「ヴァー! ヴァーヴァーヴァー!」
ワットの低い電灯がしょぼく光る店内に打者の声が響く。打者はバットの先端を床に軽くぶつけながら、景気いいメロディを口ずさむ。ズボンをたくし上げ、ベルトを気にしたりするジェスチャーをし、バットを左右に持ち替えて曲芸のように振り回す。
「デンデデレレデンデデレレデーデーデー! デンデデレレレー!」
素振りのバットが耳元をかすめるたびに、その音でボールがビクつく。風切り音から逃れようと身体をよじらせ、手足ごとダクトテープで巻かれた椅子が軋む。打者はボールの左側に立ち、ゆっくりと二度三度とバットを振って狙いを定める。一瞬の集中ののち、バッターボックスの端から軽くステップを始め、バットを持つ手に瞬時に力を込める。
「かっとばせーえ、ホ、ト、ダ!」
掛け声と共に両足を踏ん張り、思い切りバットを振り回す。鈍い音がしてボールが椅子ごとなぎ倒され、床に転がってブザーのような悲鳴が響く。
衝撃で外皮が破けたボールから赤い汁が流れ出し、床のひび割れに吸い込まれていく。小刻みな呻き声が聞こえるが、ダクトテープに阻まれてその声が罵倒なのか助命懇願なのかはわからない。
「それ誰ですか?」
セーラー服のマネージャーが、高い丸椅子に寄りかかるように腰掛け、腕を組んでいる。打者は全力でスイングしきって、余韻を味わっていた。そして満足気に息を吐いて決めポーズを解き、バットを肩にかけると振り返って、爽やかに嗤う。
「幕張ネイビーズのホトダを知らんのか」
「わかりません」
唯一の観客のつれない声を聞いた打者は、口元を歪めて舌打ちをし、唾を吐き捨てた。床の埃が泡に巻き込まれ汚泥となる。
「すげえ似てるんだけどな」
マネージャーはスコアブックを開きながら、ボールから飛び散った赤点を辿っていく。しばらく床を見ていたが、ついに最長距離を飛んだ血痕を見つけてチョークで囲み、打席を示す枠から平行に引かれた白線を数える。
「ええと、ツーベース?」
「スリーベースだろが」
「そうでしたっけ?」
セーラー服はスコアブックに鉛筆で結果を書き込み、今日のスコアをざっと目で追う。
「今日もホームラン出てませんね。マイナーな選手のマネばっかりしてるから、スイングが弱いんじゃないですか?」
「マイナーじゃねえよ! ホトダはメ・リーグの三年連続三冠王だぜ?」
「知りませんよ」
「ったく」
ブツブツボヤきながらイスを引き起こし、首をコルセットで固定する。
「……代打出す?」
打者はギョッとして振り返ると、しばらくじっとマネージャーを見ていた。どうぞと手で促されると、表情を変えずに向き直り、再びバットを構える。
肩をとんとんと揺さぶってから、先刻と同じように振り抜いた。ボールは激しく床に転がり、血しぶきを撒き散らす。
「ヒット。このオーダーは終わり。チェンジ!」
マネージャーが戸口に向かって声をかけると、筋骨隆々のナース服がぞろぞろと現れ、椅子ごとボールを片付けていく。床の血痕も手早くモップで拭き取られ、新たな白線が引かれる。打者はソファーに飛び込むように激しく座り込んだ。スプリングが音を立てて軋み、埃を吐き出して部屋の空気を汚染する。マネージャーは次のオーダー票を広げている。手持ち無沙汰な打者はソファーに埋まったままナースたちの作業を眺めていたが、急に声を上げた。
「あ!」
「なんですか?」
「ホトダはモ・リーグじゃん」
「ああ……」
次のボールが運ばれて、打席にセットされた。前のボールと同じように、顔は目にだけテープが巻かれている。違うのは椅子の形だ。今度の椅子はずいぶんと低い。座敷用の椅子だろうか。低い座面に無理やり足を折りたたんで、膝ごとテープで巻かれ中途半端な正座をさせられている。
「こいつは?」
「ええと、パンプキン詐欺です」
「還付金詐欺?」
「違います。パンプキン」
「なんだそりゃ」
「パンプキンって会社は総合介護サービスのフランチャイズなんですが老人をオーナーとして巻き込んでコンサル料だの維持費だの少額賠償だのとじわじわと吸い上げて老後の蓄えを巻き上げてぽいっていう手口でこないだ首謀者が行方をくらましたとか」
「そいつはとんだ悪党だな。で、こいつは?」
「その首謀者です」
「捕まっちゃったんだ。訴状の主は?」
「三人。全員亡くなりました。心不全、肺炎、脳溢血ですね」
「それってこいつと関係あるの?」
「さあ?」
「聞いてみよう」
打者がボールを軽く叩いて起こす。しばらくじたばたとして、まるで動けないとわかると大声で喚きだした。
「なんだよこれ! どうなってる!」
「あんたパンプキン?」
打者が、ボールをコンコン叩きながら聞く。
「なんだ?」
「あんたは、パンプキンなのか?」
「なんだ! 誰だ! なんなんだ!」
「こいつうるさい」
打者がパンプキンとの対話を断念すると、マネージャーがテープで口を封じた。パンプキンはしばらく暴れていたが、そのうち静かになった。
「オーダーに関係ないでしょ。さっさと殺って」
「どうやる?」
「自分で考えてよ」
「死んだ三人の素性は聞いている?」
「ええと、一人めは孫とのキャッチボールが楽しみだったというお爺さんでしたがお孫さんはまだ三歳でボールはあまり投げられず地元の野球チームの体験イベントに行ったところ入会金が高く入団を即答しないで帰宅しその夜に心不全で亡くなりましたが病院への搬送中もお孫さんと遊ぶときに使っていたゴムボールをずっと握りしめていたそうです」
「孫とのキャッチボールか。野球人生において最高の時間だ。そしてこのパンプキン野郎がその楽しみを奪ったわけか。これは罪深い。ワンナウト」
「二人めは野球好きのご主人に先立たれ遺影をもって球場へ行くのが楽しみだったそうですが帰り道にゲリラ豪雨に襲われたときパンプキン詐欺でお金を失っていたせいでビニル傘を買うことを躊躇し濡れたまま帰宅して体調を崩し半年後に肺炎で亡くなりました」
「今頃はご主人と一緒にフィールド・オブ・ドリームスか。安らかにお過ごしください。そしてパンプキンは有罪。ツーアウト」
打者はソファーにふんぞり返ったまま、片手でツーアウトのサインを高く掲げた。
「三人めですが、この方はとくに野球に関係のあるエピソードはなし」
「えー、テンション下がる」
「どうするの?」
「弁明のチャンスをやろう」
マネージャーはパンプキンの口元のテープを剥がした。先ほどからノイズでしかなかった声が聞き取れるようになる。打者とマネージャーは椅子ごと後ろに引き倒し、床に転がす。
「痛ぇ! クソ!」
「なあなあ、パンプキンさんよ」
「なんだ!」
「あんた野球は好きか?」
「あ? 野球?」
「野球は好きかって聞いてるんだ」
「好きだったらなんだってんだ?」
「野球好きに悪いやつはいない。野球は好きか?」
「あ? ああ、野球大好き」
「ホントかな? 好きな球団は?」
「ああ、ええと、と、東京ヘラクレス」
「へえ。好きな監督は?」
「えっと大原。大原監督」
「大原はヘラクレスの監督やってねえ」
「え、間違えた。ええと監督はー」
「小原だよヘラクレスは。大原は難波ガッツな。これは間違えやすいよな」
「早くしなさいよ」
マネージャーが急にマネジメントを実行してきて、もっと野球トークを愉しみたかった打者はがっくりとうなだれる。
「うーん。そうだな。まあ大原知ってたから、野球好きに混ぜてやってもいいか」
「俺を逃してくれるのか?」
パンプキンは慈悲の言葉に飛びついたが、打者は即座に切り捨てる。
「なわけないだろ」
打者はパンプキンの口をテープで塞ぎ、椅子を起こして、ポンポンと埃を払ってやった。
「野球好きに免じてあのヘルメットを貸してやる」
打者が、部屋の隅に転がっていたチョークまみれのプラスチック製のヘルメットを指差す。マネージャーからそれを受け取ると、やさしくパンプキンにかぶせる。何か呻いているが、打者とマネージャーは聞き取ることを放棄した。
「今度はサブローでいくか」
打者は軽く左右に身体を揺すりながら、肘や上腕を軽くつまみ、バットを大きく回し、斜め遥か遠く、天空へと掲げた。
「似てるだろ」
「似てない」
「だいぶ低めだな。すくい上げればホームランの可能性もある」
ひと呼吸置いてくわっと目を見開き、打撃に集中した打者が軽やかなステップから美しいフォームでバットをスイングする。古いヘルメットは衝撃で割れ、振り抜かれたバットが頭蓋にめり込む。脳漿に押し出された眼球が宙を舞い、バーのカウンター奥へと放物線を描いて飛び込む。
「ホームランじゃん!」
マネージャーはスコアブックを放り出して、両手を上げた。
打者は照れくさそうに軽く手を上げると、血まみれのパンプキンの周りを四角く回り、床に描かれたホームベースを踏んだ。マネージャーとハイタッチして、ソファーに座り込む。
「やっぱメジャーな選手がいいんじゃない?」
パンプキンの痙攣が止まり、本格的に死体になった。バーの中にはもう動くボールはない。喧騒のあとの静寂は、心を落ち着かせてくれる。
「もうサヨナラか?」
「残念。まだまだ延長よ!」
マネージャーの指示で、ナースらが片付けを始める。
「次はお役人御一行様です」
「訴状は?」
「ええと、『怠惰による大量殺人』?。医療費手続き窓口の市職員の手際が悪く申請に来た病人が待たされて症状を悪化させて死者は今年だけで二〇人」
「そりゃ罪深い」
バーの整備が済むと、キャスター付きの事務椅子にテープでくくられたボールがきた。
目隠しされて緊張しているのか、少し震えている。打者は耳元で問いかけた。
「あんた、野球は好きか?」
了
斧田小夜 投稿者 | 2018-05-18 16:14
暴力描写はなかなか良かったですが、時事問題を扱っている割に掘り下げがあまりなくただ殺されるだけなのであまりカタルシスを感じませんでした。もっと長い物語の導入としてはこれでいいのかもしれませんが、そうじゃないならもう少し起伏がほしいかなと思います
退会したユーザー ゲスト | 2018-05-23 19:50
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大猫 投稿者 | 2018-05-23 20:57
(ホームラン・バーってアイスのことかとかなり途中まで思ってました・・・)
設定はとても面白いと思いました。こすっからい罪を犯した奴の制裁としてなかなか溜飲が下がるものがあります。頭ブッ飛ばされる描写の気持ち悪さもさすがです。
私だったら相撲バーにすることでしょう。200キロの力士に全力で張り手食らわされるとか。上手投げされて出刃包丁の山に落ちるとか。
廃墟となった街・東京都金剛市で起こっている出来事であることがリード文だけに書かれていて、本文に見当たらないのでそれでいいのかなと感じました。また、現代ノワールに適合するのかという気もしました。なんとなく未来都市的な印象を受けたので。
一希 零 投稿者 | 2018-05-24 23:58
会話のテンポ、僅かに噛み合ってない感じが、読んでいてとても心地よかったです。罪状が罪状で面白く、でも、考えてみれば罪なんてそんなものなのかもしれないな、と。ちょっとした不条理感と雰囲気の軽さが素敵な小説だと思いました。
藤城孝輔 投稿者 | 2018-05-25 22:43
会話の軽妙さに魅力が感じられる。テンポがいい。文章も「イス」と「椅子」の表記ゆれが一か所ある程度で全体的に読みやすい。
ただ、どの登場人物の内面にも入っていかないので、さらさら読めるばかりであまり引っかかるものがなかった。打者やマネージャーの背景や動機について何かしらの説明があったほうが感情移入できると思う。もし主人公たちの素性を伏せたままにしておくことが作者の狙いであるならば、殺される側に視点を置いてこの謎の組織の得体の知れなさに対する恐怖や不条理な状況に対する困惑を盛り上げることもできるはずだ。
本作はいい意味でも、悪い意味でも、戯曲的なのかもしれない。そうだとしても葛藤を盛り込むとか、何か話を盛り上げる工夫をしてほしかった。
ちなみに私は野球の試合を見る習慣がないので、冒頭の擬音語がまったくピンときていない。また文中の会話の中に実際のプロ野球のパロディがあるような気がしたが、それらはほとんどすべて私の頭の上を通り過ぎてしまった。野球の背景知識がない私は本作の対象読者から外れているのかもしれない。そのために本作の面白さを読み逃しているとすれば、大変申し訳なく思う。
長崎 朝 投稿者 | 2018-05-26 11:55
目の前に連れてこられた罪人の素性がどうであれ、とことん野球ゲームという自分の「趣味」に回収していく主人公の突っ走り感が、リズムよく描かれていて楽しく読みました。バットでかっ飛ばすという痛々しい暴力を、野球話をしながら平然と続ける狂気のようなものがあるんだと思いますが、その怖さやヤバさをもっと感じたいと思いました。キャスター付きの椅子があるので、投手がいてそれを投げる設定があったらどうなったかなと考えました。個人的には、マネージャーがセーラー服なところは好みです。
退会したユーザー ゲスト | 2018-05-26 14:32
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Juan.B 編集者 | 2018-05-28 15:39
動機=バッティング=気持ちいい、という分りやすい話だった。しかし、藤城さんや斧田さんが書いたように、主人公たちが何を目指すのか(目指してないのか)が良く分からない。でも、俺も無心に鍵やイスをくるくる回す時があるから、案外そんな精神なのかもしれない。確かにバット振り回したいだけの日もある。
俺はこの話の中では多分ボールになる側だろうなと思った。それはともかく、俺は天皇と政府首脳をボールにしたい。しかし死刑と体育会精神も大嫌いなので、廃位と島流しだけで勘弁してやろうと思った。
牧野楠葉 投稿者 | 2018-05-28 19:20
あまり登場人物や情景に入っていけなかった。これ話の展開とかではなく単なる書き分けの問題なんじゃないか……。と思う。フックがなくよくわからなかった。