黒花園未加とペンウィー・ドダー。

巣居けけ

小説

37,943文字

乱暴な女の子が小学校で殺戮したり、おかしな医者が手術とか葬式とかする話です。

抱熱第一小学校の校門を、黒髪おかっぱの園未加は両手で押して開いた。
「おいおいおいおいっ! なんだよっ! いい校舎じゃねぇかっ!」

園未加は壮大な校舎を眺めながら叫んだ。そして敷地内に侵入した。

黒い鉄格子のような門の向こう側にあったのは、広々とした校庭だった。東側に色とりどりのタイヤを埋めただけの遊具と砂場、ささやかな花壇があるだけで、それ以外は何も無い、まっさらな肌色の土地だった。

園未加は歩き、校庭の隅に設置された花壇に歩み寄った。そしてこげ茶の土の中に入り、しゃがんで一輪の花を見つめた。
「ああ、お花よ……。あんたは今日も美しいぃ……」

湿った耳垢のような質感の花びらに見惚れている園未加は、大きく開けた口から唾液を垂らしていた。
「うふふっ、うふ、うふふふふ……」

透明な液体は口角から下り、顎まで伝るとそこからぽたぽたと花びらに落ちて、土を湿らせていた。
「ああ、はは、素敵ぃ……」

まだら模様のように、ところどころに泥が張り付いている黒いコートを着た園未加は、今までの人生の中で最大級の喜びを感じていた……。
「ああっ?」

しかし次の瞬間、園未加は紅潮している顔面を鬼のような血相に変えた。一瞬で、体内を熱のある怒りが満たした。園未加は突き放すように「気持ち悪いっ!!」と叫び、勢い良く立ち上がり、目の前の花を力強く踏みつぶした。
「花とかさあ、意味わかんねーよっ! どうしてこんなにか細いんだ? なああ?」

園未加は口から黄色い吐瀉物を出しながら、ぐしゃぐしゃになった花を何度も何度も踏みつけた。小さな一輪は圧倒的な足蹴によって、お浸しのようにしなしなに潰れてしまった。
「気持ち悪くてっ! 気持ち悪くてっ! 吐いちまいそうだぜええっ」

大きく動く園未加のさらさらなおかっぱが、ふわりふわりと揺れていた。コートと同色の大きなブーツや迷彩柄のズボンに、新鮮な土が飛び散って、汚していた。

しかし激昂した園未加の鬼の血相は収まりを知らなかった。

園未加の視界の隅に、ほうきを動かしている作業着姿の老人が映った。

園未加は途端に足を動かすのをやめた。電池切れを起こした機械のようにすっかりさっぱり静止した。熱で熱くなっていた顔面には鋭い冷静さが戻っていた。そして遠くに居る老人に大股で向かっていった。

老人は園未加から目をそらしていた。園未加のことなど眼中にないようだった。それでも園未加は老人に近づき、黄色い吐瀉物が付いた口を開いた。
「おい見てんじゃねぇよ、クソじじい」
「え、なんだね。君ぃ、は」唐突に話しかけられて揺れ動く視線の老人は、ほうきをざわざわと動かした。そうすることで緊張から逃れようとしているようだった。また老人は、これまで大好きな掃除業務に夢中だったので、目の前の園未加のこれまでの行動には目もくれていなかった。

しかし園未加は激怒していた。頭は至極冷静だったが怒りの感情は少しも消えておらず、むしろ先ほどよりも強い激昂が宿っていた。
「うるせぇ! この学校だって、四捨五入すれば私の自宅も同然なんだっ!」

園未加は腰の刀を素早く抜刀した。革の白いベルトに括り付けた黒鞘の日本刀を素早く引き抜き、銀色に輝く刀身を老人に見せつけながら乱暴に適当に振り回した。
「うわあっ!」

生命の危機を感じた老人は飛び上がり、手持ちのほうきを適当に園未加に投げつけながら逃げ出した。

飛んできたほうきを斬り捨てた園未加は、老人の背中、着ている紺色の作業着の襟に手を伸ばし、老人を簡単に捕獲した。
「ひゃあっ!」しゃっくりのような声を出した老人は、そのまま園未加の怪力によって地面に仰向けに叩きつけられた。
「おい、おいっ! このゲロ付きクソ女のことが気持ち悪くって、とっても汚ねぇってか?」園未加は老人の背中を勢い良く踏みつけた。ブーツの右足が老人の柔らかい背中にめりこんだ。「おい、おいっ! おいぃっ!」

濃い茶色の土の地面に、苦悩の顔でうつ伏せになっている老人。その背中を右足で押さえつける園未加は、刀の刃を老人のうなじに添えた。
「オメェのツルハゲのほうが汚えんだよっ!」

園未加は鍔の玉を吐き散らかしながら叫んだ。ガラガラの大声が校庭に響き渡った。校舎から出てくる人間は居なかった。
「す、すみません……。あのぉ、あのっ、この人肉ビスケットあげます。これでどうにかぁ……」老人は恐怖のあまり尿を出していた。涙でぐずぐずになっている顔で精一杯の命乞いを発しながら、ズボンのポケットある人肉ビスケットを園未加に差し出した。
「人肉ビスケットだと?」
「はいぃ……。美味しいッスよ」

園未加は老人の人肉ビスケットを乱雑に受け取った。それは肌色のいびつな円形の菓子だった。月のクレーターのように表面がデコボコとしていて、不気味で巨大な皮膚片にしか見えなかった。園未加は人肉ビスケットを一口食べてみた。しかし、いくらサクサクと咀嚼しても味が見えてこなかった。完全な無味だった。

飲み込んだ園未加は鼻で笑うと、自分の歯型にへこんだ残りの人肉ビスケットを遥か彼方にポイと投げ捨てた。
「ああっ! アンタッ、何してんだよ!」

老人は釣り上げられた魚のように上半身だけで跳ねながら、綺麗な放物線を描いて飛んでいく人肉ビスケットを悲しく見つめた。
「ああっ。嘘だ、あれが無いと、ワシは……、クソぉ……」
「へっへぇ……、残念だったなぁ」

園未加はガラガラとした声で叫んだ。そして足元の老人の背中をどんどんと蹴りつけながら高らかに笑った。
「おおおおおっ、やめ、やめてくれぇ……」

ブーツの硬く重たい一撃。背中に激痛が走ると共に、老人の体は悲鳴を上げていた。筋肉が脅かされ、骨々が軋む音が耳に届くと、老人の脳は自分の体がミンチになってしまう妄想を繰り広げた。

高笑いを続ける園未加の足元で、老人はやがて、確かな死を意識した。
「それじゃあクソジジイ、アンタの話を聞いてやる……」

園未加は唐突に足を止めた。そしてその場でしゃがんだ。
「は、話しぃ?」
「老人の話ってのはタメになるんだろ?」園未加は笑みを浮かべた。黄ばんだ歯列がにゅるりと姿を現した。「なら、指でも切りながら聞いてやるよ」

それから園未加は刀を逆手に持ち、切っ先を老人の右手の親指の横に添えた。
「ほら、まずは自己紹介だっ! 名前と年齢を言いなっ!」
「ワ、ワシはっ……。夢六六郎っ……。今年で五十じゃぁ……」
「なるほどなぁ……」園未加は刀を横に倒し、老人の親指を切断した。鋭い切っ先は指の皮膚を貫いて肉を裂き、指を根元からすっぱり切った。
「あああああああっ!」

老人は泣き叫びながら離れた指を凝視した。断面から血が流れ、校庭の肌色の地面に染み込んでいった。

園未加がその老人の背をぐりぐりと足でいじった。
「次だ。アンタの十代のことを教えろ。……いいや、語れ」

園未加は鋭く冷たい口調で命令した。
「じゅ、十代ぃ……」

老人は掠れた涙声で園未加を見上げていた。「十代のころは、今よりもっと性欲的だった……」
「性欲的? シコってばっかだったのか? けけっ!」園未加はなぜか笑った。

老人は首を勢い良く横に振った。「ヤりまくり……。じゃったぁ……」
「そりゃあご苦労なこった! で、何人とやった?」
「……覚えとらん。でも、三桁は行っておったよ……」老人は聖母のような甘い声で呟いた。
「ちなみに、アンタはどんなプレイが好みだ?」
「い、言えんよ……。そんなハレンチなことは……」
「言わなきゃこのまま足で背中を焦がすぞ」と園未加は老人の背中の足を再びぐりぐりと動かした。めり込むブーツの硬さが老人に激痛を与えた。
「赤ちゃんプレイだっ!」
「あぁ? 何だって? 聞こえねぇよ」
「赤ちゃんプレイだっ! 赤ちゃんプレイだよおぉぉぉぉっ!」

老人は身体をのけ反らせて叫んだ。

すると園未加は足を動かすのを止めた。そして無言で老人の人差し指を切断した。老人の悲鳴が校庭に轟き、同時に身体をびくびくと震わせた。大声は校舎にまで届いているはずだったが校舎から人減が出てくることはなかった。

老人の指からの出血が、肌色の地面に染み込んで辺りに鉄の香りが漂った。
「次は二十代のことだ。……ちなみに、嘘吐いたら殺すからな?」
「は、はいぃ……。二十代は、金を稼ぎました。満身創痍で働いて、とにかく昇進することだけが願いでした。しかしそれは間違いで――」

園未加が刀を動かし、老人の中指を切断した。何かを言いかけていた老人が悲鳴を発し、強烈な痛みに身体を震わせた。
「おい、動くな」園未加は老人の背中の足をぐりぐりと動かした。硬いブーツの底がめり込み、老人はさらに悲鳴と大量の唾の粒を出した。
「それで? 次は三十代だ。面白くなかったらこのまま背中も刺すからな」
「は、はひっ……。さ、三十代のころは、自分の人生の愚かさに気づきました……」
「どういうことだ?」
「……もっと遊んでおけばよかった。三十代で多くの部下を持ったワシは、中身の無いつまらない人間になってしまったのです……」
「ほーん」

園未加はつまらなそうに呟くと老人の薬指を切断した。老人が「ぐぎぎぎぎ」と呻いた。大量の血が流れて辺りの地面が真っ赤に染まった。園未加は刀を動かし老人の背中を刺した。老人はまたもや「うぐーっ」と呻いて身体をのけ反らせた。園未加は持ち上がってきた老人の頭を引っ叩いて沈めた。
「次は四十代だ。つまらんオヤジがどうやって挽回した?」
「なにもしなかったのです」
「は?」
「ワシはなにもしなかったのですぅっ!」老人は頭を上げて大声で叫んだ。そのまま空を仰いで大きく口を開いた。「ワシは何もできなかった! 気遣って若者と同じようなファッションをしたら女教員から笑われた! ならどうすればいいって相談したらもう手遅れだってさらに笑われた! 若者はなにもわからん! なんにもわからんっ! どうしてあんなにも器用にコミュニケーションができるっ? どうして誰も彼も良い匂いがするっ? どうして! どうして、どうしてぇっ!」

老人は海老ぞりのように上半身を反らせて空に顔面を向け、唾液にまみれたしわくちゃの口を開いていた。「どうしてだぁっ!」その目には何も宿っていなかった。すでに完璧に消耗しきっている空虚な瞳には、人生に対する落胆の香りだけがあった。
「うるせぇっ!」

園未加は立ち上がると老人の後頭部に刀を刺した。ぐっさりと突き抜ける刀は老人の口から飛び出した。
「あ、あがっ……」老人は刀が刺さった口をかろうじて動かした。しかし言葉を発することはできず、どんなに口を動かしても「あがあがあが」としか発することしかできなかった。
「ははっ! もう何も喋れないな! アンタは終わりだっ!」

園未加は刀を引き抜いてから高く構え、老人の頭を縦に一刀両断した。皮膚と頭蓋を切断して中の脳まで切り、老人の首元まで入ったところで刀は止まった。園未加が刀を引き抜くと老人の身体は力なく前方に倒れた。

園未加はもう動かなくなった老人から右足を離した。痩せ細った背中はブーツの底の形にへこんでいた。
「うごっ……。うがうがうがっ」

すると死んだはずの老人が小刻みに全身を震わせた。
「あ?」
「うがががががっ!」

老人の身体の震えは次第に大きくなっていき、やがて上半身を大きくのけ反らせ、「うがーっ!」と叫ぶと縦に亀裂が入った頭部がぐちゃりと音を立ててぱっくりと左右に割れた。

園未加は老人の脳を見た。そして目を見開いた。

老人の脳はなんと黄緑色だった。
「どういうことなんだ?」

老人はそのままびくびくと震えると、電池が切れたロボットのようにぱったりと倒れた。そしてそれ以降全く動かなくなった。園未加が足を使って老人を仰向けに動かしても無反応だった。
「どういうことなんだ?」

園未加は首を傾げながら冷静に呟いた。そして次の瞬間、腹の奥から違和感が上がってきた。それは食道を上がり、喉元まで到達した。園未加はたまらず口を大きく開いて下を向いた。すると違和感が放出した。
「おええええええっ!」

園未加は大声を上げて嘔吐した。肌色の液体がぼどぼどと落ち、老人の割れた頭に振りかかって濡らした。
「あーっ! スッキリしたわ」

吐瀉物をぶちまけられた老人の顔を見つめながら、園未加はコートの裾で口元を拭い、にっこりと笑った。
「おねえさん、何してるの?」
「ああっ?」

後方からの声に園未加は振り返った。

開かれたままの校門に四人の小学生が立っていた。登校してきた児童らしく、全員が黄色い帽子にランドセルを背負っていた。
「なんだ、ガキども」

園未加は刀を納刀しながら棘のある声を発した。

小学生たちは敷地内に入り、園未加に近づいた。そして倒れている老人を取り囲み、見下ろした。
「これはひどい」
「それにとっても臭い! おねえさんのゲボ?」
「ああ。急に気持ち悪くなってな……。悪いと思ったが、我慢できんかった」園未加は本当に申し訳なさそうな、辛そうな顔を老人の吐瀉物まみれの顔面に向けた。「……スマンな」

すると小学生のうちの一人、眼鏡の小学生が老人の近くに落ちていた肉片を拾い上げた。それは園未加が切断した老人の親指で、物珍しいそうに眺めていた眼鏡の小学生はそのまま指を口に運んだ。
「旨いか?」

園未加が訊ねた。
「うん!」

眼鏡の小学生は笑みを浮かべて頷いた。
「じゃあ私も!」

そう叫んだツインテールの小学生はしゃがみ、老人の人差し指をつまみ上げて口に運んだ。ぐちゃぐちゃと音を立てて咀嚼し、そのままゴクンと飲み込んだ。「美味しいっ!」

するとまた別の、短髪の小学生が隣にしゃがみ、中指を拾って口に含んだ。ごりごりと咀嚼して飲み込み、声変わりを終えたばかりの低い声で「旨いっ!」と叫んだ。

それにつられる形で、黒マスクの小学生がしゃがみ、残った老人の薬指を無言で食べた。二、三度咀嚼して飲み込むと、唸り声を上げてから「確かに旨いな」と呟いた。
「腹一杯になったか? ガキども」

園未加は腰に手を当てて訊ねた。するとそれぞれ立ち上がった小学生たちは頷き、その顔に笑みを浮かべた。
「なら、良しっ!」園未加は大げさな声で叫んだ。「ではこれより、食後の運動を行うっ!」

園未加は勢い良く抜刀した。そして片膝を地面に付き、老人の衣服を切り裂いた。すると至る箇所にしわができている痩せた身体があらわになった。園未加はその肌にも刀を入れた。医者がする切開のように腹を縦に切ると、中から真っ赤な腸が出てきた。
「お前たち、鋏を持っているか?」

園未加は納刀しながら小学生たちを見上げて訊ねた。

するとツインテールの小学生が「持ってます!」と叫び、ランドセルを地面に置いて中から黄色い持ち手の鋏を取り出した。

園未加は鋏を受け取った。小学生専用だったため少し小さかったが、無理やり指を入れた。チョキチョキと動かして具合を確かめてから、切っ先を老人の腸に入れた。
「この前読んだ医学の本に書いてあった。人間の腸は高く売れる」
「なんて本?」

眼鏡の小学生が首を傾げて訊ねた。
「『医学で成り上がるためには。』って本だ」

古い記憶を呼び起こしながらにやついて答えた。
「図書館にあるかも!」眼鏡の小学生が叫んだ。
「かもな。探してみろ」

園未加は老人の腸を手のひらと同じほどの大きさに切り分けた。そして血がべっとりと付いた鋏の刃を舌で舐めた。「旨いっ!」老人の血は美味だった。香ばしい鉄の風味が脳にガツンと突き刺さり、刺激的な味を演出していた。
「ガキども、ランドセルを開けなっ!」

園未加は叫んだ。すると小学生たちは弾かれたように一斉にランドセルを降ろし、地面に置いて開いた。園未加は老人の身体から切り分けた腸を取り出してランドセルの中にぶち込んだ。教科書やノートが血に濡れ、鉄の香りが辺りに蔓延した。

四つのランドセルに腸を入れた園未加は手に付いた血をコートの内側で拭いながら立ち上がった。小学生たちは腸が充填されたランドセルを閉じて背負った。
「出発っ! 出発っ! 出発ぅっ!」

園未加が叫びながら小走りに進み始めた。その後を小学生たちが一列で続いた。

五人はそのまま校庭の隅を走り、目的地に向かった。
「ところでおねえさんって何歳なの?」
「二十歳だ」
「ならお酒飲める?」
「お酒! お酒! お酒ぇっ!」
「いいや、私は下戸だ」
「ゲコ? 蛙の物真似?」
「へたくそだね」
「違う。酒が飲めないってことだ」
「ふうん」

五人はその道中、他の登校中の小学生グループに遭遇し、ランドセルの中の腸を横取りされそうになったが、園未加がその全ての小学生を撫で斬りにした。
「おねえさん、どうしてそんなに強いの?」
「私が強いんじゃなくて、他のヤツらがどうしようもなく弱いんだ」
「へえ」

折り重なる死骸に黒猫が群がり、死肉を貪る姿を、五人は笑いながら見つめた。

やがて五人は目的地に到着した。そこは学童保育のスペースだった。しかしシャッターが下ろされており、銀色のそれには『無期限閉店』の文字があった。
「ごめんくださーいっ!」

しかし眼鏡の小学生はシャッターに向かって叫んだ。

反応はなかった。
「ご、め、ん、く、だ、さ、いっ!」

ツインテールの小学生が叫んだ。

反応はなかった。
「チッ! 面倒だなっ!」

園未加が抜刀し、シャッターに突き刺した。刀はシャッターを貫通し、刀身の半分が中に入った。園未加は刀を動かして円を描いた。始点と終点が繋がったその瞬間、線の内側のシャッターが向こう側に倒れた。
「ごめんくださぁーいっ、てな」

園未加はシャッターにできた穴をくぐってスペース内に入った。小学生たちもその後に続いた。

薄暗い室内は畳が敷かれ、腰の位置の高さの長机がいくつも置かれていた。奥にはレジカウンターがあり、いつでも臓器の売買ができるようだった。

しかし室内は無人で、がらんとした雰囲気に包まれていた。
「ババアはどこだ?」

園未加は奥に広がる居間に目を向けた。しかし古びたちゃぶ台があるだけで、そこには誰も居なかった。
「ワシならここじゃよ」

それは後方から聞こえてきた声だった。
「なんだ、そっちか」

園未加は微笑みながら振り返った。円形に削がれたシャッターの前に、手を後ろに回した老婆が立っていた。出目金のように左右の眼球が飛び出た容姿をしており、消しゴムのような白い肌を持っていた。
「園未加よ、今回も派手に壊してくれたな……」

老婆は名残惜しそうな顔でシャッターを見つめた。
「閉じ籠ってるそっちが悪い。修理代は払わねぇからな?」
「まあ良いじゃろ。それで今日はどうした? 小学生とおままごとでもしてるのか?」
「今日は肉を持ってきたんだが、買い取ってくれるよな?」
「ああ、もちろん。ウチは学童保育と肉の売買をやるのがウリじゃ」
「よっし。ならガキども、肉を出しな!」
「アイ、アイ、サー!」

園未加の号令に従って、小学生たちはランドセルから老人の腸を取り出した。腸に付いている血が小学生たちの素手に付着したが、四人は気にせず腸を手のひらに乗せた。
「ほら、これだよ!」短髪の小学生が真っ赤な両手の中の腸を突き出した。
「ふむ……」

老婆は小学生たちの差し出す腸に顔を近づけて観察した。十秒ほどかけて一人ずつ見て回ると、レジカウンターに回ってレジを操作した。
「それなら、一つ五十万で買い取ろうか……」老婆は萎れた声色だった。
「いい金額じゃねぇかっ! 手数料で二十万ずつもらうが、それでいいな?」

園未加は小学生たちを見た。五十万という途方もない大金に目がくらんでいる小学生たちは、目を丸くして老婆を見つめていた。本当にただの肉塊にそんな金額を支払うのか、半信半疑であるといった様子だった。

しかし老婆はそんな小学生たちの前に、実物の五十万を次々と出していった。小学生たちは焦げた木製のカウンターに置かれていく分厚い札束に釘付けだった。
「な? 言っただろ? 臓器はカネになる……」

園未加は札束を持ち上げ、そこから二十万を取り出して自分の長財布にしまっていった。
「ふふふ……。小学生に三十万は大金だろう。しかしこれもまた、社会勉強だ……」

小学生たちはカウンターの上に残された三十万をそれぞれ受け取った。そしてランドセルの中の臓器を老婆に渡し、礼を言って部屋から出た。

園未加がシャッターを跨いで外に出ようとした時、老婆がそれを止めた。

園未加、また学校で騒ぎを起こすのか?」

園未加は振り返らずに答えた。「もちろん。それが私の生きる道だ」
「そうかい……。まあ、ほどほどにな」
「ああ」

園未加はにやけると出ていった。

外にはまだまだ早朝の香りが残っていた。微風が頬を撫で、温もりが身を包んでいた。
「それじゃあガキども、お別れだな」園未加は伸びをした。全身の筋肉が一気に弛緩し、心地良い感覚が体内で迸った。「そのカネ、有意義に使えよ?」
「もちろんだよ。おねえさんも、大事にね?」黒マスクの小学生はマスクがぐにゃりと歪曲するほどの笑みを浮かべた。
「ああ」

園未加は笑顔を作ると昇降口に向かって歩き出した。

 

校舎の昇降口は内側から施錠されているらしく、硝子張りの引き戸は開かなかった。
「めんどくせぇ!

園未加は硝子を蹴って粉砕した。パリンという軽い音が響き、硝子は木っ端みじんになった。
「なっ! 何ですか、貴女!」

昇降口に隣接している廊下をたまたま通った女教員が叫んだ。蹴りで作った穴に手を入れて内側の施錠金具を外そうとしている園未加に歩み寄り、怯えと怒りが混ざった顔で「なにしてるんですかっ!」と叫んだ。

園未加は無言でポケットから拳銃を出し、女教員に向けて撃った。ズドンと轟音が響き銃口から弾丸と火焔が噴き出した。発射された弾丸は女教員の眉間に命中した。女教員は何も言わずに後方に倒れた。

園未加は金具を外し、堂々と昇降口に侵入した。そして大きな欠伸をしながら土足で廊下に入り、にやつきながら歩き出した。
「何事ですっ!」

向こうから早足で迫って来る小太りの男教員に園未加は無言で銃口を向けて撃った。教員は何も言わず倒れた。園未加はその横をにやつきながら進んだ。

見えてきたのは職員室だった。園未加はにやつきながらその引き戸を開き、中の教員たちを見渡した。

すると二人の女職員が近寄ってきた。
「いやぁ、オネイサン、美人だねぇ!」
「ホント、ホント! ねぇ、私達とお茶とかしない?」
「なんだと」

金髪の女と、茶髪の女だった。柔らかいがどこか信用ならない笑みを浮かべる二人は、仁王立ちで表情を固まらせた園未加に詰め寄っていた。
「まずは名乗れよ」拳銃をしまった園未加は端的に放った。極限まで敵意を込めた鋭い眼力と声だった。
「えっと、私達はね、こういう者なんですよ」

しかし二人の女は、そんな声や表情には全く触れなかった。

二人の女のうち、金髪の方が手持ちの白いバッグに右手を入れ、小さい長方形の紙を取り出して差し出してきた。それは名刺で、肩書にはなぜか芸能事務所の名称があった。

すると、待ってましたと言わんばかりに、茶髪の方が女にさらに詰め寄った。
「え、オネイサン、事務所とか入ってる?」
「ああ入ってるぜ。奥までずっぽりとな」

園未加は黄ばんだ歯をニッとむき出しながら明るく答えた。途端に二人の女はその顔を落胆した表情へと変貌させた。さらにそのままだるそうに口を開き、「それじゃあ――」と適当に別れを告げて職員室の引き戸に手をかけた。
「ああっ?」

その瞬間、園未加の中で何かがひっくり返った。

それはまるで、いままでギリギリ球体を保てていた風船が、ついに破裂してしまったかのような衝撃だった。
「うるせえっ!!」

全てを遮って、園未加は床に向かって言葉を叩きつけた。目の前でそれを受けた二人はすっかり圧倒されてしまい、園未加の顔を黙って眺めていた。顔を上げた園未加はすぐに金髪を睨んだ。その顔面は悪魔のような、怒りと闘争心、そして人類に対する殺意に満ちた顔面だった。睨まれた金髪は思わず後ずさりをしてしまっていた。得体の知れない何かを目の当たりにした衝撃が言葉を失わせていた。園未加は短く叫び、金髪の頭髪に左腕を伸ばした。長い髪をぎゅっと握ると、その顔面に硬く握りしめた右の拳を叩きつけた。
「うべっ!」

肉と骨が潰れる音が鳴った。凄まじい筋力で繰り出された打撃は、金髪の顔面の中央を大きくへこませ、鼻の骨や歯を簡単に砕いた。園未加はその顔面にさらに拳を叩きこんだ。金髪が短い悲鳴を上げ、さらに顔面が陥没した。園未加は人間の顔面を破壊する行為に強烈な快感を見出していた。

園未加の手から離れた金髪は、悲鳴のような叫び声を上げながら後方に倒れた。その顔は赤血球のように中央が完全に陥没し、真っ赤だった。また打撃の衝撃でそのまま気絶したらしく、それ以降に痛みに喚くことはなかった。
「え、ちょっとアナタ、何してっ――」

それまでを横で見ていた茶髪は、ガタガタと震えながらも目線は園未加の顔をに釘付けだった。そして頼れる友人が一撃でやられた今、この絶体絶命の状況に一人で立ち向かおうと威勢を放っていた。

すると園未加は鞘に納刀したままの刀を取り出した。
「な、なによそれ……」
「黙れって……、黙れってぇっ……、言ってるだろうがよぉっ!」

茶髪に殺意を込めた怒鳴り声を投げつけた園未加は、刀をバットのように大きく振り上げ、すでに真っ赤になっている金髪に向かって勢い良く振り下ろした。

ベキッ、という鈍い音が鳴ると同時に、金髪の顔面は更にへこんだ。陥没していただけの顔面は叩き割られた西瓜のように完全に崩壊した。また、顔面が崩壊した際に弾け飛んだ一つの眼球が、コロコロと地面を転がっていった。

眼球はそのまま園未加の足元まできた。園未加はそれを、一切ためらわずにグチャッと潰した。
「あーあっ! 残念でしたっ!」

眼球の様子を笑顔で見届けた園未加は再び刀を振り上げ、雄叫びを上げながら金髪の頭部を叩いた。もう片方の眼球は外れることもなくぐしゃぐしゃに潰れてしまった。頭蓋骨が砕ける音が鳴り、液体のようになった脳味噌が血や頭髪と混ざって流れていた。
「おいおいおい、旨そうじゃねぇかっ!」

園未加は刀を肩にかけてからしゃがみ、崩壊した金髪の頭蓋に手を突っ込んだ。そしてぐちゃぐちゃにつぶれてペースト状になった脳をつかみ取ると、そのまま口に運んだ。

どろどろの脳はヨーグルトのようだった。園未加は素手の中の脳を飲んだ。心地の良い味が舌に広がった。ゴクンと喉越しを鳴らして完全に飲み下した。

園未加は再び素手を金髪の頭蓋に入れ、今度は潰れた眼球を取り出した。ゼリーのような質感のそれを掬い上げて口に運ぶと、隣の茶髪の顔を見つめながら口を開いて咀嚼した。くちゃくちゃくちゃという音が辺りに響いた。園未加は二十回ほど咀嚼してからようやく眼球を飲み込んだ。そして舌をべぇ、と出し、茶髪に完全に眼球を飲んだことを示した。
「旨かったぜぇ」

園未加は下品にげへへと笑いながら立ち上がった。
「な、なによそれっ……」

傍らで見ていた茶髪は、立ち尽くすことしかできなかった。気付けは失禁をしていて、素肌にぴっちりと張り付いているジーンズに黄色い尿が染み渡った。友人が無残に殺され、後も玩具のように弄ばれているという異常事態が現実であると認めることができず、小刻みに頭を左右に振りながら「違うっ……、違うっ……」と呟くことしかできなかった。

食事を終えた園未加は食後の運動と言わんばかりに金髪の顔面を刀で叩き続けた。少なくなった脳が飛び散り、園未加のコートや、茶髪の頬に付着した。

茶髪は途中から立っていることもできなくなり、足元の尿で出来た水たまりの上に崩れるようにしゃがんみ、弄ばれている金髪の様を涙を流しながら見ていた。園未加はそれでも金髪の顔面を破壊し続け、やがて全体がただの赤いペーストになるまで刀を叩きつけると、鞘の部分はすっかり赤く染まり、元の黒色は全く見えなくなっていた。
「スッキ栗鼠、だぜっ」

園未加の顔は輝いていた。頬には返り血や金髪の脳がへっとりと付着していた。
「それじゃあ私はお暇するぜっ!」

ゴキゲンになった園未加は職員室の引き戸を引っ張って閉じた。そして硝子越しに茶髪に笑みを向けると、「さようならっ! てね!」と右手を振った。

園未加は廊下を渡った。するとすぐに、階段が見えた。灰色で人間が横に並んでも二人は通れる広さの階段だった。園未加はクンクンと鼻を鳴らしてから階段を上がった。

踊り場にたどり着いたところで、一人の女子児童が下ってきた。園未加は引きつった笑みを浮かべながら女子児童に銃を向けて引き金を押し込んだ。弾丸は幼い身体に命中し、女子児童は階段から転げ落ちるように落下した。そのまま園未加の足元までやってきた。

園未加は足で女子児童を仰向けにした。「お前、ブサイクだな……」園未加は女子児童の象と金魚を合体させたような顔に唾を飛ばしてから階段を駆け上がった。

するとどこからともなくプツプツとした音が鳴った。そして次の瞬間、「不審者ですっ! 不審者ですっ!」という女の声がした。
「うるせぇな……」

園未加は頭をボリボリと掻きながら呟いた。そして残りの階段を駆け上がって二階にたどり着いた。

園未加は自分に近づいてくるジャージ姿の男教員に銃を向け、「おい、放送室はどこだ?」と叫んだ。
「え、ええっ……」男教員は動揺したまま震える声を漏らした。
「放送室はどこだ? 答えないと撃つぞ?」

園未加は男教員を睨んだ。すると教員は唾をゴクリと飲み、勢い良く土下座して叫んだ。「この奥でございますっ!」
「そうか」

園未加は男のうなじ目掛けて発砲した。男教員は土下座の体勢のまま事切れた。

頭の上では相変わらず「不審者ですっ! 不審者ですっ!」という叫び声が轟いていた。園未加は舌打ちをしながら廊下を進み、放送室の扉を探した。

結局、放送室は二階の一番奥まった位置にあった。園未加は乱暴に扉を開き、中に居るひょろりとした男の教員を撃ち殺した。そして放送用のマイクまで行くと、スイッチをオンにしてマイクにげっぷをした。野生動物の咆哮のような大きい音が校舎中に轟いた。園未加は拳銃に新しい弾丸を装填した。それから笑みを浮かべて放送室から出た。
「おい、待て」

放送室から階段に向かおうとした園未加を、その低い声が止めた。
「なんだ、お前……」

廊下に仁王立ちをしているのは、天井に到達するほどの高い身長を持つ太った女子児童だった。両腕を組み、園未加のことを憎悪を含んだ眼光で睨んでいた。
「我が名はトモコ。貴様、この学校を荒らすのは許さん……」トモコは腕を眼前で構えた。腰を低くし、戦闘態勢を取った。
「ほう、面白い……」園未加は拳銃をズボンにしまい、抜刀した。

二人は一斉に走り出し、真ん中で対峙した。トモコは太い拳を振り上げ、園未加の頭部を殴った。ゴツンと音が響き園未加は左右によたよたと動いた。トモコはその隙を見逃さなかった。左拳を横から腹目掛けて打ち込んだ。しかし園未加はその攻撃をさらりと回避した。するとトモコが体勢を崩した。園未加が刀を振り上げ、トモコの首に下ろした。トモコはすかさずそれを右腕でガードした。刃が前腕に直撃した。
「ぐあっ……」

トモコが呻き、膝立ちになった。斬撃を受けた右前腕からは赤黒い血がだらりと垂れていた。園未加はにやりと笑ってその顔に刀を突き刺した。

しかしトモコはそれを左手で掴み、制した。
「チッ……」

園未加は刀を押し込んだ。刀はトモコの素手の中を進み、皮膚を切った。トモコはさらに刀を強く握りしめた。しかし血が滲むだけで刀は止まらなかった。
「おら、さっさと死ねや」

園未加がさらに刀を突き入れた。その切っ先が右眼球に到達した。尖った先端は眼球を刺した。するとトモコの叫び声を上げた。激痛のようだった。園未加は笑いながら刀を両手で握って押し込んだ。
「ふんっ!」

するとトモコが低く叫び、刀から手を放して園未加の腰に両手を伸ばした。それは抱きかかえているような素振りだった。トモコはそのまま顔面を前に突き出した。刀が眼球に入り、脳を貫いて後頭部の頭蓋に抜けた。トモコはそれでも園未加を離さなかった。園未加の腰に腕を回し、抱き着いた。右眼窩と刀の鍔が接近していた。
「な、なんだっ」
「うおおおおおおおおっ!」

トモコは雄叫びを上げ、園未加の身体を持ち上げた。そのまま自分の身体を勢い良く後方に反らせた。すると園未加の頭と廊下の地面が激突した。園未加は脳がぐわんと震え、強烈な痛みとめまいを同時に感じた。腹の底から吐き気が持ち上がってきて、そのまま嘔吐した。

トモコは園未加の身体を離した。園未加はいまだに癒えない痛みを脳で感じながらゆらゆらと立ち上がった。
「いてぇ……。チクショウ……」

園未加は額を押さえながらトモコを見た。すると大きな身体を揺らしているトモコはそのまま園未加に襲い掛かろうとしていた。
「クソッタレのガキがっ!」

園未加はズボンから拳銃を取り出し、素早く五回連続で発砲した。弾丸はトモコの腹に命中した。トモコは両目を上に向けて後方にバタリと倒れた。
「手間かけさせやがって……」

園未加は荒い呼吸を整えながら拳銃に弾丸を装填し、三階への階段に向かった。

三階に上がったと同時に、男の教員の集団が迫ってきた。五人の教員たちはさすまたを握りしめていた。仏頂面の巨漢たちと園未加は廊下の中央で対峙した。

三本のさすまたの激突を園未加はくるりと回避した。そして右から刀を振り、三人の教員を一気に切ろうとした。しかし三人の中の青ジャージの教員が残りの二人をかばって斬撃を受けた。青ジャージの教員はさすまた手放した。園未加はそれを掴み、その後端で青ジャージ教員の右眼球を刺した。教員は呻きながらのたうち回った。園未加は刀を振り上げて残りの二人に襲い掛かった。振り下ろすとさすまたで防がれた。園未加はさすまたを握る手を目掛けて蹴りを入れた。すると眼鏡の教員はさすまたを落とした。園未加は刀を勢い良く振り下げた。刃が眼鏡の教員の胸を切った。血が迸り、園未加のコートに飛び散った。園未加は倒れていく教員を押し、最後の一人の体幹を崩した。そのまま素早く駆け抜け、教員の懐に刀を突き入れた。
「はははっ! 弱い弱いっ! その程度かっ!」

少し離れた位置で戦いを傍観していた二人の教員に向けて、園未加は刀を向けた。切っ先の先端が二人の顔面を捕えた。二人は震える素手でさすまたを振り上げた。しかし園未加はそれを軽く刀で防いだ。刀身とさすまたがガキン、と音を響かせて激突した。園未加は刀を腰の位置に構えて、左の教員に突撃した。
「佐藤さんっ!」

すると右の教員が盾になった。園未加の刀が衣服を貫通して腹にぐっさりと刺さった。右の教員は血を吐いた。その鮮血が園未加に振りかかった。右の教員は首を横に動かして後ろの教員を見た。
「死ぬ、な……」

教員はそのままこと切れた。園未加は刀を引き抜いて死体を足で横に退かした。

最後の教員は震えていた。恐怖が身を包み、さすまたを振り上げることも忘れていた。園未加はにたにたと笑いながら刀を持ち上げた。一気に下ろすと右肩から入り、そのまま腹まで切りつけた。

最後の教員はバタリと後方に倒れた。

園未加は刀をコートで拭きながら階段を上がった。

四階には六年生の教室があった。

園未加はその中から、六年一組の教室に入った。両開きの硝子が嵌った扉を開き、一気に中まで駆けた。
「おいっ! 死にたくなかったら黙ってろ!」

園未加は黒板の前に立っていた女教員に拳銃を向けて怒鳴った。
「ひぃ!」

女教員は素早く両手を上げた。怯え切った表情だった。
「お前らもだっ! 死にたくなけりゃあ言うこと聞けっ!」

園未加は怒鳴りながら拳銃を天井に向けて一発発砲した。ドカンと轟音が響き弾丸が天井にめり込んだ。児童たちから悲鳴が上がった。何人かの女子児童は泣き出した。

園未加は女教員を突き放して解放した。涙を浮かべている教員は近くの女子児童と折り重なって倒れた。教員の背が園未加に向いている体勢になった。すると園未加は右手の刀を振り上げ、教員の背中を突き刺した。刀は教員を貫いて女子児童の胸元にも刺さり、そこからさらに貫通して背中に抜けた。

児童たちからさらに悲鳴が上がった。教員と児童が同時に吐血した。衣服に血が滲んだ。園未加は刀を無表情で引き抜いた。天井に設置されている蛍光灯の光を反射している刀身は、いちごジャムを塗ったように赤黒く染まっていた。教員と児童はそれぞれ力なく倒れた。

どこからともなく再び悲鳴が上がった。
「おい。うるせえぞ。お前らもこうなりたくなかったら、おとなしくしてろ」

女がコートで刀を拭きながら怒鳴った。硬く、どす黒い意思を感じさせるガラガラとした声色だった。
「あ、貴女はっ! 何が目的なんだねっ!」

園未加の近くで野太い声が炸裂した。

それは小太りな男子児童の声だった。無謀な正義感が彼を動かしているようだった。強張った顔の児童はずんずんと園未加に近づいた。

園未加は児童のことを無表情かつ無抵抗で睨んでいた。
「ここの学級委員長はぼくだ! 好き勝手は許さんぞ!」
「そ、そうだ!」

近くの別の男子児童が委員長に合わせて叫んだ。その弱弱しい声に反応して、園未加はぎょろりと目を動かした。睨まれた男子児童はびくつきながら園未加から目をそらした。

園未加は再び委員長の顔を睨んだ。
「……とっくに警察への通報はすんでいるはずだ! もうこれ以上なにもしないのが、貴女のためだと思うがねっ!」

委員長の声の次に、耳をつんざく音が響いた。それと同時に、委員長がガクンと崩れるように倒れた。園未加は左手に拳銃を握り、その顔には不気味に歪曲した笑みがあった。

園未加は思い出したかのように動き、銃口を鼻に当てて鼻呼吸をした。
「うーん。いい香りだ……」園未加の目は上を向いていた。銃口から漂う香りを全身で味わっていた。「銃ってのは性に合わないが、これだけでも使う価値があるな……」

園未加は銃を下に向けた。そこには脚を撃たれた委員長が転がっていた。赤い穴が開いている右脚を両手で握り、苦しそうに唸っていた。園未加はそんな委員長の頭に銃口を向けると躊躇うことなく引き金を押し込んだ。ズダンッ、と音が鳴り委員長の身体がビクンと跳ねた。園未加は再び発砲しただ。ダンッ、と轟音が響いて委員長の頭に二つ目の穴ができた。園未加は続けざまに銃を撃った。ダン、ダン、と音が響き委員長の頭に二つの穴ができた。
「チッ、弾切れか。銃はこれがあるから嫌なんだっ!」

園未加は空になった銃をさっきの男子児童目掛けて投げた。放物線を描いて飛ぶ銃は男子児童に命中し、右こめかみに激突した。「うぐっ」と呻く男子児童はそれからこめかみを押さえてうずくまった。銃は適当な位置にガシャガシャと音を立てて転がった。
「黒花園未加! 居るんだろうっ? おとなしく出てこいっ!」

それは外から飛び込んできた怒声だった。そのがさつきから拡声器を使っていることがわかった。園未加は刀を腰の鞘に納めると女教員の死体を抱きかかえて窓に投げた。肉体は窓を豪快に突き破って外に放り出された。

校庭にはいくつものパトカーが停車しており、その周りを青い制服の警察官や特殊部隊らしい男たちが蠢いていた。放り出された教員の死体はすみやかに回収された。
「私はまだ出ねぇぞっ! おい、撃てるなら撃ってみろ! ここに居る全員が人質だぜっ!」

園未加は割れた窓に向かって叫ぶと、そのまま教壇の上に腰かけた。
「さて、これからどうするか……」
「おねえさん、指名手配なの?」

幼い声の方を園未加は見た。

そこには一人の少女が立っていた。黄緑色の半そでシャツに黒い短パンという出で立ちだった。
「なんだ、お前」

園未加は少女を睨んだ。よく見ると露出している肌には絆創膏やガーゼが多く貼られており、着ている衣服もボロボロだった。

園未加は少女の『家庭の事情』を瞬時に読み取った。
「おねえさん、ハンザイシャなんでしょ?」
「だったらなんだ」
「別に。でもいまどき立てこもりなんて、よくやるよ」

少女は冷めた口調だった。
「別に良いだろ。お前こそ――」園未加は少女の顔を睨んだ。まだあどけなさが残っている焦げた顔には大きな四角いガーゼが貼られていた。「お前こそ、毒親育ちだろ?」

少女は無言で頷いた。
「フン……」園未加はにやつきながら教室内を見渡した。あちこちの席に座ったり立ったりしている児童たちは、誰も彼も怯えた顔で園未加のことを見つめていた。その様子を眺めた園未加は途端に優越感のようなものに包まれた。自分を認め、自分を恐れているこの客連中のことが愛おしいとさえ思った。
「それで? 虐待被害者が私に何の用だ?」

園未加は刀を少女に向けた。どこからともなく悲鳴が上がった。
「別に。もう帰るところだったけど、おねえさんが入ってきたから」少女は園未加が座っている教壇に椅子を近づけ、そこに座って園未加を見上げた。
「暇つぶしってことか」
「うん」
「でも良いのか? その暇つぶしで『ハンザイシャ』と話しちまって」
「いいよ。おねえさん、なんだかいい人そうだもん」
「いい人? 私が?」
「なんだか、死んじゃったお母さんと同じ香りがするの」
「お前、私と母親を重ねるのは勝手だが、それで私の人柄を決めるのはどうかと思うぜ」
「別に良いでしょ。どうせ人間は分かり合えないんだから」
「……最近のガキってのは妙に冷めてるな。他の連中もそうなのか?」

園未加は教室内の数多の児童たちを見下ろした。
「知らない。友達居ないし」
「だろうな」
「ね、おねえさんが友達になってよ」
「は?」
「いいでしょ? おねえさんはハンザイシャ、私はボッチ。お似合いだと思うんだけどな」
「おい、調子に乗るなよ。お前みたいなガキと友達になって、私に何の得があるんだ」
「……身体の使い方なら知ってるよ」
「お前……」園未加は少女を見た。少女の顔には何も浮かんでいなかった。自分の身体を酷使することに関して、本当に何も思っていないようだった。園未加はそんな、自分を大切にしない態度の少女に親近感のような感情を覚えた。
「おねえさんは? 身体、売ったりしないの?」
「私はそれよりも腕を売る方が稼げるからな」
「そうなんだ……。すごいね。腰の刀、自分で買ったの?」
「……たまたま落ちてたのを拾ったんだ」
「へえ、運がいいね」

少女はケタケタと笑った。園未加は無言でその姿を見つめた。少女をひとしきり笑ってから黙った。沈黙の時間が二人の間に流れた。園未加は教室の大きな窓から外を見た。広々とした校庭には無数のパトカーが適当な位置に停車し、たくさんの警察官が死骸に群がる蟻のようにわらわらと蠢いていた。
「お前――」
「黒花先輩っ!」

その女の声と共に、教室の引き戸が勢い良く開かれた。

園未加は素早く出入り口を視た。
そこには女が立っていた。この学校の教員らしく、スーツに身を包んでいた。女は園未加を認めると足を止め、泣きそうな、震えた声で呟いた。
「誰だ……、お前」園未加は女を見つめながら訊ねた。自分の苗字はすでに世間に知れ渡っているが、それに『先輩』を付けている点が少し気になった。刀を握る拳に力を入れ、いつでも斬撃をすることができるように構えた。

すると女は園未加に寄り添うように近づいた。
「わ、私ですっ。近道ひとみです」
「近道……?」園未加は素早く脳裡の記憶を探った。しかし自分の中に『近道』という名前の女は居なかった。「誰だ?」
「覚えてないですか? 高校時代、私は貴女に憧れて――」
「知らんな」園未加は女の言葉をびしゃりと遮り、右手の刀を突き出した。切っ先が女の頬に迫り、その先端が皮膚に刺さって細い血の線が下った。
「わ、私はっ……」女はゴクリと喉を鳴らしてから口を開いた。「私は貴女に憧れていました。貴女の鋭い眼光が、好きでした。貴女の完璧な居合道が、好きでした……。それが、こんなになっちゃって……」女は言葉を飲むと泣き出した。「どうしてっ……。うう」
「さっきから何を言っているのかわからんな。誰なんだ、お前」
「なんでよ……」女は視線を反らしてため息を吐いた。「何もかもわすれてしまったんですか、黒花先輩」そして呟くように言葉を吐いた。
「フン……」園未加は刀を女の首元に一センチほど刺し入れた。傷口から血が迸り、刀の先端が赤に濡れた。「かつての営みなんてすっかり捨てたさ……。とにかくお前、死んでもらう」
「どうしてっ――」

女が口を開くと同時に、園未加は刀を振り上げ、女の首目掛けて縦に切った。しかし女は素早く後方に回避をし、園未加の斬撃に飲まれることはなかった。空を切った園未加は舌打ちをしてすばやく女に迫った。そして刀を振り上げた。女は目をぎゅっと瞑った。刃が女の頭部に迫った。

しかし女の身体に刃が入ることはなかった。

それはあの男子児童だった。園未加の投げた拳銃に当たったあの男子児童が、女に振るはずだった刀を身体で受けていた。
「なんだ……」

園未加は刀を持ち上げた。男子児童は切られた右肩を押さえながら女に振り返った。
「先生っ……、せんせ、いっ……」

男子児童は女に寄り添った。女は床に転がる男子児童を受け止めた。
「山田くん……」
「よかった……。僕は、貴女のことが……」
「や、山田くんっ!」

男子児童は女の呼びかけに答えることなく、こと切れた。
「茶番だな」

園未加はうなだれている女に刀を振り下ろした。

するどく研ぎ澄まされた刀は女の右目に突き刺さり、そのまま眼球を崩壊させながら中に入って脳まで到達した。園未加は女から刀を抜いた。女は悲鳴を上げながら、両手で右目を抑えながらのたうち回った。男子児童の死体があらぬ方向に転がっていった。女の指と指の間から赤黒い血が流れ、地面にぽたぽたと落ちた。
「あ、がががっ……。くろ、はな……、せんぱいっ」

女は右目で園未加のことを捕え、よたよたとした歩みで近づこうとした。
「黙れ」

しかし園未加はそんな女の腹を蹴った。「うぐっ!」と叫ぶ女は後方に仰向けで倒れた。園未加は女に馬乗りになり、左拳で女の顔面を殴った。ゴッ、と肉が肉を打つ音が鳴り、女が呻いた。園未加は再び左拳で女の頬を殴りつけた。
「ははははっ。楽しいなっ! おいっ!」

園未加はにたにたと笑いながら女を殴り続けた。左拳を何度も何度も頬に叩きつけた。園未加は打撃を与える喜びに浸っていた。女の肉体を破壊している喜びがどうしようもなく心地よかった。
「どうした? ガキどもが見てるぞ? おいっ! おい!」

やがて二十回ほど殴りつけた園未加は拳を下ろした。女の柔らかい頬を殴るのは楽しかったがすぐに飽きてしまった。園未加は真っ赤に膨れた女の頬を見つめながら右手の刀を振り上げた。切っ先は眉間を狙っていた。
「じゃあな。楽しかったぜ」

園未加は女に刀を下ろした。ザクッ、という感触と共に切っ先が脳に侵入し、その途端、女は電源を切られたロボットのようにぱたりと動かなくなった。

園未加は女から立ち上がった。そして刀を抜き、脳や血で汚れた箇所をコートの裏側で拭いた。
「それじゃあ、ガキども――」

園未加が言いかけた時、硝子が割れる音がした。それは出入り口の扉の方向からだった。園未加は素早く扉を視た。するとその付近に円柱形の黒い物体が転がっていた。どうやら廊下から何かを投げ込まれたようだった。園未加は素早く口と鼻を手で覆った。その瞬間プシューと音が鳴り円柱形の物体から白い煙が噴き出した。
「ああ、まずいね……」

少女が冷静に呟いた。
「チッ!」

園未加は少女の首に左腕を回し、そのまま扉から廊下に出た。廊下にはたくさんの警察官た居た。園未加は警察官の前で少女の首に刀を向けた。
「おいっ! 来るんじゃねぇっ!」

園未加は怒声を上げた。
「ひ、人質……」
「卑怯なっ……」

警察官たちは園未加のことを睨みながら、腰の回転式拳銃に素早く手を伸ばした。しかし、園未加が銀色の刃を少女の首に近づけたのを見て、その手は静止した。
「へへへっ……。撃つか? 撃つならこいつが死ぬぜ?」

園未加は刀をより少女に近づけた。
「ど、どうして……」少女が頭を少し動かして園未加を睨んだ。その目は潤んでいたが、瞳の中には怒気があった。
「どうしてだぁ? 忘れたのか? 私は――」園未加は刃を少女の首にさらに押し付けた。鋭い切っ先は皮膚に食い込み、たらりと血が流れた。「犯罪者だ」
「そんなっ」
「おい! 黒花! その子を解放しろっ!」

それは警察官の一人、大きな体躯を持った男から発せられる大声だった。
「解放? そりゃあお前らがどっか消えてくれたら考えてやるよ」
「ふざけるな! 黒花、もうお前の逃げる道はないっ! さっさと投降しろ!」
「へ、嫌なこった!」

園未加は少女を掴みながら廊下を走った。そして階段までたどり着くと、一気に駆け上がった。たどり着いた先は屋上に続く扉だった。園未加は銀色の扉を蹴って開けた。少女を引っ張りながら屋上に出た。
「ははははっ! いい天気だな」園未加は少女のことを見た。「お前もそう思うだろ?」
「そうだね……」

少女は園未加のことを見ずに呟いた。少しではあるが友情のようなものを感じていた園未加に人質にされたことが相当ショックだったらしく、顔色が良くなかった。
「黒花! おとなしく投降しろ!」

拡声器の声が轟いた。空を視ると警察官のヘリコプターがバタバタとやかましい音を立てながら飛んでいた。
「うるせぇな。お前らはいつでもそればっかだ!」

園未加はヘリコプターに向かって吠えた。
「ねえ、どうしてそんなに生き急いでるの?」
「なんだと?」

園未加は腕の中の少女を見た。少女は園未加に憐れむような瞳を向けていた。

園未加はそんな少女を突き放した。そして刀を首元に向けた。
「ガキごときが私に説教か?」
「違うよ。気になっただけだよ」
「じゃあおしえてやる。これが私の生き方だからだ」
「生き方? こんな非効率で危ない生き方が?」
「そうだ。私みたいなヤツはな、どう頑張ったってこれしかできないんだ。お前はガキだからわからんだろうが、世の中にはそういう部類の人間が山ほどいるんだ」
「だからこの世から犯罪がなくならないんだね」

少女は無機質な声色だった。

園未加は刀を下ろして頷いた。

そして勢い良く刀を振り上げ、少女の右肩に下ろした。刃は少女の肌を裂き、肉を断って入っていった。
「そうやって誰も彼も殺しちゃうんだね」
少女は吐血しながら園未加に囁いた。しかし死に際のその小さな声は、園未加には届かなかった。
「死ね」

園未加は刀を振り切った。刃は赤色に濡れ、少女は自分の身体を見つめながら後方に倒れた。
「フン。ガキごときがなに言ったて、所詮はガキだ……」

園未加は上を見た。ヘリコプターが空を旋回していた。園未加は納刀して両手を左右に広げて口を開けた。
「どうにかするかぁっ! ああっ?」

空気が震える怒声を上げた。するとヘリコプターの扉が開き、中から細長い棒のようなものが出てきた。園未加はその棒を見つめた。棒の先端は園未加の方を向いていた。園未加はにやっと笑った。

次の瞬間、強い衝撃が園未加の右足を襲った。
「ぐあっ!」

園未加は倒れた。熱のある痛みが全身を襲っていた。園未加は自分の右足を視た。真っ赤に濡れている足は膝から先が無くなっていた。

少し離れた位置に黒い塊があった。
園未加は遅れて、自分は今狙撃されたことに気が付いた。
「へ、へへ……」

園未加は地面を這いながら刀に手を伸ばした。しかし抜刀はしなかった。そして園未加は歯を食いしばりながら片足で這った。
「命中したぞ! 行け! 行けぇ!」

拡声器の声が響いた。
「私は死なないぞ……。私は生きるっ……」

園未加はとにかくここから離れたかった。すると左手にさらに衝撃を受けた。それは二度目の狙撃だった。見ると、手の甲に大穴が開いていた。内側から血がどくどくと流れ、激痛が身体を走っていた。

三度目の狙撃が右肩に当たった。園未加は叫びながら可能な限り全力で地面を這って進んだ。自分と同じように屋上に上がってきた警察官たちが、こちらに迫ってきていた。捕まりたくはなかった。しかし拳銃を構えた警察官たちは悠然と近づいてきていた。

やがて園未加は屋上の端までたどり着いた。
「黒花! おとなしくしろ!」

警察官が近くまで来ていた。

園未加は屋上の柵に捕まって立ち上がった。身体を柵に預け、向かってくる警察官たちに笑みを見せた。
「黒花! おとなしくしろ!」

警察官が同じ怒声を繰り返した。園未加はニッと笑った。そして身体を柵に預けた。するとそのまま身体は柵の向こう側に流れていった。園未加はそのまま任せた。身体はするりと柵を超え、向こう側に落ちていった。

園未加は頭から落下した。浮遊感に包まれた。園未加は風を感じていた。それは心地の良い風だった。園未加は目を閉じた。
「落ちたぞ!」
「どうする? おいっ、どうするっ?」

警察官たちの声が聞こえてきたが、それがどの方向から聞こえてくるのかはわからなかった。

柔らかい衝撃が園未加を包んだ。

園未加は目を開いた。視界には緑色の葉が広がっていた。

どうやら木の上に着地したようだった。

園未加はゆっくりと身体を動かしてみた。身体は激痛にまみれていたが、それでも動いた。右手を動かすと、身体がずるずると落ちていった。そのまま身体が木から落下した。
「はぁ……。はぁ……」

柔らかい土の上で、園未加は木に寄りかかって立ち上がった。遠くでサイレンの音が響いていた。園未加は辺りを見渡しながら歩き出した。

そこは校舎の裏だった。木々が生い茂り、身を隠すのにはちょうどよかった。近くを川が通っているらしく、水の飛沫の音がした。

園未加は右足を見た。断面からの出血は治まっているようだった。痛みは依然としてあったが、耐えられないというほどではなかった。
「こっちか? どっちだ!」
「探せ! 探せーっ!」

警察官たちの声がした。園未加は反射的にしゃがんでやりすごした。

すると一つの足音がこちらに近づいてきた。園未加はどこか身を隠せる場所がないか探した。しかしこの周辺に生えている木はどれも高い位置に葉が生い茂っているため、やり過ごせる場所はなかった。園未加はとにかく声とは反対方向に走った。

すると園未加の目に橋が映った。それは下の川からは相当高い位置に設置されている橋で、下に入れば警察官をやり過ごせると園未加は思った。

他に手はなかった。

園未加は橋に侵入し、そのまま川へ下りた。そして橋の下に身を隠した。

すぐに警察官がやってきた。橋の上で辺りを見渡すと、「いないか……」と呟いて去って行った。

園未加は川の中を歩き始めた。

 

血の鉄の香り。肉体の焦げる臭い。それらが充満し、交わり、ペンウィーの鼻孔を侵していた。

ペンウィーは改めて深呼吸をし、室内中央のステンレスでできた解剖台を見た。上には中年男性が横たわっていたが、その腹は切開されていた。中の臓器は取り除かれ、台の横の大きなポリバケツに入れられていた。ペンウィーは台を介した向こう側に立っている医院長を視た。深緑色の手術着を着、同色のマスクを着けた六十代の男は、ゴム手袋の右手でつかんだ半田ごてを指揮棒のように左右に揺らしていた。
「それで、ボス。どうして私のことを?」

ペンウィーは自慢のウルフカットを揺らしながら室内中央に歩み寄った。するとそれまで微細だった血と焦げた肉の臭いがより一層強まった。慣れた香りだったが、それでもペンウィーは自分の脳がくらくらするのを感じた。
「ああ……。実はね……」

医院長は呟きながら、半田ごての先を男の右肩に触れさせた。すると男が絶叫し、同時に高熱が肌を焦がした。黒い穴が開き、そこから薄っすらとした煙が立った。
「君に、出張を頼みたいんだ」
「出張、ですか」
「ああ。『抱熱』という街を知っているかい?」医院長は右肩の穴のすぐ隣に半田ごてを触れさせた。再び男が絶叫し、黒い穴ができた。
「いいえ」ペンウィーは頭を左右に振った。
「ここから東にある中規模の街なんだが……」医院長は二つ目の穴のさらに隣に半田ごてを刺した。男が叫び、肩に三つ目の穴ができた。「特徴は、犯罪の発生率が我が国で一番ということなんだ」
「物騒ですね。そんな街に、私は何をしに行くんですか?」
「単刀直入に言うと、医療技術の調査だ。抱熱にはどんな医療機関があって、どんな医者がいるのか、君に調べてもらいたい」
「なるほど……」ペンウィーは頷き、白衣の内ポケットからメスを取り出して男の左眼球に刺した。男が「うぐーっ」と叫んだがペンウィーはそれを無視してメスを刺し入れた。鋭き刃が硝子体を貫いた。ペンウィーは無言でメスをかき回した。ずたずたになった硝子体が眼窩の中で砕けたゼリーのように混ざった。ペンウィーはメスを抜いた。すると医院長が半田ごてを眼球に入れた。男が絶叫したが医院長は無視して半田ごてを刺し入れた。ぐちゃぐちゃになった硝子体がじゅわじゅわと音を立てながら焦げていった。
「行ってくれるかな?」医院長はポケットからスプーンを取り出して男の眼窩に入れた。そして崩れた硝子体を掬うと、スプーンをペンウィーに差し出した。

ペンウィーは自分に向けられたスプーンを受け取り、上の硝子体お口に運んだ。ぷるぷるとした触感が舌に触れ、同時に焦げ臭い風味が脳まで轟いた。「もちろん」

スプーンを口から出したペンウィーは、にこりと笑ってからスプーンを男の眼窩に突き入れた。

 

長方形のアタッシュケースのような茶色い鞄を持つペンウィー・ドダーは、その街に降り立った瞬間に、街の中の微細な血なまぐささを嗅ぎ取った。それは犯罪の臭いで、ペンウィーはこの時代にこんなにもはっきりとした『犯罪の香り』が漂う街がまだ存在していたことに、強烈な驚きと、それに匹敵するほどの胸の高鳴りを感じていた。

ペンウィーはまずこの街で一番巨大な医療機関に向かうことにした。そうすることで街の健康状態を測り、街に住む人間の活気を知り、自分の活動をやりやすくしようと考えた。

ペンウィーはさっそく動き出した。外だというのに白衣を着、さらに駅の出入り口付近で突っ立っていたため相当の注目を浴びていたが、ペンウィーは全てを無視して、無表情で歩き出した。駅の前でタクシーを拾い、運転手の四十代ほどのはげの男に、「この街で一番大きな病院へ」と告げた。運転手は困惑の顔をしたが、ペンウィーが前金として五千円を渡すと黙ってハンドルを握った。
「すまない、時間がないんだ。飛ばしてくれないか?」
「ちょっとそれは……」運転手は前を見つめながら小さな声だった。「それは無理です」

ペンウィーはその運転手の瞳を車内上部に付いたバックミラー越しに睨んだ。
「無理ってことはないだろう? 車ってのは速くなるように作られているんだ」
「で、ですが……」
「いいかい? 飛ばしてくれ。何があってもだ。何があっても飛ばしてくれ。たのむ」
「り、了解……」

すると運転手は車の速度を上げた。ペンウィーは前方の窓を見つめた。外の景色が目まぐるしく過ぎてゆき、爽快だった。
「あっ! ああっ!」

運転手が叫び、同時に車全体に衝撃が走った。
「どうした。漏らしたか?」
「い、いいえ……」運転手は震える声だった。「いま、人を何人か轢いたような……」

ペンウィーは後方の窓を睨んだ。そこには青い服を着た数人の人間が横断歩道の上で倒れているのが確認できた。「きのせいだろう」ペンウィーは倒れている人間たちを睨みながらなだめるようなゆったりとした口調で呟いた。

それから抱熱総合病院には、ニ十分ほどでたどり着いた。

街の中心に建っている白いモダンな、角ばった施設を見上げるペンウィーは、そこで今日の天気が曇りであることを理解した。太陽が灰色のどろっとした雲に隠れているため、空を仰いでもまぶしくなかった。
「行くか……」

右手の鞄を握り直してから、ペンウィーは硝子の自動扉をくぐり抜け、広い受付ロビーに侵入した。

焦げ茶色の足音の絨毯の床と、高い位置の天井で構成されているロビー。中央にはたくさんの待合のための椅子が設置されており、現在は全ての椅子に待合人が座っていた。誰も彼もがどこかしらに包帯を巻いていたり、二つの椅子を使って寝転んでいる患者も居た。ペンウィーは奥の受付カウンターに向かった。

五つの受付カウンターがあり、どの受付女もせわしなく動いて対応していた。ペンウィーは一番短い列の受付カウンターに並び、壁の巨大な時計を眺めながら自分の番を待った。
「ちょっと待って」

するとどこからともなく男の低い声がペンウィーに振りかかった。

ペンウィーは声の方向を見た。そこには紺色のシャツに黒のズボンという姿の男が立っていた。
「何か?」
「アンタ、ペンウィー・ドダーじゃないか?」
「いかにも私がペンウィーだが。君は?」
「おれは先生の大ファンだよ! アンタの『医学で成り上がるには。』は最高だ。おれもう腸の熱狂的支持者になっちまった!」
「それはよかった」

ペンウィーは笑みを浮かべて男の素手を握った。すると男は「ふううううっ!」と空気が一気に抜けていく風船のような声を出し、その場で震えてから駆け出した。
「おい! そっちは便所だぞ? 便所だよな……?」

ペンウィーは天井からぶら下がっている標識を確認しながら呟いた。
「失礼。貴女は医者では?」

それはペンウィーが並び始めてから五分後に、ペンウィーに飛び込んできた声だった。ペンウィーは声の方向を視た。そこには小太りで白衣を着た低身長の男が立っていた。頭髪はすっかり灰色に染まっており、ワイシャツはくたびれていた。
「そういうアンタは誰だ?」ペンウィーは首を傾げながら訊ね返した。
「おっと失礼。私はこの施設の医院長です」と、男は白衣の内ポケットから名刺を取り出してペンウィーに差し出した。

そこには『抱熱総合病院医院長 本田ひと男』と書かれていた。

名刺を読み終えたペンウィーは自分の名刺入れを白衣の内ポケットから取り出し、自分の名刺を一枚出して本田に差し出した。
「ご丁寧にありがとうございます。……やはり、貴女がペンウィー先生ですね」
「いかにも。どうしてそれがわかったか、聞いても?」
「白衣を着てらっしゃいますから。『ペンウィー・ドダーはどんな時も白衣を手放さない』。界隈では有名です」
「そうか」ペンウィーは興味無いという感情をそのまま包み隠さず声色で吐き出した。
「それで。ペンウィー先生がウチにどんな要件ですか? 貴女なら、わざわざ受付に並ばなくても話を聞きますよ」
「ああ。この街の医療レベルを知っておこうと思ってな。どの程度だ?」
「ええと……」本田は頭をぐるりと右回りに一回転させてから口を開いた。「この街は他の街よりも……、その、治安が悪い傾向にありまして……」
「わかるよ。駅を出た瞬間に理解できる」
「え、ええ……。それで犯罪などが激しく発生するこの街では、当然それの被害に遭った人たちが多く出て、この病院に運び込まれるわけですが……」
「当然、医者連中は忙しくなるな」
「はい。ですがそれ故に、我が病院の医療のレベルは高いと自負しております。皆が皆、毎日賢明に働いております」
「なるほどな。理屈はわかった。平日だというのにこの混雑具合、信頼されているのも確からしい……」ペンウィーは右手でウルフカットの毛先をさらりと撫でると本田の顔を視た。よく視ると本田の鼻にはいくつもの出来物があり、ぶつぶつとしていて気持ち悪かった。

ペンウィーはそんな本田の顔面を殴りつけてやりたい衝動を抑えながら彼に礼を告げた。
「では、この病院を見学してもいいかね?」
「もちろんです!」本田は前のめりになりながら大声で放った。全ての受付カウンターの女たちが一斉に本田の顔を迷惑そうに睨んだ。
「では勝手に見て回るとするよ……」ペンウィーは眉毛を高速で上下に動かしながら本田の横を通り抜け、ロビーの奥に設置されている案内表示板を見た。
「手術室は……、二階か……」

大事なウルフカットを指ではじきながら確認すると、ペンウィーは廊下を歩き出した。

細い蛍光灯が均等な感覚で設置されている黄土色の天井を眺めながら、ペンウィーは廊下を進んだ。途中で何人かの医師とすれ違ったが、どの医者もやつれていることだけがペンウィーの気がかりだった。
ペンウィーはそれからエレベーターに乗り、二階の手術室の扉を叩いた。二秒ほどで中から深緑色の手術着を着た女の執刀医が出てきた。
「なにか」
「もしもし、私はペンウィー・ドダーというものだが、ここで手術をやっていると見込んで参上しました」
「ああ! 貴女がペンウィー先生ですか。どうぞ、こちらに来て患者の腹を見てください」

執刀医は笑みを浮かべてペンウィーを室内に招き入れた。その手術室は普通の手術室ではなかった。東の壁が全面硝子張りになっており、向こう側に何人もの人間が椅子に座ってこちらを見ていた。
「ほう……。公開手術か」

ペンウィーは向こう側の大学生たちを眺めた。怯えながらもこちらのことをしっかりとした目で見つめている女子や、全身黒服のひょろりとした顔つきの男が目についた。

それは最近の医学部がまれに開催している公開手術だった。ペンウィーは公開手術に参加した経験がなかったため、向こう側に医学生たちが見える光景が物珍しく映った。
「はい。今はちょうど執刀の前の説明でしたが、ペンウィー先生の突然の登場に大学生たちも驚いています」すると執刀医は別の助手が持っていたマイクを取って話しかけた。「ええと、医学生の皆さんなら当然知っていると思いますが、特別ゲストのペンウィー・ドダー先生ですっ!」
「わあすごい!」
「本物のペンウィー・ドダーだ!」
「サインしてー!」

ペンウィーは口々に叫ぶ医学生たちに手を振った。そして執刀医からマイクを受け取り、いつもより高い声で、さらに高速で眉毛を動かして喋り出した。
「みなさんこんにちは。ペンウィー・ドダーです」

ペンウィーは手術台に近づいて覗き込んだ。上にはまだどこも切開されていない全裸の男があった。
「私も手術に参加してもいいかね?」
「もちろんです!」マイクをズボンのポケットにしまう執刀医は明るい声で叫んだ。

するとペンウィーは床に鞄を置き、開いて中からメスを取り出した。「マイ・メスじゃないと落ち着かなくてね……」

そしてペンウィーは台の上の男の頬を叩いた。男はすぐに目を覚ました。
「君、名前は?」
「え、田中です……」

田中は怯えた様子でペンウィーを見上げていた。何か言いかけたが、ペンウィーはそれを無視してメスを田中の腹に刺した。鋭い刃が肌に突き刺さった。田中は野太い悲鳴を上げた。すると数秒後に辺りを濃い悪臭が包んだ。
「おや。脱糞か。調子の良い証拠だな」

ペンウィーはそのままメスを縦に引いた。肌が簡単に切れていった。
「ちょ、ちょっと、アンタ、何してるんだっ!」

田中がペンウィーに向かって叫んだ。そして右手を動かし、ペンウィーが進めるメスの手を止めようとした。しかしそのぶよついた手を、執刀医が止めた。
「あまり動いてもらってはこまりますよ、田中サン……」
「ありがとう」ペンウィーは切開を中断して執刀医の顔を視た。「ところで、君の名前を知りたいんだが……」ペンウィーは執刀医に訊ねながらメスをすいすいと動かした。腹には縦の赤い亀裂が入った。
「私ですか? 本味粥です」
「ほんみがゆ……。えっと、どう書くんだ?」
「本物の本に、味覚の味、御粥の粥」
「なるほど。本味粥クンか……。よし、君をこの場限りの助手に任命しよう」
「ありがたき幸せ」
「ではまずこれをしまってくれないか?」ペンウィーはメスを本味粥に差し出した。
「了解」

本味粥はしゃがんで開かれている鞄にメスを入れた。

ペンウィーは田中の亀裂に素手を突っ込んだ。そしてぐいっと左右に開き、中の腸を空気にさらした。赤くぬめめっている腸は田中の呼吸と共に微細に蠢いていた。ペンウィーは真っ赤になった素手を田中の身体から離し、白衣の内側で拭った。
「腸というのは、人間の臓器の中で最も美しく最も重要なものなんだよ。私の本にも書いたが、これは医学を学ぶためにとても重要なことなんだ」ペンウィーは硝子窓の向こう側に座っている医学生たちを視た。「覚えておいてくれたまえ」

すると何人かの医学生がメモ帳に万年筆を走らせた。
「本味粥クン。次は鞄から鋏を取ってくれ」
「了解」

本味粥はしゃがんで開かれている鞄から鋏を取り出した。

ペンウィーは受け取った鋏を右手で持ち、二度ほどチョキチョキとやると田中の腸に刺し入れた。そしてぐちゅぐちゅとかき回すと、適当な位置でチョキンとやり、鋏を持ち上げた。そして別の箇所に鋏を入れ、再びチョキンとやり、鋏を取り上げた。鋏はねっとりとした血液に濡れていた。
「持ってて」ペンウィーは鋏を本味粥に差し出した。
「了解」

ペンウィーは自分でしゃがんで鞄からスプーンを取り出した。そして切った田中の腸を掬い上げ、口に運んだ。

ペンウィーは腸を咀嚼した。もっちゃ、もっちゃと口を動かして腸の香ばしい鉄の味を楽しんだ。ペンウィーはすぐに口の中でどろどろになった腸を飲み込んだ。ゴクン、と大きな喉越しが鳴った。
「君も食べるかい?」
「よろしければ」

ペンウィーは鞄から鋏を取り出し、さきほどと同じように田中の腸を切り出した。細かく分裂した腸をスプーンで掬うと、そのまま本味粥の方に差し出した。
「いただきます」

本味粥はペンウィーのスプーンに口を付けた。そして顔を後方に引き、上の腸を口に含んだ。そのままくっちゃくっちゃと咀嚼した。
「どうだい?」
「おお……、これは……」

本味粥はあらぬ方向を見つめながら口の中の腸に意識を集中させ、やがて腸を飲み込んだ。
「旨いっ!」

本味粥は轟く声で叫んだ。それを見つめているペンウィーは微笑みながら鞄にスプーンと鋏をしまった。
「よし、では次だ。本味粥クン、医学の界隈にはあえて素人に施術をやらせて鑑賞して楽しむという娯楽がある。野蛮な君なら、それの楽しみがよくわかるんしゃないか?」
「え、ええ。まあ、おぼつかないド素人にいろいろやらせて含み笑いで楽しむのは理解できます」
「だろう? よし、今日はそれをやろう」

ペンウィーは叫ぶと立ち上がり、東の硝子の向こう側を視た。手術室と同じ大きさの室内で行儀よく椅子に座っている医学生の中から、ペンウィーは一番顔の良い女を選んだ。
「君、君……。そっちの君だよ。君」
「わ、私?」二列目の右から三番目の、短い黒髪にそばかすがある女は自分を指差しながらペンウィーに訊ね返した。

すると本味粥がペンウィーにマイクを差し出した。ペンウィーはそれを快く受け取った。
「……そう。君。ちょっとこっちに来てくれないか?」
「は、はいぃ……」

指名された女子大生は震えながら素早く立ち上がり、部屋から退室して手術室に入室した。
「じゃあまず、名前を教えてくれるかなぁ?」

ペンウィーは優しく温かい声で訪ねた。
「え、ええっと……。コドリ、です……」
「コドリちゃんかあ!」ペンウィーはパアッと顔を明るくして驚きの声を上げた。
「中々いい顔してんな、アンタ」

本味粥が横からコドリの肩に腕を伸ばして抱きかかえた。そのまま顔を近づけ、くんくんと臭いを嗅いだ。「ふむ。生娘の香り……」
「お前は黙ってろよ」

ペンウィーが鋭い声で本味粥に迫った。本味粥は無言でペンウィーを睨み、コドリから腕を離してその場にしゃがんだ。

ペンウィーが改めてコドリに明るい顔を向けた。それは底抜けの明るさが充満した太陽のような笑みで、その爽快さは好印象を通り越して不気味さがあった。
「それじゃあさ、それじゃあさ、コドリちゃんは、どうしてこの御医者さんになりたいって思ったの?」
「どうしてって……。えっと……、きゅ、給料が良いから……」
「は? 敬語は?」
「す、すいません……」コドリはぺこりと頭を下げた。そしてそのまま口を開いた。「医者になりたいのは、給料が良いからです……」
「うん。頭上げていいよ」

コドリはゆっくりと頭を上げた。

ペンウィーはその目を見つめながら口を開いた。「で、コドリちゃんはさ、彼氏とか、居るの?」
「い、いません……」
「へぇ……。じゃあ好きな人は?」ペンウィーの声色は好奇心旺盛な小学生のような弾んだ雰囲気だった。
「い、いません……。わ、私、そういうのは疎くて……」
「そっか! じゃあオネエサンがコドリちゃんの恋人、立候補しちゃおうかな! あははっ!」
「や、やめてくださいぃ……」
「は?」

ペンウィーが鋭い声を出すと、コドリは叱られた子供のように目をそらした。

しかしコドリはそれでも口を開いた。
「私、女の人と、そういうのは、ちょっと……」

コドリはいまにも泣き出してしまいそうなか細い声で訴えた。震えているがしっかりとした芯のある声は、コドリが本気で同性愛を拒絶していることが見て取れた。
「そ、そんなぁ……」ペンウィーはわかりやすく落胆した。「本気で狙ってたのにぃ……」
「ははっ。ザンネンだったな」本味粥が大口を開いて笑った。

ペンウィーは笑顔になっている本味粥を強く鋭く睨みながら鞄に手を入れた。そして中からメスを取り出すと、コドリに差し出した。
「それじゃあコドリちゃんには、これから手術をやってもらうよ」
「そ、そんなっ……」
「え? できるよね?」ペンウィーは有無を言わせない圧のある声で訪ねた。「できるよね? ね?」
「は、はいぃ……」

コドリは控え目に答えながらペンウィーのメスを両手で受け取った。そして手術台の上の田中の顔を視た。
「田中サン……。失礼しますぅ……」

震える声のコドリはメスを鉛筆のように三本指で持ち、腸の一部に刺し入れた。控え目の動きによってメスの先端だけが腸の中に入り、裂いた。
「上手、上手! もっとやってみて!」

コドリは返事をする代わりにメスをもっと腸の中に刺した。刃の全体が腸の中に入り、亀裂ができていった。コドリはそのままメスを横に動かした。研ぎ澄まされたメスは簡単に腸の肉を切り裂いた。
「いいね。それじゃあそのまま、腸の一部をこのスプーンで掬ってみようか」

コドリはメスでいびつな円を描いた。そしてペンウィーから受け取ったスプーンを使い、田中の腸の破片を取り出した。
「食べて! 食べて!」ペンウィーが子供のように楽観的にはやし立てた。

コドリは眼前のスプーンの上の腸を拒絶していた。流石に他人の肉片を口に含むのは抵抗があった。しかし真横のペンウィーの声援はどんどん強くなっていった。「食べて! 食べて! 食べて!」コドリは目を瞑った。そして一気にスプーンを口に入れた。舌に鉄の濃い味が広がった。口の中に腸を残してスプーンを抜き、咀嚼をした。ぐちゃりとした気味の悪い食感だった。コドリは数回腸を噛むとゴクンと飲み下した。不完全なペースト状の腸は喉につっかえてとても飲みにくかった。
「美味しかった? どう? どう?」
「は、はいぃ……」

コドリは腹の底からひねり出した声で答えた。
「よかったねぇ! コドリちゃんよかったねぇ……。それじゃあ次はコドリちゃんが切開される番だね!」
「え、え……?」
「当然だろ?」本味粥が立ち上がった。「医者でもないのに他人を切開したんだから。切開されるのは当然だ」
「そ、そんなぁぁ……」
「あははっ! 残念。でもこれも運命……」ペンウィーはメスを持ち、コドリに迫った。

コドリは手術室から逃げ出そうとした。しかし本味粥の力強い腕に捕まってしまった。本味粥はコドリの右手をぐいっとひっぱられ、ペンウィーに差し出した。
「ほら、切開、切開」
「切開切開……」

ペンウィーはメスを三本指で持ち、コドリの白い綺麗な肌に縦線を入れた。コドリは鋭い痛みに目を瞑った。途端に涙が溢れ、コドリは赤子のようにわんわんと鳴き出した。
「黙れよ」

ペンウィーがコドリの頬を引っ叩いた。コドリはさらに大声で泣き出した。
「まあいいや。切開切開……」

ペンウィーは一つ目の傷の上に二つ目の切り傷を作った。すると二つの傷から血が溢れてきた。赤く輝く鮮血はコドリの肌を伝ってぽたぽたと落ちていた。
「よし、こっち持っていって」
「了解」

本味粥がコドリの腕を動かし、切り傷を下にして田中の口元に持っていった。田中は無言で口を開いていた。垂れている血の雫が田中の舌に落ちた。二、三滴ほど溜めてから田中はコドリの血を飲み込んだ。相当な美味らしく田中は腸をびくびくと動かして喜んだ。
「よかったねぇ……。よかったねぇ……」

ペンウィーは涙を流していた。

横の本味粥も同様に泣いていた。
「もうこれで二人は恋人だね」
「こ、恋人……?」
「異性なら良いんでしょ?」ペンウィーが涙を拭いながらきっぱりと確認した。
「そ、そんなぁ……」
「それじゃあ、男性の田中くんに初デートの場所を決めてもらおうか……」

ペンウィーは田中の顔を視た。しかし反応はなかった。ペンウィーは田中の頬をぺちぺちと叩いた。反応はなかった。
「どういうことだろう?」

ペンウィーは隣の本味粥に訊ねた。

すると本味粥はペンウィーの鞄からメスを取り出し、田中の腸に刺した。しかしそれでも反応はなかった。どうやら田中はすでに絶命しているらしく、ペンウィーがどれだけ肩を揺さぶっても頭部が力なく右に垂れるだけだった。
「本味粥クン、スマホは?」ペンウィーは田中の光の無い瞳を見つめながら訊ねた。
「もたない主義です」
「いまどき、残念だな。では私だけ……」

ペンウィーは白衣のポケットからスマートフォンを取り出して田中の呆けた顔を撮影し、そのまま流れる指さばきで素早く画像を待ち受け画面に設定した。
「よし、では次は――」ペンウィーはスマートフォンをポケットに入れた。「田中の葬式だな」
「葬式?」

コドリが首を傾げて訊ねた。
「ああ。死人が出たんだ、葬式をやるのは当然だろ?」

本味粥が偉そうに腰に両手を当てた。「しかしペンウィー医師、ここには葬式屋が居ませんが……」本味粥はペンウィーを視た。

ペンウィーは硝子窓の向こう側を見つめていた。「よし、彼が適任だろう……」ペンウィーは数多の大学生の中から、全身黒服の男を指さした。
「君、こっちに来てくれないか?」

ペンウィーは伸ばした指をくいくいと動かして男にジェスチャーした。すると本味粥がすかさずマイクをペンウィーに差し出した。快く受け取ったペンウィーは改めてマイクに向かって口を開き、「三列目の君だよ、こっちに来てくれ」と男に話しかけた。

指名された男はメモ帳を椅子に置きっぱなしにして部屋から退室し、手術室に入った。男は黒のシャツに黒の長ズボンを着、頭には黒の野球帽を被っており頭髪の類は見えなかった。身長は百八十ほどで、足にはやはり黒のスニーカーを履いていた。

男は、自分がこの場に呼ばれたことが不思議でならないといった顔つきだった。困惑した色が浮かんでいる瞳で中央の田中に寄り添った。
「君は葬式屋なのか?」

本味粥が訊ねた。
「は、はい……」男は田中の腸に目を落としたながら肯定した。「実家はたしかに、葬式屋ですが……」
「やはりそうかっ!」

ペンウィーが飛び上がって笑みを浮かべた。
「しかし名医! どうして彼が葬式屋の息子だとわかったのですか?」
「香りだ……」ペンウィーは目を閉じてとろける声色だった。
「さすがペンウィー!」

本味粥は叫ぶと、きっちり五十回の拍手をした。パスン、パスンという乾いた打撃の音が手術室に響いた。
「それでは葬式を始めようとするか。おい君、まずは名前を教えてくれないか?」
「はい……、湊ですぅ……」

湊はなよなよとした薄い声色で自己紹介をした。
「湊クンかあ!」ペンウィーはパアッと顔を明るくして驚きの声を上げた。
「中々いい顔してんな、アンタ」

本味粥が横から湊の肩に腕を伸ばして抱きかかえた。そのまま顔を近づけ、くんくんと臭いを嗅いだ。「ふむ。医薬品の香り……」
「お前は黙ってろよ」

ペンウィーが鋭い声で本味粥に迫った。本味粥は無言でペンウィーを睨み、湊から腕を離した。
「さて、湊クン、さっそく葬式をしたいんだが、繰り返すようだが私はその手の専門家ではないからね……、君の知識を拝借しようか」
「え、ええと……。でも僕は、医者を目指す人間ですから……。葬式のことなんて、全然知りませんよ」
「ふざけるなっ!」ペンウィーが怒鳴り、湊に素早く歩み寄ってその頬を引っ叩いた。パシンと音が響き頬の肉が震えた。大声にびっくりとしたコドリが両耳を両手でそれぞれ塞いだ。
「なにするんですかっ!」

湊が大声で反抗してペンウィーの胸倉をつかんだ。そのまま顔を近づけて、鼻梁をヒクヒクとさせてペンウィーの体臭を嗅いだ。「なにするんですかっ!」湊は誤魔化すためにもう一度叫んだ。
「貴様それでも葬式屋の息子か? 葬式屋の息子なら、正々堂々死者と向き合え! 勇猛果敢に死者を葬れ! それも医者に必要な技術だっ!」

ペンウィーは湊の腕を振り払いながら叫んだ。大声はコドリの鼓膜を貫き、脳に激痛を与えた。コドリはたまらずしゃがんで両耳を覆う両手をぐりぐりと頭に擦り付けた。

湊は叱られた子供のような顔で虚空を見つめると、それから素早く頭の野球帽を脱いだ。すると黒の頭髪がパサリと姿を現した。髪は肩につくほど長く、艶やかにてかっていた。またその頂点には、銀色に輝く蛇口がセロハンテープで貼り付けられていた。
「なんだね、それは……」ペンウィーが湊の頭の蛇口に手を伸ばした。しかしその手が蛇口に触れる前に、湊が腕を掴んで阻止した。
「む?」
「これが葬式に必要な道具なんです」

右手でペンウィーの左腕を掴んでいる湊は、左手で頭の蛇口を取り出した。セロハンテープをべりべりと外し、汚れ一つ無い輝く金属の塊を田中の元へ持っていった。
「それをどうするんだ?」

腕を組んでいる本味粥が湊に訊ねた。しかし湊はそれを無視し、田中の頭頂部に蛇口を取りつけた。蛇口は吸い付くように田中の頭に貼り付き、がっちりと離れずに自立した。
「コップはありますか?」

湊がペンウィーを見た。ペンウィーはこの手術室の空色の棚に歩み寄り、硝子の引き戸の向こう側をじっと眺めた。
「紙のでいいか?」
「ええ。構いません」

ペンウィーは引き戸を開け、いくつも重なって置かれている紙コップを一つ取り出した。
「こでいいか?」
「ありがとうございます」

湊はペンウィーの紙コップを受け取り、蛇口の先に添えた。そしてハンドルをひねった。

数秒後、蛇口の先から薄紫色の液体が出てきた。少しの粘り気のある液体は紙コップに溜まっていった。

湊は五秒ほどかけて紙コップの八割ほどを液体で満たした。そしてハンドルをひねり、先から出てくる液体を止めた。
「完了です」湊は淡々とした口調だった。
「それをどうするんだ?」本味粥が湊に訊ねた。
「みんなで飲みます。そうすることで、死者に報いるんです」
「本当か? 怪しいが……」本味粥は訝しげな顔で湊の持つ紙コップの中を見つめた。薄紫色の液体はなみなみと注がれており、ブルーベリー味のヨーグルトのような見た目だった。
「よくわからんが、そういうものなんだろう……」ペンウィーが横から入り、湊の手から紙コップを取り上げた。
「全部飲まないでくださいね。一つのコップに入ったものを、葬式に参加している全員で飲み尽くすんです」
「了解」

ペンウィーは短く放つを紙コップを口に添え、一気に上げた。すると中の液体が口に入り込んできた。ペンウィーはその少し温かい液体をためらいもなく飲んだ。それはやはりヨーグルトのような質感で、ペンウィーはごく、ごく、と二度飲んだ。鉄の粉を水に溶かしたような薄い味がした。
「ふむ……。悪くないな」

ペンウィーは紙コップを下ろした。中にはまだ半分以上液体が残っていた。
「では次は私がっ! 私が飲むうぅぅぅっ!」

コドリが両手を上げながら立ち上がった。そしてペンウィーに近づき、紙コップを無理やり奪い取った。「おい、あまり乱暴にするな。ビビるだろ……」
「すみません、すみません……。えへへへ……」

コドリははにかみながら紙コップに口を付けた。グイッと持ち上げて中の液体を飲んだ。コドリが感じた味は見た目通りのブルーベリー味ヨーグルトだった。舌でそれを感じていたコドリは安心を感じながら三度ほどごくごくごくとやり、液体を飲み下した。

紙コップの中にはまだ三割ほど液体が残っていた。
「次は私だ……」

本味粥が右手をコドリに差し出した。コドリは震える手で紙コップを渡した。
「ではっ!」

本味粥は左手で敬礼をしてから液体を飲んだ。すると幼少期によく舐めた鼻水の味が舌に広がった。本味粥はその塩気のある味に暖かみを感じた。上げた顔に笑みを浮かべながら液体をごくっとやった。

本味粥が下ろした紙コップの中は、全体の一割ほどを液体が満たしていた。
「最後は君だ。さっさと飲むといい」

本味粥が紙コップを湊に渡した。湊は無言で紙コップを受け取ると、口に付けて一気に上げた。残りの液体が全て口に入り、舌に触れた。その瞬間薔薇のような風味が口内に広がり、湊の学業で疲弊した心を温めた。湊は天国に昇る際はこのような心地になるんだと納得しながら液体を最後まで飲み込んだ。

口から離した紙コップを、湊は田中の顔を視ながらぐしゃっと潰した。するとその瞬間田中の顔面もぐしゃっと潰れた。皮膚と頭蓋が紙のように崩壊し、中の肉と薄紫色の脳が飛び散って手術台を汚した。
「これはひどい……」

コドリが口をへの字に曲げながら田中の顔を見つめた。
「仮にも君の恋人だからね」ペンウィーがその横に付いた。
「いや、恋人は嫌ですけど……」
「なら私とちゅーするかい? ん?」
「きもいです」
「まあまあ……。そういう気分の日もあるよ……」

本味粥が二人の間に入った。そして湊の方を視た。「それで? この後は何をするべきなんだい? 湊クン……」
「ああ……、次は――」

すると手術室の両開き扉が素早く開かれた。
「ペンウィー先生っ! ペンウィー先生は居るかっ!」
「いかにも私がペンウィーだ! なに用だっ!」

ペンウィーは出入り口を見つめて叫んだ。

そこには本田が立っていた。肩を揺らしながら荒く息をし、額には汗が滲んでいた。
「きゅ、急患です……。ぜひペンウィー先生に診てもらいたい患者がでましたっ!」

本田はなぜか敬礼しながら叫んだ。
「なるほど。私に診察をたのむとは良いセンスだ……。湊クン、私はこの葬式を早退させてもらうよ」
「了解」

ペンウィーは鞄を持って手術室を後にした。

本田と共に廊下を早足で渡り、二人はロビーに戻った。
「それで、急患というの誰だ?」
「はい、こちらの方です……」

本田はなぜか控え目な声色だった。

本田に紹介された患者は女で、おかっぱの黒髪で、黒のロングコートを着、下は長ズボンに大きなブーツ、腰に日本刀の出で立ちだった。それこまでだとただの人間だったが、その患者には、明らかに通常とは違う箇所が一つあった。椅子に座っているその人物は、なんと右足を欠損していた。ちょうど膝から先が無くなっており、乾いた血が断面と千切れたズボンについていた。
「これはひどい! いますぐ手術をしなくては!」ペンウィーは床に鞄を置いて開いた。「本田医院長! この場を緊急手術室として使用したいのですが、よろしいですね?」
「も、もちろんです……」

本田は再び控え目な声色で呟いた。

ペンウィーは鞄からメスを取り出し、女に向かった。
「まず、君の名前を教えてもらえないか?」
「黒花園未加だ」
「そのみか……。えっと、どう書くんだ?」
「花園の園に、未達成の未、加害者の加」
「なるほど。園未加クンか……。よし、君をこの場限りの助手に任命しよう」
「助手だと?」

園未加は凄んだ。

しかしペンウィーは顔色一つ変えずに続けた。「悪くないだろう? この私の助手になれるんだから」と眉毛を高速で動かした。

ペンウィーの声色には本気で自分の助手になることが崇高な名誉であると信じ切っている様子だった。
「お前のことは知らんが……、まあいいだろう」女はにやりと笑みを浮かべた。そしてペンウィーの頬を右手で摘まみ、その口にキッスをした。ぬめりのある舌と舌が絡み合い、二人は十秒ほど接吻し続けた。
「私はアンタの患者だが、同時に助手でもあるってわけだ」口を離した園未加はにやりと笑った。「それで、何をすればいい?」
「ああ……」ペンウィーは園未加の隣に開きっぱなしの鞄を置いた。「座ってもらってからで悪いが、時折、この鞄から道具を取り出してくれないか?」
「わかった」
「ありがとう」ペンウィーは鞄の中からメスとガーゼを取り出し、丸めて園未加の断面に当てた。すると園未加が叫んだ。どうやらガーゼが断面に当たると激痛が走るようだった。
「うるさいな」
「そりゃあっ、お前が麻酔もナシに始めたからだろっ!」

園未加は天井を見上げながら痛みに悶えた。
「現場を渡り歩いているとね、麻酔なんて無い場合にもたくさん遭遇するものだよ」
「ああそうかい」

園未加はぶっきらぼうに答えた。
「さて、それではさっそく施術を開始しようか。園未加クン、メス」
「お前それいま持っているだろ」
「おっと……。すまない、つい癖でね……。はは」

ペンウィーは小さく笑いながらメスを園未加の断面に刺し入れた。すると切り傷から血が飛び出し、ペンウィーの白衣の袖を赤く濡らした。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「問題ない。血飛沫は医学者の勲章だ。……まあ君の場合、少しばかり血の量が多いがね」
「勲章だらけだな」

ペンウィーはメスを園未加の中に入れた。ぐちゅぐちゅとかき回される音が鳴り、時折血飛沫が飛んだ。ペンウィーはメスを抜いた。真っ赤な血がメスの切っ先にべっとりと付いていた。ペンウィーはそのメスの先端を口に入れた。
「メスに付いた血の味はね、正式な手術中では味わえないものなんだよ」
「そうかい」
「ううん。いい風味だ……」ペンウィーはメスを口から出すとそのまま鞄に戻した。
「ところで、これは義足を付ける必要があると思うんだが……、君は世間で義足がいくらするか知っているかい?」
「いいや……、知らんな」
「二百万だ」
「二百万」
「……園未加クン、今いくらもってる?」
「……八十万だ」ペンウィーは首を横にゆっくりと二度振った。「無理かもしれない」
「待ってください!」

それは後方から聞こえてきた幼い声だった。ペンウィーと園未加は同時に声の方向を視た。

そこには四人の小学生が立っていた。全員ランドセルと黄色い帽子を着、園未加のことをじっと見ていた。
「お前ら……」

それは、園未加と臓器の売買をしたあの小学生たちだった。

小学生たちの一人、眼鏡の小学生が歩み出てペンウィーに迫った。

差し出した両手には札束があった。
「ここに百二十万あるっ! これでおねえさんの義足を、私が買うっ!」
「なるほど」

ペンウィーは小学生の手の中の札束を全て受け取った。
「園未加クン、君の全財産と、これを合わせて義足を買う。いいね?」
「ああ……」

園未加は自分の千切れている右足を見つめながら呟いた。
「では支払いは後でするとして、施術を続けよう。本田医院長」
「は、はい……」本田は控え目な声でペンウィーに歩み寄った。「なにか」
「ここで一番良い義足を持ってきてくれ」
「了解……」

本田は最後まで控え目に呟いて歩いていった。
「それでは園未加クン、まずは断面を切り落として綺麗にするよ。もちろん麻酔は使わない。君には激痛が走ると思うが、構わないね?」
「もう勝手にやってくれ……」

園未加は消えてしまいそうな薄い声で了承した。

ペンウィーはメスを持つと、園未加の右足のズボンを裂いた。すると固まった血にまみれている右足がよく見えるようになった。膝の位置で千切れている足にペンウィーはメスを入れた。その瞬間園未加が叫んだ。室内を揺るがすほどの大声だった。ペンウィーは顔色を変えずにメスを刺し入れた。園未加がさらに叫んだ。ペンウィーはステーキにナイフを入れるようにメスを園未加の肉に入れた。前後に動かして切っていった。

やがてペンウィーのメスは園未加の骨に到達した。そこでペンウィーはメスを鞄にしまい、代わりに片手で使えるほどに小さいのこぎりを取り出した。
「骨を切る」

ペンウィーはのこぎりを園未加の骨に入れた。ごきごきと動かして骨を削っていった。園未加は「ぐぎぎぎぎ」と呻いた。両手を握りしめて痛みに耐えていた。ペンウィーは平然とした顔でのこぎりを動かした。

骨はすぐに切れた。のこぎりを戻したペンウィーはメスを取り出し、残りの肉を断った。園未加はさすがに痛みに慣れたらしく、はあはあと犬のような呼吸をしながらペンウィーの手を視ていた。
「よし、切除完了」

ペンウィーは血に濡れたメスを口に入れながら呟いた。
「義足です! 義足です!」

それは本田の声だった。
「早かったな。こちらに」

ペンウィーは本田から義足を受け取った。そして園未加の断面に当て、位置を調節しながら呻った。
「ここか……? いいや、こっちか……?」
「おい、大丈夫なんだろうな」
「ああ。私は名医だ……」

ペンウィーは自分に言い聞かせるように呟きながら義足を断面に合わせた。そして「ここだっ!」と叫ぶと義足の側面に付いているボダンを押し込んだ。すると義足から赤い触手が伸び、園未加の足に絡みついた。触手はそのままぎゅっと足を包むとぷるぷると震え、一気に足の形で固まっていった。
「よし、義足装填完了……」

ペンウィーは呟きながら立ち上がった。「これで施術は終了だ」
「終わり? そうかい……」

園未加も立ち上がった。義足は問題なく機能しているようだった。園未加は腰の刀に手を添え、一気に抜刀してペンウィーに切っ先を向けた。

ペンウィーはその刀の輝く銀色を見つめながら口を開いた。
「私を殺そうってか? いいだろう。しかし私を殺した瞬間、君は医学界隈の貴重な頭脳を喪失させたことになるぞ」
「そうかもな。でも私は、『ハンザイシャ』だ……」

すると入り口付近で轟音が鳴った。それは何か、硬い物が崩壊するような音だった。ペンウィーと女は同時に音の方向を視た。

出入り口のある壁が丸ごと崩壊していた。
「クソッ! サツだ!」ペンウィーは鞄を持ち上げながら入院病棟に続く通路に駆けだした。「君とはまた出会うだろう! さらばだ!」

2023年2月8日公開

© 2023 巣居けけ

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