渡海小波津は死にました

渡海 小波津

小説

1,409文字

直接的文体は読み手の理解を遮るのみなのだろうか。直接的文体で現代人の価値感を表現してみました。

渡海小波津は死にました。

 

魚の頭を捨てるようにそれは済まされる。坊主は抑揚なく経を上げ、参列者の大半は親族で彼らもまた淡々と焼香を上げていく。彼は死んだ。

セレモニーというとイベントじみた印象を受けるそれは勘違いなどでなく資本主義に染まった儀式と成り果て、弔問客をいかに泣かせるかという演出ばかり追求 されていく。惜しまれることが死者にとって喜び足りえるのだろうかと疑問が浮かぶ。ある宗派では騒がしく、賑やかにを大事とし華々しく壇上を飾るものもあ り、葬儀とは何か今一度考えてみるとそれはやはり彼のためのものでは一切なく、残った家族や関係者のためのものであった。

 

ポクポクポ ク。彼は物書きであった。それもだいぶ以前のことだ。書かなくなった彼は作り手として完全に死んでいた。何も生み出さない。思い出したように書いてみては 自分らしくないと言った。衰えを感じた時点で彼の物作りは、感性は、生を失っていたのかもしれない。そういった老衰が彼の生の色を失わせていったのだろう か。俗世に落ちたように仕事と休日を無味乾燥なままに繰り返し、子どもアニメの歌のような夢も希望も忘れていたらしい。それでも彼の遺作は電子の波を漂い 続けている。

ポクポクポク。では彼は死んでしまったのか。たしかに死んでいる。動かず、喋らず、考えず――。いや、考えているのかもしれない。 我々は鼓動や瞳孔、脈、脳波、云々から生命活動を生きていると決め、正常に生きているならば考えることもしていると思っているところがある。それらがなく とも考えていはしまいか。それを伝える術がないから周りが考えていないと決めるのであって、考えているかもしれない。しれないがそんなことを言うなり周囲 はおかしいと言ってくるだろう。実証性のないことを人は信じない。幽霊や心霊現象を科学が扱わないように、扱えないように、人もまた信じなく、信じられな くなっているらしい。

ポクポクポク。その名は筆名である。仏葬において戒名を与えられるがそれは仏教徒として新しく生を受けたと考えられないだろうか。死という永遠終止のない苦行の生を続けるのだ。それすら人は信じず、そもそもそう捉えることすらないのかもしれない。

ポクポクポク。ポクポクポク。彼の名をもった彼としての命が終わり、彼の筆名による創作者はそれ以前に生を終えている。では彼は死んでしまったのだろう か。彼のような思考で感性で物を書く者が万に一つの偶然で彼と同じ筆名をつけたとしたらどうだろう。彼と同じ感性で同じ思考で彼が書く物を書く者がいたら それは創作においてたしかに彼ではないだろうか。固有名詞の死、概念の死。これはやはり違う。生きる者として彼が死んでさえ、書き手としての彼は再誕する 可能性を秘めている。それは万が一の偶然的なこと。億が一、那由多が一にしたら彼すら再誕するのではないだろうか。

ポクポク。いやいや、社会というものがある。時代というものがある。綿々脈々と流れるところに時代も社会も超越して生まれ出るということなどありはしない。無が一にもありえることではない。

ポクポクポク。外と内のぼやけた境界線が彼をつくり出している限りやはり彼は死んだのだと思う。同名がいようがデオキシリボ核酸が同じ組であろうが――。少し、悲しかった。

 

ポクポクポクポク。

弔問客の大半は親族で彼らはただ淡々と魚の骨をつついていた。

 

2014年2月25日公開

© 2014 渡海 小波津

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