😃😃0年の原風景 

春風亭どれみ

小説

7,193文字

反知性主義。環境依存文字。そして、何も考えず、何も残らない読字経験。

北緯35度50分14.5秒、東経140度13分0.3秒。

県道鎌ヶ谷・本埜線に繋がる農道に養分いっぱいの泥んこをおとしながら、ヤンマーのトラクターがのろのろと走る。それを追い越したのは、速達便を届けんと駆る真っ赤な原付のスーパーカブ。その華麗なるオーバーテイクを用水路を挟んだ畦道から、眺めていたのは、一人のレッドブルガールと、レッドブルカーの運転手兼ガールのマネージャーと思しき冴えない七三メガネの男だった。

木梨憲武のコントを思い出させるメガネの男はiPhone7を駆使して、幹線道路へのアクセスを齷齪しながら調べているが、いかんせん、ここにはフリーのWi-Fiなど飛んでいるはずもない。液晶の画面はいつまで経っても新しいテキストを読み込もうとしない。ショートボブのレッドブルガールは目元の涙ボクロを指のお腹で触ってみたり、撫でてみたり。何やら気にしながら、己に芽生えたフラストレーションを隠そうともしない。

「そもそも、ここ、どこなの。ねえ」

「安食卜杭……これであじきぼっくいっていうらしいでしっ、ハイ」

「別に読み方聞いてるわけじゃないから。何でこんなとこ走っているのってこと」

レッドブルカーは都会の街が良く似合うようにできている。車種もMINIだし、ナンバープレートはだいたい品川で番号は283だ。『君の名は』でも描かれた四ツ谷の駅前、上智の大学に続く並木道だったり、外国人がiPhoneXを掲げる首都高と六本木通りの立体交差点だったり。そういうところにレッドブルカーはよく似合う。そういうようにできている。具体的には港区と千代田区と文京区、そして、ギリで江東区。

「梨沙は横浜の赤レンガ倉庫、璃子は舞浜のイクスピアリの前。陽菜は岡山行ってるけど、それはイベントがあるからでしょ。なのに、私は何? いや、みんな今日は都内じゃないし、ここも千葉だからとか、そういうの関係ないから」

「いえ、今はSNSとかがありますからゆえ。こういうミスマッチなところにあえて出没することで拡散を狙っているんでしっ」

「つまりはインスタ映えってやつね。……ふーん、なら、まあ、いいけど」

ほぼほぼ港区女子であることを自称する西岡美月にとって、インスタ映えするか否かというものは、価値観においてきわめて大きなウェイトを占めていた。紫電一閃のネット社会でいつまでインスタグラムの天下が続くのかはわからない。けれども、今、なお流行っている。それならば、それでいいのである。

レッドブルガールの美月は商品の宣伝も欠かさない。マネージャーに見栄えに関わる車の泥を払ってもらった後、ボンネットに腰掛けて、他のエナジードリンクよりも気持ちシュッとしたデザインの再生アルミ缶を頬に寄せるようにして自撮り。それは、美月が絶えずマウンティングし合っている「友達」と港区のバーカウンターでシャンパンボトルを用いてよく行うポーズであり、かつて一世を風靡した虫歯ポーズの系譜に連なるポージング術でもあった。

すかさず自撮り写真を自分のアカウントでアップさせると、100件には満たない❤と、数件のコメントが寄せられた。

 

jennifer99 🌸Japanese girl cute🌸💃💃

maika_maika 野菜の直売所とかあるwwwめっちゃ田舎www

kindo-san40sai あらあら、田舎は夕陽が大きいわねぇ

 

ネット社会におけるマカロニほうれん荘のアイコンをした中年男性はきまってクソリプが趣味であり、その生命力はゴキブリよりも強いことはもはや定説であったので、美月は最後のリプは見なかったことにしたし、なかったことにした。

それにしても、発見だったのが野菜の直売所だ。美月はユーザーに指摘されて初めてその存在に気が付いた。ほぼほぼ港区女子の彼女にとって、それは見たこともない世界だった。

「ねえ、ちょっとあっち行ってみてもいい?」

美月はマネージャーに断って、野菜の直売所に向かって駆け出した。今の美月の気持ちはさしずめ、トトロのさつき。無地のTシャツパイスラッシュに臍だしホットパンツの姿であろうと、ジブリのヒロインだった。マネージャーは彼女の機嫌がなおったことがなによりだったので、あまり多くは言葉にしなかった。

「あまり、遠くにいかないでくださいでしっ」

お地蔵さんの祠のようなバラックの直売所には、虫に喰われたところが大きく黒ずんでいるトマトや、葉っぱの萎れたレタスのなれの果てがみんな一律100円で売られていて、お決まりのようにトタンの側面には錆びたマルフクの看板が打ち付けられていた。当然、そこはJCBもSuicaも使えるよしもなく、上海のコンビニよりもはるか先に無人の店舗制度を導入したこの空間では、信頼だけのシステムが成り立っていた。上半分がくりぬかれたアルミ缶の中に100円玉を入れる。それだけ。

美月はそこで一番形の良いキュウリを買うことにした。100円と油性のマジックで直書きされている空き缶には、困った顔をしたうさぎのイラストとひとこと、「ごめんね、」と書かれたメッセージが添えられていた。かつてこの中に、いったいどんな液体が入っていたのか、見当もつかない美月はただちにGoogleの検索窓に尋ねた。答えはすぐに帰ってきて、それはもう今は存在しない清涼飲料水の商品名であるということがわかった。

これも何かの縁。美月はこの空き缶を持って帰りたくなったが、このまま持ち出すのは万引きであり、立派な犯罪だ。何かかわりになる空き缶があれば……缶なら、品川ナンバーのMiniの中にいくらでもあった。美月はマネージャーを呼び出して、直売所の脇にレッドブルカーを止めさせて、事情を話した。マネージャーは車線のない側道に車を止めたら対向車に顰蹙ではとぶつくさ言いながらも、美月の話をふんふん言いながら、聞き続けて、最後に、

「だれかにレッドブルを配って、宣伝して、それで出来た空き缶をかわりに置いて帰れば、そのごめんね缶は持ち帰ってもいいんじゃないでしょうか、勿論、中身はだめでしよ」

と、言った。

「そうは言っても、こんな田舎じゃ……」

陽も暮れだして、電柱も隘路も田んぼの苗木も薄紫の闇に染め上げられていく中で、道路の方にまで群生しきった蕗の葉の陰から、自転車を押す3人のヘルメット姿の少年とおぼしき人の形が見えてきた。学ランの襟までキッチリボタンを締めている。鼻っ柱のニキビ。パルメザンチーズのように無駄に広い肩に散らばるフケの嵐。そろいもそろって童貞道半ばの中学生であることは間違いなさそうだった。平成最後の日々であるにもかかわらず、『ビルマの竪琴』の世界から飛び出してきたようなイガグリ頭は美月の姿に気が付くなり、安食卜杭では見慣れないホットパンツから伸びるうら若き肢体に脂ぎった頬を紅潮させた。よく見ると、社会の窓が開いている。彼はレッドデータブックに登記されるべき希少な男だった。キュウリを優しく包むは体操着のような白、ブリーフだ。彼は白のブリーフを履いていた。

「あ、あぁ……」

イガグリの隣の鴎眉毛が吐息を漏らした。巾着袋の中から強張った白い帯が垂れている。部活帰りなのだろう。ムンと蒸れた臭いが美月の鼻を突いた。

「ねえねえ、君たち、少し聞きたいんだけどさ」

「ああ、あぁ……」

美月が尋ねても、イガグリ頭も鴎眉毛もまるでそれしか喋れないのではないかといった感じで、埒が開かなさそうだったが、一番しんがりで自転車を押して歩いていたチビが甲高い声で返事をした。

「お姉さん! コイツらねえ、お姉さんがあまりにも似てるからビックリしてるんですよ」

丈のあまった学ランの袖を振りながら、息つく暇もなく先の読めない話をする。

「似ているって、私が? 何に?」

「僕らが密かにしこたま描き溜めて、このトタンの壁の裏に隠している自作のエロ漫画に出てくるヒロインにそっくりなんでさあ!」

チビがそういうと、後の二人も照れ臭そうにコクリと頷いた。チビが絵を、鴎眉毛がストーリーをと、役割を分担して漫画を描いているのだという。二人羽織だ。21世紀の藤子不二雄エモンだ。よくよく見ると、チビはオバQのハカセに風貌がどことなく似ていなくもなかった。そして、イガグリ頭は一人だけ、あまりに業を背負ったような性癖を持っているがゆえに何も担当させてくれないのだという。彼が持参したデッサンにはゴム人間のように関節があらぬ方向に曲がりきったヒロインが奇声をあげながら、乳房や性器を風船のように膨らませている図が描かれており、その時ばかりは、二人も彼との今後の付き合い方を考え直すべきではないかという雰囲気が漂ったのだという。彼はとんだ破戒僧だったのだ。

「あれは人間を描いた絵じゃなかったっス……有精からの物体χでした」

ずっと、桃色吐息しか漏らしていなかった鴎眉毛の肉声はショーンKのように野太く思いの外、美声だった。そして、彼は21世紀に生まれながら、ジョン・カーペンターの名作のことを知っていて、なおかつ、それをもじった他愛ない駄洒落を飛ばせるイチモツであったが、それはかえって美月の心に何も触れることはなかった。

「ふーん……そんなに私に似てるっていうなら、見せてよ。あっ、これかあ……どれどれ」

鎌をかけると、ジェラードンのコントのようにてんやわんやになるジャリ共が少しおかしくなってきたので、美月はちょいと彼らをからかい半分、その漫画とやらを見てみることにした。見たことのないパッケージの空き缶よりも移り気な彼女の心にはすっかりそっちの方が重たくなってしまっていた。中学生の浅知恵らしく、漫画はすぐに見つかった。

「今の中学生って、結構、絵上手いんだ。確かに私に似てるかも。ちょっと萌え系?になってるけど」

存外、洗練された絵柄で描かれた自分似の女を見るのは悪い気はしなかった。そして、臍が出るほど短いTシャツにホットパンツ。直情的で即物的な男子というものは結局のところ、そこに行き着くものなのかとも感じた。しかし、肝心な部分がページを捲れども、いつまで経っても出てこない。乳房はチラリと顔を覗かせた。白人モデルのようにやけに血色のよさそうなトーンで表現されたトップの部分も申し訳程度に描かれている……が、その先にいっこうに進まないのだ。

「……見たことないものは描けないから」

チビが力なく吐露した。心の底から無念といったような声だった。想像力の限界。それは他の二人とて同じであった。イガグリ頭は「飼っている三毛猫のならば描ける」とは言っていたが、取り合ってはもらえなかった。

ヒロインの恥部は、

という美月のあまり見慣れない顔文字でお茶を濁されていた。それは美月がインスタで見慣れている😆とか😜とかいったような絵文字よりもアルカイックで奥ゆかしい笑みを湛えていた。

「それだけはコイツが描いてるんです。でーじゃらすじーさんとかクレヨンしんちゃんの漫画によく出てきた顔文字で、めっちゃうまいんですよ」

チビがそういうと、イガグリ頭が照れ臭そうに己の頭を撫でまわす。掌に脂汗が付く。どことなく彼の顔も例の顔文字の笑みとシンクロしているように思えた。

「確かにこれじゃあ、潮吹いても、真実の口だわ」

美月は酒が入らなくても、下品な猥談で腹を抱える程度には、俗な女だった。むしろ、女同士で集まれば、シャンパンの肴に「どこの誰とヤッた」だの、名刺をトントンと叩いて「背格好のわりにあっちはたいしたことなかった」だの言って、率先して西麻布で、六本木で、笑いを取る。そんなほぼほぼ港区女子だった。

「口から水を吐くのは、真実の口じゃなくて、マーライオンッス」

中学生の鴎眉毛が冷静に訂正しようが、美月はお構いなしに涙目になって笑い続け、ヒーヒーと息を整えてから、所持していたレッドブル缶のプルタブを開けるなり、

「じゃあさ、今から私がさ、これの中身を口に含むからさ。笑わせて、レッドブル吹かせることができたら……いいよ」

と言って、ぐいっとレッドブルを口に含んだ。その言葉を聞くや否や、歩く性欲を体現したような男子中学生どもは気の早い絶頂。天にも昇る心地、翼を授けられたようなヘヴンフェイスが3つ並んだ。

「でゅひっ! でしっ! っひっ! ……!!」

イガグリ頭はテンパって辺りをウロウロし始め、チビは鴎眉毛に「あれだ、この前の打ち上げで使ったあれを使おう!」と何かを指示し出した。彼らにも、それなりに持ちネタというものがあるのだろうか、それならば、面白くなってきた。これで披露されるのが武田鉄也のチープなモノマネとかならば、一人ずつビンタしてやろうと美月は思った。

鴎眉毛のパンパンに膨らんだ通学鞄から皺だらけのお面のようなものが取り出される。テンパっていたイガグリ頭は我に返ってiPhoneでYoutubeを開き、音楽を流し始めた。イントロが流れると、美月に背を向けていた3人が一斉に振り返る。

 

3人の梅宮辰夫……否、2人の梅宮辰夫と1人の梅沢富美男の姿がそこにあった。

壮年の男性のお手製お面を被った3人の男子中学生がリバイバルヒットしたバブル時代のダンスを下手くそなりに頑張って、踊る。その拙さに美月は口に含んでいたレッドブルを全部ホットパンツにぶちまけた。一瞬の不覚。完敗だった。

しかし、勝負がついても梅宮辰夫たちは踊りを止めることをしなかった。梅沢富美男が「前が見えねエ」とぼやく通り、お面には視界を開けるための穴がどこにもなかったようだった。そして、梅沢富美男の両足が縺れる。そして、センターの梅宮辰夫に突っかかるなり、梅宮辰夫は直売所の脇に止めていた自転車のスポックにつま先を引っかけて、3人もろとも田んぼの下に転落した。

「ちょっと君たち、大丈夫?」

「大丈夫ですっ、それより、結果は?!」

思春期の男子たちはちょっと骨が見えるくらいの擦り傷までならば、スケベのパワーでどうってことないらしかった。アドレナリン。テストステロン。男性ホルモン受信中。黒毛和牛上塩タン焼き680円。アッチョンブリケ。

「そう急ぐなって。そもそもそのお面、どうやって作ったの?」

「ファミマで今なら、これ買えるんですよ。お姉さん、意外と遅れてますなあ」

「うるせえ。ってか、ファミマ、近くにあるの?」

田舎に見えた安食卜杭も自転車で十数分も走れば、千葉のニュータウンへと繋がる国道464号線、北千葉のバイパスに接続することを田んぼに落ちた中学生どもから、美月は教わった。

「その辺までいけば、人が集まるところとかあるの?」

「ありますよ、ビッグホップいけば、観覧車もあるし、日本エレキテル連合もこの前来ました。あと、小泉進次郎」

美月が目をやると、直売所から百メートルほど先に、前の参議院選挙から一切張り替えてなさそうな自民党の候補者の立て看板が等間隔で並んでいた。自民党、自民党、消化栓をひとつはさんで、また自民党。

「バイパスをもっと走れば、鎌ヶ谷までいきますよ。野球場もあって、大谷くんがご飯食べてた定食屋もあったりして。あと、ZOZOTOWNの前澤社長の中学とか……」

「大谷くん、もう日本居ないじゃん。……って、前澤社長の母校って、マジ?」

ほぼほぼ港区女子の美月はそのワードには瞬時に飛びついた。港区女子というものは前澤社長に興味津々か、前澤社長のことを嫌いと装って何かと前澤社長の新情報を引き出すか、パパ活相手の男性を前澤社長だと思い込んでいるかの三択なのであり、つまりは前澤社長こそが港区。彼の出身中学がある鎌ヶ谷などはもう、ほぼほぼ港区だった。美月の心が昂ぶると同時に、誤タップされたイガグリ頭のiPhoneから再び、音楽がまた流れ出すと、

「ないしてるよなんて~って、美月さん、どうしたんでしか、この有様ァ!?」

すっかりほったらかしにしていたマネージャーが吃驚仰天、驚天動地といった顔で駆け寄ってきた。マネージャーはすでに美月が知っているバイパスへの接続方法が見つかったのだととくとくと語りかける。それにしても、中学生たちのiPhoneは4G環境でもそれなりに通信していたのをみると、単にこの男のiPhoneに通信制限がかかっているだけなのかもしれなかった。マネージャーは暇さえあれば、iPhoneでxvideoばかり見ているのだ。田舎の中学生どもはYouTubeで動画を楽しむ脳はあっても、まだそこまでの毒には塗れてはいないようだった。

「決めた。明日、5月1日。改元の日に、レッドブルカーをその前澤社長の母校の前に停めて、アンタたちと一緒に踊る。梅宮辰と並んで小顔アピールも出来るし。ホットパンツも脱いで下着姿で、それにマーク描いてもらうから。傑作でしょ。その光景、目に焼き付けたら、今度の漫画の新ネタにして、エロマンガ雑誌に持ち込みな。ペンネームとか、決めてるの?」

揚々とプランを語る美月に気圧され気味ながら、3人の中学生はハニかんで、

「……一応、マックス・フェラスタッペンってペンネームあります」

と、答えた。マネージャーがレッドブルガールの突然のご乱心に、あたふたしている間にまたホンダのスーパーカブがMINIのレッドブルカーを抜かしていく。今度のカブにはマルシン出前機にゆらゆら揺れていた。平成31年4月30日。殆どの人々が新しく発表されながらも公的にはまだ伏せられている元号、😃😃0年4月30日と呼ぶその日の安食卜杭で起こったどこのドローンもSNSの眼もとらえていない出来事だった。

美月はあわよくば、インスタ映えする😃😃的なスマイルよりも、的な慎ましさも湛える、そんな時代であってほしいと切に願う。そんな21歳の春でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

2018年5月17日公開

© 2018 春風亭どれみ

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