目覚める頃には

合評会2022年01月応募作品

諏訪靖彦

小説

2,522文字

2022年1月合評会参加作品。お題は「切れてない蛍光灯」
(以前書いた作品をお題に合わせて改稿しました)

 

「次に目覚めるのは一〇〇年後です。目覚める頃にはきっと治療法が確立されていますよ」

最小限に縮まった瞳孔ですらハレーションを起こす程の真っ白な部屋で、蛍光灯の光によって境界線があやふやになった白衣を着た女が俺に語り掛けた。水晶体が厚みを増し適度な屈折率を得て女の顔を捉える前に、女は視界から消えた。

「そうで……あることを……願っています……」

既に首を動かすことは出来なくなっていた。天井の蛍光灯を見つめたまま満足に動かない口を開き、そう言ったつもりだが、女に届いた自信はない。

「それでは、始めます」

女の声が聞こえるのと同時に右腕に繋がれた管からピンク色の液体が身体に流れ込んで来た。いや、ピンク色であることは確認できない。首を動かし確認することは出来ないが、右腕から体幹に向けて流れ込んで来る液体は仄かに暖かく、ピンク色以外の色彩を想像することが出来なかった。

最初はただの発疹だと思った。虫に刺されたか、何かにかぶれたか、もしくは手荒れの類だと思っていた。薬局で買ったクリームを塗るも発疹は治らず、次第に手指全ての関節が赤く腫れあがり、さらには爪の甘皮に点状出血が現れた。仕事帰りに寄った皮膚科の医師から念のためにと言われ取られた俺の血液は、町医者から大学病院へ、大学病院から研究機関に送られ、二週間後俺自身も大学病院に送られた。大学病院の医師は深刻そうな顔を向け自己免疫疾患の難病だと告げた。

病の世紀が終わり、ヒトの平均寿命が一二〇歳を超えた時代において、まさか自分が不治の病にかかるとは思っていなかった。医師から要領を得ない治療方法の説明を受けた後、免疫抑制剤による治療に入ったが、人工幹細胞療法にシフトした医療において、免疫抑制剤による前時代的な対処療法は停滞しており、満足な治療効果は得られなかった。

幸い痛みは共わなかったが、効果の見られない治療は永遠のようで、それでいて次第に消えゆく四肢の感覚に時間は流れていくものだと認識させられた。自己免疫の暴走による体組織の繊維化はつま先から体幹に進み、自律運動可能領域が首から上に限定された頃、白衣を着た一人の男が病室に現れた。男はエメーリャエンコ・モロゾフと名乗った。その容姿と名前から最近平和条約が結ばれた某国から医療交流の一環として研修にやって来た医師だと思ったが、話を聞くとどうやらそうではないらしい。平和条約締結によりこの国に来た事は正しいが、医師ではなくビジネスマンだと言う。モロゾフはベッドの脇に備え付けられた来客用の丸椅子に座り、驚くようなことを語り始めた。

「ハイバネーションをご存知ですか?」

俺は首に嵌められた固定帯を顎で外し、首をだらりと左に傾けモロゾフを見る。その頃の俺は首を動かすことが出来たが、一度動かすと元の体勢に戻ることが困難なため、拘束具と言っていいような固定帯を首に嵌めていた。
「人工冬眠の事でしょうか?」

SF好きなら誰でも知っている言葉だ。俺は仕事をしていた当時、暇を見つけては小学生が夢に見るような空想科学を、小学生の作文のような拙い文章で綴りWeb小説投稿サイトで発表していた。当然、小学生のような発想力と文章力に読者が付くはずもなく、独りよがりな文章をただただ書き続けていただけだったが、それでよかった。誰かに認められたいと言う欲求は勿論あったが、俺は自分の力量は知っていたし、なによりアマチュア作家である俺にとって好きなこを好きなだけ書ける環境があるだけで満足だった。

「そうです。人工冬眠です。はっきり言いますが、現在の医療技術ではあなたは死を待つばかりです。肝臓を除く臓器の大部分が繊維化し、代替臓器によって延命されてはいますが、いずれそれらを繋ぐ血管も線維化してしまうでしょう。そこで提案なのですが、ハイバネーション施術を受けてみませんか? 冬眠期間は一〇〇年が限度ですが、一〇〇年もあればこの病気に対する治療法が確立されているはずです。我が国のハイバネーション技術は他国の追随を許さないほど進歩しています。冷凍睡眠のような冷凍時の体組織破壊や解凍時の血管の膨張などの心配はありませんし、不凍液置換時の血液脳関門の混乱も起きません。ただ……」

「ただ、何でしょう?」

「費用の問題です。ハイバネーションは冷凍睡眠と違い被験者のバイタル管理が必要になります。冬眠期間中、被験者の代謝は落ちますが、生きている事には変わりなく、被験者は常にエネルギーを消費し続けます。その管理費用に……」

モロゾフが言ったハイバネーション管理費用は一般的な労働者生涯年収の数倍に当たるものだった。しかし、それは俺にとって大した金額ではない。退職こそしたが現役だったころ、俺が興した会社から一生遊んで暮らせるほどの役員報酬を受け取っていたし、何より死んだ両親から莫大な遺産を相続していた。どうせ使い道のない金だ。俺はモロゾフの話が終わると同時に言った。

「よろしくお願いします」

 

 

「……さん、……さん。聞こえ……か?」

瞼の先がぼんやり朱色に滲んでいる。目を開けると瞬時に視界がぎらぎらとした黄色に染まる。瞼を閉じてもう一度ゆっくり開くと、スティック状のライトを持った白衣の女が俺の事を見下ろしているのがぼんやりと見えた。

「あ、はい……わ、私は……」

女に向かって言葉を発しようとするが、口がうまく動かない。

「口は動かさないでもいいですよ。目の動きで確認します。目覚めたばかりで口輪筋をうまく動かせないでしょうから」

俺は口を動かすのを止め、女の次の言葉を待った。

「今後の予定ですが、もう一度眠ってもらいます。次に目覚めるのもまた一〇〇年後です。まだ治療法が確立されていませんから」

俺は鼻からゆっくりと息を吐き出す。既に六回冬眠を繰り返している。六世紀経っても俺の病気は治せないらしい。そればかりか、白い天井も医療器具も医療施設服のデザインも、初めてハイバネーション施術を受けた頃と何も変わっていない。それらの機能性は既に六世紀前に完成されていたのだろうかと蛍光灯を眺めながら考えていると、俺の身体にピンク色の液体が流れ込んできた。

 

(了)

2022年1月24日公開

© 2022 諏訪靖彦

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"目覚める頃には"へのコメント 12

  • 投稿者 | 2022-01-25 09:38

     諏訪靖彦さんの「目覚める頃には」は、医療技術が発達した近未来でも治せない難病に陥った男が、治療法が確立される未来に期待して人工冬眠に入る話で、安定感があり、書き手の実力を感じる。/結末は複数の解釈が可能で、わざとそうしたのだろうとは思うが、読者のために、「本当はほとんど時間なんて経っていないのではないか?」「ドッキリか?」「詐欺か?」「本当はもう自分は死んでいて脳のデータだけがコンピューターに取り込まれて生きていると錯覚しているだけなのか?」などと主人公に逡巡させて複数の可能性を提示すれば、さらに読み応えが増したように思う。/前半途中でいったん過去に話が戻って発病時からの経過が語られるが、過去と現在を行ったり来たりする描き方は話がごちゃつくだけであまりメリットはない。発病したところから書き始め、時系列に従って進めた方が読者も物語世界を疑似体験しやすいはず。/いくつか散見されるややくどい表現、もってまわった表現をすっきりさせた上で着地点で一ひねりあれば、例えば小説現代のショートショートコンテストでも採用してもらえる水準だと思う。
    (以下は他の投稿作品についての寸評です。参考になれば幸いです。)

     オニダルマオコゼさんの「蛍光灯を交換する女」は、女性探偵が知人である美術品泥棒から持ち込まれた高価な彫刻作品の消失事件について推理し真相を突き止める内容。/現代小説では一場面一視点が原則とされており、たとえ三人称スタイルであっても登場人物の誰かに視点を固定し、その人物が見たもの、聞いたもの、触れたもの、感じたことなどを描く形で進行させることがいわば約束事となっており、現代のほとんどのプロ作家はその手法を採用している。本作は旧式の作者の視点(あるいは神の視点)が使われているが、新人賞の予選などでは著しく不利になることを承知しておくべき。作者の視点は文章がどうしても説明臭くなり、作者の語り口調を通じて物語に触れることになるため又聞きのような形になってしまって臨場感にも欠けるという短所を抱えている。/話の途中でいったん過去に戻って事件発生時の状況が描かれ、再び現在に戻って、最後に後日談という四段階の構成だが、現在と過去を行ったり来たりする構成は読者にとってごちゃついた印象になり余計な負担をかけるため、たいがいの新人賞で低評価ポイントとなる。現在進行の会話劇の中で事件発生時の状況も伝えることはできたはず。小説現代のショートショートコンテスト入選作などを見ても明らかなように、掌編小説は一場面で描ききる工夫が求められている。/彫刻像の大きさや重さなどが示されていない。石柱に彫る、とあるので結構な重さであり、一人で運べるのかという問題も浮上する。また、彫刻が忽然と消えたという設定ならば、例えば塩や砂糖を固めてそっくりなレプリカを作りそれに水をかけて短時間のうちに溶かして消したのではないか、高性能のホログラム映像だったのではないか、見る角度によっては背景の壁に溶け込んで何もないと感じてしまう錯視トリックを取り入れた彫刻だったのではないかなど、さまざまな可能性を提示することで読者を楽しませるチャンスがあったように思うのだが。/問題の彫刻が億単位の値打ちがあるという設定であれば、保管場所には監視カメラや赤外線感知器が備わっていないと不自然。一般のマンションや企業でさえ顔認証や瞳の虹彩、手のひらの血管模様などを利用したセキュリティシステムが普通に採用されている時代である。警察の捜査状況にも触れておきたい。終盤、事件は窃盗未遂事件として収束したとあるが、持ち出したのであれば未遂ではなく既遂になるはず。
     鈴木沢雉さんの「サステイナブル・ライフ」は、主人公の男性がたまたま知り合った女性と恋仲になり、二人で環境問題に取り組むが、やがて彼女から別れを告げられるという内容。/掌編小説は数分間から数時間、長くてもせいぜい数日間の時間枠の出来事としてまとめるのが基本であり、数か月、数年にまたがる話は基本的に長編の素材となる。そのため、本作の前半部分は小説としての基本が守られているが、後半部分はあらすじを読まされている感じになり、読者が作品世界を疑似体験することが難しくなっている。新人賞などに応募した場合、時間枠についての約束事を守ることは予選通過か落選するかの分かれ道になることが多いことを留意されたい。/女性は環境問題に敏感だという設定であるなら、食べ物(みかん)を粗末に扱ったり蛍光灯を壊そうとする行動は矛盾していないか。軽犯罪ではあるがテロ的行為に走ろうとする女性に主人公が恋愛感情を持ってしまうことについての納得できる理由が欲しい。
     西向小次郎さんの「仕事が済んだら、仕事だぜ。」は、蛍光灯を買うことを頼まれた男が手間賃の計算をしながら行動する話。/落語のような味わいがあり、視点や時間枠なども掌編小説の基本が守られているが、男が何者なのか、自転車で買いに行けば安く済んだのてはないか、この結末でオチになっているのかなど、詰めの甘さを気にする読者が多いはず。例えば、京好糖という地元の老舗菓子を買って来るよう頼まれたのを蛍光灯と勘違いしてしまったが、アクシデントが重なって結果的に京好糖を持ち帰ることになって丸く収まったなど、物語を面白くする方法がいろいろとあったはず。
     わくさんの「ビンスとのおもいで」は、高校時代のちょっと風変わりな同級生と再会したことがきっかけでつき合いが始まり、アパートに居候をさせ、互いに人生の目標を見出すが、アパートの取り壊しによって別れのときがやってくるという展開が主人公の独白によって語られる。/途中で友人ビンスの独特の人生観が提示されるため、読者はそれがオチにどう関係するのか、どういうふうに伏線回収がなされるのかと期待する。その期待を上回る着地点を用意できないのであれば思わせぶりな設定をしない方がいいのではないか。/いわゆるバディものを書く場合、相棒二人の立場や性格がまるっきり違う設定にするのが物語を面白くするための基本的手法。相棒二人が似たような立場で、性格もさほどメリハリがないとなると、どう展開させれば面白くなるのかプロでも頭を抱えるはず。すぐれたバディものの映画や小説がたくさん存在するので、意識して鑑賞すればいろいろと勉強になると思う。
     松尾模糊さんの「残光虫」は、蛍光灯が切れたのでLED照明に変えようと家電量販店を訪ねた男が、謎めいた店員から「その蛍光灯はまだ切れてません」と言われ、手に持っただけで光ったので唖然とさせられた上に、スタッフルームのロッカーが月へのトンネルになっていて……という一種のパラレルワールドもの。/短時間での出来事を時系列に従い最小限の登場人物で描くという、掌編小説の正しい書き方を理解している人で、結構な実力者。最後に明かされる月の光の真相もユニークで面白い。主人公が何者でどんな人生を送ってきたか、なぜ彼が月へと導かれたのか、謎の店員の正体は、などについて読者が納得する説明があるとさらに完成度の高い作品になったのではないか。例えば、店員をロン毛の女性にして、古めかしい言葉遣いをさせ、実は長年にわたってこっそり月と地球を行き来していたかぐや姫だった、そして彼女はついに竹取の翁の末裔を見つけて月に招待した、とかね。あと伏線として、家電量販店の名前をタケトリ電機にしておくとか。
     Fujikiさんの「世界が闇に包まれても」は、白内障で視界が悪くなり、息子から毒を盛られていると感じている資産家の老女が、若い頃パリに美術留学したときの当地での恋人との思い出を回想する内容。/掌編小説は短時間の出来事をできるだけ一場面で描くことが基本であり、本作は主人公の半生という長編小説の素材を掌編に詰め込んでいるため、全体的にあらすじを読まされている印象になってしまっている。掌編、短編、中編、長編の違いは基本的に物語の時間枠だということを留意されたい。掌編として描くのであれば、息子とのやりとりか、パリ時代のエピソードのうちのどれかに絞りたい。/現在から物語が始まり、少し過去の出来事、さらに半世紀ほど前の出来事、最後に再び現在という四段階の構成になっているが、時系列が前後すると読者にとってはごちゃついていて読みにくいというデメリットがあるだけでなく、主人公が結局はどうなったかが冒頭でバレてしまっているので「この後どうなるのだろう」という楽しみを奪うことにもなってしまう。長編小説であれば読者を飽きさせないための工夫として、現在と過去を行き来させる構成が効果を発揮することもあるが、掌編や短編ではデメリットしかないので、特別の理由がない限り、時系列に従って描くことをお勧めしたい(人気があるプロの作家さんたちの掌編や短編をランダムにチェックすればお判りいただけるはず)。
     なお、北川聖さんの「理想的な人生」、ヨゴロウザさんの「ある孤独死の風景」、古戯都十全さんの「あかりを求めて」、大猫さんの「浅草橋銀杏岡八幡神社の殺人」、小林TKGさんの「Luciola,Candela,and Огонёк」、波野發作さんの「Kick me again」は、400字詰原稿用紙5枚以上10枚以下(最大4000字)という規定が守られていないようで、またJuan.Bさんの「愛国講談「聖代奇談大助長州仇恋討」」は〆切りを過ぎてからの投稿のようで、選考対象として認めていいのかどうかという問題があり、コメントは差し控えます。

  • 投稿者 | 2022-01-25 12:16

    もうちょっと長くして何回かループさせたらめっちゃ面白くなるかも、と思いました。何百年も変わらずに使い続けられる技術って、その時点で完成されてますよね。二十世紀以降に発明された技術のうち、どのくらいが残っていくのかと思うとそんなにない気がします。

  • 投稿者 | 2022-01-26 00:02

    諏訪靖彦さん
    モロゾフと言えば破滅派主宰の高橋さんも何か書いていたような。
    最後のピンク色の液体の出来が頗る良くなっていってますね。確かな時間の経過を感じました。

  • 投稿者 | 2022-01-26 00:36

    お題に合わせて改稿したとのことですが、改稿前は蛍光灯が無かっただけなのでしょうか。600年経っても変わらず目を覚ますたびに毎回同じように点いている蛍光灯というのは、個人的にイメージとしては大成功な気がしました。もちろんその間には蛍光灯どころかLEDだってとっくに別のものに取って代わられてるだろうというツッコミは不可避ですが、起きるたびに治療法が見つからず600年経ってるという奇想が、この小道具一つだけでがぜん生きるようになると言いますか。永劫回帰的な、終わらない悪夢の実感が出ると言いますか。なので個人的に、あくまで個人的になのですが他のものが変わってないという描写は無くてよかったかな……とも思いました。

  • 投稿者 | 2022-01-28 17:49

    もうこの人はこういう人ですね。

    そういうオブジェですよね。

    本当に6回冬眠をして、600年経ってるかもわからないし。

    騙されていてもわからないですよね。怖い。600年分の冬眠費用が安いってことないだろうし、お金はあるって言ってるけど。でも、怖い。

  • 投稿者 | 2022-01-29 00:34

    小木田さん、小林さんも仰ってますが、本当は600年なんて経ってなくて、詐欺で眠らされたり起こされたりを繰り返してるんじゃないかとも思える不安なラストでした。
    体が動かないままこんなことを繰り返すなんてホラーですね。
    そして、モロゾフ氏が出てくるとは……。やはりモロゾフ氏はすごい方なので何でもできますよね。

  • 投稿者 | 2022-01-29 17:13

    面白かったです。
    本当に百年経っているのか、小出しで目覚めさせているだけなのか分からないところ、蛍光灯の描写が効いています。本当に騙すのならこんな小技を使わなくても良かろうに、わざわざ目覚めさせてやるところがモロゾフ氏の律儀さですね。逆に百年経っても世界が大して変わらないとしたらそれはそれで怖くて、両面から楽しめる作品でした。

  • 投稿者 | 2022-01-30 10:54

    懐かしのモロゾフ登場! シュールな状況はとてもうまく描けている。変わらない病室の光景は、もともとあらゆるものから感情的にデタッチしている主人公にとっては何世紀経とうが特に意味がないということを象徴的に表している。ただ、眠らされたり覚醒したりを繰り返す状況に対して何か主人公の反応なり思索なりがあってもいい気がする。オチがオチずに放り出された感じ。

  • 編集者 | 2022-01-30 22:52

    字数はまだいけるので、皆さん指摘されていますが蛍光灯も絡めつつ治療法が見つかるなり、見つからないままなりのもう数百年後が読みたいところです。

  • 投稿者 | 2022-01-31 00:52

    他の方の解釈を読んでいろいろと考えさせられています。「口がうまく動かない」という描写からある程度の年数はたったのかなという気はしましたが、麻酔をかけられていればそれも関係ないかなと思いつつ、600年後には蛍光灯はないよなとも思いつつ。
    数百年たってから目覚めたらどんな感覚なのか。たいして以前と変わらないのか。そんなことを考えさせられる作品だと思います。

  • 投稿者 | 2022-01-31 01:36

    毎日起こして寝かせてそのたびに100年分の費用をせしめるんでしょ。ペテン小説超好きです。モロゾフを使うことでペテン感が溢れちゃって、名作でした。

  • 編集者 | 2022-01-31 19:48

    諏訪さん自身の病との向き合い方が作品に込められているのだろうか。
    それはそれとして、描写を信じるとして、六世紀も科学文明が保ってることに安心した。衰退はしていないのだから、人類の未来は一応明るい。

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