濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

身に降りかかることすべてがだるく感じる今、学習机に向かうあたしの目は、パソコンではなく青チャートに向かっている。これは我が身に課せられた義務なのさ。やりたいからやる、とか、やりたくないからせえへん、とかではなく、まったくの義務。金曜日の義務。

こういう教材の類って、やり始めと真ん中と終わりだけが楽しいのであって、ほかはなんにもおもしろくない。敢えてやる気を削ぐような作りに工夫してるんちゃうかって思うほどよ。大人のそれとない「わざと」は、たちが悪いから、ほんまにあり得そうでヤんなる。だけど今はちょうど真ん中くらいやから、そういうのも忘れれてちょっと楽しい。おー、こんなに分厚いやつが半分まできたー、的な。これを過ぎちゃうと、早く終わらせることが目標になって、勉強ってより作業になっちゃう。少なくとも一年のときはそうやった。

そういや入学したての頃、奈津が「高校数学とか実地性ないし、わざわざ勉強する意味がわからん」ってボヤいて、あたしは、あーよくある論法ねー、いちいち指摘しやんけどー、とか思いながら曖昧に頷いたり? したかな? まあそんな対応で返したんやけど、隣におった美雪が、「実地性が生まれるような人生にしないのは自分の責任やろ」と、妙に大人びた呟きをして、「あたしらより賢い人らが作った教科書に、なんの意味もないと思うのは切なすぎる」と、怒ってる風でも呆れてる風でもなく、中空に消え入るような声で言って、ああ、こういうのを切実って表現するんやなァって、感心した記憶がある。

人の動き、すなわち物理的にも精神的にも作用と反作用があるもの、ってのは、理屈とか屁理屈とか、そういうもん全部超越するのよね。メリットもデメリットも超越する。ありとあらゆるものの頂上であり、ありあまる感情の最下層、あたしらが確認できる大空の上の上のさらに上、そしてそれは心の奥の奥のさらに奥、四次元空間の内の内の。

笑って済ませて、笑って許して、笑っておけない、本当の切実。言ってやるわけでも、言ってしまうわけでもない、偶然口から零れてしまった切実。つまり人を動かすのは、ついのついに出てきてしまった、その言葉だけなんだわきっと。今にも倒れそうな人に、お水ください、って言われたら、なんも考えずにあげるやないすか。こんなもんで助かるなら。

切実。切実? 切実におしっこくださいって言われたら。

あげるのか?

今日の帰りがけ、「なんちゅうか、せんなあねぇ」と奈津がごち、なにごとよ、と思って聞いたら、「美雪も付き合い悪いし、ドムドム潰れてから、なーんもええことないわァ」やとさ。ほんまやねえ、なんて共感を示すわけやけど、あらしかし、あたし近頃の奈津についてなんも情報エトランジェ! これはまさしく不遇のシンクロニシティ発生中か! 友情が織りなすタイプの! と煌き立つ一瞬があったわけやけど、今時分冷静に考察すると、やっぱ人間、他人と喋りやんと、うさも晴れんのんやなあ、と。問題解決のための議論、とかちゃうくてさ、全然なんにも関係くていいのよ。その場で成り立ってればいい。意味なんかなくていい。心が動けばそれでいい。あたしの場合は聞くって言説の内、つまるところの実質的なお喋りってやつね。カンバセーションってより、コミュニケーションってのかねえ。そういうんが重要なんやな、って思ったですとても。せやであたしも、もっともっとお喋りせんとあかんなァってさ。

 

「コンビナートの海より。」

 

大浜の灯台から海を見た。

恋仲が二組あった。どちらも特に寄り添うわけでもなく、

小さな声のお喋りがあった。

違和感があるとすれば、それは組ごとの距離感だった。

奇跡的なまでに近かった。最初はダブルデートかと思ったくらいだ。

しかしお互いは赤の他人に違いなかった。

一組が帰った後も、残されたもう一組のお喋りは続いていたのだ。

そこには、風景として不自然な関係性が生まれていた。

私たちはおよそ離れたところからその二組を含むコンビナートの海を眺め、

しばらく黙っていた。

ただ黙っていた。

こうしてカップルのように振る舞うことが初めてだったから、

少し恥ずかしかったのだ。

 

家に帰って灯台下からの景色を思い出した。

コンビナートの灯りの泳ぐ海。

しかしそれよりも、あの二組が強く思い出された。

せっかくのデートで、あんなに近くにいる必要がわからなかった。

でももしかしたら。

お互いに関係なかったのかもしれない。本当の意味で。

関係なかったから、あんなに近くにいられたのかもしれない。

あの、ふたりだけの世界には、存在するものなんて、コンビナートの海しかなかったのかもしれない。

 

ならば、少し羨ましく思う。

私たちの世界には、少なくともあの二組があった。

二組があったから、その二組から距離を取った。

私たちは、少なくとも私のレンズは、

あの景色の中で、コンビナートの海に、ピントを合わせることができなかった。

世界が、世界であることが、私たちの関係を、強く表していた。

 

Sep.30

 

青チャートなんか閉じちゃって、放掟記。

掟、放たれてんなあ、今日も。

昨日更新されんかったこととか、大スルーっすもんね。放たれてる。いい感じに放たれてる。

大浜の灯台ってのは、堺市民占有の穴場的デートスポットなのだ。すなわち、穴場穴場って言われすぎて、もはや名所と化したところ。夜景が綺麗で、それも百万ドルではなく、一万五千円程度だから、なんとなく市民レベルに合ってるっていうか。意地でも大阪市民には教えないよ、でも狭山とか高石とか河内長野とかはいつでもおいで、的な。まあそれでもやっぱ高校生には、ちょい早いかもねーっちゅう。イキフンで言うと、高二の秋から付き合ってまーす、あたしたちこのままずっと一緒なのかなあ、とかいう大学生カポーとか、もはや長く一緒におるさかい、こういう現実的な設定のデートが、さりげにちょうどいいかも、とかいうゴールド免許フーフなんかが行くとこって感じ。背伸びなしの、等身大デートで。

すんません全部聞きかじりの想像です! あたし行ったことないので! 一度も誰とも!

ちゅうかよお、美雪さんよお。

大浜ってまあまあ距離ありますけど、なにで行ったんよ。

あんさん、平井大橋のへんでしょうに、お家。灯台って電車でアクセスしやすい場所でしたっけ。バスとかです? んー? 学校終わってからア?

もしやのもしやで、チャリっすか。気合い入っとるねえ。涼しゅうなったっても、なかなか汗かくんじゃねっすか。や、でもそれくらいしか考えられんよね。学校から大浜行って、ほんで帰宅。はや、すごい。拍手を送りたい。全力で。キリンにも。キリンの家がどこかは知らんけど。

まあでも、軽く疑っちまいますわ。ほんまにあんた、大浜の灯台行ったんかって。ほんまにコンビナートの海眺めたんかって。ほんまに二組のカップルはおったんかって。ほんまにキリンと付き合っとんかって。

ほんまに自分、あの美雪なんかって。

ふん、まあ別に全部どうでもいいことやけどネ。全部嘘でも、あたし全然構わんけどネ。

そういや、美雪さん、進学どうすんねやろ。最後にドムドムで会うたときは、国公立しか考えてないとか言っとったけど、あんなんもえらい前のことやし。家庭も別に裕福なほうやしさ。私大とかも視野に入れとんかね。

ちゅうかよ、全然知らんな、あたし、美雪のこと。お喋りしてない。全く。放掟記の中の美雪としか、触れ合ってない。

あかんよ。もっと喋らんな。もっとがっつり喋らんな。

これ、今現在がすでに真っ暗闇の洞窟侵入寸前って可能性やってあるわけで。

美雪、お主もエ。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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