~1~
午前7時。ピピピピとアラームが鳴り、私は目を覚ました。いつもの調子ですぐにリビングに出ると、母は携帯電話を不服そうに見つめながらソファに座り、いつもは既に出勤しているはずの父も食卓の椅子に座り不安そうな顔をしている。テレビはノイズだけを映し、片隅には電波不良が示されていた。私がおはようと言う前から、母親は甲高い声をあげた。
「今朝から変なの!テレビも携帯もラジオも使えないし!電気と水とガスはつくけど……」
「え?あ、うん」
母が一通り不安を吐き出し終わるが、私には何のことかわからない。父がそれに付け加え始めた。
「さっき俺もバス停まで行こうとしたんだけどな、何か外も変で……お隣も他の家もみんな似た状況らしい、コンビニの前にも人が集まってるんだ」
「何かヤバいの?」
「ヤバいって、お前、世の中に何が起きてるか今ちっとも分らないんだぜ」
しかし私の寝ぼけた頭には重大性が伝わらない。両親が何か不安げに言い合うのを半ば無視しながら、私は冷蔵庫から果物ヨーグルトを出して朝食をとった。リビングの窓から入る日差しは普段と変わらないのだが。その後、私は自室で制服に着替え、玄関に出た。
「お、おい、ケイコ、外行くのか?」
「別に学校はすぐそこだし、朝練出なきゃ」
「良いじゃん、行かせなさいよ、他の子にもどうなってるか聞いてよ、何かあったら早く帰ってきてね」
私は二人が何を言おうが頭によく入らず、ただいつもそうしている様に家を出た。家の前に出ると、確かにいつもと様子が違う。車通りがあまりない近くの市道に車が連なっていた。その市道の方に向かっていると、後ろから同級生が声をかけてきた。
「ケイ、おはよう」
「リッちゃん、おはよー……ねえ、どうなってんの?」
「……変だよね、テレビとか、何?電波使うものがダメになってるんでしょ」
私はリツコと歩きながら市道へ進んだ。小さな住宅街を抜けると、今度は畑が広がっており見晴らしは良い。市道横の駐車場が広いコンビニを見ると、入り口に十数人ほどの行列が出来ている。
「日本人てこんな時も礼儀正しいよねー」
「ねー」
~2~
中学校の正門にはいつもの登校指導より多人数の教師が集まっていた。私が声をかけるよりも早く、部活の指導をしている花田先生が走り寄ってきた。
「先生!おはよーございます」
「あーケイコさんに、リツコさんね、今日は休校なんよ」
「えーっ、あの、何が起きてるんですか?」
「分らん、外からの知らせもないし……」
その時、頭上を自衛隊の輸送機らしき何かが低空で過ぎ去って行った。さらに、何かが投下されている。
「え?何?ねえ……」
私は不安げにリツコや花田先生と顔を見合わせたが、次第にそれはビラだと分ってきた。教師達は頭上を見ながら互いに話し込んでいる。いつも近くで交通指導をしている警官も歩み寄ってきた。後から来た男子生徒が校門によじ登って最初にビラをつかみ、一行を読み上げた。
『緊急事態宣言』
「えっ!?」
学校前の道に周囲からも人が集まってきた。警官が注意を促す中、多くの人がビラを拾う。私も早速拾って読んだ。
『現在、日本全国において電波障害、通信障害などが観測されています。原因は未だ特定されていませんが、太陽フレアによる現象との予測がされています。……』
・急いで屋内に避難して下さい。
・絶対に空を見ないで下さい。
・空に幾何学的模様が見えることがありますが、特殊な自然現象です。絶対に空を見ないで下さい。
・混乱せず、地域の警察・消防による指示に従って下さい』
「ね、ねえ、何……」
リツコが私に聞くと同時に、周囲ではパニックが起き、校舎に人が逃げ込み始めていた。警官すらそうだった。私もうろたえるしか無かったが、すぐにある考えが浮んだ。
「家に帰ろ!」
~3~
私とリツコはもと来た道を急いで戻ったが、市道の混雑は更に酷くなり、パニックも起きていた。先ほどのコンビニにも人が殺到し、入りきれなかった人が怒号をあげている。
「ホントに行儀わるっ」
「家に帰れば良いのに」
畑道の中央まで来た時、非常に重低音のサイレンが鳴り始めた。ボオーッと言う電子音が響く中で私とリツコは歩みを止め、お互いビク付いた顔で見つめあったが、サイレンはしばらくして止まり、いかにも冷静を装っていると言う風の女性の声がした。
『こちらは緊急無線です……こちらは緊急無線です……今すぐ屋内に避難して下さい……今すぐ……』
「ケイコッ、あれえ!」
その時、リツコが指差す上空に、六角形の物体が数十も現れていた。やや曇った空にあるにも関わらず、その黄緑色の輪郭は極めてはっきりしており、さらにその内面は漆黒だった。再びサイレンが鳴り始めている。六角形の物体は急速に集合し、形を合わせて蜂の巣あるいはハニカム構造状に一体となった。前面の空一帯に不気味な空間が誕生したのだ。周囲では十数名の人が六角形を指差しながら断続的に学校の方に逃げていくのが見えた。そして、あの集合した六角形の一部一部が光ったかと思うと、内面から遠近感の掴めない“色”たちが無数に現れた。
「な、何あれ」
“色”たちは急速に降下した。それは何も透過せず、ただそれぞれが一色のグネグネ動く壁の様に地面に近付いてくる。私は恐怖を感じ、急いで逃げ出したが、立派な建築物は周囲にない。とにかく家がある住宅地へ向かおうとしたが、リツコが動かなかった。
「ね、ね、ねええ、ろろろ、六角形って言う概念があるんだから、も、もしかして私達と何か通じあうんじゃないのお?」
「何言ってんのリツコ、に、逃げなきゃぁ!」
「ねえ、お話できるんでしょお、ほらあ、円周率どう、3.141……」
「リツコオオオ!」
私は何が何だか分らず泣き出すしかなかった。その時、私の前面に、赤い“色”と青い“色”が降り立ち、それぞれリツコと私に無音で向かってきた。その色は、私達の知る色覚の仕組だとか三原色だとかで現れているのではなく、全く別の原理で存在している様に思えた。私達が赤とか緑とか呼ぶそれとは意味が違う、生きているXだ。もう泣き声も出なくなった私に、青色が接触した。
「ひっ……」
触れた手から、腕から、つま先から……微弱なバイブレーションとでも言うような、空間自体がボコボコ震え上がるような感触が広がった。
「ひぎいいいい」
その感覚はただ気色悪かった。だが私の体は動かない。いや、動かされた。青色は私の体の前面に密着して大の字にさせ、私の着ていたセーラー服も下着も靴下もバンドもまるでそれが自然であると言うように一瞬で地面に落とした。そして私は頭も胸も腕も腹部も陰部も足も何もかも“色”の感触に支配された。目や鼻や口からも感覚が進入した。頭の中に鮮やかだが非常に気色悪い感覚が広がる。耳の中で奇怪な音がした。電波が直接頭に入り込むなら、こんな音なのかも知れない。私は気食悪さと、普通並び立たないはずの冷静さの間で、次第にその感覚を受け入れていった。サイレンはいつの間にか止み、かろうじて視界の隅で見ると、リツコが無言かつ無表情で赤色に……そうだ、冒されている。
「─┌└┤┘┌┼┌┘┤──│」
「……うう」
「┘┤└┘┤」
子宮の奥底に感覚が届き私は足をガクガクさせた。どういう原理か分らないが青色はそのまま私を背から宙に引き上げた。地面から数十センチ浮いた状態で冒されたまま無音で漂う。リツコと赤色も着いて来た。住宅街に入ると、大勢の人が冒されている。男性も女性も裸で、色の感覚を差し込まれている。緑色が、近所の少年を。紫色が、婦警を。黄色が、寝たきりのはずの老婆を。汚めのネズミ色が、知的障害者を。見たことのない色が、ドイツからの女子留学生を。みんな屋内からひきずり出されたらしい。犬が吠え掛かっているが、色はそれらに関心を示さないようだった。犬や鳥の鳴き声の他はちょっとしたうめき声しか聞こえない。
「┌┘─│─┬┼┘」
私の脳が“電波”を解釈したのかは分らないが、ただ、男も女もLGBTPZNも健常者も障害者も共産主義者も資本主義者も日本人も外国人も混血も無国籍者も仏教徒もキリスト教徒もムスリムも一般人も王侯貴族も何もかも、無数の色により平等に冒されたヴィジョンが頭に浮んだ。しばらくして住宅街の外れで、色は私を放した。私はしばらく空を見つめていたが、その後よろよろと自宅に向かった。父親は狭い庭で無表情になりながら黄緑色に冒され、母親は既に冒され終わり玄関にへたり込みながら片手で股間を弄っている。私は父よりも母のそれを凝視した。
「Ah……」
しばらくすると、色達は一斉に空のハニカム状の物体に帰り、その後一つ一つの六角形が再び離散して去って行った。私はそれを見ながら、心の渇きを感じた。
~4~
数日後。あたし達は裸のまま、校舎の屋上で夜空を見つめていた。すごく静か。周囲にはリツコ始め何人かいるけど、みんな顔の感じがすっかり変わり、言葉も少なくなった。あの出来事からちょっとして、もう一度あの六角形ポータルが一つ来て何かまいたらしく、空気がやや黄色がかって、あたし達はお腹へらなくなった。糞尿の臭いもしない。母も父も無口になって家の中や周りで何もせず座ったり立ったりしてる。あたし達はまわりとの関わりなんか必要としなくなった。もう何もしない。世界中似たようになったんだろう。リツコが何か言ってる。
「もう何も考えなくて良い」
「うん」
「学校とか」
「あの色、好き」
「ねえ、私達、何?」
「さあ」
いつからかは分かんないけど、気がついたらそうなってた。その時、少し前と同じ様に夜空に再びあのポータル群が現れ、見る見るうちにハニカム状に合体し、いっぱい“色”が出て来た。色たちはしばらく浮いていたが、やがて相手を見定めた様にバラバラに降下して来た。激しい黄色が目の前に。
「あたしたち、また食べられるのかな」
「楽しみ」
(終 4000字)
藤城孝輔 投稿者 | 2017-06-16 23:40
第3節における接触から人々が色に冒されるまでの描写がすごい。わけが分からないながらも読み進めずにはいられない勢いがある。さらに、第4節において一人称がさりげなく「私」から「あたし」に変わっている点も興味深い。処女を喪失してすれっからしになったということか? 規律正しい日本社会に生きる「私」と開放的になった「あたし」の対比は読んでいて小気味がいい。
色の正体が何だか分からないまま投げ出された感じがする。何とも言いがたい読後感を得た。
退会したユーザー ゲスト | 2017-06-18 07:12
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みゆ 投稿者 | 2017-06-23 00:38
こんにちは。みゆと申します。よろしくお願いします。
文章がとてもこなれていて、読みやすかったです。書き慣れていらっしゃるんでしょうね。量を書いた人の文章という気がしました。
内容ですが、私を含め他の方の作品は、直接的に家畜との入れ替わりを書いたのに対して、かなりひねりがありますね。
ご存知かもしれませんが、フレドリック・ブラウンの「雷獣ヴァヴェリ」 をなんとなく思い出しました。殺傷光線? を出すポータル、というのは、ゲームのPortalでしょうか?
確かに、あの世界に入り込んだら嫌ですね。
視点が主人公のそばにずっとあるので、あちこち動くのも良かったのではないでしょうか。ポータル殺傷光線でメタメタになった各地の惨状をもっと観たかったので。
色々と書きました、すみません。ありがとうございました。
@13KID 投稿者 | 2017-06-23 23:13
接触その後の描写についてのテンポ、情緒不安定になりがちな展開は引き込まれるものがありました。
間接的に「家畜」との入れ替わりを描いた、この着目点に唸らされました。
溶け込みやすい文体といいましょうか、ないまぜのまま想像喚起させてくれることはテーマ上致し方ない感もあるのだけれども、もっと欲しい感もありました。