オーキドメーター

合評会2024年01月応募作品

眞山大知

小説

3,400文字

オーキドメーターは真面目な医療用具です。残念ながらHな道具じゃありませんし、あのポケモン博士に関係はございません。合評会2024年1月応募分

 品川駅から徒歩五分。弊社の研修センターは見晴らしがよくて好きだ。それに、ここでの仕事はまさに天職だ。
 夜の九時。小さな研修室の窓の外には東京タワーがぼんやりとしたオレンジの光を放っている。だけどいつまでも美しい夜景を見ているわけにもいかない。
 窓から目線を外すと、青瓢箪が喪服のようなリクルートスーツを着て突っ立っていた。今日のターゲットは日大の商学部卒。そいつの面に向かって「成長できない社会人ってな、人に罪って書いて『人罪』なんだよ。ねえ、なんか言ってよ。ねえ、なんで社訓が覚えられないの? 学歴だけの無能はいらないんだよ。赤ちゃんからやり直してくれば? ねえ、もしもーし、聞こえんないんでちゅかー?」と罵った。日大くんは肩をぷるぷる震わせて黙っていた。この部屋には俺と日大くんの二人だけ。誰も俺を止められない――。
 立ち上がって椅子を蹴り飛ばした。日大くんは床に倒れると泡を吹いた。いい気味だった。そのうち辞めてくれるだろう。
 高校卒業後、親から逃げてクソ田舎から上京。奨学金をフルで借りて通った量産型私立東京〇〇大学には灰色の記憶しかない。卒業後はそこそこの証券会社にもぐりこんだが、自分には優秀な同期たちのように、東大卒の知能も、早稲田・慶應卒のコミュ力もアルコール分解能力もなかった。入社四年目で壁にぶち当たり砕けた。到底達成できないノルマ。深夜まで怒鳴る上司。社員寮のすえた臭いのワンルーム。養生テープ。七輪。練炭。扉を破って助けてくれた寮の後輩。それでも「仕事で忙しい」と来てくれなかった親。病名がコロコロ変わる診断書。――復職したあと、研修センターへ異動したのだった。
 バブル期に当時の会長がポケットマネーで建てた研修センターはいまや巨大な追い出し部屋。ここには各事業所から送りこまれた「再教育対象」が集う。そいつらが出社したら必ず品川駅で名刺を百枚配らせる。帰ってきたら社訓をひたすら大声で唱和。態度が気に食わなければ怒鳴りつける。それでも腹の虫が治まらなかったら、この狭い研修室で反省してもらう。
 情なんてとうの昔に捨てた。生きるためならなんでもしてやる。ノルマを達成すれば、出世レースにもう一度復帰できるのだから。ここで「数字」をあげて出世コースに復帰した先輩は多い。

 

 

 業務を終え、研修センターを出る。周りには数え切れないほど社畜たちがゾンビのように歩き、品川駅のコンコースへ吸いこまれていった。――この東京でビジネスパーソンとして生きることと、人間らしく幸福に生きることは同時にできない。
 スマホで9monstersを開く。今日は誰にしようか。スワイプする。ハルキ。ピンクのボブがやけにさらさらしていそう。プロフィールを見る。二十歳、学生。故郷は同じだった。そしてバリタチ――最高。
 近くのホテルで待ち合わせた。やってきたハルキはバンドの帰りで、背負ってきたテレキャスターを大事そうに下ろした。少し世間話したあと、さっそく服を脱いで全裸になる。ハルキの細く真っ白い体は羽根のタトゥーに覆われていた。羽根にそっと触れるとハルキはクスクス笑った。「いいタトゥーじゃん」と褒めると、ハルキは「自由に生きたいんだよね」と舌を出し、そのまま俺の唇を奪ってきた。ねちっこく舌を絡めてきた。ハルキはキスしながら睾丸を揉みだした。
 ああ、すっげえ。やば。快感が全身をビリビリと巡る。
 ハルキは唇を離した。
「玉、小さいね」
 ――その一言で興奮が一気に醒めた。せっかくいい気分になっていたのに。人生の汚点に触れるな。
 ハルキは睾丸を揉む手を止めないで言葉を続けた。
「オーキドメーターだったら二十? あんたさ、俺と地元が同じだったら中村先生って知ってる?」
 オーキドメーター。中村先生。二度と聞きたくない単語だった。中学三年の春に記憶が一気に巻き戻された。

 

 

*  *  *

 

 

 薬品のつんと鼻にさす匂い。白いパーテーション。眠たくなるピアノのBGM。棚に並べられた洋書。額縁におさまる、長ったらしいカタカナの資格の認定証。そして中村先生の、わざとらしく貼り付けたような笑顔。
「じゃ、直樹くん、脱ごっか」
 屈辱だった。けど、脱がなきゃ帰らせてもらえない。スラックスとパンツを嫌々脱ぐと下半身が顕わになった。さっさと終わらせてほしかった。触るなら、はやく触れ。中村先生は右手にゴム手袋を手早くはめると、睾丸を掴んできた。うねうねと手がうごめく。吐き気がしそう。
 中村先生は右手を動かしながら、左手に器具を掴む。バカでかい数珠のような器具には玉が十個ほどついていて、大きさ順に並んでいた――オーキドメーター。これで睾丸のサイズを判断する。左手は二十と書かれた玉――二十歳の睾丸を握っていた。先生は首を傾げると、すぐ二十五の玉を握った。やめて、二十五を握らないで。
「あちゃー。二十五。成長しきったね」
 中村先生は妙に嬉しそうに俺をじっと見ていた。心の底から気持ちの悪くなる笑顔だった。
 パーテーションの方向へ中村先生は顔を向けた。
「お母さん、残念ですが直樹くんの身長はもう伸びないですね。男性ホルモンが出過ぎました」
 中村先生の目線の先には、母が黙って立っていた。授業参観にいくような生真面目な格好をした母は、絶望と怒りが混じった顔で、深いため息をついた。けど、もし鏡を見ることができたら俺の顔は母よりもひどい顔をしていたのだろう。
 中村先生は「まあ、男は身長だけじゃないからね。よし、じゃあ、頑張ろっか」などと慰めているようにも蔑んでいるように聞こえる口調で言うと、診察を終えた。
 看護師さんに付き添われて診察室を出る。中村泌尿器科クリニックの待合室で、俺はただひとりだけ中学の芋臭いブレザーを着ていた。母が会計をする間、ソファーに座る。優しさなんて、母の期待通りに育たないと恵んでもらえない。涙が溢れそうになった。立ち上がる。待合室脇のトイレへ行った。ノブを回す。扉は開かなかった。ノックする。それでも何も返事がなかった。
 病院から出たあと、駐車場で母がつぶやいた。
「中三の春で身長が止まるなんてふざけないで。なんのために高身長の男と結婚したんだか」
 母は嫌そうな目つきをして、停めていたアウディのロックを解除した。自分の存在価値を示さなければ、この家にいられない。この車だって、弁護士の父と結婚したから乗ることができる。身長を伸ばすことができないなら、学力を伸ばすことでしか自分の価値を示せなかった。今の偏差値は五十。だが、六十五の高校を出ている母に認められるためには、もっと上の高校を目指さなければならない。
 アウディに乗りこむ。母はアウディを荒っぽく運転し、長ったらしいバイパスの坂を降りる。左にはイオン、洋服の青山、ゲオ。右にはブックオフ、ニトリ、東京靴流通センター。坂の下には新興住宅地が延々と広がっていた。この街が世界のすべてだと思っていた。ここに、自分を無条件に受け入れてくれる場所はなかった。

 

 

*  *  *

 

 

 女と寝ることができないと気づいたのは上京してからだった。どんな女の体もあの母と姿が重なって見えて、まったくペニスが勃起しない。女と付き合っても最後は必ず「ED野郎と付き合いたくない」とビンタされてしまう。
「知ってる。けどな、俺は二十五って言われたよ」
 ハルキの質問に、少しかすれた声で答えた。
「あの人、わざと番号を多めに言ってるんだって。俺と寝たときにそう言ってた」
「……なぜ?」
「たまらなく興奮するんだってさ、身長がこれ以上伸びないって言われて絶望する男子の顔が。先生、診察の合間を縫ってオナニーばっかりしてるらしいよ。まあ、身長が伸びたところでクレームを送ってくるヤツはいないって笑ってたけど」
 ハルキは虚ろな目をして笑った。ぞっと寒気がした。二十五と告げられたあの日から今日までの努力が、すべて無駄に思えてしまった。それに、あの日、待合室脇のトイレに誰が入っていたかわかってしまった。
 窓の外をふと見る。レースのカーテン越し、オレンジ色に光る東京タワーは、あのオーキドメーターよりバカでかく見えた。そして、窓ガラスに映る俺は、日大くんより青ざめていた顔をしていた。睾丸を揉むハルキの手は止まらず、ペニスは悲しいほどに勃起しつづけていた。

2024年1月4日公開

© 2024 眞山大知

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"オーキドメーター"へのコメント 18

  • 投稿者 | 2024-01-20 13:59

    とても綺麗です。
    東京タワーの景色を美しいと思えば、すぐ同僚に暴力を振るう現在の主人公と、彼の性癖や過去、トラウマが一直線に並んでいるのが大好きです。

    • 投稿者 | 2024-01-24 17:58

      ありがとうございます。綺麗な文体を意識して書いているので嬉しいです

      著者
  • 投稿者 | 2024-01-20 14:32

    オーキドメーター、思わず検索してしまいました。スマホアプリまであるんですね。しかも有料。
    落ちこぼれに、さらに落ちこぼれを虐げさせて溜飲を下げさせる、という図式に、江戸時代の穢多・非人ってこうだったんだろうな、と想像してしまって、現代にも形を変えて連綿と続いているんだと思い、暗澹たる気持ちになりました。

    • 投稿者 | 2024-01-24 18:02

      正直あのパワハラシーンは嫌な気分になりながら書きました。あのシーンのモデルは今いる会社の研修です。まさにこのような感じでした。(場所は都心でなく山奥でした)

      著者
  • 編集者 | 2024-01-24 13:25

    オーキドメーターは知りませんでした。玉より陰茎の長さや包茎が馬鹿にされていた感がありましたが、時代は玉なんでしょうか。ヒエラルキーからは逃れられない悲哀を感じました。

    • 投稿者 | 2024-01-24 18:05

      Amazonでオーキドメーターが大量に売られているのを見ると玉の大きさを気にする男が増えてるように思います。比べるものが竿の長さから玉に変わっても競争からは逃れられないのですね……

      著者
  • 投稿者 | 2024-01-25 23:52

    道路沿いの青山、ブックオフ、東京靴流通センター、それが世界のすべてという主人公の絶望感なんかわかる気しますね。進学したのは「量産型私大」、就職したのはブラックな会社といかにも眞山さん的な世界でしたが、主人公の自分の人生どうあがこうとこの辺が限界という絶望というか諦念というかが睾丸の大きさと重ね合わせられているのが巧みでした。サイコパスとはあまり関係ない気はしましたが。

    • 投稿者 | 2024-01-27 13:59

      社会的地位のあるサイコパスを表現したくて中村先生のキャラを作ったのですが、他のキャラが強すぎて埋もれてしまった感があるかもしれません

      著者
  • 投稿者 | 2024-01-26 10:20

    オーキドメーターって実在するものなんですね! めっちゃ架空のものだと思ってました。男の子は皆知ってるやつなんでしょうか!
    でもこれはサイコパスなんでしょうか? なんだか皆さんの話を読めば読むほどサイコパスが何なのか分からなくなってきました……。

    • 投稿者 | 2024-01-27 14:04

      泌尿器科や一部の小児科にしかないマニアックな器具らしいですね。知ってる男子はたぶんレアなんじゃないかと思っています(´・ω・`)
      テンプレどおりのサイコパスは以前別作(『全裸忍者』)で描いたことがあるのですが、改めてサイコパスとは何か?を考えて書けば書くほど、よくわからなくなってきました……

      著者
  • 投稿者 | 2024-01-26 16:33

    オーキドメーターなるものをこの小説で初めて知りました。
    当然、思春期が遅めの同級生というのも、見知り、言葉を交わしてきたはずですが…軽く話題にするものでもないので、知らなかったといえば、まあ無理もないのかもしれませんが、自分の見聞きした世界がいかに小さいものかを知りました。そして、人は簡単に「恥辱」で壊れるものなのかもしれませんね。

  • 投稿者 | 2024-01-27 11:07

    私もオーキドメーターなる存在を初めて知りました。この歳になるとだんだん睾丸が縮んできて今は梅干しの種くらいのサイズです。何がサイコパスなのかよくわからなかったのですが、日大卒に学歴云々言うのがサイコパス的嫌味なのかしら。

  • 投稿者 | 2024-01-27 11:10

    アイキャッチ画像を見て洒落た民芸品かと思っていましたが、あれがオーキドメーターなんですね。勉強になります。
    読みやすい文章で構成も綺麗で、何よりも子供の頃の恥辱にずっと左右される恐ろしさをひしひしと感じます。
    中村先生みたいな医者はいかにも実在しそう。社会的地位の高い人にサイコパスが多いそうですね。私は女なので婦人科にお世話になるんだけど、やっぱり一つ二つ嫌な思いをしたことがあります。母親も母親でひどい人間です。これじゃ女が怖くなるよ。出てくる人間揃ってサイコパスですね。

    疑問点があるので合評会の席で教えてください。
    睾丸の未発達を調べるものだから小さいのがだめなのかと思ったら、幼いうちに大き過ぎると今度は身長が伸びないことになるんですね。その割には「玉小さいね」と言われて過去のトラウマが呼び起こされるのに?となりました。何しろオーキドメーター自体を知らなかったので読み解けないのはご勘弁ください。

    あと、どうでもいいんですが、付き合った女からED野郎と言われてビンタされたとありますが、普通の女性はEDの男には同情こそすれ逆恨みはしないと思います。すごいヤンキーと付き合ったのですかね。

  • 投稿者 | 2024-01-27 12:00

    いい感じの気持ち悪さ。この不快感はとても好きです。
    描写も簡潔で、まとまりがあって良かったです。

  • 投稿者 | 2024-01-27 13:53

    仕事の都合で合評会に出席できないかもしれないのでいったんここで回答します。主人公は玉の大きさを評価されることにトラウマを持ち、玉自体を自分の人生の汚点だと考えている設定にしていましたが、文章の言葉が足りず、誤解を生む表現になってしまいました。失礼しました。

    著者
  • 投稿者 | 2024-01-28 01:46

    どんな女の体もあの母親に思えて勃起しない、っていう所が最高です。ぎゅうぎゅうに凝縮された塊みたいな感じがします。見た瞬間逃げだしたくなるような塊に思えます。

  • ゲスト | 2024-01-29 00:19

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  • 投稿者 | 2024-01-29 12:47

    冒頭シーンの不快度指数が高かったんですが、医者はそれを易易と飛び越えていきました。恥と性欲の関係について考えさせる一編だとも思います。

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