原稿用紙換算で四〇〇枚とか、そんな程度の長さの小説であるが、一日一枚、書いたり書かなかったりしているうちに気づけば三年もの月日がながれてしまった。そのあいだに私は大学院の修士課程を修了し、地方の出版社に就職し、結婚した。
しあがってみるとなんの感慨もなかった。海のものとも山のものともつかないそれは、書いている間こそどちらにころぶかたのしみであったが、最後の句点を打った瞬間に、やはりダメだったか、と、そうたしかに「やはり」と思ったのであった。そうして、「妻の浮気相手に会ってみるか」と、これもどちらにころぶか、というくらいのあいまいな感じで、そんなことばがふいに口をついて出たものだからさすがにギョッとした。
ところがじっさいに妻が浮気をしているかは定かではなかった。一ヵ月に一回とか二週間に一回とか、すこし大きな喧嘩をしたときに、「どうせわたしが浮気していることも知らないんでしょ」と、一箇の挑発の文句として出るそのことばは、どうも挑発以上の意味はないと思え、それに対して私が発する、「知ったことか」という返し刀で、そのやりとりはいつも決着がついてしまうのである。だから、妻の浮気相手は、存在するような、存在しないような、気になるような、気にならないような、そんな存在なのであった。きょうは、だから、気になる日だったのだろう。眠って、明日になれば、その気も変わっているかもしれないと思い、とりあえず眠りについた。
次の日、スマートフォンのアラームで目覚めると、はたしてその気は変わっていなかった。私はじぶんのとなりで妻がいびきをかいているのをかくにんすると、会社を病欠する旨の電子メールを上司におくり、スーツに着替え、通勤用の鞄を持ってそとに出た。で、駅ちかくのスターバックスコーヒーに行き、店員からコーヒーをうけとると、それを持って駐車場の見える窓際の席にすわった。私にはどうするというあてもなかった。ただ、ここですわっているといつか、妻が浮気相手といっしょに入店してくるのではないか、と、ぼんやりと思ったのであった。
もちろん、そんなことが現実に起きるはずもない。ノートパソコンをひらき、きのうの夜に書き上げた長編小説を見直しているうちに、午前が終わり、午後が過ぎた。会社の定時が過ぎ、そとに宵闇がおりはじめた。そろそろ妻が家庭教師に行くために家を出る時間だった。妻は電車をつかうので、この席からだと、妻が歩いてくるのが見えるだろう。そのとき妻の隣に男がいればよい。私はそんなことを思った。書き直しているうちに、目のまえのダメな長編小説は別のダメな長編小説に変貌をとげていた。
十分が経ち、二十分が経った。
だが、駐車場の向こうの歩道を妻がとおることはなかった。
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