次の日の朝、模試の受験票を届けるためにある女子生徒の家を訪ねた。いじめが原因で不登校ぎみの状態にある中学三年生で、石田佳穂という名前の子だ。もう三ヵ月も授業料を滞納していて、親の携帯に着信を入れてもGメールに電子メールを送信しても反応がない上に、この一ヵ月、その女子生徒が無断で塾を欠席しつづけているため、受験票を渡すことが出来ずにいたのだ。模試当日まであと三日しなかったため、速達で送るか、家まで届けに行くかで二十分ほど悩んだが、面倒になった。チラシのポスティング業務のついでに彼女の家のポストに投函することにした。
湿った日だった。
そうでなくても不気味な一帯なのに、より一層気が滅入った。誰かに後を附けられている気がして、道中、何度も振返った。すると、ボロ屋の窓からこちらを覗いている老人が必ず目に入るのだった。首から下がなく、眼だけがぎろりと光るこれは、如何にも性別不明であり、どれも同じ人物に見えた。けっきょく俺は、二十二枚しかチラシを投函することができぬまま女子生徒の家の前に立った。立派な一戸建てだ。庭には絢爛たる松の木が植えられている。それでもどこか、陰鬱なけはいが立ち込めていた。
俺は、ポストに受験票を投函した。そうして足早にそこを立去ろうとしたとき、またもや視線を感じた。今度は頭上からだ。目をやると、二階のカーテンの隙間から顔の半分を覗かせた佳穂ちゃんが見えた。垂れた前髪が目にかかっている。視線が合っても、逸らそうとしない。やむなく俺は手を振った。佳穂ちゃんは、カーテンを開けて大きく手を振った。どうにもこの子は掴めない。
アパートに戻り、シャワーを浴びた。そうして、髪をタオルで拭きながらリビングに入ると、テーブルの上に置いたスマートフォンが青く点滅しているのが目に入った。確認すると、亮介おじさんからの着信だった。留守電を再生すると、昨日のビールの件について話がしたいとのことだった。昨夜俺が送ったメールを見たのだろう。すぐに俺はかけなおした。一コールでおじさんは出た。
「お疲れ様です。津々井校の山崎です。」
「はい、お疲れー!」
矢鱈に溌溂たる声である。
「メールを読んで頂いたようで……。」
「はい、読みましたよ。読みましたとも。……まずね、ぼくの経営している塾では、アルコール類の持込は禁止してます。」
「そりゃそうですよ。そんな球場みたいな言い方しなくても……。」
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