利他と流動性:ディレクターズカット

小林TKG

小説

6,600文字

最初は違うタイトルで考えてました。映画ロブスターにあやかって監督の名前のランティモスにするつもりでした。

田舎のばあちゃんが風呂場で転んでバスタブの縁に頭を打って死んだ際、だから、母親の母親が死んだ時、お寺からお坊さんが来て、お経を唱えてから、

「亡くなられた方の為に、亡くなられた方を想って手を合わせてください。それが亡くなられた方があの世、極楽浄土に行くまでの道程を照らす光となります」

というような事を言った。おおよそ。おおよそこのような事を。あの時ICレコーダーとか持ってたらなあ。おおよそこのような感じの事を。子供ながらに私はそれを聞いて、そうなんだ。って思った。

手を合わせるってそういう事なんだ。勿論宗派とか地域によって多少の違いはあるだろうし。私はばあちゃんちが何の宗派だったのか知らない。でもとにかく、死んだ人を想って手を合わせるってそういう事なんだなあ。

なんにでも意味があるんだなあ。って、そんな事を思った。

 

 

ある年の一月一日、私が、我が家が、うちの一族が、私や姉が生まれる前から御世話になっている。本当にがっつりお世話になっている。頭の天辺から尻尾の先、爪先、踵まで、じゃぶじゃぶに御世話になってる御寺の、御住職、先生が、先生と呼ぶのは私。死んだ両親や姉は違う言い方をする。した。両親と、それ以前、とっくの昔に死んだ祖父母は、東海林さんと呼んでいた。姉は翁と呼んだ。私は先生と呼んでいた。

敷地内に御寺とは別に内科医としての病院も経営されていた。だから先生。

その先生の下に御正月、新年の御挨拶と、並びに、敷地内に無償で車を止め、駐車させていただいている。死んだ両親の代からそのような事を、容認、許容、いただいており、これで、これが故に、本当にじゃぶじゃぶに御世話になっている。

その事への感謝の意、印としてお米券(お金は受け取ってくださらない)を持参し、新年の御挨拶を述べさせていただいた後、先生が私をその部屋、先生と奥方様がテレビを観ながら、おみ足を入れておられる炬燵のすぐ近く、側まで私を手招いて、耳元で、

「死んだらどうなりたいですか?」

と、お尋ねになられた。

私は、特に考えず近々にHuluで観た映画の事を思い出して、

「ロブスターになりたいです」

と答えた。ロブスター。ロブスターになるのかと思ったらならなかった映画。

私がそう返すとは思ってなかったのか、先生は少し笑って、その後すぐに、

「ロブスター……ロブスターですか」

と小さな声で仰った。

 

 

小屋から出した四本脚の椅子、ダイニングテーブルとセットでイケヤにでも売ってるような椅子を、外の地面、砂、砂浜の砂の上に、もう知らねえ構うもんか、と突き刺すように置いて、それに座って眼前に広がる海、見渡す限り広大な海、大きな海を眺めた。

風が強い。海からの風、海風の強い場所であった。

小屋の冷蔵庫に入っていた瓶のスミノフアイスを一口飲んで、二口目で瓶の中身の殆どを飲んで、三口目で飲み切ってから、空になった瓶を小屋の方、背中側に放り投げた。そんですぐに二本目のスミノフを開けて、それから、

「これからどうしたもんか」

と考えた。また、

「これはどうしたもんか」

等の事も考えた。

風は強かったが、そこ、その場所は天気が良く、空には雲一つない。太陽は空の上の方でこれでもかと照っている。足先からじんわりと、砂に、地面に籠っている熱が、暖かいのが這い上がってきている。

青空。抜けるような青空。何かのきっかけで天地が逆転したら、掴むものも無く落ちていく。どこまでも際限なく落ちて行きそうな。そんな青空。

眺めている海は穏やかだった。風が強いにしては随分と穏やかだった。そう見えた。不思議な気がした。そういう現象にも何か名があるのかもしれないが、知り得ない。知る術もない。

海の近く、今自分がいる場所よりももっと海の近く、若干赤く見える砂浜の砂に空の色と同じくらい青い水、海水、波、それが飛沫を上げる瞬間白く輝いて。私はそんな、そういう場所に居た。居ました。そういう場所に椅子を置いて、

「これからどうしたらいいんだろう」

等と考えていました。

それなのに考えれば考えるほどどうでもいい事が頭に浮かんでくるのでした。

アメブロの事とか、インスタの事とか、マストドンの事とか、なろうや星空文庫、魔法のiらんど、ノベルアップ+の事とかです。

大井町ヨカドの前で三線を演奏していた知らないおじさんの事とか、田町のコミックバスターが閉店していた事。新宿御苑の入場券が値上がりしていた事。新宿の後に行った昼の神田の人のいなさ、過ごしやすさ。浜松町から乗ったモノレール。日本橋の映画館でマルチバースの映画のチケットを買おうとしていた時、不意に隣にいた知らないおじさんが話しかけてきた事。秋葉原の炊き込みご飯屋さんでお酒を飲んだ事。そこで猫耳をつけたロボットがビールを運んできた事。カラオケで案内された部屋がトイレの無い階だった事。

そういった事が脳内、あるいは心、心室、もしかしたら外付けHDDかも。私の中か外の何処かで浮かんでは沈み、また浮かんでは沈み。顔を出しては引っ込み、出しては引っ込み。モグラたたきやワニワニパニックの様に。出ては引っ込んで、出ては引っ込んで。眼前に広がる海の波のように。寄せては返す波のように。

 

 

先生に新年の御挨拶をさせていただいた後。同月の下旬。なんとなく自身の体に違和感を覚えた為、先生のやっておられる病院に伺いますと、

「色々な数値がおかしいし、結構な脱水症状も起こってる。足も浮腫んで鬱血してるし、おそらくとても危険な状態です」

先生の御子息、今はもう病院も御寺の方も殆どをその御子息が回されていた。その御子息が顔色を無くされてそう仰った。

「ここではどうにもなりません。すぐに総合病院に連絡します。入院の手続きが必要になると思います」

そう仰られつつ御子息は傍らの電話に手を伸ばそうとしていた。

それを受けて私は、

「わかりました。ですが、今日は一旦帰らせてもらっていいですか。入院は二月に入ってからにしてもらいたいんですが」

と述べた。それにより御子息は顔色をより一層悪くされた。

その後の事はあまり記憶、意識、脳内、心室、私のどこか、内か外かの何処にも残っていない。

川向こうの運転免許センターの近くにある総合病院に救急車か何かで搬送された。らしい。らしいっていうのもなんか違うな。よく覚えていない。覚えていないっていうか、なんだろうな。そのとき私は、

 

 

検査の結果は癌であった。

父が死んだのと、いや、直接の原因だったかどうかはわからない。

とにかく父と同じ癌であった。

父と同じ癌。父と同じところに癌。直腸に癌。直腸癌。腫瘍。悪性の。それはそれは立派な。赤子のような。まるで瓜のような。道の駅に売ってるような。夕顔のような。夕顔サイズの癌の腫瘍。悪性の。そういうのがあるんだという。

 

 

父の直腸癌は手術で切り取られた。腫瘍の切除手術を行った際、ものすごく血が出たんだそうだ。じゃぶじゃぶ出たんだという。だもんで、一回の手術では全部とれなかったらしい。

その後、暫くして病院から帰ってきた父はものすごいスピードで老いた。私の印象、見え方かもしれないが。でも老いた。すごく老いた。腐り始めた食べ物のように一気に老いた。

毎日欠かさず歩いていたのにそれを止めた。

食にもそれなりに拘りがあったのにそういうのも止めた。そもそも何も食べなくなった。

歯が抜け落ちた。家から出なくなった。首の皮膚が老いた。手指の皮膚が老いた。毎日寝て過ごすようになった。寝たきりになった。起きている時はほとんど俯いていた。生きていること自体が辛いという感じで溜息ばかりついた。母との言い争いをしなくなった。

「全部俺が悪いんだ」

そう言うようになった。それが口癖になった。

何も食べなくなって、何もしなくなって、どんどん痩せていって、その結果の二度目の入院の際、点滴だけでもしないといけないっていう入院の時、その時に父は死んだ。夜中に死んだそうだ。死に目に会えなかった。

父はガリガリになって死んだ。鳥皮の唐揚げみたいになって死んだ。干からびたようになって死んだ。干物みたいになって死んだ。アジの開きみたいになって死んだ。

そら死ぬだろうなと思った。いや、そら死ぬよ。死ぬ。

 

 

砂の上に直接四本脚の椅子を差し込むように置いてそれに座ってビール、冷蔵庫から出したコロナビールを飲みながら、すぐそこに広大に、雄大に広がる海を眺めていた。

一体何をどうしたらいいのかもわからず、ただ海を眺めていた。

相変わらず天気が良い。風も強い。それに比べて海、波は穏やかで。

自分もビールを飲みながら相変わらず椅子に座って海を眺めて、海の水、海水、綺麗な、ロスト・バケーションとか、OLDの舞台の様な、波、海、その時その中に何かが見えた。

最初は藻か海藻か、何かそういうのに見えた。

「先生……」

それは父や母の葬儀の時に、家にお越しになられて仏壇の前に座って木魚やおりんを叩かれた、恭しく経文を御読みになられた、黒い外套の様な袈裟、僧衣、法衣を御召しになられていた、読経を終えてからも少し留まってくださって残った我々の事を気遣ってくださった。出した日本酒を、天寿をなまはげの様に一杯だけ御飲みになって御帰りになられた。

「先生っ」

その得体のしれない場所、気が付いたらここに居た。何もわからなかったがとにかく居た。ここにあった素晴らしい景観、海の、海水、波の中に、波間に先生、先生が。父と母の葬儀の時に着てこられた黒い外套の様な、袈裟、法衣、僧衣を御召しになられていた先生が、

「先生っ先生っ」

私は弾かれた様に、カタパルトから射出された石や岩の様に先生の下に走った。

「先生っ」

先生の御召しになられていた黒い外套の様な袈裟、法衣、僧衣が、それが水、海水、水中に漂い、揺れて、形のない形を作っていた。まるで大きな海藻の様だった。

「先生っ、大丈夫ですか、先生っ」

陸地と、砂と水、波の間をどっちに行くともなく揺れ動いている先生の両脇に手を入れて、引っ張り上げて浜に引き摺っていったが、

「嗚呼……先生、そんな」

しかし力なく砂浜の砂の上に横たわる先生は、先生は御顔は、御仏の様に半眼でその下に見える眼は灰色、乳色に濁り、濁り切り、口を開けて、

「どういう、なんで……」

死んでおられました。先生は死んでおられました。事切れておられました。海水による膨張はありませんでしたが、もうとっくの昔に死んでおられたようでした。その様を見れば何をするまでも無く、誰でも死んでるとわかりました。

私はそんな先生を背負って小屋に戻り、先生の御遺体を慎重にベッドに寝かせてから傍らの床に座り込んで、それで、それから、そのまま何も考えられなかった。何も、何一つ。ただ涙は溢れ出した。とめどなく。じゃぶじゃぶと。拭っても拭っても止まらなかった。

 

 

床に座ったまま暫く先生の御遺体を眺めるともなく眺めている時、気が付いた。先生の御召しになられていた黒い外套の様な袈裟、法衣、僧衣の胸元から何か、紙か、何かがはみ出していた。

失礼を承知で、それを、その紙を破れないように慎重に引き抜くと、三つに折り畳まれた一枚の便箋であった。中を検める。書いてあった文字は海水によってだいぶ滲んでいたが、辛うじて読むことは可能だった。

 

私は私の事を本当に心から想ってくれていたその方が亡くなられたと、亡くなったと聞いた時、そのあまりの衝撃に自身を見失ってしまいました。そんな状態のままあげた経が、冥福の祈りが、願いが、供養が、その方を極楽浄土に送るまでの途上、道程に導いたとは到底思えず、故にその責任を取り、ここに自らの命を絶つ決意を致しました。

願わくば、この身の死がその方の元へ届きますよう。高瀬秋口を偲び、東海林風海林記す

 

そう書いてあった先生の御遺書を読み終えた時、また自分でもコントロールできない感情の高まりが発生しました。そして、このままでは必ずまた落涙すると思ったので、

「ああああああ」

という大声を出した後、その御遺書を丸めて自分の口に中に入れました。塩辛っ。死ぬほど、脳溢血で血管切れるほど塩辛かったけど吐き出すような事はせずに我慢して飲み込みました。それから、

「先生、好きです」

「ずっと好きでした」

「子供の頃から」

「ずっと好きでした」

御遺体になられた先生に告げた。

そのあと先生の御遺体を犯した。先生の股座についていた、もう何だかわからない、皴皴の、象みたいな皮膚感のものを咥えた。赤子とか幼い子供にするように頬ずりもした。小屋に転がっていたチェキで写真も撮った。ツーショットとあと先生に自分のチンポを咥えてもらった状態で先生の手をガムテープでピースの形にして。そのあと先生の開いた口にスミノフだコロナビールだジーマだスカイブルーだ鏡月アセロラだって無茶苦茶に入れてから、それを啜った。

 

 

気が付くと床で寝ていた。起きてベッドを確認すると、寝かせていたはずの先生の御遺体が無くなっていた。先生の御遺体があった所には先生が御召しになられていた黒い外套の様な、袈裟、僧衣、法衣だけが残っており、その上に小さな蟹やら小魚、海藻や小海老やらがまるでタイドプールの様な有様で踊っていた。小さい蟹を捕まえて、小屋にあった虫かごの様な形のものに入れてそれにロープを括りつけてから、小屋から少し離れた所にある他と違う、ちょっと高い崖みたいになってる所から海に投げた。他の生物群は小屋にあった水槽に海水を入れてその中に何も考えずに入れた。

暫くしてからロープを引き上げると、かごの中に入れた蟹の代わりに大きなロブスターが蠢いていた。小屋にあった鍋に海水を入れてから火を起こし、鍋をかけ、捕まえたロブスターを丸ごとぶち込んで茹でてから食べた。冷蔵庫のビールと一緒に食べて飲んだ。

「くうううう」

うまい。最高にうまい。極上にうまい。

ロブスターの一部をかごに入れて海に投げ入れ、また暫くしてから引き揚げてみると再びロブスターが一匹丸ごと入っていた。あと魚。ロブスターとなんか知らない魚。

「先生、これで多分なんとか、なんとなく生きていけると思います。生きていけそうです」

先生に感謝した。地面に両手両足、両膝をつけて砂浜の砂におでこを押し付けて長いあいだ海に向かって祈り続けた。先生の事を想ったし、なんとなく父や母の事もお願いします。とも祈った。なんでもいいです。先生がいらっしゃればきっと大丈夫。大丈夫ですから。どうか。どうか。

私は出来うる限り長い時間そこで祈り続けた。感謝の意を示し続けた。

 

 

小屋の中にCDラジカセと水カンさんの『ジパング』があった。だもんで私は『マッチ売りの少女』を聞いた。リピートして何度も聞いた。ずっとマッチ売りの少女を聞き続けた。聞きながら子供の頃の事を思い出していた。

 

 

子供の頃、『レナードの朝』という映画を父と一緒に観た。観終わってから父は、

「二度と観たくない」

と言った。父の言葉で言えば、重い、という事だった。それからあと、

「最後に看護婦が出てきたから」

あれに救われた、とも。

私は父と違う事を思った。

「絶対にこうなりたくない。起こされたくない。生涯あのままでよかったのに。起きた時死ねばよかったのに」

父の死ぬ間際も、同じような事を思った。

「どうしてもっと早く死ななかったんだろう」

こんなになるくらいなら。

鳥皮の唐揚げみたいになるくらいなら。

干物みたいになるくらいなら。

アジの開きみたいになるくらいなら。

どうして。もっと早くに。

あと、今は、今はこう思ってる。

これが夢であれ何かの投薬による幻覚であれイカれたキチガイの妄想であれ、あるいは現実であれ何であれ、別にどうでもいい。なんでもいい。なんでもいいからこのままでいたい。ずっと。ずっとこのままがいい。最後までずっと。

これがもし、今のこの状態が終わりを迎えたら、それは、そこは地獄。それが地獄。それこそが地獄。

生きてる事が最も辛い。今まで生きていた所が最も地獄。

ここが、今が、絶対に、間違いなく、一番、しあ

2022年8月21日公開

© 2022 小林TKG

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