金と嘘

秋山優一

小説

5,141文字

森田という男がある一人の女性に狂っていく話

題名「嘘と金」

 東京新宿の夜の繁華街。この辺りには風俗関係のビラの広告が貼ってあったり、それにヤクザ風なチンピラに、肌を露出した外国人と、特に夜になると新宿という場所は子供にとって教育に悪い一面をみせる。
 欲望の渦巻くこの街で、老人が腰を少しまげながらトボトボと歩いていた。
「あったあった。ここだ」
 老人は背広のポケットに手を突っ込むと、にやつきながらお店に入った。
 老人の名前は森田戯二という芸能プロダクションの代表取締の社長をしている。若い頃の森田は芸能人のマネージャーをやっていた。色んな芸能人の仕事を取ってきては、様々な有名芸能人を輩出させて、前の社長に苦労を買われたので、新しく作った芸能事務所の社長に任命されたのである。
 社長になった森田は、社長になってからも真摯に働いた。後に嫁も貰い、子供もできたのだが、森田の帰りが遅いのと、女癖が悪く、時折芸能事務所に所属している売れない十代の女の子に手を出したりしていて、その他にもいろいろと複数の女性との関係を持っていた。
 それから森田が外で女を作っていることに、嫁も薄々とかんづきだし、離婚まではいかなかったが、嫁とは他人行儀の日常生活を送り、冷めた夫婦生活を四十年近くも続けてきた。次第に森田の愛人関係を結んでいた女性も、実は自分を愛しているのではなく、愛しているのは自分の財布と権力なのだと気付きはじめ、空しくなってしまい、複数の付き合っていた女性達との関係を自分から切ってしまったのである。
 金を持て余し、暇をもてあそんでいた森田はひょんなことから新宿のキャバクラ「胡蝶の夢」で、関口操という二十代前半の若い女性に出会い、森田は操の若さや包容力に惚れてしまい、週に何回か「胡蝶の夢」に通っている。
 お店の中はテクノ系の若者のよりの音楽が五月蠅い。直ぐにボーイがやってきて、丁寧に頭を下げた。
「森田様ですね。操ちゃんは三番テーブルに座っております」
 ボーイは森田をすみやかに案内してくれた。
 三番テーブルには、小柄で胸が大きく、それに赤いドレスを着た女性が愛嬌をみせながら森田に向けて小さく手を振った。
「森田さんきてくれてありがとう。嬉しい」
「操ちゃん会いたかったよ。おじさん寂しくなちゃってきちゃたよ」
 三番テーブルの椅子に森田が座る。
「それではごゆっくり」と、ボーイが軽く頭を下げて、二人の前から去った。
 操は森田の体にすり寄ると、ドンペリを飲みたいとせがみ、早々とお店についてからドンペリ二本も頼み、その他にもフルーツの盛り合わせを頼んだ。その豪快ぷりには他のお客も驚くものがあった。
 森田がドンペリを飲んでいると、不意に酒が背広にこぼれてしまった。それをみた操は自分の持っていたハンカチで拭いてあげた。
「森田さん高い背広を着ているのに駄目じゃない。お酒をこぼしちゃ」
「悪い悪い。暗いからこぼしちゃうんだよ」
 辺りは暗く、それにテクノ系の五月蠅い曲と、ミラーボールが唯一の明かりであり、どうしても目がチカチカしてしまうので、落ち着ける場所ではない。だが、森田が何よりも嬉しいのは自分が飲んでいて、こぼしてしまったお酒を優しく拭いてくれた行為がなによりも嬉しかった。
 操は森田の今まで付き合ってきた女性達とは一味違っていた。そこには気配りと愛情があった。
 操は必ず森田が帰る頃になると、脱いでいた背広を着させてくれたり、口元になにか着いていたらそれを取ってくれたりと、他の女性にはない森田に対する真心があった。そしてその真心には女性に対して不能だった感情が直ったことに、操にはいくらでも金を貢いでやりたいと思うようになったのだ。
 操がハンカチをテーブルに置くと、グラスを持って気品よく酒を飲んだ。
「森田さんてどんなお仕事をしているの」
 自分の仕事について森田はまだ操に話していなかった。どうしようかと暫く悩んだ末、少し躊躇いながらも、話すことにした。
「芸能プロダクションの社長をしてるんだよ。大した仕事じゃないよ」
「それはすごい仕事じゃない。それなら色んな芸能人に会えるてこと」
「まあ、そうだね」
 はしゃいでいる操を見て森田は一瞬顔が綻んだが、しかし昔のマネージャーをしている時と、今の社長の仕事には、何処かやりがいが感じられずにいた。昔は自分の手掛けたタレントや芸能人が躓きながらも、その人がもつ個性や能力をうまいようにメディアに売りだしていき、それが結果として様々な芸能人を輩出していくことが喜びであり、森田自身苦しみながらも、売れない芸能人やタレントに仕事を取ってくることに達成感を獲ていた。しかし、社長になってからは、ただ椅子に座ってプロダクションにかかった経費や書類に目を通し、書類に判子を押すだけのなんとも頭を使わない日常に、森田はあの頃に戻りたいとおもうことがある。
 操と一緒に森田は笑っていたが、自分が虚しい存在になっているのは確かであった。森田の表情を読みとったのか、操は話しを変えてきた。
「私、森田さんと今度外食したいな。ねえ、駄目」
「いいけど、またどうして」
「森田さんのことについてもっと知りたくて」
「え、こんな老い耄れのことなんか知っても、時間の無駄かもしれないよ」
 森田人生ではじめて女性に対して謙虚になっていた。それも操を女性として意識しているからだろう。
「時間の無駄なんかじゃないわ。自分の事を話したくなかったら、無理に話さなくてもいいの。だから私とデートしてくれませんか」
 操の甘い言葉に自分の歳を考えた。操は二十代前半であり、自分は老人。一緒に歩いているだけでも、とてもじゃないがカップルとはいえない。けれども操からこんな言葉が出てくるとはおもわなかった。
「今度一緒に夕食にでも食いにいこう」
「やった私うれしい」
 森田の頬に操は軽くキスをした。
 それから森田は何杯も酒を飲んでは気分がよくなっていた。キャバクラの閉店時間がさしかかり、森田は帰る身支度をはじめた。
 ボーイに料金を支払うと、操はドアの前で森田を見送ってくれた。
 操は自分のテーブルに置いてあった、背広を拭いたハンカチをゴミ箱に捨てた。
「汚い。いい年こいてちゃんと飲めないのかよ。新しいの買わなくちゃいけないじゃん」

 日が沈み夕方になろうとしていた。森田は自分の仕事を早く切り上げ、約束した公園で待ち合わせすることになっている。
 公園には浮浪者がいたり、それに男性同士が手を握りながら歩いていた。夜になるとこの街の色が出てくるのである。
 暫く操が来ないのでスマホをいじりながら暇を潰していた。外食はどこがいいのか見当もつかず、ただ森田思い巡らしていた。なんせ、ここ何十年もプライベートで女性と食事を一緒にしてなかったので、何時ものお客を接待する料亭でいいかと考えが雑駁していた。
「遅いな」
 三十分しても来ない操にイライラしていた。
「森田さん」と、遠くから声がした。
 白いワンピースに、赤いハイヒール、ブランドバックを手に持った操が微笑みながら森田に手を振った。
「遅かったじゃないか。心配したよ。もうこないとおもったよ」
 操は軽く森田の肩を叩き、森田の腕に手を通してきた。
「ごめんね遅れちゃって。化粧に時間かかっちゃたのよ。森田さんとデートできることが嬉しくて、つい張り切っちゃたの。怒らないでね」
 操が森田にウインクすると、森田の憤懣も徐々に治まってきた。しかし、『化粧に時間がかかった』とは言うものの、何時もと変わらない薄いメイクと、それに操の服からお店で働いている時につけている香水の匂いがした。何処に自分の為におめかししたのか、森田は疑問を感じた。
「森田さんどうしたの」
 森田は我に返り、薄くハゲた自分の頭皮を優しく撫でた。
「仕事のことで考えごとしてたんだ。あいつにまかせて大丈夫かなって。そうだ、そろそろお腹も減ってきたから操ちゃん行こうか」
「森田さんて本当に仕事熱心なんだから。今日は仕事ことなんか忘れて楽しみましょう」
 森田はこの時、余計な穿鑿をしてはならないと、自分に言い聞かせた。それはもしかしたら自分との約束の時間までお店で働いていたという疑念と、それに恋人と遊んでいて遅れたという猜疑心が、森田自身を悩ませた。けれどもこの考えには真実性はなく、ただ自分の嫉妬心がそう物事をとらえていると、無理矢理自分を納得させた。
(昔はさんざん女を泣かせ、金を使って悪いことをしてきたじゃないか)
 森田は急に笑顔になった。操も森田の顔を見て笑顔になる。
 周りからしてみれば親と子に間違われる。それでも森田は人の目線を気にせず、操と料亭に向かいながら歩きだした。

 有名な料亭に着いた森田と操は料亭の女将さんに座敷に案内され、河豚の刺身や豪華な天麩羅の盛り合わせなど、豪勢な食事が食卓に並んだ。森田は焼酎を二本から三本を女将さんに頼むと、河豚の刺身をつまみながらとっくりの中身すぐに空っぽにした。
 操も焼酎を少しずつ口に運んでいたが、流石に酒には強くないのか、一本あたりで既に酔っていた。
 酔いながら操は森田の体に抱きついた。そして悲しい顔をしながら話しを切り出した。
「森田さん。実は話したいことがあるの。森田さんだから話せるんだけど、聞いてくれる」
「どんな話しなのか言ってごらん」
「親が今癌になってて、色んな治療させたら借金が嵩じゃって医療費が大きくなって。それでどうしてもお金が必要なの。私の稼ぎじゃあどうにもできないから悩んでるの。だからお金が欲しいの」
「いくら欲しいんだ」
「五百万。お願い私の親を助けるつもりだとおもって」
 森田は考えた。別にお金がないわけではない。しかしいきなり五百万という金額を操にあげるのはどうかと悩んだ。が、森田にとって五百万とはそんな大きな金額ではなかった。
「いいよ五百万ね。ちなみに銀行振込がいい、それとも現金のほうがいいかね」
「現金でお願い。そっちのほうが税金もかからないからいいわ」
「分かった。じゃあ今度会った時にバックに現金を詰めて君に渡すよ」
「ありがとう」 
 操は喜びのあまり森田の頬に何度もキスをした。嬉しいようで、又恥ずかしいような感情が森田の心を揺さぶるのであった。
 食ったり飲んだりしているうちに、酒の飲み過ぎで森田はトイレに行きたくなった。
「操ちゃんちょっとトイレに行ってくるね」
「森田さん飲み過ぎですよ。いってらしゃい」
 森田は立ち上がるとトイレに向かった。便器に向かって小便をしていると、なぜか五百万という金額が頭から離れなかった。どこか迷いがあるのかもしれないが、気にしてもしょうがないと、考えることを辞めた。
 マイホースから黄色い水を出し切り、社会の窓を手でしまう。森田は座敷に戻ることにした。
 足下がふらつきながらも、自分の座敷に戻ろうとしていると、なにやら操の話し声が聞こえてくる。
「あのジジイマジで楽勝。すんなり騙されてるの。私の演技力高くない。さとる五百万あったら二人で山分けだからね。あんたをホストで一番にしてあげているのは私なんだから感謝しなさいよ」
 森田との態度とは打って変わって、品のないしゃべり方に、森田は戸惑った。操は大声でゲラゲラと笑っている。一瞬森田は怒りを覚えたが、しかし自分も果たして操に怒れるぐらいに立派な女性関係をたもってこれたのか、過去の自分を照らし会わせても、とても立派なものではない。寧ろ森田は操と似た者同士といえる。そこには騙しあい、相手を傷つけるという都会ならではの大人の男女関係が成立しているからである。
 だからこそ、年が離れていても男女関係ができるのは、権力とお金のお陰ともいえる。すべては福沢諭吉さんの印字された紙を多くもっているかどうかで、その人の価値が決まってしまう世の中ともいえるのである。
 森田は感情を押さえた。そして何も聞かなかったふりをして座敷に戻った。
「おもったよりながった。待たせちゃったね」
 笑顔で入ってきた森田に慌ててスマホの電源を操は切った。
「もう遅いから友達と話していたのよ」
「友達と話していたのか。友達は大切にしたほうがいいよ」
「急に電話かけてくるから、もう困るわ」
 操の額から大量の汗が流れ、鞄の中から新しいハンカチを取り出すと、額を軽く拭いた。
 二人はなにごともなく普通に会話を楽しみ、普通に食事をした。
 操が明日母親のいる病院に行かなくてはいけないらしく、森田と操は深夜になるまえにお互い別れた。
 森田はポケットに手を突っ込み、歩きながら独り言を呟いた。
「作られた愛に、作られた人間関係。いつ俺は本物を手にすることができるのだろう。いや、手に入れられず死んでしまうのかもな」
 胸ポケットから煙草を一本取り出した。煙草に火をつけると、深く吸っては煙を吐き出し、森田は夜空を見上げるのであった。

2022年8月1日公開

© 2022 秋山優一

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