プロローグ
二〇XX年、日本政府は中華人民共和国を敵国と認定した。
それに伴い、中国由来のものは原則使用禁止となった。中国産製品は輸入も流通も使用も禁止、パンダは中立国経由で返還され、トキは佐渡島から外海へ追い出し、稲作は南洋渡来説が正しいことになり大陸渡来説は邪説とされた。中国伝来の箸も禁止、手づかみかフォークのような洋食器は良しとされた。
中国と言えば「紙の発明」で威張っているのが気に入らないということで紙も禁止になった。差し迫った問題としてトイレットペーパーをどうするかについて激論が繰り返されたが、最終的にはいくつかの解決策が採用されて決着した。洗浄便座+温風乾燥機を導入する派、イスラム教徒のように水桶から柄杓で水を手に汲んで使う派、さらにはエコナチュラル派と称して排泄後の始末は自然乾燥に任せるという者が現れた。そのような人は高確率で下着を汚してしまうということでノーパンが一般的となった。
紙が禁止なのだから当然紙への印刷も禁止。日本中の本屋や印刷屋は廃業に追い込まれ、オフィスは一気にペーパーレスが進んだ。一部ITリテラシーが低い国民の間では黒板や石板が大流行した。竹皮や木の板を利用して手紙を書いたり、庭にハガキの木を植えて葉を紙の代用品とする国民も現れた。火薬については実用化したのは西洋だという理屈をつけてOK。
しかし何といっても一番影響が大きかったのは漢字の使用禁止だ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの例え通り、「漢字は中国文化の精髄」、「偉大な中国がアジア文化圏へもたらした最大の功績は漢字」、「文字を持たぬ未開国を文明国に引き上げたのは漢字」などと得意げに標榜され、我慢がならなくなった大日本会議などの一部運動家により「漢字ボイコット」運動が始まったのに乗じて、右派議員らが「漢字追放法案」を提出し、国会で賛成多数にて可決された。
手始めに元号を大和言葉へ読み替えることにし、令和は「めでたくやわらかなるすめらみことのみよ」となった。
平成は「あめつちのたいらかなるすめらみことのみよ」
昭和は難しかった。昭の字はほぼ昭和にしか使われていないほど珍しい字で、誰も訓読みを知らなかったのである。そこで半分こじつけで「あきらけくなごやかなるすめらみことのみよ」となった。
大正と明治は簡単だった。「おおきくただしきすめら(以下同文)」、「あきらけくおさめたまうすめら(以下同文)」
とは言うものの、同音語の多い日本語をひらがなのみで表現するのは非常に困難であった。
「ならしのようごしせつかさい。にゅうきょしゃしぼう」
奈良市役所と習志野市役所に全国から問い合わせが殺到したらしい。
「かさいのかさいししゃたすう。じゅうにんしぼうも」
これを読んだ人々の解釈はさまざまに分かれた。ある人は葛西で火災が起こって死者が十人も出たのだと言うし、十人ではなくて住人が巻き込まれて死んだのだと言う人もいるし、いや、火災が起きたのは家裁だという人もいるし、そうではなく葛西の家裁が支社をたくさん作ったので住人も志願して就職したのだと言う人もいた。
漢字禁止の延長として個人の名前もすべてひらがな表記とされたため、同姓同名が従来の十倍に増えて、戸籍を司る地方自治体から悲鳴が上がった。警察・病院等の公共機関では人違いが続出し、生きている人が霊安室に運ばれたり、無実の人が逮捕されたり、訴訟の原告と被告が入れ替わったり、もちろん郵便や宅配なども混乱を極め、社会生活の維持が困難となった。
さすがの政府も漢字の完全禁止までは諦めて、ひらがな表記を推奨するが漢字も「使ってよろしい」こととなった。ただし、日本古来の読み方である訓読みでなければならず、音読みは敵国発音として引き続き禁止、ということで落としどころとした。しかしそもそも音読みと訓読みの区別ができない国民が多く、混乱はなかなか収まらない。
そこで政府の肝いりで「訓読み変換機」(商標名「うるわしやまとことば」、略して「うるやま」)が二兆円かけて開発され、日本に住所のある全住民の氏名を訓読み化し、国民は戸籍を書き換え、外国人は外国人登録名を変更した上、全住民に「うるやまカード」を配布した。新しい読み方に異議のある者は、一年以内であれば改名申し立てができるという、人類の普遍的な価値観を共有する西側民主主義国家ならではの救済措置も設けられていた。
日本国内に百万人近く在住している中国系の住民はほとんど帰国か第三国へ移住した。が、中には他に行く当てのない人もいて、仕方なく「うるやま」で名前の読み方を変えて難を逃れることにした。ちなみに救済措置の一環で、外国人名はカタカナもOKなので、西洋風に改名することもできたのである。
「李」姓の李は「うるやま」にかけられると「すもも」となるため、洋風に「リー」と名乗る人が多かった。
李時先と言う人は、「すももときさき」と変換されたがタイム・リーに変更した。
李大は、すももおおと変換されたがビッグ・リーに改名した。
「張」さんは「はり」と変換されたので、まあ悪くないとそのままにする人が大半だったが、これもアメリカ風に「ハリー」と読ませることにした人もけっこういたらしい。
「王」姓の人は「きみ」と変換された。悪くはないが、「王公君」のような名前の人は「きみきみきみ」と読めてしまうので「キング」と改めたようだ。それやこれやでキングさんが一気に十万人ほど増えたという。
日本人の姓名は訓読みが多いものの、それでも思わぬ名前に変更された人々が三千万人ほど改名を希望したため、慌てた政府は急遽閣議決定を行い、「真にやむを得ない事情がある者のみ」申請を許可する旨を発表した。
第一章 オフィスにて
東京都庁総務局総務部、すなわち、あずまのみやこのこうよろずのつぼねよろずのつかさで、二人の官僚、いや、つかさびとが多くの書類を、いや文を調べている。敵性言語禁止法案、すなわち、「かたきことのはのいましめの法」が出されてからはや一年。漢語由来の言葉が使えなくなり、一年経っても世の中は大混乱が続いている。今や役所の事務員の最大の任務にして頭痛のタネは、旧態依然とした漢語を使って書類を出してくる輩に対し、「正しく麗しいやまとことば」を指導し、その発展と定着に努めることである。そのために政府から膨大なあんちょこ集まで下賜されている。すなわち、漢語大和言葉対比表(「からことばやまとことばよみかえのくだしぶみ」、略して「からやま」)。こうしてひがな一日、「からやま」を駆使して検閲訂正をしているものの、毎日毎日数百件、数千件と誤った書類が提出されると、叩いても叩いても湧いて出るボウフラのようなもので、真に賽の河原に石を積むとはこのことかとの思いがこみ上げてくる。
「国税庁は民部省になったんだって教えたら、今度は民部省税務署って書いてきたよ。民部省の主計寮だって何回言ったら分かるんだ!」
「これもダメです。『新年度の諸設備予算申請』って前のまんまじゃないか。ええと、『年替わりののち、もろもろの備えの掛かり伺い』と」
「『年次有給休暇申請』もダメ。『この年の禄あり休み伺い』に書き直し」
「こっちはカタカナの使いどころが慣れていない。『入館手形発行申請』って来てるけど、『出入りカード振出し願い』ですね」
「『リタイア願い』、これは正しい。退職、離職、辞職は全部音読みで使えないんだ」
「ヤバい、締切が明日なのにまだこんなに残ってます」
「俺のはもう少しで終わるから手伝うよ」
「すんません」
などと言葉を交わしているのは、東京都総務局総務部次長・佐藤亮輔と武藤丈係長、ひらがな表記をすると、あずまのみやこのこうよろずのつぼねのよろずのつかさのすけ・すけふじすけすけと、よろずのつかさのじょうのたけふじたけ。
「……」
「……疲れた」
「……うん、疲れた」
「……ちきしょう、武藤丈(むとうじょう)って名前好きだったのに、『たけふじたけ』かよ」
武藤は疲れると決まって同じ愚痴を言う。
「総務課係長が『よろずのつかさのじょう』でしょ? なんで俺の名前の『じょう』がだめで、職名の『じょう』はいいんっスか?」
「官職名を聖武天皇の時代に戻したんだから仕方ない。四等官、かみ・すけ・じょう・さかん(部長次長係長平社員)て習っただろ」
「それでいいんっスか? 総務部次長・佐藤亮輔ってカッコよかったのに、今じゃ『よろずのつかさのすけ・すけふじすけすけ』、ですよ?」
「うるさい。俺が喜んでると思ってんのか」
「公務員なんだから率先して改名を受入れろって言われて……」
「公務員じゃない、おおやけびとだ」
「俺だけならまだいいっスよ。息子の名前まで」
武藤の息子は蓮と言うのだが、訓読みの掟により、「れん」から「はす」に強制改名させられてしまった。
「何やってんの〜! 二人ともしけた顔して」
華やかな声が事務所に響き渡った。佐藤と武藤はそれを聞いてホッとした表情になる。いつも明るく元気な部長の李桃花だ。彼女は台湾系だが李姓のまま祖父の代から帰化していたので公務員、いや、おおやけびとになれたのだが、有能で努力家で人当たりが良かったため、昨年、女性初の東京都総務局総務部長、もとい、あずまのみやこのこうよろずのつぼねよろずのつかさのかみとなったのだ。ちなみに名前は「うるやま」で「すももももはな」と変換された。
「そろそろ丑の刻じゃない。メシに行こうよ! 来々軒」
「あ、来々軒じゃないっす、屋号変わりましたよ」
「おっと、そうでした、コイコイ屋になったんだっけ」
「ああ、腹減った。名前はともかく、あそこの飯は本当に旨いよなあ」
「行こう、行こう」
毎日八方塞がりの書類チェックをしている身には、楽しみと言ったら食事だけである。三人は連れ立って職場近くのコイコイ屋に向かった。
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