品子と白子とレインボウ

応募作品

大猫

小説

3,970文字

お題は「高タンパク低カロリー」。酒をこよなく愛し、旨い酒肴を楽しむ者として、この世の美味しい食べ物をいろいろと紹介する飯テロのような話にする予定だったのに、気が付けば全然違うドタバタ話に。2019年3月合評会参加作品

管理部経理課の大崎品子は営業課の神田裕樹くんのことが好きなのであった。もう三年ごしの片思いだ。

しかし神田くんの意中の人は総務課の田端香織ちゃんらしい。経理課と総務課のデスクは隣同士。香織ちゃん目当てにぶらぶらやって来る神田くんがついでに自分にも挨拶して行くのが悲しい。一目で好きになった素敵な笑顔を向けてくれるけれどそれはお裾分けだ。香織ちゃんは入社二年目。毎日総務の仕事を一生懸命にこなしている。若くて可愛らしくて素直で明るい子だ。品子がかなうはずもない。誰が三十過ぎの地味なメガネ女なんかに目をくれるだろう。別に香織ちゃんを妬んでも憎んでもいない。ただ、悲しい。

 

十二月、仕事納めもそろそろ近い日、年末のもろもろの資料を作り終えて品子は一息ついた。今夜は会社主催のクルージング忘年会だ。浅草橋から屋形船に乗ってすぐに柳橋をくぐり、ほどなく隅田川に出る。両国橋、清洲橋、永代橋、レインボーブリッジをくぐって東京湾を一周して戻って来る。

楽しいイベントのはずなのに品子はすぐに後悔することになった。席が悪かったのだ。

「今年も無事に忘年会ができて何よりだね! この船を使ったのは初めてだけとすごくいいね。見なさい、この白子は最高級品だよ。スケソウダラじゃなくて真鱈の白子だよ。考えたことあるかい? 贅沢というのは残虐の別名なんだ。白子ってのは生命の源だよ。いつか巡り合う雌と合体して子を成すその日まで、大事に大事にお腹に蓄えとくんだ。それを強奪して腹かっさばいて食らうんだからひでえよな。それなのにこれがべらぼうに旨いんだ。さあ、ポン酢に紅葉おろしをちょっと付けて味わってみよう……ああ、舌の上で薄皮が溶けて極上のクリームが流れ出る……この世にこんな旨いものがあるなんて。その上、高たんぱくの低カロリーだ。それはしらんこった! パンナコッタ、肩こった! わっはっはっは!」

耳元でわめいているのは営業部の渋谷部長だ。飲むと必ず長話になり、つまらない駄洒落を連発する部長の隣になったのは災難としか言いようがない。仕方なく適当に相槌を打っているところへ、そんなに好きならどうぞと皆が白子ポン酢の小鉢を部長に譲る。ご満悦の部長が白子を貪り食う間、ようやく長話から解放されてホッとした品子の耳に、香織ちゃんのキャッキャ笑う声が聞こえて来た。見れば神田くんと香織ちゃんが肩を組んで自撮りをしている。

「おっ、本マグロだよ! 知ってる? マグロってね、生まれたその瞬間から壮絶な生存競争にさらされるんだよ。稚魚の共食いさ。サンゴ礁の海底で兄弟同士が互いに食らい合うんだぜ。まーグロい、なんてね、わっはっは! で、共食いに勝利したとしても周りは敵だらけだ。ごく限られた奴だけが生き残って、獰猛な肉食魚になってイワシやイカやカツオを食ってデカくなるんだ。生まれは熱帯の海なのに日本列島を横目にベーリング海やオホーツク海まで行く奴もいるんだって。気の遠くなるような低い生存確率を突破し、想像を絶する移動距離を泳ぎ切って立派な身体を作り上げるわけだ。君らごときに食われるために蓄えた赤身や中トロじゃないんだよ。その上、これまた理想的な高たんぱく低カロリーだ。有難く伏し拝んでからいただきなさい」

果てるともない渋谷部長のたわごとを聞き流し、皆、カラオケの大画面に目をやっていた。船が揺らぐほどの大音量で、入れ替わり立ち替わり賑やかに歌いまくっている。品子も歌ったらと勧められたが断った。

と、スクリーンの前に神田くんと香織ちゃんが立った。デュエットする二人に冷やかしの口笛が飛んでいる。

「ね、ね、品ちゃん、あの子たち、お似合いだよね!」

人事課の上野さんが振り返って同意を求める。品子は引きつった笑顔で頷く。

そう、お似合いだ。背の高いイケメンの神田くんと小柄で可愛らしい香織ちゃん。誰が見たって若くて微笑ましいカップルだ。喉の奥から苦酸っぱいものが上がって来て口中に広がって行く。それを強いて無視して皆と一緒に手拍子し、サビにかかれば一緒に歌い、最後には満面の笑顔で大喝采をした。無理に笑った頬がこわばり、不自然に細めた目からじわじわと沁み出て来るものがある。悟られまいと好きでもないビールを一気飲みしたがその必要もなかった。品子に注目する者など誰もいなかったのだ。

歌う人、踊る人、笑う人、怒鳴る人、年末の解放感でどんちゃん騒ぎの屋形船。神田くんが香織ちゃんと今度はカメラでツーショットを決めている。フラッシュが品子の目を刺し貫く。もっともモテモテの香織ちゃんは、いろんな男からツーショットをせがまれている。調子に乗った男どもはついでに品子ともスナップを撮る。品子は心ならずも笑顔でカメラに収まる。

 

風があるのか船が少しばかり揺れている。酔いが回ってちょっと気分が悪くなったので、外の風にあたろうとデッキに出た。この寒いのにデッキに出て来る者など他にはおらず、一人手すりにもたれ、次々に遠ざかる両岸のビルの灯りを震えながら見つめた。モーターの爆音に混じってギャーギャー鳴く声は、船の後尾を追っかけて来るユリカモメだ。人が来たので何か貰えると思ったか、ごく近くまで来て飛び回る。

ふと隣に気配を感じて振り向くと、渋谷部長の大きな横顔が見えた。
「し、し、白子……白子……高たんぱくの低カロリー、しらんこった、なんてこった、パンナコッタ……何言ってんだ、俺……ああ、白子って贅沢品だよ……高たんぱく、低カロリー……」

どうしたんですか、と尋ねようとした瞬間、

「こうたんぱくっ、てっ、てーかろりぃぃあー!」

絶叫と共にゲロゲロとおぞましい音を立てて、渋谷部長は海に向かって嘔吐した。高級白子の成れの果ての吐瀉物が暗い宙を飛んで長く伸び、そこへユリカモメが一斉に群がる。

「う、う、うげえええええ!」

背中が波を打ち、上体が手すりからのめり出す。

「危ない!」

品子は咄嗟に渋谷部長のベルトをつかんだが、スルッ、と手応えが頼りない。見ればズボンだけがズリ落ちて、人間の方はまだ手すりから海に乗り出しているではないか。すでに頭が下、白いブリーフが上になっている。慌てた品子は裸の脚に抱き着いた。巨漢の渋谷部長は品子の倍は体重があるだろう。膝のあたりに抱き着いているものの、身体がどんどん滑り落ちて行く。

と、急に眩しい光が差して視界が明るくなった。ライトアップしたレインボーブリッジが巨大な化け物のように二人を跨いで行く。ブリーフの尻が鮮やかな悪夢のように暗い海の上で白々と光った。

その時、渋谷部長が明るさに気を取られて頭を上げた。すかさず品子は渾身の力を振り絞って引き戻した。

デッキの床にパンツ一枚でドシンと尻餅をついた渋谷部長の顔は夜目にも分かるほど蒼白で、襟元が嘔吐物でベトベトに汚れている。

「……うう、気持ち悪いよう……死んだ方がマシだよ……ああ、品ちゃんか……俺は一生白子は食わんぞ……」

うつろに呟いた口元から緑色の液体がドロドロ流れ落ちた。はっきり言って品子も吐きそうだが、こんなところで二人で吐いていても仕方がない。

「とにかくどこかで船を降りましょう。じっとしててくださいよ!」

そこへ幸い誰かがやってきた。品子は手短に事情を説明して部長が海に落ちないよう見ていろと厳命し、船頭さんを探しに行った。

 

宴会場にいた船頭さんに急報して近くで下ろしてもらうように頼んだが、遊覧コースが終わるまでは船を停められないとの返事。品子は血相を変えて食い下がった。

「人の命がかかってるんです。食中毒だったらどうしてくれるんです! 白子を食べて気分が悪くなったんですよ!」

つるっ禿げに鉢巻を巻いた船頭さんは「食中毒」の一言に顔色を変え、とにかくできる限り急ぐからと操船室へ入った。

部長はお台場で船を下ろされ、待ち受けていた救急車に乗せられた。付き添っていた品子も勢いで救急車に乗った。見れば屋形船の船頭さんも鉢巻をしたまま乗ってきた。部長に劣らぬ真っ青な顔色だ。それに続いて神田くんまで乗って来る。どうして? という顔をした品子に、

「大崎さんが俺に部長を見ていろって言ったんじゃない。第一、部長は俺の上司だし」

品子には全然記憶がなかった。

 

過労のところへ暴飲暴食と船酔いで胃袋が反乱を起こしたというのがどうやら真相だった。食中毒ではなさそうだと言われて、船頭さんは心からホッとした顔で帰っていった。入れ違いで部長の奥さんが駆込んで来る。どうもすみませんでした、お世話になりました、と品子と神田くんが並んで頭を下げられる。ベッドに寝かされた渋谷部長はそれを人ごとのように眺めていたが、やがて、うつろな目をしたまま呟いた。

「品ちゃん……醜態晒しちまったなあ……なんてこったい」

「パンナコッタ」

と品子は返事をして帰宅した。レインボーブリッジの下で純白に輝くパンツを思い出しながら。

 

翌日、品子のデスクに神田くんがやって来て、部長は今朝退院して自宅に戻ったと告げた。それから、

「品ちゃんは命の恩人だってすごく感謝してたよ。部長も今度という今度は懲りてもう酒は飲まないって。品ちゃんも災難だったね。でも、さすがの対応力だよね。なかなかできないって、みんな感心してるよ」

品子はうれしかった。部長のために喜んだのはもちろんだが、神田くんが「品ちゃん」と初めて呼んでくれたのだ。

 

それから一年のち、神田くんと品子の結婚披露宴の席で、真っ先にスピーチに立った渋谷部長は開口一番、私は愛の天使です、私が二人のキューピッドなのです、と大真面目な顔で言って列席者を大笑いさせた。

会社のみんな、香織ちゃんも上野さんも、屋形船の船頭さんまで出席した披露宴の献立に、白子は入っていなかったようだ。

2019年3月17日公開

© 2019 大猫

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"品子と白子とレインボウ"へのコメント 14

  • 投稿者 | 2019-03-20 15:37

    何か乗り物が移動しつつある中でのドタバタ劇というのは、心地よいテンポに支えられてグルーブ感もあり、読んでいて素直に楽しい。僕の『嫌な予感』とは違って、具体的な設定と起承転結があり、渋谷部長と品子などの人物のキャラが立っているし、それを引き立てる香織ちゃんとの対比、神田くんへの恋心の行方やいかにという予感を見せておいてからの、白子とパンツ(出た、パンツ!)、終盤に着地点がちゃんと用意されていてホッとさせられます。今年の破滅派の忘年会は、東京湾クルージングで決まりですね。

    • 投稿者 | 2019-03-24 00:36

      長崎さん
      コメントありがとうございます。ぜひとも東京湾クルージングやりましょう。
      台風通過直後のクルージングに参加したら、船内に人間は他に誰もいなくて、ユリカモメだけがついてきました。普通のクルージングに行ってみたい。

      著者
  • 編集者 | 2019-03-21 22:45

    ちょいむかつく渋谷部長が何らかの罰で死ぬのか(それは果たして正義なのか、そもそも人間にそれが認知出来るのか、死に値する罰とは何か、無数の命の塊である白子が因果を呼び覚ましたのか、「シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」とイエスが説いた通りではないか)……と予想して読んでいた自分が恥ずかしい。世の中にはもっと優しさがあった。素敵なお話でした。もっと心に優しさを持とう。

  • 投稿者 | 2019-03-21 23:50

    笑えました。絶対ハッピーエンドにはならないだろうと思って読み進めていたんですが、全てが丸く収まってほんとうに良かったです。大団円ではない方が文学としてはきっと簡単ですけど、でも現実にはそうそううまくハッピーエンドにたどり着けないからこそ、小説は希望であってほしいなとあらためて思いました。品子ちゃんおめでとう、良かったね。

  • 投稿者 | 2019-03-23 03:43

    目に浮かぶような臨場感があって面白かったです。

  • 投稿者 | 2019-03-23 12:29

    こういうドタバタ劇は大好きです。渋谷部長、『美味しんぼ』の冨井副部長みたいなトラブルメーカーぶりに、山岡みたいな蘊蓄がたりにまあ、面倒だことと思いながら。
    実際、「なんであの人にこんなやつが」みたいなケースより、嫉妬もできないお似合いの人同士でくっつきますよね。

  • 投稿者 | 2019-03-24 10:25

    このハッピーエンド、何よりの救いは部長さんでした。ほんとうに良かった。僕は初め、この部長さん痛めつけられてしまうのかな、あるいはハラスメントやっちゃうのかな、と心配しながら読んでいたので、「ムカつくけれどなぜか憎めない」ポジションに収まったことに安堵しました。部長、若手社員にSNSで悪口言われてないといいなあ。。
    一見綺麗にまとまった、簡単な楽しいお話感があるのですが、しかしこの面白さは大猫さんの筆力あってこその面白さだと気がつきました。読み手に難しく思わせないけれど、台詞のひとつひとつ、文章のリズムなど、とても丁寧に書かれた小説だと思いました。

  • 投稿者 | 2019-03-24 13:59

    その昔働いていた会社の歓送迎会で勝どきから出ている周遊船に乗ったことを思い出しました。昭和のノリ丸出しの渋谷部長みたいな人はいませんでしたが笑 親父ギャグにニヤリしながら文章力の高さも相まって肩の力を抜いて読めました。読後感も良かったです。

  • 投稿者 | 2019-03-24 17:58

    渋谷部長、とても好きです。テンポも良くてキャラも立っていて素晴らしいと思います。これは意見の分かれる所だとは思いますが、個人的には最後のハッピーエンドは出来過ぎだなと思いました。品ちゃんには、ちゃんと香織と結婚した神田くんと不倫関係に陥って欲しかったです。

  • 投稿者 | 2019-03-24 19:57

    とても軽快です!テンポよく読めてどこにも引っ掛かりがなく、しあわせな読後感。
    キュートで誰からも愛される香織ちゃんをむなしく見つめる品子、渋谷部長の愛すべきウザったさなど、登場人物が多いにもかかわらずそれぞれのキャラがちゃんとあって、しかも誰も「悪者」じゃない。こんな小説を書けるようになりたいものだと思います。
    そして神田くんに横恋慕の品子ちゃんの心理、表情の描写はわかりすぎてつらいほどです(笑)こういうのをさらりと書ける大猫さんの筆力はやはりさすがですね。
    「ブリーフの尻が鮮やかな悪夢のように暗い海の上で白々と光った。」ここはほんとに頭の中で想像して笑っちゃいました。
    ドタバタ喜劇(と言っていいのか?)を制限枚数の中で過不足なく書けるということに脱帽です。
    あと破滅派クルージングとかめっちゃ楽しそう!!やりましょう!!

  • 投稿者 | 2019-03-25 15:58

    ハッピーエンドで品子と結ばれるんだ…!!とびっくりしました。こういった恋愛小説をテンポよく、活舌よく書かれる筆力はさすがだなと思いました。破滅派クルージングは本当に破滅的になりそうなのでぜひやりたいところですね。

    • 投稿者 | 2019-03-25 22:42

      破滅派クルージングは全員救命胴衣を着て臨みましょう。

      著者
  • 投稿者 | 2019-03-26 02:11

    テーマの出し方がJuan.B作品と丸かぶりしていることに面食らった。しかし、こちらの渋谷部長の話の内容はすごく具体的で、執拗。マンスプレイニングをされる女性社員がうざったく感じる気持ちが読み手もひしひしと実感できる。このリアルさという点一つにおいても、大猫の筆力に軍配を上げたい。渋谷部長はただの不愉快なキャラクターというわけではなく「悪夢のように暗い海の上で白々と光った」ブリーフの尻をさらす道化的存在として描かれ、過労に暴飲暴食という診断を聞くに至っては哀れみさえ湧いてくる。「緑色の液体がドロドロ」なんて彼は一体何を食べたのか? 彼は会社生活で人間性を喪失したゾンビなのか?

  • 投稿者 | 2019-03-26 06:44

    馴染みのあるルートでの物語なのでリアルに読めましたw 破滅派クルージングぜひ実現してほしいですね。今回作品をまだ全部は読んでいないですが、蔓延すると思っていた白子系がまだ本作だけなので、だったら俺もそっち系で書けばよかったなと嫉妬心でいっぱいです。上司のウザトーク大好きです。

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