09 キック・ザ・バケット

EOSOPHOBIA(第9話)

篠乃崎碧海

小説

12,973文字

どれだけ支えになっていたかなんて、お前は知らなくていい。知られたくない。だってそんなの、カッコ悪いだろ。
さよなら。俺みたいにだけはなるなよ。

 

 アオ。お前のためにこれを書き残しておくことにした。とはいっても、思い立ったのはつい最近のことだ。そして書き始めてすぐに、お前と違って覚えのよくない俺には色々と限界があると気がついた。正確に書き残すだけの脳みそもないしな。本当ならあることないこと全部ばーっとしゃべって伝えた方が早いし楽だしでよかったはずなんだが、残念ながらそんな時間はなくなった。というわけで、間違ってても笑って許せよ。ひらがなが多くても許してくれ。ああ、学校行っておけばよかった。

 俺のやってきたこと、ずっと誰にも言わなかったこと、言うつもりもなかったこと。お前だけにはちゃんと伝えておくことにした。お前はそのことに責任を感じる必要はないし、託されたなんて思わなくていい。ただ言いたかっただけだ。誰にも言わずになかったことにしたくなかった。お前ならわかってくれるんじゃないかって、ああこれは甘えなんだろうな。クソ生意気な年下のお前に甘えるとか、自分でもどうかしてる。

 はたしてお前がこの手紙に無事たどり着けたのかどうか、それが一番不安だ。これを書いている段階ではまだ、どう伝えようか決めかねている。一世一代のスパイ大作戦だ、後世まで語り継がれるような鮮やかな手を思いつくまでは実行したくない。ああでも悲しいかな、時間が全くないんだ。

 前置きが長くなった。前置きだけでこんなに書いちまった。こんな風に遺書か手紙かなんかを残す文学作品があったよな? こんなに軽いノリじゃなかった気がするが、まあいいだろ。俺は文豪じゃなくてスパイだ。ちょっとケーハクなくらいがちょうどいい。

 そろそろお前のイラつく顔が目に浮かぶようだから、さっさと本題に入る。もう遅いかもしれないが。

 

 お前も知っての通り、俺の親父は俺が十九のときにつまらない抗争に巻き込まれて死んだ。あの頃俺は相当荒れたから、お前には迷惑かけたと思う。悪かったと思ってる。なんて今更謝る気はない。お前もあの頃相当俺に当たり散らしてたし、両成敗だろ。

 親父は神津組の下級構成員だった。幹部になれるような才覚なんてなかったから死ぬまで舎弟だったが、親父を慕う若いのはたくさんいた。親父はいわゆる「良い人」だったんだと思う。一番損するタイプのやつだ。親父は行き場のない奴らを集めて居場所を作ってやっていた。改心する気ゼロの前科者でも、死ぬまで人をぶん殴るのが趣味の奴も、クスリが手放せない奴も、みんなまとめて懐に入れてやってた。当然ながらトラブルは絶えなかったし、俺は親父の集めたロクでもない奴に殴られたり遊ばれたりして育った。このへんのことは昔話したから、少しは知ってるよな。

 どうしようもない人間だったが、俺は親父のことがわりと好きだった。なんとなくいつかは親父みたいになりたくて、親父みたいなでかい背中になりたくて、まずは真似事から始めた。それで俺より年下の奴らを集めて面倒みたり相談乗ったりしてたってわけだ。

 知っての通り俺はケンカだけは強かったから、正式に神津の構成員になってからも、そこそこのところまでは拳ひとつでのし上がれた。面倒みてる奴らのことも、何人かは一緒に引っ張り上げてやれたから満足してた。このままなんとなくいい感じにバカやって気に食わねえ奴殴って金稼いで生きていければいいと思ってた。ちょうど二十歳過ぎくらいの頃のことだ。お前はくだんねぇって顔していつも見てたよな。

 

 ここからが初めて話すことだ。

 ある日、かつて親父と一緒に仕事をしてたって奴が突然訪ねてきた。そいつの名前は伏せる。ここでは仮にSと呼ぶことにする。

 親父が死んだのは自分のせいだとSは言った。抗争の最中、運悪く流れ弾が当たって死んだんじゃなく、本当は意図的に殺されたんだともな。数年に渡って苛まれてきた罪の意識についに耐えきれなくなって、俺に殺される覚悟で打ち明けにきたんだと言った。

 突然そんなこと言われてもわけわかんねえよな? 俺も最初は意味不明だって追い返した。だけどSは何度でもやってきて、俺に本当のことを知ってほしいとしつこく迫ってきた。三度くらいはぶん殴ったかな。三度目はたしか勢い余って病院送りにしてやった。それでもあまりにしつこいから、突然の来訪から半年後、ついに俺は折れた。妄言でも懺悔でも好き勝手しゃべって、満足して帰ってくれればそれでいいと思って話を聞くことにした。今更何を聞かされたって、親父が生き返るわけでもないしな。

 Sが言うには、親父は長年、神津組と警察の泥沼の関係を追ってたらしい。証拠をつかんで世間に公表して、この街を神津の一強支配から解放しようとしてたんだとか。

 初めて聞いたとき、俺は開いた口が塞がらなかったよ。冗談にしてもバカらしすぎるって笑い飛ばした。そんな映画みたいなこと、ただの良い人でしかない親父にできるわけがないってな。

 Sは俺に、親父の成し遂げられなかったことを引き継いでほしいらしかった。そんなこと急に言われたって困る。何ひとつ知らずに二十年ものうのうと暮らしてきたのに、今更正義のために生きるなんて方向転換はできない。そんなの、見よう見まねのドリフトに失敗して崖から落っこちるようなものだろ。

 でもな、たぶん薄々気づいてた。俺はずっとそういう生き方に憧れてたんだってことを。それに俺は心のどこかで、親父が死んだ本当の理由を知りたいと思ってた。流れ弾で死んだなんて嘘だと思ってた。

 間違ってなかった。それが何より嬉しかったんだ。

 

 俺はひとりで手がかりを追いはじめた。言い出したくせにSは全く手伝ってくれなかった。クソったれ。そんなんだから親父を見殺しにしたんだろ。

 どうしようもなく孤独だった。お前に全て打ち明けようかと何度も考えた。そうしてたら何か変わってたんだろうか。

 けど違う気がした。比べるようなものじゃないってのはわかってたけど、お前が抱えてるものは俺のなんかと比べ物にならないくらい重いと思ってたし、何よりこれは俺が解決しなければならないものだって強く感じてた。あとはまあ、ちっぽけなプライドゆえだ。父親がついぞ成し遂げられなかったことを息子がたったひとりで完遂するとか、かっこいいだろ? ……ああ、バカだって笑ってくれよ。

 知っての通り俺は頭悪いし殴るしか能がないしで(初めて会ったときのお前の言葉、今も覚えてるんだからな)手がかりをつかむどころか、妙な行動が目立ったのか組内で浮いた存在として除け者にされはじめる始末だった。真相に近づきすぎて消された親父とは正反対だ。お前はお前で情報屋として立派に独立して忙しいのか、それとも意図的に避けられてたのかとにかく全然連絡つかないし、もう本当に自分の無能さに泣けてくる毎日だった。全部忘れられたらいいのにと何度も思った。

 

 そんな頃、また一人俺の前に現れた奴がいた。二十五歳になった冬のことだったか。

 そいつが早渕という医者だ。お前も知ってるよな。ここにたどり着くまでに間違いなく接触しているだろうから、知っていることを前提にして書く。

 早渕は最初は七澤組の関係者だと名乗って近づいてきたが、俺が話を聞く気があると知るや否や、すぐに本当はただの医学生だと真実を明かした。俺より三歳も年下のガキだ。そのガキは生意気にも、自分達は同志だと言った。早渕もまた警察の不正を追っているとかで、独自に調べるうちに俺という存在を知り、接触しようと目論んだらしい。

 そう言われたところで最初は信じちゃいなかった。警察と暴力団組織の癒着を暴いたところで早渕には何の利益もないし(それについて早渕はただ「興味があるだけです」と言っていたっけな)、そもそもまだ医者ですらない、何の苦労も知らず恵まれた環境で育った医学生なんかに、そんな大それたことを成し遂げる力なんてないと思った。遊びで首を突っ込まれるのは腹が立つだけだ。

 俺の不信とは裏腹に、早渕は自分の知っていることをなんでも話してくれた。ただの学生だってことが信じられないくらいに恐ろしくものを知ってる奴だった。頭の良い奴ってのはなんというか、ずるいよな。お前もだよ、アオ。俺は一生かかったって敵わない。

 手詰まりだったのは事実だ。半信半疑のまま、俺は試しに早渕の言う通りに動いてみた。そうしたらまあ、面白いくらいに上手くいくんだ。それで早渕のことを一応は信じてみることにした。

 早渕はああしろこうしろと指図することも、弱みを握って脅迫してくることもなかった。ただ淡々と情報を用意し、どこからか金を工面してくるだけで、それを元に実際どう行動するかは全て俺に任せてくれた。おまけに同志であってビジネスパートナーではないから、報酬はいらないとまで言うんだ。さすがに怪しすぎるよなあ? 脳みその足りない俺でもそれくらいはわかる。けど早渕は将来医者になるという立場上、自由に動けない足代わりとして俺を使っていると言った。まあつまり、俺にとっては言うことなしだ。万々歳だ。

 そんなこんなで、しばらく早渕と組んで色々とやった。俺に足りないのは頭だけだったから、それさえ得たら無敵だった。みるみるうちに組織内で出世して、気づけば舎弟が三桁はいたかな。疎まれないように上手くやるのは得意技だから、愛されつつ幹部候補にまでなった。俺が神津で急に出世したのはそういう道理だったんだ。

 そこまでいって初めてわかった。これまで手が届かなかった組の内情や、俺達がどれだけ理不尽に搾取されてきたかが見えてきた。俺は親父の気持ちを初めて理解した。親父は幹部候補にすらならずに気づいて行動しようとしたんだから、俺よりずっと立派だったってことだ。あんなどうしようもない親父がだよ。悔しさを通り越してああ、敵わないなと思った。

 同時に親父の未練を果たしたいと初めて心の底から思った。親父の目的になんとなく乗っかるんじゃなくて、俺が生涯を賭けて成し遂げたいこととして明確になったんだ。

 その頃神津の内部では、七澤組に誰かを潜入させる話が持ち上がってた。新興組織として無視できない勢いになってきてたから、早いうちに内情をつかむ足がかりが欲しかったってわけだ。

 俺にとっては渡りに船だった。神津と警察のズブズブの関係を告発したら最後、居場所がなくなるどころじゃ済まないだろうことは承知していたが、今更この世界以外で生きていけるとも思えなかった。早いうちに七澤に潜れれば、告発という目的を果たしてからはそのまま何事もなかったかのように七澤の構成員として生きていける。

 俺は早渕にそのことを相談した。早渕はうまいこと手を回して、七澤との間にルートを作ってくれた。俺は誰よりも早く七澤との繋がりを得てそれを神津の幹部連中にアピールし、そうしてめでたく七澤のスパイになったってわけだ。

 

 あっちに潜って今年で三年になる。俺は呉山圭の右腕として順調にやってた。生憎本来の目的の方は順調とは言いがたかったが、早渕の手を借りることはほとんどなくなっていた。早渕はお望み通り自らの経歴を一切汚すことなく医学生から医者になって、忙しくなったのか俺との交流も絶えた。同志だなんて言ったところで、結局のところは一時的な暇つぶし、遊びでしかなかったんだろう。

 今年の二月のことだ。俺がどこかのスパイかもしれないと怪しんだ呉山が、その証拠を揃えるべく、花嶋という部下を使って外部の人間と度々接触して情報収集をしている――久々にコンタクトをとってきた早渕からそう警告されて、俺はしばらく花嶋を張ることにした。

 花嶋は露ほども気づいていないようだったが、呉山はとうに花嶋のことを見限っていた。だから俺があらぬ疑いをかけられたとかで難癖つけて花嶋を消そうとしたところで、呉山は痛くも痒くもない。それどころかその結末を望んでいる節さえあった。だったらお望み通りやってやろうじゃないか。ついでに外部の情報提供者とやらもまとめて始末してしまえばいい。

 ああ、わかってたさ。環境ってのは恐ろしいもので、俺はすっかりあっちの色に染まってた。邪魔な奴は死ねばいいと本気で思ってた。変なところで義理堅かった親父が一番嫌ってたのがそういうやり方だったのに、そんなことはすっかり忘れて。

 あの日、花嶋の言う「情報提供者」がお前だと知った瞬間に、一瞬、ほんの一瞬だけ、俺はお前に裏切られたと思った。その直後に自分の思考を心底嫌悪した。

 そしてようやく気づいた。罠に嵌められたのは俺の方だったんだって。

 俺があの地下室に足を踏み入れたとき、何がどうしてそうなったかは今でもわからないが、花嶋はもうお前を殺す寸前だった。俺は迷わず撃った。あの光景、俺は今でも時々悪夢に見る。お前が死んだかと本気で思った。なあ、悪夢の責任取れよ。

 

 ここからは俺の推理だが、恐らく神津の幹部連中は最初から、俺が内部告発しようとしてることに気づいてたんだと思う。俺だけじゃない、親父の頃からきっとそうだ。早渕はそこまで読んでいて、敢えて俺に接触した。バカな俺がやりすぎてさっさと組織に消されないように、しかし諦めてつまらない歯車にもならないように。そんなシーソーゲームを楽しんでたんだろう。

 早渕を使ってたのは俺じゃなかった。早渕の方が俺をいいように使ってたんだ。警察の悪事を暴くとか暴力団組織を潰すとか、早渕にはたぶんどうでもよかったんだろう。

 奴はただ心底面白がってるだけだ。親子二代で組織にいいようにされるとか、面白いだろ? 俺はさながら動物園で飼われてる猿で、早渕は二つの組織の間で板挟みになってうろうろしてる俺を外から観察して笑ってた。気づいてから足掻いてももう遅かった。檻は高くて、とても越えられやしない。

 早渕の次の狙いは間違いなくお前だ。お前のことだから気づいてるかもしれないが、もしまだ引き返せる段階ならそのまま手を引いてくれ。奴に関わってはだめだ。協力する気なんて端から持っちゃいない。俺の二の舞になるな。

 

 俺は失敗した。今の俺は神津から見たら告発を狙う裏切り者、七澤から見たら神津のスパイだ。つくづくバカだなと思うよ。結局親父と同じ道を辿ってるんじゃどうしようもないよな。

 でもな、俺はまだ諦めちゃいない。傍観者になんて死んでも負けてやらねえ。

 神津にちょっと妙な双子がいるんだ。弟は組織の殺し屋をしてる。一度だけ会ったことがあるんだが、なんというか、可哀想なやつだった。兄のことは噂でしか聞いたことがないからよく知らないが、多分ハッキングのようなことをしてる。俺はそいつらと密かに取引しようと思っている。

 そいつらは神津の人間ではあるんだが、神津という土台を利用して自分達の望みを叶えようとしている、死にたがりのガキだ。昔の誰かさんに少し似てる。そいつらとならどうにか道が開けるかもしれない。

 俺が今日まで集めた証拠の全てをそいつらに託すことにした。いや託すってのとは少し違うか。たまたま向いてる方向が一緒だったってだけかな。

 俺が途中でくたばっても、神津や七澤の連中に消されても、あの双子ならたぶんやってくれる。

 お前をそこには巻き込みたくない。だから、さよならだ。

 

 お前がこれを読む頃には、俺は多分死んでるだろう。一度書いてみたかったんだこういうの。男なら憧れるだろ? 一生に一度しかやれないよな。……冗談はさておき、本当に二度目はない。だからこれ以上深追いするなよ。俺の最後の頼みだ。

 まあ、いくら頼んだところで、はいそうですかと聞き分けるわけがないよな。わかった上でこれを書いてる。どうせ追ってくるなら、何も知らないでいるよりまだマシだろ。こんなものがなくたって、俺が全てを抱えたままひとりでくたばったって、お前はいつか真実にたどり着くって信じてる。

 これは俺のささやかな未練だ。冒頭でも書いたが、俺のやり残したことを押しつけるつもりは毛頭ない。だからまあ、もしも読んだのなら……こんなどうしようもないやつがいたんだってことだけでも覚えていてくれたなら、少しは救われるかもしれない。

 忘れられるかもしれない、なかったことにされるかもしれないっていう恐怖は、どうしてこんなにも身を竦ませるんだろうな。ただそれに関して、俺はそんなに恐れちゃいない。お前だけは決して忘れないだろ。

 お前は全部持っていくんだ。きっとそれにも意味がある。きっと、いつかわかる。

 さよなら、アオ。俺みたいになるなよ。

 お前はさ、本当はバカみたいにまともなんだよ。気づいてないかもしれないが、お前はまともだ。狂ってなんかいない。

 

 

 

追伸:

 わるい、やっぱり俺には読み終われなかった。あの本のことだ。借りっぱなしだったこと、忘れてたわけじゃないんだ。

 嘘だ。つい先日まで忘れてた。どこにあったかさえも忘れてた。

 結局タイトルの意味まで辿り着けなかった。ありがとな。来世なんてものがあるのか知らないが、もしもあるなら、そのときこそ読み終えてお前と話がしたい。

 

 

〈全文はBOOTH通販からどうぞ→https://aomi-su-su.booth.pm/items/4335675

 

2022年11月8日公開

作品集『EOSOPHOBIA』最終話 (全9話)

© 2022 篠乃崎碧海

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