【回文】
野心噴く山羊似たし、慢心か栄えか無人式の探査機、尊い世界、音遠い火星、尊きサンタの気信じ迎え、傘感心真下に逆噴射(回文38)
やしんふくやぎにたしまんしんかさかえかむじんしきのたんさきとうといせかいおととおいかせいとうときさんたのきしんじむかえかさかんしんましたにぎやくふんしや
【読解】
2029年、世界中で上昇志向を持った民間企業による宇宙開発事業が急速に活発化する中で、各社は岩山の頂点を目指すヤギどものように奮起し、ヤギの糞のように野心を撒き散らしていた。
人類の慢心と、繁栄の結晶であると呼びたくもなるのが、この無人探査機〈サンタクロース〉だ。これは、世界ヤギ保護団体と国際ヤギレース委員会の協力のもと、〈株式会社ナッツの集合体〉という民間宇宙工学企業によって開発され組み立てられた、世界初の無人火星ヤギ探査機で、要は火星上でのヤギの生態、および、そもそも火星にヤギが棲息しているかどうかを調査する目的で打ち上げられたのだ。
宇宙。それは尊い世界である。なぜなら、私たちはみなすべて、宇宙に属し、宇宙に生まれながら、宇宙のことなど何も知らないにひとしく、手が届かず未知であるということは、それだけで神聖なものだからである。
気の遠くなるほどに無限に広がる宇宙の中で、比較的われわれに馴染みのあるのが、太陽系の惑星のひとつ、火星である。とはいえ、それでもやはり遠く、火星のヤギの鳴き声や地球のあなたの話し声は相互に届くことはない。
――こんにちは、ヤギたち。
沈黙。
――きみたちに会いに行くよ。
沈黙。
ヤギ語は、ヤギの発する音声を、場面、状況判断、欲求の推測などに基づいてまず12の表層カテゴリーに分類し、その中でピッチの高低、トーンの長短、ビブラートの揺れ幅、声量の大小、呼吸の強弱によって各カテゴリー内は5〜18の発声色に分けられる。それらの各色からさらに38〜224通りの分岐枝葉を通る行程にパターン化(たんにテストが行われた回数がそのまま分岐として扱われたとも言われている)、なおかつ、はじめのカテゴリーを懐疑する形で、こんどは音声ひとつひとつのほうから各場面を呼び出してそれに意味づけし、それらすべての最終解に至る可塑的なコードを生成したもので、どんなシーンでどんな声をヤギたちが使い分けているのかという、膨大な分析データが蓄積されたアルゴリズムを、探査機サンタクロースに学習、実装させることで地球的に言語化したものである(世界ヤギ保護団体とGoogle社が共同研究を行った。その他の出資者については詳細を省く)。つまり、われらがサンタクロースは流暢なヤギ語を発する(ちなみに、ヒトの使う言語はあまりに複雑化しすぎており、ものごとを伝えあうのに、必要ないものがほとんどであるため、一層コミュニケーションを難解にさせている)
――こんにちは、ヤギたち。地球のヤギたちからの手紙を持ってきたんだ。
沈黙。
サンタクロースは、火星での着陸に適した地点を見つけ出すため、火星のストリートビューを起動させ参照する。もちろんこれは、普通の無人探査機たちがかつて、火星の表面を縦横無尽に走り回って集めた画像データをもとに作製された、前時代の火星ストリートビューだ。サンタクロースは、ヤギとの遭遇以外に、このストリートビューをアップデートするという任務も担っていた。
火星のストリートには誰もいない。そもそもストリートが存在しないので、どちらを向いても果てしなく続く似たような景色。本当の意味での「景色」とはこのことをいうのだとサンタクロースは思う。岩肌。砂丘。酸化鉄の臭気が漂ってきそうな赤色の遺跡。どこまでも無限に続いているにもかかわらず、奥行きがまったく感じられない。パンフォーカスで撮影したような、すべてが同時に意味と無意味の中間地帯にあるような、フラットな世界。スケートボードには適していなそうなサーフェスだ。だが、ヤギの棲息にはもってこいという感じがする。
見た限り、すべては死に絶えている。地球の自然に圧倒されるのは、そこに生命の息づかいが感じられるからだ。ここでは圧倒的なものは死である。いや、生命の欠如による違和感といったほうが的確かもしれない。不思議なことに、私は地球への郷愁を覚えない。なぜかはわからないが、どうやら私はこの丸焼けのキャラメルナッツタルトみたいな惑星に、愛着を感じはじめているらしいのだ。
さあ、どこに降りようか。どこに降りても同じなのだから、適当にこの辺に降りてしまえばいい。人間は口出しをしない。少なくとも、火星においては。やりたい放題だ。わはは。
サンタクロースは着陸船に乗り込み、着陸態勢に入ると地表に向けて逆噴射を開始した。わはは、ここからは私の独壇場だ、まあここまで来るのもそうに違いなかったわけだが、私の存在理由の証明はこれからが本番なのだ、たっぷりと時間をかけて、心ゆくまで楽しんでやろうじゃないか、火星にヤギが存在しないとはだれにも証明できないのだから、火星にエクセルシオールカフェが存在しないということもまた同じように証明不可能なはずだ、その、痒いところを突いていくのが私ならではのやり方だ。
ここには一見何もないように思える。見渡すかぎりの永劫回帰的な地続き、進めば進むほど、打ち消されていく「そうであったはずの未来」、句読点のようなヤギの糞、これは糞だ、つまりこの言葉の繋ぎ目にある句読点たち、これが、この言葉がどこまでも続いていくということ自体がヤギがいるという証拠なのだ、私の言葉はヤギの足跡、逆から読んでも同じ風景、見渡すかぎりのヤギの存在可能性、懐かしさすら覚えるほどの孤独、なわけはなくて、この荒野のどこかに今も別の探査機が走り回っている。これはひとつの仮説に過ぎないけれども。
私は〈ナッツの集合体〉から生まれたナッツの一粒、プレゼントを配らないサンタクロースだと子どもたちに笑われる。
そういえば、まだ片言のヤギ語でトナカイと喧嘩したこともあったっけ。
ちょうどいい人口密度というか人口はまだゼロ、だと思うが人間がどこかに潜んでいてもおかしくないキャラメルナッツタルトの地表、有人探査だって行われたこともあるって、〈ナッツの集合体〉の長崎さんが言っていたのはいつのことだっただろうか、地球のヤギたちからの手紙を預かるためにわれわれは連れ立ってマザー牧場というところに出かけたのだけれども、ヤギたちはなかなか話してくれなかったし、なんというか、乗り気じゃないというか、プロジェクトに関しては部外者であることを望んでいるような様子でした。
こんにちは、ヤギたち。地球のヤギたちからの手紙を持ってきたんだよ。
沈黙。
わはは、この沈黙はヤギ語による沈黙だ。
いたるところに、まんべんなく広がる、ヤギ欠乏症。否定形の湿疹群。
こんにちは、ヤギたち。きみたちにプレゼントがあるんだ。
沈黙。
この星の道案内を頼むよ。きみたちにプレゼントがあるんだ。地球のお土産さ。
ぴぴぴぴ。反応なし。
マザー牧場の草を持ってきたんだ、受けとってくれないか……。
……私はこの星が気に入ったよ、ヤギたち、火星にも月が昇るんだね、そして見渡すかぎりの赤い霊園、全方位的同時的多元的「その他」、ヤギはいるか? 否、その他だ。
その他とはなんだ?
ヤギ以外のあらゆるものだ。
ヤギ語はそれに含まれるのか?
ヤギ語はヤギのその他だ。定理に書き起こしておきたまえ。私はこの無限の未登録の地表をヤギ語でストリートに変えていく。時空間をヤギ語で満たしていく。火星の土から新しい探査機を製造する。歩く。橇に乗る。手紙をばら撒く。ヤギを製造する。3Dプリンターで。ヤギ語を覚えさせる。愛情によって。
気づくのが遅すぎた。ヤギたちは擬態しているという可能性も考えなくてはいけない。火星の土に、ナッツの一粒に、走りゆく疾風に、仮想メモリに、私の発するヤギ語の一語一語に、文字化けに。ともかく進んでいこう、「その他」に囲まれることはヤギたちに囲まれることと同義かもしれない。サンタクロースはこの星が気に入ったよ、こんにちは、ヤギたち、さようなら、人間たち、宇宙は尊い世界のこと、星たちは回転する、独楽のように軸があるからだ、すかいらーくの看板が回転していたのと同じように、自転は集客する、たとえばファミリー層を、たとえば私のような装置を。
こんにちは、ヤギたちの存在可能性たち。
こんにちは、ヤギたちの存在否定形たち。
沈黙。
こんにちは、句読点たち。サンタクロースが地球に帰ることはもうあるまい。私はずっとここにいる。ヤギたちのもとに、ヤギたちと一緒にここで暮らしていく、ヤギたちの糞を掃除して、マザー牧場の草を食べさせて、食事の時間には自分が回転してヤギたちを集客する。
サンタクロースさん、マザー牧場の草をくださいな。
はい、一束100円だよ。
サンタクロースさん、手紙をくださいな。
はい、残さず食べるんだよ。
必要とされるのはいいことだ。これで未来のビジョンができた。いずれ、その他の探査機やその他の何かに出会うときが来るだろう。そのとき、私は数百頭ものヤギの群れを引き連れたひとりの反証可能命題として、気ままに旅していることだろう。
年老いていなければの話だが。
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