に溶ける海だ。
いいだろ、と俺は言った。
津原マルガレーテ亜理沙はもううんざりといった様子で俺を見た。
「あなたが読んだのはランボーではなく、村上龍のシックスティ・ナインよ」
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俺と津原マルガレーテ亜理沙のセックス・シーンは驚くべき速さで市役所中に広まった。なぜならユー・キャン・ドゥ・イット本部長が庁内メールで流したからだ。俺は当然抗議した。こういうものは公的な場で流すべきものではない。しかし本部長は全く反省の色を見せなかった。
「価値のあるのはSEI的なものだけだと思わないかね」
「はい?」
「SEI的なものだよ。セイ、セイ、セイ、セイ、セイ……」
「セイセイセイセイセイ?」
本部長はメモ用の裏紙に「性、聖、正、政、清」と書いた。
「なんですかこれは」
「SEI、価値のあるものさ。しかし君のセックスはノーマルすぎるね。今度ヘロインを売ってやろうか?」
「いくらで?」
「グラム二千円」
「それは安すぎませんかね」
「HLOの会員特別価格なんだ」
俺はユー・キャン・ドゥ・イット本部長と固い握手を交わした。
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早速ヘロインをキメてみたが、もはやその記憶はほとんどない。
まるで柔らかな砂の中にゆっくりと埋もれていくような気持ちよさ――だったようには思うのだが、無気力状態に陥ってしまいセックスをしようという気が全く起きなかったことは確かである。
「ダウナーだからな」
俺ががっかりしていると、キャッチャーが話しかけてきた。
「セックスには向かないよ」
俺は腹を立てた。キャッチャーにではなく、ユー・キャン・ドゥ・イット本部長に対してである。ドラッグに精通しているはずのユー・キャン・ドゥ・イット本部長がなぜアブノーマルなセックスのために効果的でないヘロインを売りつけてきたのか、理解できなかったからだ。
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池上シェフチェンコ篤史は苛立っていた。ファッションヘルスの「エンジェル・キッス」に入りたいのに俺が拒絶したからだ。だが俺は最初から入らないと言っていた、池上シェフチェンコ篤史に付き添うだけと言っていたのに、いざ店に入る段になって、「お前が入らないなら、俺も入らない」などとごね出したのだ。俺は財布の中身を見せながら言った。
「な、五千円しかないのにどうやって一万五千円のヘルス四十分コースに入るんだよ」
池上シェフチェンコ篤史は「金なら貸してやる」と言って譲らなかった。金をくれるのなら入ってもいいが、いずれ返さねばならないなら同じだと俺は思った。気分が乗らない時の風俗は無意味だ。金ばかりかかる。俺はこんな気分の日に女の裸を見たくなかった。どれほど美しい女性の裸体であろうが、その価値はこちらの精神状況によって決まる。
「このいくじなしが! 店に入るのが怖いのか」
"シュトラーパゼムの穏やかな午後(2)"へのコメント 0件