睡眠薬の浅い眠りから目を覚ますのは決まって六時十二分だ。目覚ましがアラームを鳴らす前に大抵起きてしまうから、毎朝いちいちそれを消さなければいけない。
ベッドの中でしばらく携帯を触って、いつものように連絡が来ていないのを確認する。またどこかで飲んでいるんだろう。どおりでマシオさんがいつも寝ている場所に、ここぞとばかりに猫が仰向けになってスヤスヤ寝ているから、わたしは可愛らしいそれを起こさないように体を縮めてベッドから這い出た。
ガラステーブルの上に投げ捨てられていたセブンスターに火をつけてトイレに入り、パンツをおろすと、これでもかというぐらいパンツに赤黒い血がベットリついていてわたしはギャーとなった。ああ、そういえば一か月まるまるセックスしていない。ここのところそれどころではないので、まあいいとしても、もう洗うのが面倒だからとりあえずこのお気に入りのピーチ・ジョンの黒レースは捨てよう、それでいつものようにエフェドリンがたくさん入った風邪薬をぶちこんで、仕事に行かなければいけない。
わたしが東京に出てきたのは今年の三月で、それなりの大学を卒業したもののどうでもいい会社にしか内定を貰えなくて、しがない事務の仕事を与えられた。電話番、コピー、お茶くみ、簡単な打ち込み作業。国際ボランティアとか何か大仰なことをやっていた大学時代の理想から全くかけはなれた赤羽の僻地にあるくたびれたオフィス。その中の、パソコンと電話しかない小さなデスク。どうやらこれが、わたしの二十二年間生きた結果のようだった。
自分が平凡なんだ、ということがこの会社にいるとビシバシ伝わってきたし、だからこそわたしは家の近くにある飲み屋で酔った帰りに、そこらへんの界隈で「ビールおばけ」と呼ばれていたマシオさんに「セックスしませんか」と言ったのかもしれない。その言動が余計にわたしの平凡さを増幅させるものであったとしても、十五個年の離れたマシオさんのチンコは黒くてデカくて、もはやとてもエンターテイメントであって、しかも元俳優だけあって顔も良いもんだから、いつもなら本当に長いなと感じた夜をあっという間に過ぎさせてくれた。そこで怪しげな女だと思われてマシオさんがあの時「セックス? いいよ。しよっか。」と言わずにそのまま帰っていたら、どうやったって今の生活には結びつかなかっただろう。
それで、朝焼けが出てきた空の下、半裸のまま二人で環七道路を見ながら煙草を吸って、他愛ない話をして、つきあうことにして、そしてその日から丁度半年が経った。その間にマシオさんは職を失い、ついでに家とか性欲も失い、アル中になって、わたしは鬱になって抗うつ剤と睡眠薬を飲むようになった。
離婚して子どもの養育費をパチンコでまかなっていたり、保険証を持っていなかったり日高屋で酔っ払って乱闘していたり、喧嘩の時にわたしに「京都に帰れ」と言ったり、金融機関のブラックリストに載っていたり、とんでもない夢遊病で、廊下でうんうん唸ってるマシオさんの一体どこが好きなんだ、まだ二十二歳で若いのに、と皆から問われるけど、ある日、早朝までビールを飲み倒して、八階にあるうちのベランダから盛大に尿をぶちまけている姿とか、その尿が本当に放射線を描いているのを見て、しばらく立ち尽くしてしまったのだった。
マシオさんはそのまま部屋までフルチンで帰ってきて、
「ラララヒーを聞こう。」と言った。それははっぴいえんどの空色のクレヨンのサビの部分だ。皺々のあられもないチンコを降り出したままなのに、その曲がサビ部分になると、マシオさんは嬉しそうに「ラララヒー、ラララフー」、とその華奢な肩と体を揺らして、幸せそうに歌った。それと同時に残尿も床に飛び散った。わたしは大声を出し、腹を抱えて笑った。わたしが、人生で、この「行き場のなさ」とか「どうしようもなさ」とかを初めてわかりあえた、と思えたのは、皿洗いを職業にしている、新代田のこの酔ったおじさんだったのだ。
猫に餌をやって、自販機でコーヒーを買い、そこから早足で歩くと、ちょうど新代田発、六時五十二分の電車が来る。
菊地紀寿 投稿者 | 2019-07-30 12:15
最高です
読んで痺れて笑いました
これからもパンクな文章期待してます