黒いクラスの時代

合評会2016年10月応募作品

Juan.B

小説

11,266文字

※2016年10月分合評会作品。

~1~

 

 

「由紀、一緒の学校来れたね!」

「うん!聖子も良かった!」

 

石造りの門がそびえる校門の前で、由紀は中学時代の親友である聖子の手を握った。

 

「また一緒に通えるね」

 

たくさんの生徒達が、制服に花を付けた姿で校門を潜って行く。二人も歩き始めた。

 

「さあ、一緒に入ろう」

 

両脇に木々が茂る、校舎へのやや長い道のりを、二人は話しながら進んだ。

 

「ここさ、今年から共学なんでしょ」

「でも初っ端から沢山男子が来るかなあ」

「恋愛禁止の校則があったりして」

「イヤだなー」

 

校舎に辿り付くと、二年生・三年生の役員生徒達が受付を行っていた。

 

「学生番号の下2ケタが99までは左の列へ、それ以降は右の列へお回りくださーい」

「ごきげんよう、ご入学おめでとうございます、番号とお名前を……前へどうぞ……ごきげんよう、ご入学おめでとうございます、番号とお名前を……前へどうぞ……」

 

多くの生徒達が並び、資料を受け取り、体育館へ向う。由紀と聖子もその列に並んだ。

 

「私、凄い、77番」

「うち69番」

「へえー」

 

ようやく列を並び終え、封筒に入った資料を貰い、二人は体育館の前に向った。ここで番号順に並び入場するのだ。

 

 

~2~

 

 

入学式が始まってから体育館は厳格な雰囲気に包まれ、登壇者と司会、喋るべき者以外に誰一人言葉を発する者はいなかった。しかしこの体育館にいる女子たちは言葉は発さずとも、目玉は動かしていた。

 

「……いない」

 

聖子の目に見える範囲に男子生徒は居ない。振り向くことは出来ないが、入場した時の記憶からして共学になったと言うが、実際は今年度もまた由緒正しき女学校となるのだろう。やや長いPTA会長の話が終わり、いよいよ式も終盤と言うその時、教諭代表の話と言う聞き覚えのない言葉が司会の口から出てきた。登壇した教諭は四十代後半くらいの小太りの女性だった。

 

「新入生の皆さん、保護者の皆様、ご入学おめでとうございます、教師代表として私、上野が……」

 

そこからまた社交辞令の様な話が続いた後、唐突に、生徒比率に関する話が始まった。

 

「……さて、関心を持たれている方々もいるでしょうが、今年度より我が校は男女共学制になりました。しかしながら、一般の枠として入学した男子生徒は一人もおりません」

 

この様な話に入っても、会場にはざわめきは起こらなかった。見ての通りのことだったからである。しかし、教諭代表の女性は、一言間を置いてから、再び話し始めた。

 

「ですが、私たちは国際教育パートナーシップ指定校に基づき、北コンゴ自由国より一人の入学を受け入れることになりました……どうぞ、こちらへ」

 

背の高い、がっしりとした黒人が一人、舞台の脇から入ってきた。そしてそのまま自然にマイクを取り喋り始めた。

 

「こんにちは、皆さんにお会い出来て嬉しいです、私は北コンゴ自由国のレオポルドタウンから来ました、ンゴロ・ヤゲンニブラです、どうぞよろしくおねがいします」

 

会場はなお静まり返っていた。拍手もない。ただ、先程と同じ静かさでも、重苦しさが明らかに増していた。壇上の彼は笑っているにも関わらず。先程の上野と言う教師がヤゲンニブラからマイクを受け取り、再び話し始めた。

 

「は、はい……皆さん、その、とても、どうでしょうか、その、日本語がお上手で、素晴らしいですね」

 

この時になって、ようやく遅れて拍手が響いて来た。しかしその音はまばらである。ヤゲンニブラは笑顔を崩していない。聖子はどうにか首を回し目線を動かし、左右の在校生や保護者席を見てみると、明らかに困惑している。聖子の胸の奥にも、なぜか重苦しいものが込み上げてきた。ヤゲンニブラが促されて壇上の端から消えた後、上野はそれまで何事も無かったかのように再び当たり障りのない話をし始めた。

 

「みなさんとこの3年間、一緒に青春を送りたいと思います……」

 

 

~3~

 

 

校門奥の大きな臨時掲示板に張り出されたクラス表の前に、新入生たちが群がっている。合格者発表の時の様な緊張感や“天国と地獄”といった様相はない。キャッキャッとはしゃぐ声が響く。一年生全4クラスの中で、聖子と由紀は同じクラスになった。

 

「ねえ、私3組」

「同じ3組?やったー、また一緒よ」

「やだー、高校デビューしにくいね」

「こんな綺麗な高校でデビューする事ってないでしょ」

「フフフ」

 

その時、他の方から声が掛った。

 

「あなた方も同じ3組ですか?」

 

振り向くと、別の新入生だった。

 

「は、はい」

「私は草井満子と申します、どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ」

「あの、突然なんですけど、もしかして中3のテニス部の大会で一度……」

「あ、もしかしてあの時の、神奈川の……」

 

出身や部活の話で話が弾んできた時、メガホンを通した教師の声が響いて来た。

 

『みなさん、クラスと番号は確認できましたか?そろそろ昇降口へ向かって下さい、在校生が案内します』

「だって、そろそろ行きましょう」

「ええ、またクラスでお話ししようね」

 

一足先に行った満子を前にし、聖子と由紀も歩き始めた。

 

「ふーん、聖子も知り合い多いなあ」

「由紀とあの子以外ここには知り合い居ないよ」

「一人ぼっちも嫌だけど知り合い多いのも何だか気が引けちゃうからこれくらいで良いんじゃない?」

「そうかもねー……ところで、あの人……何て名前だっけ、アフリカから来た人」

「ん?」

「あの人見かけなかったね、名前も……」

「うん……」

 

急に二人の口は重くなった。そうしている内に昇降口に着いた。

 

「ごきげんよう、みなさん、左から一組、二組と並んでいます、それぞれ自分のクラスの自分の番号の下駄箱に……」

 

話を聞きながら、二人は下駄箱で靴を履き替えた。誰もが新品の指定体育靴を履いている。

 

「中学の時さあ、上履きになんか凄い色々イラスト描いたりシール貼ってたりした子居たよね」

「あー、居た居た、なんか先生から買い直せとか言われてたけど最後まであれで通しちゃってた」

「あはは、流石に高校でそれはないよねー」

 

話の意気を取り戻しかけた二人の前に、大きな影が出来た。

 

「あなたのクラスはこちらです、ヤゲンニブラさん」

「どうもありがとう」

 

男性の事務職員に連れられたあのヤゲンニブラが現れた。ヤゲンニブラは聖子と由紀を見下ろすと挨拶を始めた。

 

「あなた達も3組ですか、よろしくお願いします」

「は、は、はい……」

「……」

 

話しかけられた聖子は何とか返事をしたものの、由紀は俯いてしまった。何事も無い様な顔をした事務職員はそのまま出て行った。

 

「じゃあヤゲンニブラさん、私は事務室に戻るので……あとは他の生徒と一緒に在校生の案内に従って下さい」

「はい、ありがとうございました」

 

ヤゲンニブラの、流暢な日本語が、何故か聖子にはとても不気味に思えた。由紀が静かに聖子の袖を引いて移動を促した。

 

「ほら……先輩の所いこう……」

「う、うん」

 

 

~4~

 

 

カッカッとチョークの音が響いていたのが終わり、黒板を向いていた教師は振り向いた。ピンク色のスーツを着た、黒い髪を伸ばした若い女性だった。

 

“母野運子”

 

黒板に大きくチョークで書かれた文字を背に、教師はハキハキと喋り始める。

 

「みなさんとお会い出来て嬉しいです、私は母野運子と言います、これから一年間、みなさんと一緒にこの一年三組で暮らす、32人目の仲間だと思ってください」

 

母野はきらめく目をクラス中に振りまきながら、次々と話を続ける。

 

「私は教師生活四年目で……」

「中学から大学まで水泳にのめり込んでいて……」

「私が高校の時に行った修学旅行先は札幌で……」

 

クラス中は飲み込まれた様にその話に聞き入った。ふと母野が時計を見ると20分も経っている。

 

「あっ、いけない、話し過ぎたね、そうそう、皆さんにはこれを書いて貰いたいんです、後ろの人に配ってね」

 

自己紹介カード、と言う物がクラスの各列に回される。聖子の手元にもカードが周って来た。

 

「このクラスでみんなお互いの事を良く知ってください、ね、実質的にはまだこの学校は女子高の様なものだし……あ……」

 

母野が何かに気付くと同時に、後ろの人に回そうとした聖子も気付いた。ヤゲンニブラがこのクラスにいるのだ。

 

「そ、そう、この学校は今年度から完全な共学になりました、ね、だからみんなお互いの事を良く知りましょう、素敵な学校生活を、ね、お、送ろうね」

 

ヤゲンニブラは笑みを浮かべながら自己紹介カードを受け取った。ヤゲンニブラの額のやや右側に白い傷が見える。

 

「どうもありがとう」

「……」

 

黒い顔に爛々と光る笑顔。聖子は再び胸の奥に重苦しい物を感じながら、今度はヤゲンニブラが日本語を書けるのかと言う事が気になり始めた。手にしていたボールペンをわざと床に落とし、拾いながらやや後ろを伺うと、ヤゲンニブラは非常に綺麗に、漢字も駆使して文を書いている。

 

“趣味:史跡巡り”

“尊敬する人:両親”

 

聖子は胸の重苦しいものが高まり、そのまま急いで前に振り向いた。自己紹介カードにある幾つかの項目、それだけの事に全意識を集中させた。そうして書き終った時、自己紹介カードには異様に筆圧の高そうな、黒光りする文字が並んでいた。

 

「皆さん書けました?じゃあこれから一度預かります、それで明日の新入生レクリエーションの時間に……」

 

聖子は、カードを回収する時に再びヤゲンニブラと顔を合わせなければいけない事に気付いた。

 

「……」

 

体をやや傾かせ、顔を見ない様に、手だけ回す。その手にカードが渡された。

 

「お願いします」

「……」

 

 

~5~

 

 

一週間が経った。

 

「松田さん、おはよう!」

「もう、満子さん、下の名前で呼んでくれて良いよ」

「聖子さん」

「フフフ」

「あっ、斉藤さんも来た」

 

聖子と満子が待っていた校門に、由紀もやってきた。由紀は親の車に送迎されて来ている。友人だった聖子と由紀、旧知だった聖子と満子と言う筋を通して、すっかり三人は仲が良くなっていた。

 

「昨日の図書館レクリエーション、面白かったね」

「あんなに広いんだ、少し感動した」

「図書委員の人もクールだったねー」

「ねえ、中学ん時はあんまり行かなかったけど、せっかくだし昼休みちょっと行ってみようよ、kankanが置いてあるかも知れないよ」

「あるかなあ」

 

その三人の横を、何人かの一年生の生徒が通り抜けていく。

 

「ごきげんよう!」

「ごきげんよー!」

 

しかし聖子が視線を昇降口に移すと、あのヤゲンニブラが居る。

 

「……あの人がいる」

「アフリカから来た人?」

「何と言うか、ねえ……」

 

聖子が左右を向くと、満子も由紀も重苦しい顔をしている。しかしいきなり満子が口を開いた。

 

「もしかしたら映画の『星の王子様パリへ行く』みたいにどこかの国の王子様かも……」

「まさかあ」

 

満子の冗談により気分は若干ほぐれた。だが三人の誰がそうリードする訳でもなくヤゲンニブラに追いつかない様に間隔を調整しながら、三人は校舎に入った。

 

 

~6~

 

 

高校生活初めての、現代文の時間である。

 

「三組の皆さん、始めまして、ええと32人いるのか……ん?31人か、最後の一人は先生だな……本当に自分の名前を入れてしまって、紛らわしいな、あはは」

 

石田と言う男性教諭はリストを眺めながら笑った。

 

「じゃあ、ええと、顔と名前を一致させたいから点呼させて下さい……吾妻」

「はい」

「はい、梅野」

「はいっ」

「はい、江口……」

 

満子、由紀、聖子も名前を呼ばれた。

 

「んで、最後は、ああ君か、ンゴロ・ヤゲンニブラ」

「はいっ」

「ンで始まる人は日本では……そう、珍しいな、ハハハ」

「ははは」

 

石田とヤゲンニブラの乾いた笑い声が響いた。石田はいつの間にかヤゲンニブラの席、つまり聖子の直ぐ後ろにいた。

 

「入学式の時に見たけれども君はとても日本語が上手なんだね」

「はい」

「君……」

「はい?」

「あ、いや」

 

石田は何か思い出した顔をして、そこで笑みを浮かべて何度も相槌を打ちながら不自然に話を終わらせた。聖子は、自分の後ろのヤゲンニブラの席から前へ向う石田の顔が半分引きつっているのを見た。

 

「さて皆さん、教科書は、届いてる?届いてるね、ただ今日は教科書は使わないで、そう、まず現代文って何か?と言う事を……」

 

 

~7~

 

 

「学食、凄かったねー」

「私は鰆の西京焼定食食べたけど、もっとご飯多くして欲しいな」

「中学の時は大盛りあったけど、ここは女学校だから大盛無い……あ……」

「そう、まあ、今年から、共学だから……大盛あっても良いのにね!」

 

由紀がどうにか話を無理に終わらせてくれた事に感謝しながら、聖子は図書館の位置を生徒手帳から探り出した。高校にしては敷地が少々広い為、最初は迷うのだ。

 

「中庭から出て、右の……ここが図書館」

 

別棟となっている図書館に入ると、蔵書の無断持ち出しを防ぐゲートの奥に多くの本が並んでいるのを見た。

 

「多いねー」

 

聖子は何からどう見ようか迷ったが、直ぐ近くに辞典や大型地図や年鑑など大きな図書が並んでいるのに目が付いた。

 

「このウルトラマイティグレートアトラス世界地理年鑑Ex‘Mk3‘16年決定版って何?凄い分厚い……」

「地図帳でしょ」

 

興味本位に、聖子と由紀の二人掛りで読書台の上に置き、満子が適当にページを開いた。分厚すぎてビビビと不安な音がしたが、取り合えずページは開いた。

 

「中華人民共和国チベット自治区の座標……何だ殆ど山ばかり、縮尺が細かいね」

「もっとこっちこっち」

 

更に適当にページをめくると、今度は見開きにアフリカ大陸の全図と国旗及び国家情報が並んでいるページが出てきた。

 

「こんなの見ても……ん」

「どうしたの?」

「あの、アフリカのあの人の国って……」

「北コンゴ自由国だって言ってたね……でもレクリエーションの時間の自己紹介でも細かい事は言ってなかったね」

 

興味のまま探してみると、アフリカ大陸のちょうど中央に、北コンゴ自由国は存在した。そこそこの広さの国だ。

 

「首都はレオポルドタウン、元首はムアベ・カミュ大統領」

「まだ内戦が続いてるんだって」

「ふうん」

 

聖子はどうでも良い気分になって、そのまま地図帳を片方から閉じようとしたが、まだ由紀が手を置いていた。

 

「ちょっとー、私の手を潰す気?」

「あ、ごめんごめん」

 

その時、三人の後ろに大きな影が迫った。雰囲気を察し、聖子は恐る恐る振り向いた。

 

「館内は静粛に願います」

「すみません……」

 

図書委員の大柄な先輩だった。

 

 

~8~

 

 

新入生と言う言葉ももう馴染まなくなる、五月上旬の金曜日、いつもの三人に、満子の知り合いで別のクラスに居る共田沈子と言う女性を加え、四人は制服姿でファミレスに来ていた。早速由紀が悪ふざけを始めている。

 

「そんな、ドリンクバー全部混ぜるなんて小学生みたいな真似したの?」

「料理が一番最初に来た人が抜け駆け罰ゲームね、これ飲むの」

「そしたらグリルとかパスタ頼んだ由紀と満子が有利で、私と沈子さんが不利でしょ!」

「お待たせしました、ボローニャソーセージと完熟トマトのオリーブオイル和えサンドイッチです」

「言ってる側から……あ、どうも……良いよ、飲んであげる」

 

メロンソーダのせいか若干緑がかった、奇妙な色の飲み物に聖子は口を付けた。複雑な甘みと、オレンジジュース由来らしき酸味が絶妙に混ざり合って、まずい。

 

「ムッ……はい、飲んだ、飲みました、もうイタズラしない」

「はーい」

 

その後、全員の料理が揃い、食事が始まった。

 

「それで、週明けの体育祭……」

「リレーが華だよね」

 

その時、沈子が不服そうに声を上げた。

 

「3組にはあのアフリカから来た人がいるんでしょう、3組有利じゃん」

「別にアフリカの人だから足が速いって事はないと思うけど……」

 

聖子はそう言ってみた物の、練習の時の事を思い出すと、確かにあの男は早い気がした。ただし気を抜いて走ってるようにも見えた。その時、急に誰か近付いて話しかけてきた。

 

「モシモシ」

「……!」

 

スカーフをした、黒人の女性が、四人の席の横に来ていた。その女性は四人の制服をじろじろ見つめ、言葉をどうにか選び出そうとしているようだった。

 

「は、はい……」

「アナタ、ハ、スモ、スママ、スメラギミヤ付属高校ノ、Studentデスカ」

「そうですけど……」

「コノPhotoノ人知リマスカ」

 

突き出された写真には、あのヤゲンニブラの、もう一年か二年若い頃の様な写真が写っていた。額の傷も今より目立っている。ヤゲンニブラとはっきり顔を合わせていた聖子にはそれが断言できた。

 

「あっ、ヤゲンニブラ」

「ヤゲ……ヤゲンニブラ、ネ、ハイハイ、ワタシソノオバサン」

「は、はあ」

「ヤゲンニブラ、元気シテルカ」

「え、ええ」

「ヤゲンニブラ会イタイネ」

「会いたいって、会えてないんですか?」

 

ヤゲンニブラの叔母と名乗るその女性は、ブンブン首を振った。

 

「来タバカリ、ドコイルカ」

「私たちも良く知らないけど、学校に聞けば……」

「チョト、ソレCan Notネ、イエ、チョト、ソノ、フクザツ 、アト、ワタシ昨日日本キタデ良ク分ラン」

「……?」

 

四人は顔を見合わせた。複雑と言うのはどういう意味だろうか。アフリカの家族制度で何かそう言う事があるのだろうか。だが満子の一言で話が進んだ。

 

「月曜日、体育祭やるから来れば会えると思いますよ」

「タイイクサイ?」

「Sports festival」

「オー、OK、マンデーネ、メルシー」

 

黒人の女性はそのまま去っていった。

 

「……ねえ、叔母さんだって言ってたけど若くない?」

「私達ぐらいの年で子供作ってるんじゃない?」

「やだー」

「と言うか本当に叔母さんなのかな……」

 

聖子は胸にまた重苦しい物を感じた。ヤゲンニブラの事にはどうも関りたくない。嵐が過ぎ去った後の荒涼とした気分だ。早く話を変えようと思った。

 

「ね、ねえ、皆、その、それぞれ何の種目出るの?」

「え、私は50m走」

「私は400m走」

「ウチは障害物競走……」

 

 

~9~

 

 

体育祭の当日、既に教室は片側に机が寄せられ、荷物置き場の様になっている。

 

「はい、皆、クラスカラーの鉢巻!しっかり巻いてね」

 

担任の母野が、小さな段ボール箱に入った鉢巻を配って周っている。

 

「もう皆来てる?あ、ヤゲンニブラ君が別で着替えてるんだった」

「……」

「そうそう、それで、皆調子はどう?昨日ちゃんと早く寝た?」

「寝ましたー!」

 

クラスのあちこちから反応が返ってくる。すでに母野は3組の生徒達と信頼関係を築けていた様だった。

 

「良い?開会式の体操だけじゃなくて、ちゃんと自分でも準備体操する、あと水分補給もちゃんと取る」

「はーい!」

 

その後、3組の生徒達は各自自分の椅子を持ちながら、校庭へ向け移動を始めた。そして昇降口を抜けた時、昇降口前の受付で何かが起きているのが見えた。

 

「そのー、あの、保護者の証明か、招待状か何かお持ちでは……」

「#$%&!!’!!&&”!!~~!」

「ええとー……」

「ヤゲンニブア!&%”!’!&”」

「ええ、その、分るんですが……Can you speak eng……」

「%#&!%”%’”%!」

 

スカーフをつけた、黒人の女性が受付の事務職員に詰め寄っていた。更にその傍らには褐色の男性も一人いる。聖子と由紀は顔を見合わせた。

 

「ねえ、あの人ってこの間の……」

「私達に話しかけてきた、あの……ああ、叔母さんか、その横は叔父さん?」

 

聖子と由紀はそのまま受付に顔を合わせないように校庭の方へ向っていった。校庭には既に多くの生徒が集まっている。得点板に近いテントに放送部員達が集まっていた。

 

「満子は放送部員だから主にあっちにいるんだよねー」

「後で暇が出来たら行ってみようか」

「忙しくなければ良いんだけど」

 

所定の位置に行ってみると、既にヤゲンニブラがたった一人で3組の位置に座っていた。

 

「どうする?叔母さんと話した事、言う?」

「良いよ良いよ、巻き込まれそうだし」

「そうか……」

 

 

~10~

 

 

「あっ!」

 

聖子はバトンを落としてしまい、互角に走っていた他クラスの走者達と間隔が空いてしまった。

 

「聖子ーッ!ガンバレー!」

「ドンマイドンマイ!」

 

鉢巻が湿るのを感じながら、一生懸命遅れを取り戻そうと走る。しかし他クラスの走者はとてもすばやい。

 

「ダメ……もっと早く……」

 

鼓動が非常に高鳴るのを感じながら、歓声と観客の視線が入り乱れる中を、聖子は一人遅れて走りぬけた。幸い親は観覧に来ていないが、恥と言う間隔は募るばかりだ。200m一周し、聖子はどうにか次の走者にバトンを渡した。

 

「ハ、ハイッ!」

「ハイッ」

 

待機列に入った聖子は、胸を押さえながら仰向けになった。クラスの皆への申し訳なさで涙が溢れそうだった。

 

「ドンマイ!聖子!」

「気にしないで!」

「み、みんな……ごめん……」

「大丈夫!遅れは取り戻せるから!」

 

担任の母野も精一杯聖子を激励した。聖子は一滴の涙を見せまいと、顔を半分覆いながら横を向いた。すると、離れた所でヤゲンニブラが一人準備体操しているのが見えた。

 

「あ……」

 

一度は収まりかけた鼓動が、再び高鳴り始めた。

 

「私が出した遅れ……あの人に取り戻されるのかな……」

 

どうでも良い事を考えているのに、鼓動は高止まりしている。聖子は、既に走行を終えた満子を手招きした。

 

「ねえ満子、ヤゲンニブラはいつ……ハアッ、走るの?」

「最後だよ、それより大丈夫?走ってしばらく経ったのに顔凄く赤い……」

「そりゃあんな事しちゃったんだから……」

「き、気にしなくていいよ、そんな事」

 

コースに目を移しても、未だ3組の走者は遅れを取り戻していなかった。その時、ヤゲンニブラがバトンを受け渡すレーンに入った。自然に歓声が失せていく。他のクラスの走者達が一足先に出て行った後、ヤゲンニブラにバトンが渡された。ヤゲンニブラは猛烈に走り始めた。

 

「う、うわっ、早いよ」

 

由紀はヤゲンニブラに顔を合わせ、コースを眺めていた。聖子も半身を起してその様子を見る。恐ろしく早い。

 

「3組の男子、は、早いです、頑張って下さい」

 

満子の友人の沈子らしき実況も加わる。直ぐにヤゲンニブラは先行に追いついた。先頭を走っている2組の生徒と互角の所に並んだ。

 

「ああー!ゴールはもう直ぐです!」

 

聖子の動悸は高まった。ヤゲンニブラは先頭を抜かし、聖子の目の前を通り過ぎ、両手を挙げてゴールした。

 

観客の声は静まり返っていたが、次第に拍手が響いてきた。ヤゲンニブラは満面の笑みと息切れを共に、聖子のやや手前に座り込んだ。

 

「ハアッ、ハアッ!」

「……」

 

ヤゲンニブラは顔を起し、聖子の方を見た。ヤゲンニブラの顔には汗がただ垂れ続け、黒い肌が光っている。聖子の動悸は最高に高まった。

 

「……」

「……!」

 

その時、観客の奥から、叫び声が上がった。

 

「キャアアア!」

「な、何だ!」

 

観客がどよめき、左右に分かれた所に、ヤゲンニブラの叔母と、白いシャツを着た褐色の男の姿が見えた。片手に何か持っている。

 

「ヤゲンニブラ……No, Emer!」

「!」

「Ici mourir!」

 

褐色の男が、何と拳銃をヤゲンニブラに向け、発砲した。ヤゲンニブラの腹から血しぶきが上がる。叫び声が高潮した。さらにヤゲンニブラの叔母を名乗っていた黒人女性は、そのまま手に持っていた何かを空中に発し、閃光が走った。既に何もかもが遅かった。肉片や内臓が飛び散るのが一瞬見えた後、顔に誰かの腸らしき物がぶつかり血しぶきで顔が染まる中で、聖子の意識は鋭い痛みと共に途切れた。

 

「ひ、ふぐううう、ぎいいいい、いぎぎぎ」

 

数人の友人が盾になった上で奇跡的に即死を免れた由紀は、自分の片目が見えていない事を認識した後、自分の腹部から腸がはみ出ているのを不思議な面持ちで見つめた。

 

「あ、お腹が……」

 

ふと周りを見ると、悲鳴や低いうめき声、そしてプスプスと言う何かの焼ける音だけがしていた。そして、クラスメイトたちは自分ひとりを除き、黒ずんでもはや生きてはいない事を認めるしかなかった。そして由紀の意識も次第に遠くなっていった。遠くからサイレンが聞こえるが、最早自分に間に合う気はしない。

 

「何……嗚呼……」

 

 

~11~

 

 

有名私立高校の体育祭で爆弾テロ 北コンゴ自由国反政府軍リーダーの子息殺害目的か? 東京・千代田区

死者102人 重傷者21人

 

今年から男女共学となった名門校の校庭は、華やかな体育祭から一転、惨状と化した。……北コンゴ自由国から遊学していたンゴロ・ヤゲンニブラ こと エメール・マボナ氏(15歳、死亡)を目標としたテロだと見られている。主犯格と見られる二人の男女は死亡した。……北コンゴ自由国では内戦が続いており、旧野党で反政府軍の主力を構成している改革同盟のリーダーであるカガメ氏の子息、エメール・マボナ氏は7歳のときに教育交流プログラムの名目で来日。……総理大臣は緊急対策本部を設立……東京23区一帯に警察が展開し重警備体制が敷かれている……北コンゴ自由国は哀悼の意を表したものの、公的な関与を否定し……。

 

(終)

2016年10月21日公開

© 2016 Juan.B

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3.8 (6件の評価)

破滅チャートとは

"黒いクラスの時代"へのコメント 5

  • 投稿者 | 2016-10-23 06:44

    ヤゲンニブラというミステリアスな人物に興味をひかれました。彼について与えられる手がかりは顔の傷や地理年鑑の記述など外から得た情報ばかりですが、母国の政治状況や日本の高校で疎外された現在に対する彼の心情がもっと知りたくなりました。特に母国については図書館のシーンのように作為的に説明するのではなく、ヤゲンニブラ本人の口から語らせたほうが彼を感情を持った人間として描くことができると思います。主人公たちが彼を不気味な異物と見なしているからといって、彼をフラットなキャラクターにしておくのはちょっともったいない気がしました。

    人種の主題が大きく扱われているため、「女子高だった高校に一人だけ男子」というテーマの必然性が低いように見受けられます。ヤゲンニブラを前にしてヒロインの気分が重くなるのは彼が「アフリカから来た人」だからであり、性別の違いは副次的なものに過ぎないのでは? ヤゲンニブラに対する主人公の嫌悪感に性的な葛藤を加味することで今回のテーマがさらに活きてくるのではないかと思います。

  • ゲスト | 2016-10-23 08:41

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  • 投稿者 | 2016-10-26 13:54

     登場人物がスカスカ、1つ1つのシーンもスカスカ。この作者の他の作品のような、本質に訴えるものやパワーがない。エンタメ要素もゼロ。おそらく作者はこの作品で、淡々としたつまらない要素を並べることで、男女差別や血統による差別もつまらないものだということを表現したかったのだと思う。(・0・*)ホ,(゚0゚*)ホ–ッッ!!!石原慎太郎が『完全な遊戯』で、淡々とした運動として暴行や強姦する若者を表現したのを思い出した。でも、淡々とした小説を書くということは、今の時代では陳腐な手法の気がした。あ、それ以前に「学園もの」ではエンタメ要素が必須な気もしてきたぞ( ̄▽ ̄;)
     星4つ!

  • 編集長 | 2016-10-27 17:31

    黒人が主人公ということで、「大丈夫かな?」と思ったが、最後まで大丈夫ではなかった。バカバカしさを評価したい。

  • 投稿者 | 2016-10-27 17:52

    会話中心で構成されているわりに物語の推進力が強く、全体的には面白く読んだ。
    評価が難しいのは、やはり他の方が指摘しているように「去年まで女子校だった高校に一人だけ男子」というお題である必然性を感じない点。あるいは、性差を人種間の差異とオーバーラップさせようという意図があったのかもしれないが、それにしては描写が乏しい。
    ともあれ、作家としての個性は充分に発揮されている佳作ではないか。

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