ア・カペラ

諏訪真

小説

2,153文字

BFC3応募作。
自分の知らないところで起こっていた冷戦に巻き込まれていた話。

子供にとって、近所付き合いがあるとすれば、それは歳が近い者がすぐ近くにいるかどうかだ。俺にとって、隣近所で歳が近いのは、右隣と向かいくらいだった。その意味で、左隣の家はずっと謎に包まれていた。朝の集団登校で顔を見せない家とは、ほぼ断絶が生じているに等しい。

無論それは俺から見た都合であり、親からすればまた違う世界が広がっている。だがその都合は子供に対して隠蔽され、親同士の思惑や駆け引きが生じているのを知るのは、おそらく同じく親になってからだろうと思われる。

謎の左隣の家についてだが、覚えている限り中学時代まで遡るのではないかと思う。気がついたら隣に我が家より大きい家が立っていた。その前に建っていた家がどんな物だったか思い出すことはもう難しい。その前にどういう家族が住んでいるのかはもう全く覚えていないが、新しく越してきたその家の住人は恐らく育ちはいいのだろうと思われた。

既に中学に入っていた頃には集団登校もなくなり、その家族の子供がどこに通っているのかは知らないままだった。もし隣人の子息が公立に通っているのなら、隣ということもあり同じ中学の先輩か後輩になるのだろうが、私立に通っているのならその限りでもなさそうだった。そもそも町内とか近所とか、俺はその手の付き合いには一切興味がなかったが、反面親は気を使っていた気がする。それは客商売ゆえの必然だった。祖父は特にやかましい。

高校に入る頃になると、よく隣の家から下手くそな鼻歌が聞こえて来た。その主を俺は全く知らない。間が抜けて、抑揚のない音程は聞いていて苛立ちを起こした。ご立派な家の跡取りとしては、妙な頼りなさを感じさせた。

 

そういいつつも俺自身も褒められたものではなく、高校は半分ほどしか行っていない。高校在籍中の大半の期間は家に引きこもり、親とはほぼ毎朝衝突があった。一年目から既に不登校が始まっていて、母親は俺にひたすら怒鳴り散らした。それでも俺は学校には行きたくない日は決して家から出ることはなく、祖父も含めて俺を罵った。終いには部屋に水をぶちまけるほどだが、俺は今でもその仕打ちは忘れはしない。

 

籍だけは残しつつ形だけ高校三年になって間がない頃、左隣の家で事件が起こった。突然、その家主の奥さんが自殺した。死に方については又聞きだが、ガス自殺だったらしい。その直前に、隣の家からなにやら物を投げ合う音がしていたのはかすかに覚えている。その当事者はきっとあの鼻歌の主ではないかという予感がした。あの抑揚のない歌声の主が、俺より甲斐性があるようには全く思えなかったからだ。

葬儀には一応母親が出た。こういう時、内心を隠し通して沈鬱さを装えるのは、我が家において母以外にいなかったからだ。

 

親同士の関係についてその詳細はわからないし死ぬまで興味がないが、それでも妹を経て耳に入ってくる情報だと、何やら件の家と衝突があったと言うことだけは伺えた。

大筋では町内会とかの作法で、俺の祖父と向こうの祖母との間に決裂があったらしい。先方の祖母の方が町内会で圧倒的に実力者であったにも関わらず、向こうを張ったそうだ。そんなもの門構えを見ただけでわかるだろうに、と思うのだがそういうところで敵を作る人間であり、俺は全く同情する気もなかった。気がついたら町内では俺の家は敵だらけだったそうだ。母は塾を営んでいるが、そんな状態で町内が敵だらけとは、少しだけ同情する気も起きないわけではない。それほどの政治力を越してきて数年で発揮するほどの名家でありながら、アキレス腱は頼りなさそうなドラ息子だったのだろう、と勝手に理解した。これも俺の予想だが、きっと町内でも俺の引きこもりのことは既に知れ渡っていた気がする。馬鹿な家族の馬鹿息子という風に。

妹から伺える範囲では、俺と左隣の馬鹿息子についての噂がどんな風に扱われているか、その内容は見当たらなかった。左隣の家にとって、俺の存在はどう扱われていたかは想像に任せるしかない。仇敵の馬鹿息子同士ということで、ひょっとしたら向こうの馬鹿息子から引き合いに出されていたかもしれない、という予感も全く根拠がないものとは思えなかった。向こうの家庭内不和に俺が勝手に引き合いに出され、そして向こうの親が勝手に絶望し、ガス栓を咥えていた。それは俺の勝手な予測だが、その筋書きに違和感はなかった。

 

俺の知らない間に行われていた両家の冷戦も、この結末である種の不戦勝で終わったという予感があった。葬儀に出かける母の内心の喜びは恐らく余りあるだろうが、俺からしたら心底どうでも良かった。

それから程なくしてだが俺は高校の中退を決めた。三年の二学期になって直ぐの頃には出席日数が全く足りず、一日も欠席ができない状況になった。そんな状態で学校に態々出続けるのも耐え難いものがあった。中退を決めた時、驚くほどすんなりと受け入れられた。

俺の進路に拘る理由が消滅していたのだ、と察しの悪い俺でも大体気づいた。今にして思えば、遠回しに隣の家が俺の進路を縛っていたのだろう。

中退後もさらに二年ほど引きこもる生活を続けた。その間も隣からたまに下手くそなア・カペラが聞こえた。そういえば、その家族の名字すら思い出せない。

2021年11月3日公開

© 2021 諏訪真

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