国体はわが魂に及び

合評会2024年5月応募作品

Juan.B

小説

4,670文字

決戦は終わった。歴史だけが続く、はずだった。

※合評会2024年5月応募分

閉め切られ、薄暗い部屋の中を、私はうろうろと歩き周り続けた。かつて上野動物園で、自然に比べて数億分の一も狭いであろう檻の中でうろつき続けるクマを見たことがある。あれは動物園にいる動物によくみられる異常な行動だが、それが自分の立場に回ってきたのだ。

(ああ、上野動物園は恩賜だったな)

何かを考え続けないと気が滅入る。逃げ場はない。近習の者はどうなったのか。兄たちは、恐らく……。

(ああ、それは口にしたくない)

部屋の中からは、私の自殺やあるいは奪還を恐れているためか、余計な突起や少しでも人に危害を与えられそうなものはすべて取り払われている。私は小さい椅子に座り、頭を抱えようと思ったが、誰かがいきなり入ってきた時に頭を抱える私の姿など見られたくはないと思いなおし、毅然と部屋の一点を見据えるしかなかった。

 

どれくらいの時間が経ったのか分からない。部屋には時計などない。突如、扉が開いた。それは、レーションを運んでくる米兵の姿ではなかった。両脇に憲兵を連れ、コートに身を包んだ米軍の将校だった。

「ミスター・ミカサ、ですか」

私は茫然とその顔を眺めるほかなかった。どう反応しても、私、いや、我が国の境遇が良くなることなどなさそうだった。ただ私は頷き、ハイと小声を出した。

「スタンダップ!」

憲兵が、私を立たせようとして一喝する。だがその将校は憲兵を片手で制し、ゆっくりと私に近づいてきて、さらに私に合わせて腰を屈め、握手を求めてきた。そして流暢な日本語が続く。

「ミカサさん。私は米軍情報部付のラビ・イジドールというものです」

「イジドール……」

「ミカサさん。しばらく、お話を……」

イジドールはその後さらに私に顔を寄せて小声で付け足してきた。

「それがあなたのためになります」

 

~~~

 

厚木の飛行場に駐機した輸送機「バターン号」に向けて、マッカーサー他占領軍司令部の面々が進んでいく。周辺は見渡す限り、米軍が新しく建てた施設以外はまともな建物一つ残っていない瓦礫だらけの焦土で、ポツポツとバラック小屋が地面にへばり付いている。足早に動く幕僚たちの顔つきは重い。ソ連軍は、日本軍残党への攻撃を建前に朝鮮半島南部へ進撃を続けており、更に日本軍の無条件降伏が正式に行われていないという認識のもとに、北海道への侵出も企てているとの情報が入っていた。従軍記者たちが滑走路から締め出される中、一人の将校が後からマッカーサーたちの列に追い縋ってきた。

「閣下! あの男を、Mのところに送ったのですか!? あいつを地位につけていては危険です!」

「ウィロビー、遅刻だぞ……何の話だ」

「イジドールを探していたのです、閣下! イジドールは、あいつはペテン師です! 彼は日本の文化をろくに知らないどころか、とんでもないことを口走っている! 更迭してください! 私が提出したファイルを見なかったのですか!?」

「大統領から個人的に送られてきたスタッフだ。それに彼は、日系人は別として、司令部の誰よりも日本語が上手じゃないか。彼が日本を後方基地にするための裏工作をする」

「語学が上手なのと占領政策をまともに行えるかは全く別です、閣下!」

マッカーサーに縋るウィロビーを横目に、幕僚たちが怪訝な顔をしながら、バターン号に乗り込んでいく。

「ウィロビー。今の最重要案件が分からないのか? アカどもに時間を与えすぎた。いいか、次はソ連だ。モスクワに原爆の準備を、な」

「閣下……!」

マッカーサーと、追いかけるウィロビーもバターン号に乗り込んだ後、バターン号は厚木から飛び立った。その機内の中でもウィロビーのまくしたてる声が響いていた。離陸から数分後、日本が小さくなっていく中、別の戦闘機が近づいてきた。

「おい、あれは何だ?」

「米軍じゃないぞあれは」

「あっ!」

どこからか飛来した、宇垣纒中将の搭乗した彗星がバターン号に特攻をかけ、占領軍司令部上層部は全員死亡した。

 

~~~

 

イジドールに連れられ、私は広い応接室に久しぶりに入った。イジドールの権限で憲兵は退室し、私はイジドールと二人きりになった。そして、もはや私のものではない座席に座り、イジドールと向かい合う。彼は私の目を見据え、そして斜めに目を伏せた。

「ミカサさん。あなたの兄上、即ちヒロヒトさんと秩父、高松宮のご一族は、松代の地下壕にて、亡くなられました。全滅です。いわゆる、神器も……」

それを聞いて、私はただこみ上げるものがあり、そして次第に嗚咽していくしかなかった。私が泣き続けている間、イジドールは黙っていた。そして、暫し経った後、イジドールは私の肩に手を置いた。

「ミカサさん。日米は敵国同士でありましたが……私はあなたを助けたい。あなたは、東洋史がお好きでしたね」

未だ咽び泣く私の耳に、イジドールはすらすらと言葉を吹き込んできた。

「私はトルーマン大統領から派遣された特別使節です。日本を救いたい。元の美しい日本に復興する……それだけじゃない、大いなる歴史に立ち返る。そういうお手伝いができるのです」

「う、うう……イ、イジドール、さん。もう、もう日本は……」

「滅びていませんよ。ただ、あなたが何を心配されているかはわかります。国体ですね。国体……よろしいですか。私の言うとおりに従ってください」

 

~~~

 

本土決戦の末、日本は二千万の人命を失い、生き残った中で最高位の皇族である旧三笠宮の命令により日本軍は全面降伏。そして厚木基地を離陸直後に墜落全滅したマッカーサーら司令部。朝鮮では米軍とソ連軍の偶発的な戦闘が発生し、占領軍は慌ただしく再編され日本海側に重点的に移動。占領軍司令部の臨時の後任にはホイットニーが付き、更にその特別アドバイザーとして、イジドールという知られていない男が着任……。という、一九四六年八月二十日付の英字新聞記事を順に読み、私は目線を前にやった。笑顔のイジドールが、スタッフや記者を連れて、応接室を占拠している。私はさながら、ペットとなったのだろう。記者たちは、私の存在にかまうことなく、イジドールに取材を行っている。

「このジャップの生き残りの皇族に関して、生き残りも全員処刑にすべきとの意見が全米世論調査の四割を占めていますが」

「ミスター・ミカサは、戦前から戦争に反対していました。トージョーの暗殺も企てていたのです。ヒトラーを暗殺しようとした良識あるドイツ軍人と同等です。更に皇族の中で唯一、彼は自発的に降伏しました。そのような処遇に値しません」

「占領政策のプランについて、アドバイザーとしてどのような進言を行われるのですか?」

「私は日本文化のプロフェッショナルです。日本文化の良い面を伸ばし、悪い面を摘み取ります。学校と同じですよ」

取材が終わり、記者たちは私の情けない姿を散々撮影した。その後、イジドールとスタッフ達は、私を取り囲み、数冊の本を取り出して、私の前に置いた。

「あなたが、天皇の地位に就き、日本を復興させたいなら、私に従うほかありません。わかりますね」

真正面の壁には置き鏡がある。みずぼらしい国民服を着て痩せ切った私を、スーツ姿や将校制服を着た恰幅の良い米軍人が取り囲んでいる。まさに、私は、日本だ。私はただ頷くしかなかった。

「従います……日本を救うためなら。何をすればよいのですか」

「良いですか。日本の歴史は全て間違っていたのです。日本の歴史は……あの捻じ曲げられた神話ではなく、イスラエルの失われた一〇支族に遡るのです。エフライムか、イッサカルか、それは分かりませんが」

「え? は?」

目の前の本を見ると、『日本は古代ユダヤの末裔』と書いてある。

「日本の神道の用語は全てユダヤ教に由来しています。神社の構造はユダヤ教の神殿に酷似しており、日本古来のヤマブシの風習はラビの行動によく似ている。そして日本の民謡にはヘブライ語が保存されているのです。ドッコイショ。古来の風習からしてそれは明らかです。ミカサさん。あなたは、いや日本人はユダヤ人なのです。唱えましょう。ナニャドヤラ、ナニャドヤラ、ナントナサレノ……」

 

~~~

 

元の皇居とは全く似ても似つかない形で再建された、何やら中東風の建築と古代ギリシャ風の様式が混然となった新しい皇居の儀式の間で、大勢の人々を前に私は立っていた。その私の姿も、束帯装束ではなく、ちょうど私が東洋史を学んでいた時に資料で見たような中東風の衣装に、フリーメイソンリーの意匠が混じっている。吉田首相率いる新政権の閣僚たちが、硬直した表情で私を見つめている。国旗を見ると、日の丸に代わり、青いダビデの星がそこにあった。ヤマトウ・イスラエル。

「国歌斉唱!」

君が代の、あの旋律が聞こえてくる。ああ、この歌は変わらないのだ。この歌がある限り。ある限り……。

クム・ガ・ヨワ立ち上がり神を讃えよチヨニシオンの民ヤ・チヨニ神の選民ササレー・イシィノ喜べ残された民よ 救われよイワオト・ナリタ神の印は成就したコルカノ・ムーシュマッテ全地に語れ

とてもぎこちない、擬ヘブライ日本語の歌詞が間延びして広間に響き渡る。私の視界の片隅で、占領軍民生部代表に成り上がったイジドールが、顎で指図した。それに合わせ、私は天皇、改めミカサ・ベン・イッサイへの即位文を大声で読み上げた。

イーヤーサッサー! ハッケヨイノコッタ! ニッポンヤウマト! ミガドホレブ! ハデカシェム!

イジドールが用意した即位文は、日本語にも聞こえる奇妙なリズムのカタカナが延々と並んでいる。

ハッケヨイノコッタ! ドスコイドスコイ!

私は何もかもがどうでもよくなってきた。歴史なんてものは、どうとでも動かされるのだ。そうだ。戦前の歴史教育からしてそうだった。大学で教育する史学と、尋常学校で教える史学は全く別であり、庶民が学ばされていたのは説話や儒教的な読み物に過ぎなかった。それを知っていながら私はその上に君臨する一族として振舞ってきた。ああ。私の一段上に新しい支配者が生まれただけだ。イーヤーサーサー! 私が叫ぶのを、吉田首相が沈鬱な表情で眺めている。そうだよ。その表情だ。日本なんてそんなものだ。朕なんて。叫ぼう。ヤーレンソーラン! ナニャドヤラ! ヨイショ! ヨイショ! ニッポン! オワリ!

 

~~~

 

オキュパイド・ニッポン・タイムス 一九四七年八月十五日付

経歴詐称の「自称ユダヤ人」狂人、逮捕される! 一方で日本のユダヤ化は推進?

トルーマン大統領の個人スタッフとして採用されていた自称ユダヤ人で「イジドール」を名乗っていたキング・トランプ・ワインスタイン三世が昨日、公金横領及び経歴詐称の罪など十数の罪状により拘束された。司令部憲兵当局はキングの認否を明らかにしていない。キングはユダヤ人社会の資金力を目当てに詐欺行為を繰り返していた男で……一方で投機のために日系人社会に入り込み日本語を覚えるという一面も。キングは「日本のユダヤ化」を推進していたが……司令部は取材に対し「日本人が勝手に選択したこと」「ユダヤ人がすでに日本全土に移住しており、ミカサを始め改宗者も千万を超えていること」から、当面のユダヤ化政策については干渉しない旨を表明している。

 

お楽しみ抽選企画! レッツ、ソ連マッカッカ! 明日原爆が落ちる街を当てよう!

八月十四日に原爆が落ちたのはセバストポリでした! 的中した方の中から抽選で「ご家庭にこにこ原子力実験キット」をプレゼント! なお、ソ連の大都市の多くがすでに消滅したため、本日で企画は終了とさせていただきます。

2024年5月22日公開

© 2024 Juan.B

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"国体はわが魂に及び"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2024-05-24 12:37

    文部省が1938年に天皇親政を礼賛した『国体の本義』という冊子を配りましたが、敗戦後に内容がまったく真逆の『民主主義』をなんの悪びれもなく発行しています。この国家はひどい無責任体質で、おそらく本作のように日ユ同祖論を吹きこまれていれば戦後日本はイスラエルになっていたかもしれません。
    そういえば岸田総理が夏季休暇中に『アマテラスの暗号』という小説を読んだそうです。この作品も日ユ同祖論がテーマでした。

  • 投稿者 | 2024-05-25 11:00

    面白かったのでもっと長く読みたいと思いました。
    ユダヤ化が進んでいたら、日本の戦後はどう書き換えられるのか読んでみたいです。

  • 投稿者 | 2024-05-25 11:15

    トンデモ歴史観が大好物なので日ユ同祖論はワンチャンあんじゃね?と思ってた時期もありましたが、最近はDNA解析が進んで失われた10支族が旅立った時代のユダヤ人特有のSNPsを持つ日本人サンプルが1人も見つかっていないので完全に否定されちゃいました。もう科学的に否定するのとかやめましょうよ、このような小説みたいな妄想がはかどらなくなる笑

  • 投稿者 | 2024-05-25 23:26

    重めの歴史小説かと思いきやパラレルで、不意打ちを食らいました。先制攻撃が大事ですね。爆発しまくってました。やっぱり爆発です。ホアンさんの哀愁を纏ったハチャメチャはやっぱりどの作品でも独特の持ち味があり、オリジナリティがあります。自分の味があるって良いですね。

  • 投稿者 | 2024-05-26 19:50

    アナザーストーリーとして読み応えある一篇でした。
    新国歌の重々しい歌詞も素晴らしく。
    あながち荒唐無稽とも思えず、ひょっとしてありえた歴史ではと思えてしまうのが恐ろしい。
    それにしても「はっけよいのこった」がヘブライ語由来だったとは。外国人力士いじめをやめるよう日本相撲協会に注意しておきますね。

  • 投稿者 | 2024-05-26 23:16

    オリエント史のプロフェッショナルなんですものね…。
    Juanさんは豊富な見識を駆使し、矢作俊彦氏の『あ・じゃ・ぱん』やはたまた荒俣宏氏の『帝都物語』のような密度のある、どっしりしたパラレルジャパンな小説をかけるのではないかと勝手ながら期待しております。
    日本語とヘブライ語は土地も民族も乖離してるのに妙に発音と文法が似てるといいますが…一人見る夢は素晴らしい君の踊るその姿〜🎵

  • 投稿者 | 2024-05-27 16:44

    スタッフの名前がラビだったのですごく不穏なものを感じながら読んでいたら予想をさらに超えてきました。セバストポリという選択がまた不穏です。

  • ゲスト | 2024-05-27 18:29

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  • 投稿者 | 2024-05-27 19:06

    不穏な冒頭が最後は「レッツ、ソ連マッカッカ!」でだいぶ雰囲気が変わって読後感良かったです。そしてとてもおもしろく読みました。
    日ユ同祖論とか、あと日本シュメール起源とか、シュメール人と宇宙人とか古代文明のトンデモ論にはだいたい大喜びしちゃうんですけど、実際にこんなふうに言われると、自分の持つアイデンティティや価値観を振り返させられました。

  • 投稿者 | 2024-07-22 02:20

    すげーエネルギー。すげーエネルギーの話。それこそ原爆くらいすごいですね。うわあーって思いました。うわあーって思って他に何も考えられませんでした。

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