利他と流動性:奇瑞

合評会2023年05月応募作品

小林TKG

小説

4,400文字

他に、るくるくの#64を元にするか、マスターキートンの一巻のカーリマンの話をパロるか、迷いました。

風の強い海辺の砂の上に、小屋から出した椅子を置いてそれに座って海を眺めていた。

手には冷蔵庫に入っていたビールを持っていた。それを飲みながら海を眺めていた。

何処までも広がる海を眺めていた。

空はどこまでも青く、雲の一つもない。太陽は真上、中天で照っていた。

暑いと感じたら、感じていない時でも、たまに波打ち際まで降りて行って足を波の、海の中に入れた。自分の両足を。そうして砂のついた足を洗った。

波は足にあたる度に白く砕けて、じゃぶじゃぶと音を立てた。

 

寄せては返す波間に置いた自分の足が洗われる様を眺めていると、何の前触れもなく不安がやってきた。得体のしれない怪物のように大きな。山の様に大きな、大きな不安が、忽然と、目の前にいる。いた。そして私の中に。

安寧。

この安寧。今。この時を想うと、たまらなく不安になる。

次に目を覚ました時もしも、ここではない所にいたとしたら。ここじゃない所にいたりしたら。

 

そんな事を考える。いつの間にか。いつ来たのかわからない。でも考えている。それが去来すると不安になる。たまらなく不安になる。私の形が、体が押しつぶされるような気がする。

そんな不安を胸に海を、そこに広がるすべてを、見るともなく眺めていると海の中に何かが見えた。

「……先生」

それは、その藻、海藻のように見えたそれは先生であった。

 

「先生っ」

それは、私の両親が生前じゃぶじゃぶにお世話になった。私もそう。本当にじゃぶじゃぶに御世話になっていた。御寺の御住職。内科医もしておられた。先生であった。

父の葬儀、母の葬儀で経文を読んでくださった。火葬場まで来てくださった。納骨の時、私と一緒になって遺骨を押し入れてくれた。先生であった。父と母に戒名をくださった。先生であった。

 

法衣を御召しになられた先生の所に急いで向かった。

「先生っ先生っ」

その御体を抱きかかえて浜辺、陸地まで引き摺って行くと、

「先生っだいじょうぶですか」

先生は突然ゲボゲボと咳をされて、どろどろした、口内から、どろどろとした水を大量に吐き出された。先生は生きておられる。生きておられた。

 

先生の事を背負って小屋まで戻り、ベッドに寝かせた。

口の前に手をかざすと、弱弱しくではあったが、しかし穏やかに、呼吸をされていた。

濡れた法衣のままでどうしたらいいのか迷ったが、とにかくそのまま手近にあった自分の服の余りであるとか、布団を上からかぶせた。かけさせていただいた。

足袋だけは何とか脱がすと、砂だらけになった御御足が、砂にまみれた、不憫な、御御足が現界、顕現された。

その御御足の砂を舌で舐めとった。

皴皴の、象の皮膚の様な、張りのない。既に、もうすぐ死にそうな人間の足。皮膚。先生の御御足。薄皮が剥がれそうなところもある。先生の御御足。その表面についた砂を舌を使って舐めとった。砂が舌の表面にざらざらと感じた。

一本一本の指の間まで舐め上げさせていただいてから、舐め終えてから。次はそれにじゃぶじゃぶとビールをかけて、再び舐め上げさせていただいた。

その間、先生は起きることも無く、わずかな声を発することも無く、ただ静かに、穏やかに呼吸を繰り返していらした。

 

気が付くと床で寝ていた。ベッドを見ると先生が起き上がって床にいた私を、谷底を覗き込むように見ていらした。

「ここは、何故、どうして、ここに」

先生は混乱しておいでであった。

先生は今のこの状況を御理解されていない様子であった。

 

暫くして落ち着かれた先生に外の砂の上に置いた椅子に座っていただき、自分は横で砂の上に直接座って正座して、それで先生のお話を伺った。

先生は、いつもの私の様に、いつも私がそこに置いた椅子に座ってそうしている様に茫漠と海を眺めながら。先生は、自分が信仰を捨てた為にこの様な事になったのだ。とおっしゃられた。

先生の法話は最初はゆっくりと、どろどろとした速度で始まったが、すぐに堰を切ったようにじゃぶじゃぶとなった。

 

先生の奥様がお亡くなりになった。

大雨の日、夕刻、自宅の前の片側二車線の道を横断している途中、車に撥ねられた。その際、ボンネットに奥様のお体を乗せた車は、反対車線の側にあった家屋の石塀にぶつかり、その時の衝撃で奥様の上半身と下半身が千切れた。先生はそれを別所で行われていた宗派の会合が終わるまで知らず、夜、帰るという段になった時に知った。若先生はその頃まだ仏道修行の途上であった為に、自宅にはおられなかった。

奥様は先生が帰ってくるまでその状態のまま、車のボンネットの上で生きておられた。幸いなことに撥ねられた際の痛みとか、上半身と下半身が千切れた際の痛みなどは無かったそうだ。奥様の意識は死ぬ直前まではっきりとしており、雨のすっかり上がった夜気の中、先生と奥様はそこで最後の話をされた。

その時どういう話をしたのかは知らない。その後も、先生からそういう話は聞かなかった。父も母もそれに関しては何も知らないと言っていた。

 

先生はここで、海を眺めながらその時の話をした。

奥様はその最後の時、先生に向かって、

「あの子に打ってと伝えて。打って。と。それから、●●には、あの人には見て。見て。と」

そう言ったのだという。奥様は死ぬ間際、そう言ったのだという。先生の御子息、若先生は学生時代、野球少年だったらしい。そして、それから夫である先生の前で、目の前で、先生の名前を出して、見て。とそう言ったのだという。

奥様はその時、最後のその時、その時、そこではなく、その場所ではなく何処か、いつかの昔の記憶の中にいた。死ぬ間際、最後の時に。先生との最後の会話のその時に。

「だから私はその時に自らの信仰を捨てました。生きている者は例外なく死に至る。この道に進んだ時にそう学んだ。わかっていました。わかっていたつもりでした。それなのに、ですが、私はその時わかったんです。仏も神もどこにもいないんだと」

「先生、それはサインです」

先生。それはM・ナイト・シャマランのサインです。

 

それはM・ナイト・シャマランのサインです。OLDのあたりで、あの、っていう代名詞からサインが外れて、まあ未だにシックス・センスはついてるけど。でもまあぼちぼち、あの、がヴィジットとかOLDになってきた感がある。でも多分シックス・センスは一生ついて回るんだろうなと思う。それはM・ナイト・シャマランのサインです。

 

「おそらく、これから先生の御身にとても大きな危機が訪れるんです。とても深刻な事態に直面するんです」

大きな。大きな。とても大きな。サインみたいな。大きな。波打ち際で私の中に入ってきた不安なんかよりも大きな。大きな。森や雲のように大きな。大きな。

「だからきっと、先生。先生が信仰をお捨てになられる必要はないと思います」

 

その後も、先生はその事、サインについての事を私にお尋ねになられた。詳細を話すのも憚られたので、DVDか何かがあるのではないかと思い、先生をそこに残したまま、私は小屋に戻った。

しかし小屋の何処を探しても無い。何処にも無い。出てこない。そうしてひっかきまわしているうちに古新聞の束の下に、

 

「先生っ先生っ」

古新聞の下にあった雑誌と、電池の入ったラジカセ、二本のビールを持って先生の下に走って戻った。

しかし先生はそこにはおらず、座っていたはずの椅子の上には先生が着ていた法衣だけが残されていた

法衣はびしょびしょに濡れており、その至る所に小魚だの、小エビだの、小さな蟹だのが絡まっていた。

小さな蟹を一匹捕まえてロープで結んだ虫かごの様なものに入れて、ちょっとした崖みたいになっている所から海に投げた。

暫くしてから引き上げるとかごの中にロブスターが蠢いていた。海水を入れた鍋に火をかけ、そのロブスターを茹でてから、ビールと一緒に食べた。

「うまい」

最高にうまい。

 

砂の上に座ったままロブスターを食べながら、古新聞の下にあった雑誌、7月30日発売の『ROCKIN’ON JAPAN』2015年9月号特別付録『JAPAN’S NEXT 2015 SPECIAL CD』を開封した。そのCDをラジカセに入れて、トラック10を流す。

するとすぐにラジカセから、水カンのカーネルdemoが流れ出した。

風が強い場所なので、ラジカセのボリュームを最大にする。

カーネルはdヒッツとかのサブスクサービスでは聞けなかった水カンの曲。

アルバムとかにも入ってない。その雑誌、7月30日発売の『ROCKIN’ON JAPAN』2015年9月号特別付録『JAPAN’S NEXT 2015 SPECIAL CD』でしか聞けない。あとようつべとかでしか。

先生のおかげでその雑誌を見つけた。先生に感謝した。本当に感謝した。感謝しても感謝しきれない。

私はそれを聞きながら、リピートして何度も聞きながら、再び先生を御遣いくださった海に祈り捧げた。地面に両手両足、両膝をつけて砂浜の砂に額を押し付けて長いあいだ海に向かって祈り続けた。出来うる限り長い時間そこで祈り続けた。

 

散らかしてしまったのを片付けようと思って小屋に戻ると、床の上に全く見覚えのないバットが転がっていた。私はそれを持って波打ち際まで行って、そこで振り回した。

もしかしたら、何かのきっかけで、先生の御子息、若先生の代わりに自分がサインのホアキン・フェニックスの役をさせていただく事があるかもしれない。いや、勿論そんな可能性は低い。無い。でも、それでも一応。控えとして。控えの控えとしてでもいい。補欠でも。なんでもいい。

私はバットを振り回した。握る時左右どっちの手が上なのかも下なのかもわからない。力任せに振り回して腰を痛めたりするかも知れない。

それでもとにかく振り回した。バットを振る度に足に当たる波がじゃぶじゃぶと音を立てた。

 

中天の太陽の下、否応なく噴き出した汗を拭う事もせず、呼吸を荒げながらバットを振り回し、耳コピしたカーネルを歌っているうちに私の中に充満していた不安が薄らいでいく。

薄らいで行くのが見える様だった。目に見える様だった。

見上げるほどに大きく、天まで届く神や御仏の様だったそれが、老醜者や、健忘症患者、記憶障碍者の頭の中の記憶のように、ほろほろと、小さく、細かく、細切れにされて、ほろほろと。

頭や、精神、体内、あるいは体外にある心、私から剥がれて落ちてゆく。剥落してゆく。

不安が落ちてゆく。

陽の光を浴びて消えてゆく朝靄のように。

不安が落ちてゆく。

下半身まで落ちて行って足から海に溶け出していってるのかもしれない。

不安も雑念も溶けていく。

それが海の色を青くしているのかもしれない。

そしてやがて空に上がり空の色さえ青くする。

2023年5月15日公開

© 2023 小林TKG

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"利他と流動性:奇瑞"へのコメント 23

  • 投稿者 | 2023-05-17 23:28

    「じゃぶじゃぶ」を使いたい気持ちがひしひしと伝わってきた。「おみあし」の漢字表記の過剰な感じを三回も繰り返しているところもいい(「おみおつけ」とかも御だらけになってしまいますよね)。タイトルはよくわからなかったけれど、ラスト2行のリリカルな飛躍が爽快だ。星5つ!

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:44

      感想いただきましてありがとうございます。おみ足ってなんか漢字あるのかなって思ったら、全然変換されなくて、グーグルで調べたら、御御足って出てきて、こんな面白い発見使わない手はないなって思いましたよねえwww

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-18 13:59

    なんのこっちゃな展開はそのままに主人公の不安定な心持がうまく表現されていました。ちなみにロッキン15ではベビメタのサークルモッシュに死にかけました。

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:45

      感想いただきましてありがとうございます。
      この時期私も結構心が危ない状態にありまして、それがまあ、海に沈めた遺体のようになんか浮いて出てきたのかもしれません。

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-18 20:41

    とっても楽しみました。前の『利他と流動性』よりも良いと思いました。へんてこりんだけど美しいです。
    どろどろがじゃぶじゃぶになり、最後はほろほろ。くせになります。オノマトペの使い方が正しいのかとかどうでも良くて、もう、好きです。
    今回の先生は生きておられるのですね。それとも魚籃観音だったのかもしれません。って、またロブスター食っちゃうし。でも御仏の慈悲だから食べていいのですね。
    ラスト、よくわかんないけどすべてが浄化された感じがとても良かったです。

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:48

      感想いただきましてありがとうございます。
      先生に信仰を捨てていただくために今回は生きててもらうことになりましたwww
      しかしまあ、しゃべると賢くなさそうになりますよね。前回の利田流の先生のほうが死んでてしゃべらなかった分賢かったように思います。

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-18 23:45

    以前の作品の別テイクですね。ディレクターズカット版と併せて読ませていただきましたが、切り詰めた分ちょっと難解になってるようにも思えました。元のほうがリリシズムが生きていたように思います。もうかなり作品のストックもあることですし、小林さんも自選作品集を編んでみてはいかがでしょう。お気に入りの作品を字数制限を気にせずにリテイク(書き直し)してみるのも良さそうです。

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:53

      感想いただきましてありがとうございます。
      続編ではなく別テイクみたいにしたのはあれなんですよ。合評会で続編とか書いていいのかなっていうのがちょっとあってですね。だからこれ単独でも読める感じのやつになれば、したらいいかなあ。っていうのがちょっとあってですね。
      でもまあ、結局のところ、また先生が来た。みたいに書いちゃってますからね。おい。っていう話なんですけどねwww
      あと文字数気にしないとあれです。余計な事たくさん書くし、精査とかしなくなると思いますよ。どうなんすかねそういうのって。

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-19 16:16

    ロブスター食いたくなった。飯テロですねこれは。
    そういえば昔スーパーの鮮魚売り場でバイトしてたとき、消費期限切れの焼きロブスターをバックヤードで美味い美味い言いながら食べたのを思い出しました。

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:55

      ロブスターってあれってどうやって食べるんですかね。私自身は全然知らないんですけども。飯テロ評価ありがとうございます。

      著者
      • 投稿者 | 2023-05-21 20:40

        確か縦半分にぶった切ったロブスターの切り口にホワイトソースとか香草とかパン粉とかのっけてグリルしたやつだったと思います。

  • 編集者 | 2023-05-20 23:33

    途中まで水カンのことなどすっかり忘れていたほどに世界に入り込んでいた……そこにまさかの付録CDで吹いてしまった。すべてが最高でした!

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:56

      感想いただきましてありがとうございます。
      水カンは出します。前回、ちょっとある方に愛がねえって言われたんで今回は愛をこめて出したつもりですwww

      著者
  • 投稿者 | 2023-05-21 10:16

    タイトルで気付かず、「じゃぶじゃぶ」で、「じゃぶじゃぶの話だ!」とじゃぶじゃぶ気付きました。
    藤城さんも仰ってますが、おみあしの漢字表記を連続するのが良いですね。またロブスター食べて始めたところで、ロブスター食べたくなりました。

    • 投稿者 | 2023-05-21 12:08

      じゃぶじゃふ、どろどろ、そしてほろほろ……。ロックの世界はあまり詳しくはないので、自分の解像度がもっとあがればより楽しめるのだろうなあという寂しさが少し残りますが、それはこっちの事情なので、それ抜きにしてもよかったです!

    • 投稿者 | 2023-05-21 16:58

      感想いただきましてありがとうございます。
      じゃぶじゃぶの話でした。前回のじゃぶじゃぶの話よりも今回のほうがじゃぶじゃぶが出せたんじゃないかなと思います。

      著者
      • 投稿者 | 2023-05-21 17:00

        どれみさんも感想ありがとうございます。ロックの世界は私も全然詳しくないです。むしろ知らないです。何も知らないですよ。はいwww

        著者
  • 投稿者 | 2023-05-21 15:48

    かつての破滅派合評らしいお題に相応しい破滅派合評以外では読めない作品なのではないか!奥さんの上半身がどうなるか心配していたが余計なお世話だったようだだだだ

    • 投稿者 | 2023-05-21 17:04

      感想いただだだだだきましてありがとうございます。
      今回はもうほんとに、サインの映画のことが被らなかったことがうれしくて。はい。私。誰かと被ってたらどうしようと思って、合評会当日までほかの方の話が読めませんでしたよ。怖くて。
      というわけで奥様はどうしようもなかったんだだだだ

      著者
  • ゲスト | 2023-05-21 19:03

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    • 投稿者 | 2023-05-21 19:11

      感想いただきましてありがとうございます。
      懸念してました。お題回収してるかな?って。大変な目にあう感じの人と一緒にいる人の話ですからね。じゃぶじゃぶ心配してます。

      著者
  • 編集者 | 2023-05-21 19:15

    みんながよいことを既にコメントしてしまった。面白い作品。ロブスターも悉皆成仏。長いお題にじゃぶじゃぶ応答して頂きました。

    • 投稿者 | 2023-05-21 19:29

      感想いただきましてありがとうございます。
      じゃぶじゃぶしましたねー。

      著者
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