ゴールデンボーイ

動物(第1話)

本多篤史

小説

3,211文字

夢で見た話を書いてみました。書いてみるとやはり夢の方が面白いような気がしてがっかりしてしまいます。

駄馬であった。蟇足(ひきあし)と呼んでいたのだが、後ろ足が妙に外側に向いて開き、いつもブルブルと鼻を鳴らし涎を垂らし、汚い敷藁までむしゃむしゃと食べた。足は短く太く、真っ黒なタテガミも泥で薄汚れていた。馬主はゴールデンボーイという立派な名をつけて可愛がったが、どこの厩舎にも断られてただの牧場に馬を預けることになったのが見て取れるような下品な泡銭を掴んだ田舎モノだった。モノの見事に転落していったようで、半年もすると連絡は絶え、ゴールデンボーイはむしゃむしゃとただめしを食らう木偶の棒に育った。
小屋を架け替えるから山に登ってこい、と言われたのはまだ肌寒い雪解けの季節の頃だった。ゴールデンボーイはただ一匹、厩舎の中でブルブルと鼻を鳴らし、世話を焼く須山のじじいは腰が曲がって前が見えないとでも言うかのように、僕のことを完全に無視していた。
小屋はどうしてか、厩舎の屋根の下にあった。本来は屋外に立っていた小屋は数年前、ゴールデンボーイが牧場にやってきた頃に火事で焼け、火で運良く縄が切れでもしたのだろうか、来たばかりで小屋につながれていたかの駄馬は、焼ける小屋の目の前で炎を見つめてブルブルと鼻を鳴らし興奮気味に歯茎をむき出しにしてアホみたいに笑っているように見えたと聞いた。
めんどくせー、とふざけながら粗末な小屋の扉を蹴り破ったり棒を振り回したりしていると、厩舎の脇の焼け跡をうろついているじじいが目に付いた。焼け跡は数年の風雨にさらされすっかり更地に近くなっていたが、真っ黒になった柱やススがあたりには残り、どうせ有り余る土地の中、親父も後始末を放っておいて雨風に任せるままにしてあった。じじい、と僕らが呼ぶその老人は僕が幼い頃には既にじじいだった。兼業の父を助けるため、牛馬の世話や農作業をしに週に数度やってくる、遠い親戚ということだった。父はじじいが僕たちと近づくのをあまり快く思っていないようだった。前歯の欠けた汚い口を開けてにかっと笑って幼い僕を撫でるじじいからそっと引き離しながら、思春期に入りどんどん弱っていくじじいを馬鹿にする僕には口では注意をした。解決の下手な親父だったと思う。
「そん馬にちょっかい出したらいかんぞ。」
ふざけている僕らにじじいが珍しく大きな声で言った。
「そん馬にはちょっかい出したらいかん。バチのあたるけん。気をつけろよ。」
うるせえじじい。冷たい僕たちの視線と声に耐えかねて、最後はブツブツとなにやら文句を言いながらじじいはどこかへ行ってしまった。ゴールデンボーイはぶるると鼻を鳴らして、何が楽しいのか前足をドタドタと不規則なリズムで踏み、狭い厩舎の中をうろうろしている。
雪が降り始めた。山の冬の始まりであった。ボタンのような大粒の雪が降ればすぐに、積もる。僕は急いで小屋の壁をハンマーで叩き割り、足と鍬を使って柱を折り、どうにかこうにか小屋の解体を進めた。ある程度原型を留めないほどに小屋を打ち壊した後、柱の残骸を外に出そうと肩に担ぐと、厩舎からこちらをのぞくゴールデンボーイの顔が見えた。歯茎を出して、涎を垂らし笑っていた。醜い。少しだけ気分を害した僕は柱をかつぎ、すれ違いざまにゴールデンボーイの額を拳でこづいた。びひん、と不細工な鳴き声をあげて、ゴールデンボーイは後ろを向いて尻を振りながらごそごそと動いていた。この馬が好きではなかった。馬を飼っているというと級友たちが珍しがり、見せて見せてとせがんでくる。ゴールデンボーイが来てまもなくのこと、街に住む子供たちを連れて意気揚々と厩舎に入ると、ゴールデンボーイはちょうど糞のついた敷藁をむしゃむしゃと嬉しそうに食っていて、僕たちに気づくと嬉しそうに涎をとばしてはしゃぎ始めた。ほら、近くに来てみんね、と友人たちに先駆けて小屋に入ると、今度は後ろ足で立ち上がり、びしゃびしゃとしょんべんを散らして喜んだ。それから随分、馬鹿にされた。
夜、風呂に入ると、右足にひりひりと痛みを感じた。内側のくるぶしのあたりが赤く腫れていたが、おおかたどこかで擦り傷でもつけたか、かぶれでもしたのだろうとそのままにしておいた。風呂から上がると親父に呼び止められ、座敷に連れて行かれた。
「火遊びばしたろうが。」
「しとらん。」
親父は顔を真っ赤にしてひどく怒っていた。
「そいならこいはなんか。」
親父が僕の目の前に放り投げたのは、先ほど僕が洗濯機に放り込んだ靴下だった。はっきりと、焦げ後がつき穴が空いてしまっていた。くるぶしのあたりだった。当然身に覚えのない僕は反論したが、せからしか!と一喝され拳骨でその晩は終いとなった。身に覚えの無い火遊びで怒られた理不尽さに、その夜は怒りであまり寝付けないかとも思った程だったが、なんのことはない、三十分もするとそんなことはすっかり忘れて、グウグウと眠ってしまっていた。
翌朝、小屋の解体の続きをするため早朝からまた山に登ると、じじいが厩舎の掃除に忙しく働いているところだった。ゴールデンボーイは犬のようにバタリと横になって、これまたグウグウといびきをかいて眠っていた。腹は醜く垂れ下がり、足は太く短く、口から出た黄色い泡とよだれがやはり、醜かった。競走馬というのはやはり嘘で、どこかの駄馬をつかまされたに違いない。数年前の憎しみはもう薄れ、走りもしない、田にも入れない駄馬へ憐れみとも蔑みともつかない思いを抱くようになっていた。
気づかず何か火の気の近くを通ったのかも知れないと思い立って、昨夜のことをじじいに聞いてみた。昨日火は、使っていないと言った。
「あん馬に、なんかしたやろ。」
通りすがりにこづいただけだ、と言うとじじいは目を真っ赤にし、それ見たことかと泡をとばしてまくし立てた。
「そいけんゆうたろうが。あん馬にちょっかいば出したらいかんとって。前の小屋の焼けたとも、あん馬のせいぞ。おいはなんっもしとらんとやけん。火なんか使うもんや。ボカっと、あっちゅうまに燃えたとやけん。ちょっと火いば焚いたけんて、あがんことにはなるわけなかろうが。」
大人たちはいつも、さも一緒に見ていたかのようにものを語る。その場にいなかった僕にどうしてそんな話し方をするのだろう。しかし困った話で、じじいはボケてきたのだろうか、馬が炎を操る手品師だと。話にならんとバリバリ小屋の解体を進めて、夕方頃には、厩舎の中はすっかりさらになってしまった。

 

その晩、黄金色の夢を見た。真っ白な雪景色の中に、火柱が高く、上がっていた。銀の雪が溶け、流れて、周囲は水浸しになっていた。燃えさかる火柱はいつか資料映像で見たことのある太陽のフレアそっくりに、黄金色に踊っていた。驚いて尻餅をついた僕の尻も手も濡れて、泥と雪にまみれてしまっていた。しわくちゃの手は、じじいの手なのだろうか。炎にあぶられ汚れた襟から立ち上る匂いに吐きそうになった。馬が踊っていた。後ろ足で高く、火柱と競うように跳ねるその馬の散らかったたてがみは紛れもない、ゴールデンボーイのものだった。狂ったように足を踏みならし、ブフウブフウと興奮した歌を歌い、高く、跳ね上がっていた。何かブツブツと、しゃべっているようにさえ聞こえた。たくましい尻が躍り上がり、どすんと地面を蹴って、カジキのように身をくねらせて、泥を散らして躍り上がる。そうしてブヒヒイと高くいななくと火柱は一層高く、燃え上がるのだ。恐ろしかった。動けず地面についた手が、泥に沈んでいくのを感じた。
火柱が高く高く、燃え上がっているのを満足そうに見上げ、肩をブルブルとゆらして落ち着きを取り戻した様子のゴールデンボーイがゆっくりとこちらを振り向いた。上下の歯茎を思い切り剥き出し、涎をだらだらと垂らして、瞳を輝かせて、顔を斜めに傾けて、はっきりとこちらを見て、笑っていた。

2015年7月3日公開

作品集『動物』第1話 (全5話)

© 2015 本多篤史

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