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エリンギ・ビートルズ・フォーエヴァー

合評会2026年7月応募作品

松尾模糊

「エリンギ」と言えば桑田佳祐。キノコ業界では常識だそうです。7月合評会応募作。

タグ: #ビートルズ #リアリズム文学 #夏目漱石 #合評会2026年7月

小説

3,160文字

「最近、凝ってるのがね、エリンギっていうのがあるんですよね」

2000年11月3日、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージック・ステーション』に出演した、サザンオールスターズの桑田佳祐がこう発言したことにより、翌日の日本におけるエリンギの出荷数は十倍に跳ね上がったと言われている。当時、大学生だったわたしもキノコ類と言えばエノキ、椎茸、松茸ぐらいしか知らなかった。頷くタモさんの隣で固形スープの素がなくても、あれ入れると味が出る、と熱弁していた桑田が「あ、今日持ってきてるんだった」と言って、おもむろにライトブラウンのジャケットから卑猥な形のそれを取り出した。当時、Mステのキャスターだった竹内由恵アナが赤いマニュキアのきれいに塗られた五本の指先でエリンギの根本をやさしく掴みながらカメラに向けて「これですね」と差し出す様子を見た桑田は「ちょっと持ち方、ヤラシイですね」とニヤケ顔で今ならSNSで炎上しそうなことを言っていた。
エリンギはもともと欧州で食べられていたもので――その学名Pleurotus eryngiiの由来も、原産地である伊や仏など地中海性気候地域からロシア南部、中央アジアのステップ気候地帯に繁茂するセリ科の植物エリンギウム・カンペストレの枯死した根部に自生することから来ている。――、日本で流通しているのは人工栽培されたものである。しかも、一九九三年に初めて人工栽培が行われたもので歴史も浅く、当時は一般的にも知られていなかったのが実情だ。今では当たり前のようにスーパーに並んでいるのも、半分以上は桑田の功績であると言っても過言ではない。2023年6月4日放送のTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』で、安住アナが「キノコ業界では桑田佳祐はサザンオールスターズの桑田ではなく、エリンギの桑田なんですよ」と発言していたように。

 

「エリンギ、覚えてる? あいつもういないんだって……」
「いない? エリンギって榎木のことやろ? いないって何?」
「死んだんだって。自殺」

東京に出張で訪れた楠田と再会した渋谷の居酒屋で二杯目のビールがテーブルに置かれた時に、楠田は思い出したようにそう言った。背が高くて、角刈りのルックスがどことなくエリンギに見えると「エリンギ」と呼ばれていた榎木とは、わたしが2007年にロンドンへ語学留学した時のクラスメイトとして知り合った。楠田はエリンギと同じロンドンで日本人が経営する美容室で働いていたが、帰国してから貿易会社で働くサラリーマンへと転身していた。初めは授業が終わった後、エリンギとテート・モダン美術館などを巡っていたが、カムデンにあるライブハウスで行われたパンクバンドの公演をきっかけに知り合った楠田と音楽の話で意気投合してからは、むしろ楠田と行動を共にすることが多くなった――もちろん、三人で会うことも同じくらいの頻度ではあった。しかし、エリンギは我々より一足先に帰国していたという事情がある。帰国してから三人で会ったのは一回だけで、それぞれ別々のコミュニティで生活するようになってからはすっかり疎遠になってしまっていた――。

エリンギは夏目漱石とビートルズをこよなく愛する好青年だった。彼が帰国する前に楠田と三人でビートルズの所縁の地である英中部の都市リヴァプールを訪れたことは今でもよく覚えている。わたしが彼らの曲で一番好きな「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のタイトルの由来でもある、ジョン・レノンが住んでいた「ミミ」と呼ばれた伯母の家の近くにあった戦争孤児院(現在は閉鎖されているが、その門中に壊れたアコースティックギターが遺跡の様に置かれていて観光名所になっている)で、幼少期のジョンはそこで毎夏行われていたお祭りを楽しみにしていたという。その頃の記憶があの幻想的な歌詞と楽曲を生み出したわけである。そうしたビートルズの蘊蓄をエリンギはビートルズのメンバーが常連だった、リヴァプールのパブ〈ザ・グレープス〉でパイントビアを飲みながら嬉々として語った。わたしたちが訪れた八月下旬は「インターナショナル・ビートルウィーク」と呼ばれる、リヴァプールが都市を上げて毎年開催しているビートルズ世界祭りの時期で、各地のライブハウスや公共施設や広場で地元はもちろん、世界各国から集ったビートルズのコピーバンドが演奏を披露していた。日本からもバンドが来ていて、彼らは音源を忠実に再現するような超絶技巧で観客を魅了していた。だが、わたしが国民性というか民族性を感じたのは、むしろ他国のバンドがかなりオリジナルに近いような、パッと聞いても誰の楽曲か分からないくらいのアレンジで演奏していたことだ。それでも彼らが皆とても楽しんでいる雰囲気が街全体を包んでいたことが印象に残っている。

 

「どうして……」
「ちょうど、コロナの頃で……あいつ店始めてたけど上手くいってなかったみたいでさ。離婚も重なって、実家に帰ってたらしいんだけど、自室で首吊ったって」
楠田は寂しそうに微笑するとビールを口にして、枝豆を食べた。わたしは人が本当に悲しい時は泣かないのだとその時に初めて知った。わたしも彼と旅したリヴァプールの地を思い出しながらビールを飲んでいると、涙は出ずにあの時ビートルズがレギュラー出演していたことで知られる伝説的ライブハウス〈キャバーン・クラブ〉で拳を上げながら「ヘルプ!」を聴いていたエリンギの姿を思い出して微笑ましい気持ちになった。

 

「これ、漱石では一番好きかも」

エリンギが休み時間にボロボロになった文庫本をわたしに見せて言った。「坑夫」と表表紙に記されていた。漱石と言えば『坊ちゃん』や『こころ』、『吾輩は猫である』などタイトルは知っているが読んだことがなかったわたしは「へえ」としか言えなかったが、「貸すよ」というエリンギの親切に甘え、ロンドンで漱石を初めて読んだ。日本語に飢えていたからかもしれないが、わたしはその文庫本を夢中になって読んだ。しかし、いま改めて、自暴自棄のあまり、坑夫たちの葬式のような儀式「ジャンボー」にいつになったら自分が行き着くのか夢想する語り手のことを思い返すと、わたしは胸が潰れるような気がした。

ビジネスホテルに戻る楠田と渋谷駅の交差点前で別れ、電車を待つ間にわたしはビートルズが聞きたくなって、ワイヤレスイヤホンを付けてスマホでYouTubeを検索した。2009年5月4日に放送されたフジテレビ系音楽番組『桑田佳祐の音楽寅さん MUSIC TIGER』で「アベーロード」というビートルズの『アビーロード』を独自の言語センスで空耳コピーしたサザンオールスターズの動画がふと目に留まった。当時はあの長期政権など誰も想像できなかった短命に終わった第一次安倍政権の後、麻生政権への不信が募って後に政権交代が起こる時代の節目だった。「カム・トゥギャザー」を「公明党ブラザー」ともじる桑田の皮肉にわたしは車内にもかかわらず思わず吹き出してしまい、慌てて口を抑えた。顔を上げると車窓に反射して映る自分の後ろにエリンギが立って、キャバーン・クラブの薄暗いスタンド席で首を振りながら踊っていた、あの時のような恍惚とした表情でわたしに視線を向けていた。わたしは驚いて振り返ったが、そこにはくたびれた顔をした見知らぬ中年男性が俯いているだけだった。車窓に視線を戻して夜の街並みを眺めていると、高架下から「じゃじゃん、じゃららん」と祭り囃子のような音が聞こえた気がした。覗き込むようにして見ると、神輿を担いだ行列が練り歩いていた。わたしはエリンギがジャンボーになったんだと思って、あっという間に小さくなったその行列に向けた視線をいつまでも離せずにいた。

© 2026 松尾模糊 ( 2026年7月23日公開

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"エリンギ・ビートルズ・フォーエヴァー"へのコメント 4

  • 投稿者 | 2026-07-24 18:15

    日本でエリンギが広まったきっかけが桑田佳祐だったとは驚きました。ビートルズ、ロンドン、漱石、『坑夫』、ジャンボーへと連想がつながっていく流れがスムーズに書かれ、若い頃のきらめきと亡くなった友人を思う寂しさがよく表現されていたと思います

  • 投稿者 | 2026-07-30 22:30

    恥ずかしながら、私もエリンギを広めた立役者が桑田佳祐だと知りませんでした。いつの間にか出てきたきのこだとばかり思っていました。勉強になりました。

    榎木さんがエリンギってあだ名も面白いけれど、それとビートルズが結びつくとは。エリンギは不幸な男性の象徴なのでしょうか。榎木さんと浅谷さんの小説の主人公が重なってしまいました。

    「アベーロード」は私も大好きです。特に「I want you」が最高ですね。「Iphone中、相場、Iphone中、相場、いつドルになり、いつドブになる、市場、ヤベー」っての、笑いが止まらないし、まさか円安地獄を予言するとは。
    そういえば「油田は危機を招き」(You never give you your money)ってのもありましたね。
    今度、プライベートで語り合いたいです。

  • 投稿者 | 2026-07-31 20:22

    まったく知らなかったので本当かいなと思って検索してしまいました。本当だった。紹介するだけならまだわかりますが、現物持ってきてるんかい。00年代のMステって、なんかみんな誰も困りはしない程度の変なことをしてましたよね。免許証の写真公開したり。

    ビートルズと夏目漱石をこよなく愛する男、それだけでいいやつなんだろうなと思わせますね。ビートルズと夏目漱石がすごいのでしょうか。
    日本の食卓にお馴染みのただのエリンギだからこそシリアスになりきれない切なさが、悲しみと日常の対比になっていて良かったです。

  • 投稿者 | 2026-07-31 20:23

    Wikipediaでエリンギを調べた時に桑田佳祐が出てきたのでエリンギ界の重鎮であることは知っていましたが、この情報をどう調理するねんという気持ちになりました。松尾さんの見事な調理! 連想ゲームのように絡んで繋がっていく、そして寂しくて悲しい話で良かったです。

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