マジック(ロングバージョン)

浅谷童夏

小説

20,609文字

以前合評会の公募お題「世界の終わりと白いワンピース」への応募作として、同名の作品を投稿しました。字数制限があったので、半分以上削り大幅に短くして投稿しました。こちらはその削る前の作品です。

マジック

 

 

アトリエの窓からダチュラの白い花を眺めていると、マハナがコーヒーを運んできた。どうぞ、と言って彼女は傍らのテーブルにカップをそっと置いた。
「来週の航空券と宿の手配は大丈夫かな」と彼女に訊くと「ええ、大丈夫です。お土産楽しみにしてますから」と明るい声が返ってきた。

私は絵描きで、バンドン郊外の自宅で暮らしている。来週は久しぶりにニューヨークでの個展のために出張だ。

日本に戻る気はない。もう六十に近いし、この地に骨を埋めるつもりだ。籐のチェアに掛けて、庭に繁る緑を眺めながら、こうして家のアトリエでコーヒーを飲むのが至福の時だ。そう贅沢はできないし、しようとも思わないが、職業画家として一応、不自由なく生活していけている。名前もある程度は知られていると思う。作品のいくつかはアメリカやヨーロッパの美術館に収蔵されている。

先日、海外で活躍する日本人アーティスト、という特集記事の企画で日本の雑誌の取材を受けた。その時、アトリエの壁に飾ってある、ワンピース姿の女の子のデッサンを目にした記者が、それをぜひ写真に撮らせてくれと言ってきた。それは五十年近くも前に描いたものだ。私は記者の申し出を丁重に断った。大変申し訳ないのですが、これは私にとって特別な作品なので、と。

チェアに座ったまま、スマホを開き、メールを確認する。先月からシドニーの画廊に出していた油彩画が約三万ドルで売れたという知らせが届いていた。AIが自由自在に、職業画家よりも完成度の高い作品を生み出すこの時代にあって、年に三、四点というペースで描いている私の絵に大金を支払ってくれるファンが世界のどこかに存在してくれているのは、本当に有難いことだ。それに加えて、私は週に三回、ジャカルタのアートセンターで子供や若者に絵を教えている。現在受け持っている生徒は九人。趣味の範囲内でそこそこ本格的にやりたい、という子から、プロを目指している子まで様々だ。比較的裕福な家庭の子弟が多く、皆、礼儀正しく熱心だ。韓国人、インドネシア人、日本人もいる。月謝の支払いが困難な家庭の子供でも、絵に対する強い熱意が感じられたら、非公式にだが、特待生として月謝免除で受け入れている。秘書兼お手伝いさんとして雇っているマハナも元々は教え子だった。

才能、という点でいえば教え子たちの大半は凡庸だが、中には将来性を感じさせる子もいる。もちろん私はどんな子にも平等に、できるかぎり優しく接する。絵を描くことは自分との対話だ。テクニックは重要だが、AI画家にはどうせ敵わない。それよりも彼らが真に芸術を愛する人間になれるように導くのが大切だと考えている。絵を職業にするにしても、描きたいように描いて、それで生きていける人間は一握りの中の更に一握りに過ぎない。私の教室も開講して十二年、累計百人ほどいる卒業生の中には、公募展で大賞を獲った者、画家やイラストレーターとして活動中の者、ユーチューブで作品制作の動画を公開して人気を得ている者もいるが、世間に広く名前が知られるようになったものはまだ数名だ。才能の有無に加えて、当然のことながら運も必要だ。

とはいえ、そんなことを悟り顔でこうして書いている私自身に才能があったのかどうか。ただ自分は絵を描くことに向いていた、というより、絵を描く以外のことはほとんどろくに出来ない人間だし、私の絵を気に入って購入してくれる人が一定数いるということは、少なくともその人たちだけは私の才能を認めてくれているのではないかと思う。
そしてもう一つの条件、即ち運という点で、私は間違いなく恵まれていたといえる。岐路にあって途方に暮れていた時、向かうべき方へと背中を押してくれたのは私自身の努力ではなく、運だ。それも自力で手繰り寄せた、というものでもない。

好きなことを仕事にできて幸せでしょう、と言われることがある。ええ勿論、その通りです。でもそれはそれで大変ですよ、ある日突然、絵がばったり売れなくなったらどうしようとか、突然スランプに陥って、全く描けなくなったらどうしようとか、あれこれ考えてしまいますしね。問いかけに対しては、大体、そんなふうに答える。陳腐な問いかけに相応しい、陳腐な答えだ。しかし、大概の相手はその答えに満足して頷いてくれる。実際には、描けなくなったら、などと考えることは無い。描くことは、私にとって呼吸し、食事をするのと同じことなのだから。それができなくなるときは、つまり死ぬということだ。どうせ人生は短い。生きているうちに産み出せる作品を一つでも多く産み出すだけだ。作品が後世に残ってほしい、などという大それた期待などしてはいない。

壁に掛けてあるデッサンの彼女を見つめる。彼女がいなければ今の私はここにいない。路上にうち捨てられたゴミのように誰の目にもとまらないまま消えていただろう。

 

絵以外に何の取り柄もない私は、自分の記憶に残っている限りでは、小学校の上級生になるころにはもう禿太郎――すだれの(今ならバーコードと表現する)禿げ頭の似顔絵を私が描いたお気に入りの消しゴム――以外に友達がいなかった。休み時間になると禿太郎ととりとめのない無言の会話を交わしながら物思いにふける私は、当然ながらクラスで一人だけ浮いていた。授業中もノートの隅に犬や猫、鳥の絵を描くことに精を出していた。そんな私ではあったが、一度だけ、自習時間、隣の席のクラスメートが齋藤義琉の話題を口にしているところに、ふと気まぐれに口をはさんだら、たちまち自分の周りに人垣が出来て戸惑ったのを覚えている。

私はその時、こう言ったのだ。

「齋藤義琉は僕の親戚だよ。家にだって行ったことあるし」

もっとも、親戚というのは誇張であって正確な表現ではない。ただ、家に行ったことがあるというのは事実だ。母の妹と義琉の姉が親友同士、そして家も近所、という関係で、どういう経緯でそうなったのかわからないが、家族で一度だけ齋藤義琉の家に遊びにいったことがある、というだけのことだ。

クラス内で義琉の話題を私が口に出したのはその一回限りだった。その日の晩の夕食中、学校で義琉の話をしてちょっとした騒ぎになったことを母に報告した途端、母が顔色を変えて怒ったからだ。二度と学校で義琉の話はしないように、と、母は私に釘を刺した。もしそんなことをしたら、いろんなところに大変な迷惑がかかるんだからね、あんた責任なんか取れないでしょ、と。実際のところは、母自身が知り合いに義琉のことを話したら、そこから話が広がって、サインをもらえないか、とか、ショーのチケットを格安で入手できないか、果ては義琉の大ファンだからぜひ彼の自宅を教えて、などという依頼が殺到して心底辟易した、というのがどうやら真相のようだった。

齋藤義琉はプロのマジシャンで、テレビに出ている有名人だった。大掛かりな舞台装置、派手な演出。「見えます見えます、見えています!」という決め台詞で客を沸かせる生粋のショーマン。彼が日本武道館でやったマジックショーでは、与党国会議員の松村龍之介夫妻がゲストに招かれた。舞台に引っ張り上げられた議員が、懐中の財布を消された後、観客席の夫人のハンドバックからその財布を取り出されたマジックは、議員が隠していた高級ガールズバーの会員カードが、財布から夫人の膝の上に零れ落ちるという、とんだ藪蛇のおまけまでついて、当時大きな話題を読んだ。

齋藤義琉は自分の私生活をマスコミに明かさなかった。だから彼に光という一人娘がいることは知られてはいなかった。義琉の自宅に行ったことがある、ということなどよりも、彼の一人娘である斎藤光と仲がいい、ということの方が私の自慢ネタとしてはずっと上だったが、もちろんこれも誰にも言わなかった。こちらは母に釘を刺されたからではなくて、光自身が義琉の娘だということを周囲に秘密にしていたからだ。

光と仲良くなったのは小六の時、叔母夫婦と共に、家族で義琉の家に招待されて遊びに行ったときのことだ。

義琉の自宅は住宅街の路地の突き当りにあり、意外なことに何の変哲もない木造瓦葺の二階建てだった。

「今日は口うるさい女房が実家に行ってましてね。あいつがいるとなかなかお客さんを呼べないんですよ」

マジシャンはそう笑いながら言い、上機嫌でウィスキーのグラスを傾けていた。小柄で赤ら顔で、白髪交じりのぼさぼさの髪を肩まで伸ばしている彼は、ただの胡散臭い中年男にしか見えなかった。
「酒飲んでるときはマジック、やんないんですよ。手元が狂っちゃまずいし。でもまあ今日はお客さんお招きしてるから、特別にひとつだけ」と言いながら、彼は、私と両親、叔母夫婦に向かって、自分のグラスの下に敷いてあったコースターを取り上げた。
「今からこのコースターに数字を書きますよ」

私たちが彼を見つめている前で、手で隠しながら彼はボールペンを動かした。それからそのコースターを裏返してテーブルの上に置いた。
「じゃ、これから皆さんでどうぞ、じゃんけんをしてください」

皆で言われた通りにじゃんけんをした。勝ち残ったのは私だった。
「君の誕生日はいつかな」
「十一月十四日です」と私は義琉の問いに正直に答えた。

義琉がにやりと笑い、コースターを裏返す。そこに書いてあった数字は一一一四だった。
「ステージでは色々と大仕掛けもやってますけど、私が一番好きなマジックはこういう地味なやつなんです」

はい、記念にどうぞ、と言われて義琉から手渡されたサイン入りのコースターを私が無造作にポケットにしまおうとすると、母から問答無用で取り上げられた。母はそれを大事そうにハンカチに包んで、自分のハンドバックにしまった。

母はうっとりとした眼差しを義流に向けていた。そんな母に苦笑いしながら、いやぁすごいものを見せていただきました、と父も長々と拍手していた。胡散臭い男に媚びている両親を見るのは不愉快だった。私はその場を離れたくなり、トイレに行くと言って廊下に出た。そこに色白の痩せた女の子がいた。彼女は上目遣いに私を見て、黙って手招きをし、私も黙って彼女についていった。彼女は自分の部屋に入ると、机の引き出しからケースに入った黒いカードの束を取り出して、無言で差し出した。それが一体何なのか分からなかった私が首を横に振ると、彼女は座って、そこで初めて私に対して口を開いた。
「花札よ。知らない?」
「うん」と私は頷いた。
「簡単だからすぐ覚える。ルール教えてあげる」

居間で義琉と母たちが、時々大声で笑いながら話し込んでいる間、彼女と私は黙々と勝負を繰り返した。ルールを覚えたての私はもちろん彼女に歯が立たなかった。負け続けて不貞腐れていると、たまに胸のすくような五光の役ができて逆転したりした。時々、彼女がわざと私を勝たせてくれているのではないか、と感じたが、口には出さなかった。光と私は勝負に熱中して時間を忘れた。小一時間も過ぎた頃には私たちは互いにすっかり打ち解けていた。私も光も、気がつくと声を上げて笑っていた。同世代の子と声を上げて笑い合った記憶は、私にはこれまで無かった。彼女の名前が光だということを知ったのは、やっと父親に呼ばれた彼女が立ち上がったときだった。

斎藤光と私とは同級生だった。学区が違うので隣の小学校に通っていたが、中学校で一緒になった。友達がいない、という点で彼女と私とはよく似ていた。彼女は私以上に他人に対して無口で不愛想だった。まあ、どうでもいいけど、というのが口癖だった。しかし何故か私には最初から心を開いてくれていた。光と私は違うクラスだったが、休み時間のたびに二人並んで渡り廊下の壁にもたれて、とりとめのない話をした。芸能人の話題も時々口にはしたが、光の父親の話題は学校では避けた。光がそれを露骨に嫌がったからだ。

光の父親の人気はいよいよ高まって、毎日のようにテレビでその顔を見るようになった。私と光が中一の二学期に、義琉の一家は都心の三階建てのビルに引っ越しし、光も転校していった。光の新しい家は、かつて有名芸能人が住んでいたという家で、高級住宅の立ち並ぶその界隈でも人目を引く豪邸だった。

当時はスマホもネットも無かったから、光と私は月に数回、電話で話をした。テレビの話題や、学校であった出来事など、他愛もない内容だった。

また、彼女は月に一度、休日、私に会いにわざわざ郊外まで一時間かけて電車でやってきてくれた。私が彼女の家に行くこともあったが、それはごくまれだった。母が人が来るのを嫌がるから、と光は父と同じことを言った。それに、今の大きすぎる家は好きではない、とも。私の方も、映画に出てくるホテルのような雰囲気の彼女の自宅に、あまり居心地の良さを感じなかった。幅広い階段の、磨き上げられた木の手すりに精緻な彫刻が施されているその家で遊んで帰った後、自分の家がいつもより余計にみすぼらしく感じられるのも嫌だった。

そんな訳で、光と私はもっぱら狭い木造平屋の私の自宅の部屋で、カセットレコーダーでビートルズやレッドツエッペリンを聴き、花札をした。外に出て、人懐こい近所の野良猫と遊んだ。近くの川岸にもよく行った。堤防の芝生の上に並んで座り、川面を眺めながら、学校であった、つまらなかったこと、がっかりしたこと、先生に反抗した話などを、お互いに面白おかしく話した。

ある日、ふと黙り込んだ光は私に左手首を見せた。白い腕の内側に、もっと白い筋が何本も入っていた。初めて会って一緒に花札をした時に、私はそれに気がついていたが、その傷跡について何か訊こうとは思わなかった。いや、訊くべきではないと思った。

私は黙って頷いた。光は寂しげに笑った。

「あんまり長く生きたくない」

「何故?」

「親たち見てるとそう思う」

「何故?」

光は私のその質問には答えなかった。

光の母親の姿を、私は一度も見たことが無かった。光の自宅に行っても、いつも母親は姿を現さなかった。

彼女は私の部屋で、気が向くとマジックをしてくれた。カードのシャッフルやコイン消しなどの手並みは鮮やかで、完璧なテクニックを身に着けているのが素人目にもすぐ分かった。マジックの多くは父親に教わったのだと彼女は言った。それに加えて、母親からも少しだけ習ったという。

「へえ、お母さんもマジックできるんだ」

「うん。まあ」

「へえ、上手いの?」

「お父さんとは比べ物にならない」

「本当に?」

「うん」

「お母さん、何故マジシャンにならなかったの?」

「あの人のマジックはね、外に出せない」

光のその言葉の意味はよく分からなかった。

光の両親は大学のマジックサークルで出会ったのだという。父親は本名を信之といい、地味で目立たない学生だった。母親の方は才色兼備で、かなり不釣り合いなカップルだったらしい。在学中に母親が妊娠して二人は学生結婚した。光が生まれて母親はそのまま就職せずに専業主婦になり、父親はプロのマジシャンになる道を選んだ。やがて周囲の予想を大きく裏切って、父親は大成功した。彼が使っている義琉という芸名は、母親の父、つまり光の祖父の戒名からとったのだという。
「父親としては最低だけど、マジシャンとしてはまあ、やっぱりすごい」というのが彼女の父親評だった。齋藤義琉のマジックは観客の度肝を抜く迫力と、陶酔させる華やかさがあり、マジックを超える超能力魔術などと言われていた。彼自身、ブラウン管の中から視聴者に向かって、「お分かりですか?今皆さんが目にしているのはマジックであってマジックではないのです。私は物理学の法則という絶対牢獄から解放された人間なのです」などと臆面もなく言っていた。その脱獄に成功できたのは、自分の家系が代々持つ特殊な能力と、それを血の滲む努力によって極限まで高めた結果なのだ、と。
「あんなこと言ってるけど、お父さんのあれは正真正銘マジック。仕込み、演出、そしてトリックがちゃんとある」

そう父親を一蹴する光のマジックはというと、自分が先にカードに数字を書き、後でこちらに書かせたものと一致させるという、シンプルなものだった。小六の私がじゃんけんに勝ち抜き、義琉に誕生日を当てられた、それと同系統のマジックだ。
だが、光のマジックに、私は、義琉のそれとは違う、尋常でない、何か得体の知れない奥行きを感じた。義琉のマジックは確かに素晴らしい。まるで本物の魔法を使っているようにみえる。しかしそれは光に言わせると、洗練された舞台演出と、観客の期待をたくみに煽る義琉の弁術あってのものなのだ。しかし光の、淡々として一見無造作なマジックには作為を感じさせるものがおよそ無く、しかし魔法にしか見えない。私には、光のマジックが、父親のそれとは全く異質なもののように思えた。父親をはるかにしのぐという、母親から伝授されたものなのだろうか。私はそれを光に訊けなかった。訊いてはならないように感じた。

光と私が中二になった六月の蒸し暑いある日、私の部屋で、光は私にメモ帳をくれと言った。例によってマジックをやるという。私がメモ帳を手渡すと、光はそこから二枚を破って一枚を私に渡し、もう一枚を私に見えないように手で隠して何やらボールペンで書きつけた。書き終わるとメモ紙を伏せてテーブルの上に置き、私に向き直った。
「はい、何でもいいよ。好きに書いて」
「数字でなくてもいいの?」
「いいよ。祐司が何書くかなんて、分かってるから」
「言ったな。それなら今日こそは外してやる」
「いいけど、あまり複雑すぎるのはやめてね。面倒だから」

光にそう言われた私は、渡されたボールペンで、バカ、と書いた。その紙を、光が先に書いてふせていた紙の横に置いた。
「じゃあ、私の紙をめくってみて」と光がいつものように言い、私はそうした。そして光の綺麗な筆跡で書かれた、同じ片仮名二文字を目にし、唸った。やはり義琉のマジックとは違う何かがある。そういえば義琉は、私の誕生日を書いたコースターを自分で裏返し、私に捲らせなかった。光は、先に書いた紙を裏返してテーブルに置いてからは一切触っていない。

二回目。今度こそ光の裏をかいてやれと思った。光が何かを書いて伏せた。私は何も書かずに白紙を差し出しながら言った。
「何も浮かばなかったから、空白を書いた。これもありだよね?」

光はふっと笑って私に言った。
「裏返してみて」

私が裏返した光の紙には何も書かれていなかった。え、と思わず声が出た。背筋がぞくりとした。
「何も書かないって分かってた。だから書いているふりしてそのまま伏せただけ」

光はそう言った。
「本当にタネ、あるの?」と光に言うと、光はにっこりとした。
「タネはあるよ。ただ、これは祐司相手にしかできないマジックなんだ」

その言葉の意味は、私にはよく理解できなかった。

私は三回目を要求した。

先に書きこんでいる光に悟られないように、上目遣いで彼女の表情を盗み見た。彼女は表情を変えずに書いていた。私は、渡された三枚目の紙に、僕は斎藤光が好きだ、と書いて、テーブルに置いた。それから息を止めながら、伏せられた光の紙をめくった。

私は藤村祐司が好き、と書かれていた。私は息を吐いた。
「ありがとう」と光が俯いて言った。そして「外しちゃった。まあ、どうでもいいけど」と付け加えた。

 

プロの世界で活躍できる十分な実力が光にはあった。それは間違いない。しかし彼女は、プロのマジシャンには絶対にならない、と言った。父親みたいにはなれないし、なりたくもない、と。そして、彼女はそのマジックの才能を、私以外の人間の前で披露したことは無かった。ただの一度たりとも。

私は多摩川の堤防でよく光をデッサンした。季節が変わるごとに、彼女の眩しさは増した。それも彼女のマジックなのかと思えるほどに、私は彼女に惹き寄せられた。中学三年の春、堤防の陰で私は光の横顔をデッサンしてから、周囲に誰もいないのを確かめて、キスをしたいと言った。私の方を向いて目を閉じた光の顔を両手で引き寄せた瞬間、光の姿が消えるのではないかという恐怖がよぎったが、そんなことは起こらなかった。キスの後、光は私の目を見つめて黙った。私は、自分自身も知らない心の奥底までをも、彼女に見つめられた気がした。

その年の夏の終わりのこと。いつものように堤防に二人でいたとき、ふと異変を感じた。川面をじっと眺めている彼女の表情がいつになく虚ろで、心ここにあらずという様子だった。
「どうかした?」

私は彼女に訊いた。彼女は私の質問に答えないまま、眉根に皴を寄せ、険しい表情で何事かをじっと考え込んでいた。
「悩み事でもあるの?」

重ねてそう訊くと、彼女は、はっとした表情でこちらを見た。
「何でもないよ。どうでもいいこと」

彼女は川面に視線を落としたままそう言った。いつになく暗い声だった。それから急に我に返ったように元の調子で「大丈夫、気にしないで」と付け加えた。深刻な何かを彼女は抱え込んでいる、私はそう感じた。
「いや、別に気にしてないよ。まあ、色々あるよ。学校、全然つまんないし。ろくな奴いないし」

私はそんな気休めにもならなさそうなことを言いながら、スケッチブックを開いた。私のアトリエに掛けられた額の中に、その日の彼女がいる。私のデッサンの中でも、おそらく最も良く描けたものだろう。彼女は何かを静かに決意しているように、あるいは諦めているようにも見える。やや硬い表情で、どこか透徹した眼差しを遠くに向けている。雑誌記者から写真撮影の許可を求められて私が断ったのは、その絵だ。

彼女と会う度に、私は彼女をデッサンするようになった。そのほとんどは彼女にプレゼントしたが、何枚かは今でも私の手元にある。
その翌月、光は私に会いに来なかった。電話もなかった。私は光に電話をした。出た光は「ごめんね、今、色々あって、ちょっと会えない」と口籠った。私は光に、誰か私以外に好きな相手が出来たのではないか、と思った。その後も、私は光の自宅に何度か電話をかけたが、誰も出なかった。

 

それから二ヶ月ほどして、テレビや雑誌で光の両親の突然の離婚のニュースが流れた。離婚の原因は齋藤義琉の借金と浮気だった。義琉はギャンブルに依存していて、巨額の借金を抱えていた。それが露見したとたん愛人たちは義琉を見限り、自らのスキャンダルをマスコミに売り込んで金にした。豪邸を売却した後、彼は散々マスコミに叩かれてテレビから姿を消し、挙句の果てに妻子を捨てて失踪した。ギャンブルには超能力も通用せず、とか、実は全然見えていませんでした、とか、最後の魔術で自分消し、などとマスコミから揶揄されていた齋藤義琉だったが、しばらくするとテレビでも雑誌でも、彼の名前を目にすることは無くなった。その後の彼の行方は杳として知れなかった。

私は光に何度か電話で連絡をとろうとしたが、電話はいつの間にか不通になっていた。高校受験の出願はどうするのだろう。気が気ではなかった。できることなら私は光と同じ高校に行きたかった。

彼女から連絡があったのは両親の離婚が報道されてから半月ほど経った頃だった。
「ごめんね。ずいぶん長いこと連絡できなくて。知ってるとは思うけど、馬鹿親父のせいで大変だったんだよ」電話の向こうの彼女の声は、いつも通り淡々としていた。
「大丈夫?僕にできることなら何でも言って」
「とりあえず九州に行くことになったの。昨日決まったばかりなんだ」
「いつ行くの」私の声は掠れた。
「明日。四月からはあっちの旅館に住み込みで働く」

あまりに急な話で、私は絶句した。
「働くって、高校はどうするの?」
「行かない。うちには金がないし。それに私、基本的に学校嫌いだから。一応、三学期だけあっちの中学校に行って、卒業だけはするつもりだけど」

そこまで言うと彼女は黙った。私も言葉が見つからなかった。ゆっくり息を吐いた。
「今日、会えないかな?」沈黙を破って光が言った。
「もちろん」
「今から出て来れる?」
「わかった。すぐ行くよ」

指定された都心の公園の裏口近くの、人通りのない路上で光と待ち合わせた。停車した一台のタクシーから、光が降りてきた。ほんの一カ月と少しだったが、随分と長い間会っていなかったように感じた。白いキャップを目深に被った光は、私と目が合うと黙って小さく頷いた。私が右手を挙げると、光は口角を少しだけ上げた。以前より少し痩せ、そして背が伸びたように見えた。

タクシーの後部座席の女性が顔を私の方に向けていた。濃いサングラスをしていて、長い髪の毛を黒々と垂らしていた。小さな白い顔は半分以上髪に隠れていたが、げっそりと痩せて頬骨が目立っているのがわかった。その視線の先は定かではなかったが、おそらく私をじっと見ているのだろう。

光が私の耳元に顔を寄せて囁くように言った。
「あれはママ。私についてきたの。これまで一度も機会がなかったから、最後に祐司に会ってみたいって。ただ、今は誰とも喋りたくないから、顔を見るだけって。ママは今不安定だから、外出するだけで精一杯なの。だからここで会って話すのもちょっとだけなの。ごめんね」

そう言われ、私は光の母親に向かって会釈をした。母親もこちらに微かに会釈をした。血の気の無い薄い唇が、微かにほほ笑んだ。
光は周囲を見渡してから声を潜めて、自分たちの置かれている状況を話してくれた。父親の義琉は自分のみならず母親の名義でも多額の借金をしていたこと。そのためマスコミと借金取りに追われることになり、居所を転々と変えていること。助けの手を差し伸べるふりをして自分たちを騙そうとする人間が大勢いること。義琉の元愛人の一人が暴力団の幹部の娘で、義琉に騙されたと言って多額の慰謝料を要求してきて、そちらの筋から脅されていること。連絡先を教えようにも、目下、住所不定で、電話もないこと。
「わかってたんだよね。いつかこうなることは。でもどうしようもなかった」

そう言う光に、私は返す言葉が無かった。
「色々話したいけど、時間がないから、最後に一つマジックをする。十年後の祐司に、今ここで手紙を書く」

彼女は早口でそう言うと、ポーチから取り出した一枚の便箋にさらさらと何か書いて折り畳み、白い封筒に入れてスティックのりで封をした。封筒の表には私の名前だけが書かれていて、宛先の住所は書かれていなかった。切手も貼られていない。
「届いたら、読んで」と彼女が言った。戸惑いながら私は頷いた。

彼女はそれを近くの路上のポストにそのまま投函した。
「十年後、必ず届く。これが私の最後のマジック」

彼女の声は震え、目には涙が溜まっていた。彼女は私を数秒間黙って見つめてから「さよなら」と早口で言い、踵を返すと母親の待つタクシーに乗り込んだ。俯いていた光の母親が顔を上げて再び私の方を見てから、動き出したタクシーの中で光に向かって早口で何か言った。はっきりとは聞き取れなかったが、あの子は駄目、と言われた気がした。あの子、とは、この自分のことだ、と私は思った。光はじっと前を見ていた。

切手も貼られず、宛先の住所も書かれていない手紙が十年後に届くことなどありえない。でも光がそう言うのなら、ひょっとしたら届くのだろうか。十年後ではなく、私はすぐに読みたかった。

落ち着いたらまた自分の方から必ず電話をするし、手紙を書く、と光は言った。その約束は守られなかった。彼女の置かれた過酷な状況では守りたくても守れなかったのだろうと思う。

わかっていた、と光は言った。光にはやはりわかるのだ。そして、わかったところで避けることは出来ない、ということもまた。どれほど辛かったことだろう。

 

三年後、叔母から母に連絡があり、光が亡くなったことを知った。センター試験の一週間前だった。光の母親によれば、一年ほど前に体調を崩し、病院を受診したときにはもう腫瘍があちこちに転移し手のつけようのない状態だったという。三ヶ月という余命告知を受けた彼女は、自分が亡くなっても祐司には知らせないでいい、と言ったという。受験生を動揺させると気の毒だから、と。にもかかわらず私が光の死を知ったのは偶然からだ。叔母から母にその電話があったとき、たまたま私は近くにいたのだった。え、光ちゃんが、と大声を出した母を私が問い詰めると、母は誤魔化そうとした。しかし私が食い下がると、隠しても無駄と思ったのだろう。事実を教えてくれた。

光はもう二度と私の前に現れない。彼女のどんなマジックをもってしても。

私は大学受験に失敗した。
本当は美大に行きたかったのだが、両親の強硬な反対にあって断念した。学校嫌いのくせに成績だけは良かったこともあって、両親も進路指導の先生も私に医学部の受験を勧めた。周囲に押し切られ、深く考えることもなく地元の国立大の医学部に出願した。
だが彼女の死のショックは私から全ての気力を奪った.

結果的に、私は全く考えていなかった滑り止めの私大の工学部に入学し、両親を深く落胆させた。その後、無気力な四年間を過ごした。かろうじて卒業はしたが就職はせずに、二年間、羽田空港での国際郵便仕分けの深夜アルバイトで金をつくり、翌年はインドネシアをバッグパックでうろうろ旅行して過ごした。アルバイトで貯めた貯金をはたいて帰国し、規模ばかり大きなブラック企業に就職した。

半年後、私が独り暮らしのアパートから実家にたまたま帰ってきていた晩に、再び叔母から母に連絡があった。娘の死を叔母に知らせてきた光の母親が、娘の後を追うように亡くなった、との知らせだった。葬式は行われなかったという。どういう経緯で亡くなったかということについても、親族は口を噤んでいたようだ。
「叔母さんも教えてもらえなかったらしいけど、自宅で倒れていたんだって。自殺だったんじゃないかしら」と母は言った。そして「だって子供が亡くなって、返しきれない借金だけ残ったんだからねえ」と付け加えた。私を凝視していたサングラスの女性の顔、あの子は駄目、と動いた唇が脳裏に浮かんだ。

母は、箪笥の引き出しの中を漁っていたかと思うと、ハンカチに包まれた丸い紙を取り出し「縁起が悪い」と呟いて屑籠に捨てた。それはかつて私たちが義琉宅に招かれたときに、義琉からプレゼントされた、私の誕生日の数字と義琉のサイン入りのコースターだった。

就職して、あっという間に私は職場で孤立した。同期の新入社員の中で仕事を覚えるのが最も遅く、ミスが最も多く、オフィスに入ると緊張して挨拶の声さえもろくに喉から出てこなくなるのだから、当然といえば当然だろう。上司からは毎日怒鳴られ、先輩からは目をつけられ、そのうちの何人かからいじめを受けるようになった。女子社員からは露骨に無視された。たったの一年で辞表を出したとき、上司は安堵した表情を見せた。送別会も無かった。自分は社会から落伍するべくして落伍したのだと悟った。
退職してすぐ、母が体調を崩し、末期の肺がんだとわかった。入院してあれよあれよという間に二カ月もたたずに亡くなってしまった。母の死後、三カ月して、今度は父が風呂場で倒れ、そのままあっけなく逝ってしまった。
急にがらんとなった実家に戻った私は、鬱病で心療内科に通った。私が絵を観たり描いたりするのが好きだと言うと、リハビリで絵を描くことを勧められた。

そして私は再び絵を描き始めた。あっという間に箍が外れて、絵を描くことだけが自分の全てになった。それ以外に、自分をこの世に繋ぎとめる方法が見つからなかった。

美大も出ていない私に絵の仲間はいない。新聞配達のアルバイトで食い繋ぎ、夜はゴミが散乱する部屋に籠って描き続けた。金を節約するために、近所の工場のゴミ捨て場から拾ってきた段ボールや合板をカンバス代わりにした。夕暮れの路地に魑魅魍魎が跋扈する。そんな絵を憑りつかれたように描いた。そこに光をしばしば登場させた。絵の中でしゃがんで猫と遊んでいる彼女に私は語り掛けた。

光、何処に隠れているんだよ。疲れた。

公募展に挑戦してみたこともある。いくつか賞を獲りもした。だがそれで何かが変わるということもなかった。二年かけて準備し、貯めてきたわずかな金をかき集めて小さな画廊を借り、個展を開いてみもしたが、予想通り、誰からも見向きもされなかった。

展覧会に出展するあてもない絵を毎日黙々と描き続けた。一つ作品を仕上げる度に、自分はこのまま死ぬのではないかと思った。だが納得のいく絵が描けるまでは絶対に死にたくないとも思った。四十度の熱が出た日も絵筆だけは握った。
居酒屋で亜美という女と知り合って、その日から付き合い始めた。カウンターで隣り合わせて「あんた顔色すっごく悪いけど大丈夫?」と声をかけられたのがきっかけだった。亜美はその店の常連で、無職で、いつも一人で飲みにきていた。親が病院を経営しているのだという彼女の財布には、常に一万円札が詰め込まれていた。愛嬌のある顔立ちをしていたが、私より六歳年上で、目の下に隈があり、私の二倍ほど太っていた。

彼女のマンションに転がり込んで同棲した。部屋にいるとき、亜美は絶え間なくジャンクフードを口にしながらテレビを観ていた。そんな彼女をデッサンした。エゴン・シーレが好きだという彼女なら、そのデッサンを気に入るかもしれないと思ったが、それを見せた途端「私のこと馬鹿にしてるでしょ」と彼女は激怒した。そしてそのデッサンを彼女は無造作に丸めて捨てた。あんたの絵なんてただのゴミ屑、自己満足じゃん、と彼女は言った。

結局、一カ月もたたないうちに亜美とは別れた。何故か手切れ金を三十万円くれた。それをきっかけに新聞販売店を辞めた。
街に出て、神保町の古本屋街を目的も無く歩いた。建築、絵画、デザイン関係の古書専門店に自然に足が向いた。何も考えぬままに一冊の本を棚から抜いて開いた。それは田中一村という、馴染みのない画家の展覧会の図録だった。最初に開いたページ、色鮮やかなアダンの絵がいきなり目に焼き付いた。図録の後ろの方にあった彼の経歴を読んでみると、中央画壇から無視され、奄美に渡った反骨の画家、ということが書かれていた。私はその図録を買った。
アパートで隅から隅まで時間をかけて図録に見入った。絵はどれも圧倒的な生命の輝きに満ちていた。そこに並んだ絵を眺めているうちに、忽然と一つの考えが私に憑りついた。スケッチブックだけを抱えて、絵を描きにどこかへ行こう。どうせなら海外がいい。そうだ、ジャワに行ってみよう。どうしてジャワなのか、理由はない。ただそう閃いた。

しかし所詮、それもただの夢想でしかなかった。

亜美から貰った金は、あっという間に無くなっていた。親から相続したわずかな生命保険も全て食いつぶした。気がつくと、私は、生活のためにサラ金から借金をしては、それを別なところから借りて返すという、自転車操業の生活を送っていた。

たまに銀座の画廊に足を運ぶこともあった。飾られている絵を眺めてはため息をついた。絵よりも値札に目が引きつけられた。一号十万以上もする絵ばかりだ。

私はもちろん知っていた。普通の人は、わざわざ金を払って絵を購入したりはしないのだと。自分のような貧乏人ならなおさらだ。どんなに絵が好きでも自分は描くだけ。買うことなどできはしない。芸術というものは所詮、余裕のある一握りの人間のためのものだ。豊かな生活を送る者の豊かな精神を、芸術の力がさらに豊かにする。
私は、豊かさと程遠い、かび臭く汚いアパートで絵を描き続けた。建築現場の肉体労働でくたくたになった腕に絵筆を握らせて、独り言を呟きながら、絵の具をカンバスに塗り込め続けた。

画材を買う金もカンバスの置き場も無いので、個展に出した古い絵を塗りつぶしては新しい絵を描いた。
煮詰まると田中一村の図録を開いた。澄んだ美しさに満ちた一村の絵は、私の絵とは対極にある。それでも一村の絵を目にすると、描かなくては、という想いで、いても立っても居られなくなった。

絵を描く以外のことには一切関心がなかったが、生活するためには仕事をしなくてはならない。派遣会社に登録したが、運送、建築、イベント関係、飲食店、販売と、何をやっても長続きしなかった。職場を変える度に、私は周囲とぶつかり、いじめの標的になった。

数週間から数カ月ほどの短期間で派遣先を渡り歩いた挙句、とうとう働けなくなり、半年ほどアパートに引き籠った。年金の掛け金も税金も、家賃もまともに払えなくなった。電話が止められ、電気も止められた。真夏だったから、冷蔵庫の中身が全て腐り、部屋中に悪臭が立ち込めた

ある夜、酒を飲んでからアパートのドアノブに紐を掛けて首を通し、ドアにもたれて体重をかけた。荷作り用のビニール紐を二重にしていたのだが、紐が切れた。しばらくしてまた同じ方法で試みたが、今度はドアノブが抜けて失敗した。それで死ぬ気も失せた。

気力が尽きて、とうとう絵も描けなくなった。

失うものはもう何もない。私は抜け殻だった。いっそすがすがしいほどにすっからかんだった。

二十五の春から、自宅アパート近くの商店街にあるスーパーに勤め始めた。店内に貼られた従業員募集のチラシを見て応募し、アルバイトに採用されたのだった。仕事は楽という訳ではなかったが、自宅から自転車で通勤できたのと、スタッフが皆親切なこともあって、私は半年経過してもそこで働き続けることができていた。店長の大越さんが見るからに温厚なひとで、彼の存在が、職場の雰囲気を明るいものにしているのも大きかった。

絵を描く気力が戻り、再び絵筆を握った。しかし長続きしなかった。一旦失せた情熱は戻らなかった。一日働いて帰宅すると、あとは職場から持ち帰った消費期限切れの弁当や総菜を食べ、漫然とテレビを観て、シャワーを浴びて寝るだけの生活になった。借金も少しずつではあったが減ってきた。単調な日々の繰り返し。こうして、ただ時間が過ぎてゆくのを傍観するように生きて年老いてゆく。それが結局、自分の器に見合った人生なのだろう。

ある夜、ロッカールームで帰宅の支度をしている私に、「近くの店で一杯やらないか」と大越さんが声をかけてきた。気乗りはしなかった。

「まあまあ、たまにはいいじゃないか。もちろん奢るからさ」とその日の彼はいつになくしつこかった。私は押し負けて、いいですけど、と気のない返事をした。とにかく金が無かったし、店長のおごりで夕食代が浮くならいいか、と思った。

近所の居酒屋のカウンターに並んで座って、大越さんと私はジョッキのビールで乾杯をした。

プロ野球の話題や、職場での笑えるエピソードなど、もっぱら大越さんが喋り、私はほとんど相槌を打ってばかりいた。互いにジョッキを二杯空けたあと、大越さんは言った。

「藤村くん、最近油絵、描いてないの?」

「え?」私は予想外の質問に、思わず固まった。

「だって以前は服に絵の具がついてたし、うちの息子と同じ臭いがしてたから」

息子がかつて美大に通っていたのだと、大越さんは言った。今は絵の方はすっぱり止めて、芸術方面とは全く関係ない工場勤務の仕事についているという。

「絵描きになりたいの?」

「そう思っていたんですけど。でもそれで食っていけるほど世の中甘くないです」

「いや、いいじゃないか。夢があって」

「そんなものじゃ」

「絵で食っていきたい、と息子は言ってたのに、僕は反対したんだよ。あいつは今、一応人並の生活はしている。結婚して家族も持てた。でも、何だかね。幸せに生きてるようにもみえない。僕はあいつの夢を奪っちゃったんだよ」

「いや、店長の判断は間違っていません」

「そうだろうか」

「反対されたことで別の道を選んだのなら、それが息子さんの選ぶべき道だったんですよ」

「そうだろうか」

「反対されても貫くぐらいでないと絵で食べていくなんて無理です」

そう言いながら、お前はどうなんだ、と私は内心で自嘲した。

「君には夢を捨てて欲しくはないけれどね」

大越さんは、そう言って、何杯目か分からなくなったジョッキを傾けた。

「夢なんて、僕にはもう全く無いです」正直にそう答えながら、涙が出てきた。

「そうか」

大越さんはそう呟いてからジョッキを飲み干し、私の方を向いた。
「正社員になるための面接を受けないか。本部に君のことを推薦しておいたから」

大越さんの口から出たのは全く予想もしていない言葉だった。有難い話だと思った。だが、すぐには言葉が出てこなかった。私はしばらく黙ってから、小さな声で答えた。

「ありがとうございます。ちょっと、考えさせてください」

「いいよ。一週間以内に返事をしてくれ」

自宅のアパートに帰り着いた時にはすっかり酔いが醒めていた。心が揺らいでいた。大越さんから、描いてないの?と訊かれた瞬間から、何故描いてないんだ、という自分への問いで頭が一杯になった。答えは明白だった。描きたい。その想いはいくら抑えつけても膨れ上がってくるだけだった。

正社員になれば、いつか借金も返せる。毎日残業があるだろうから、これまでとは比べ物にならないほど忙しくなる。だがそんなことよりも、生活が安定したら、私はたぶん今度こそ絵を完全にやめてしまうだろうと思った。今の自分は確かに抜け殻だ。しかし心の奥底に熾火のようにくすぶり続けている描きたい欲求まで完全に捨て去ったら、自分はもう抜け殻でさえない。

ではこのまま、気が向いたときだけ絵筆を握り、時々誰の目にふれることもない絵を趣味として描き、終わりの見えない借金返済を続けながら、職場のスーパーの消費期限切れの廃棄品で食い繋いでゆく生活でいいのか。このまま暗い部屋の中で一人、ただ朽ち果てていくのを待つのか。

大越さんは何かと私に目をかけてくれていたし、困ったときは相談しろ、と何度も声をかけてくれた。私が困窮しているのは分かっていたのだろう。相談しろと言われて自分から相談したことは一度も無かったが、それでも大越さんの恩に応えたいという気持ちは確かにあった。

このまま海外に出ても何の展望もない。ここで大越さんの厚意を断れば、二度と浮き上がれないだろう。野垂れ死にしてでも、などと突っ張っていても、いざそうなったら周囲に最後まで迷惑をかけるだけだ。一人で誰にも迷惑をかけないで生きよう。こんな自分を心配して気に掛けてくれる大越さんのためにも生活を立て直そう。そのためには正社員になるしかない。絵は諦めろ。もう潮時だ。現実を直視しろ。私は自分にそう言い聞かせた。

冷蔵庫の中に一本残っていた缶酎ハイを飲みながら、自分の描いた一枚の絵を見つめた。自殺未遂をした前夜に描き上げたそれは、最早何を描いたかも定かではない白と黄を主体とした明るい色調の絵だった。〈さよなら〉というタイトルの付箋が貼り付けられている。遺作にしようとしたそれは、荒んだ生活の果てに溜まった澱を集めて濾して、その上澄みを絞り出してかろうじて描いた一枚だった。田中一村の絵の、どこまでも純度の高い明るさとは全く違う。この奇妙に明るい絵を、自分が一体何のために描いたのか、私自身ですらよくわからなかった。それは結局のところ誰のための作品でもなかった。

 

面接を受けるかどうかの返答期限を明日に控えた日、帰宅して郵便受けを見ると、白い一通の封筒が見えた。宛先に私の名前があるが切手が貼られておらず住所も書かれていない。やれやれまた借金返済の督促状か、と思いながらそれを手に取って裏返した瞬間、私は息を吸い込んだ。差出人は齋藤光だった。
震える手で開いた手紙を、私は読んだ。
迷うな!GO!大丈夫!
力強い光の字で、そう書かれていた。

そこからは、ただ前へ。それだけだった。渡航費は大越さんが、出世払いでいい、と言って貸してくれた。その上彼は、残っていた私の借金まで肩代わりしてくれた。

言葉も通じない国で一人ぼっちで生きていく。これまでの自分だったらまず想像さえできなかっただろう。それなのに私は自分でも呆れるくらい楽天的になっていた。何しろ大丈夫、と光が書いてくれているのだから大丈夫なのだ。目の前の一日を生き抜けるかどうか、実際振り返ってみれば、毎日が綱渡りの連続だった。しかし、そこには迷いや葛藤が全く無かった。

ジャカルタの日本料理店の皿洗いからスタートし、職を幾つも転々とし、八年目にようやくミー・アヤムの屋台を持って独立した。

とにかく暇を見つけては、屋台の横でもスケッチブックを広げた。

ある日、路上で行き交う人々のスケッチを描いていた私の横で、一人のラフな格好をした、恰幅のいい初老の白人男性が足を止めた。彼は、私が足元に置いていた田中一村の図録を手に取り、イーゼルに掛けた私の絵と見比べながら、流暢なインドネシア語で言った。
「全く似ていない。けれど君の絵の根底にはイッソン・タナカへのリスペクトがあるね」
「一村をご存じなんですね」
「イッソン・タナカ、ツグハル・フジタ、タダノリ・ヨコオは日本のアーティストの中で、私のベストスリーだよ」

男はハインリッヒと名乗り、自分は画商で、シカゴで画廊を営んでいるのだと教えてくれた。

「何でも描くのか?風景でも人物でも」

「ええ。何でも」私は答えた。

「描きたいと思ったものなら、何でも描きます。頼まれれば好き嫌いは言いません」

「今、ここで私をデッサンしてみてくれるか?もちろん金は払うよ」

私はガジュマルに凭れて立つ彼の姿をデッサンした。彼はそのデッサンに私の一週間分の食費くらいの額を支払い、君の絵が他にあるならもっと見せてくれないか、と彼は言った。私は自分の屋台に括りつけてあった絵を解いて、彼に見せた。彼は私が川岸でデッサンした光の絵を、それから〈さよなら〉というタイトルを付けた、あの奇妙に明るい絵を手に取り、長い時間、無言でじっと見つめていた。

ハインリッヒとの出会いから時が進み、今の私がいる。大越さんからの借金は十年後、五倍の利子に、自分の作品をつけて返した。スーパーの休憩室で、彼は私を抱きしめ、涙を流してくれた。

「光、これ、どう?」

イーゼルに載せてある新しい作品を指さしながら私は目を閉じる。そして彼女にそう訊く。念じて目を閉じれば光が現れる。

口うるさい批評家たちの中には、ジャワ渡航以降の私の絵からは初期のダイナミズムが失われているとか、インスピレーションが枯れたせいで保守的になった、などという指摘をする者もいる。確かに私は、こちらに来てから初期の先鋭的な半具象の画風を捨てた。それらは怒りや孤独、絶望を材料に、そこに幻想を加えてかき混ぜて、カンバスの上に吐きだすようにして創り出していたものだ。今の私はもっぱら日常的な風景や、どこにでもいるような人間の姿を、具象画としてシンプルに描く。私の初期の作品を特に熱狂的に支持してくれているファンが一定数いて、彼らの間では、その頃の作品が驚くほどの高値で売買されることもあるのだという。一方で、現在の私の作風は円熟の証だと好意的に評価してくれる批評家やファンもまた少なからずいてくれるようだ。いずれにせよ、私は自分の作品への批評は気に留めない。描きたいように描く。それが私のできることの全てだ。

この新しい作品も、私なら支払いを躊躇する値段で誰かが買ってくれるのだろう。そしてそれは豊かな人なのだろう。誰に買われるかというのは私が気にするべきことではない。私の作品を目にして買いたいという意思を抱き、その金額を支払える人が買う。その支払いの半分が私の懐に入り、生活を支える。買ってくれた顧客の心に、私の作品がなにがしかの波紋を生じさせてくれれば、それでいいと思う。
「悪くないね」という光の声が聞こえる。彼女は常に私の味方だ。私の願望が創り出した幻影なのだから、それは当然のことだ。
「前の作品よりもこちらの方が好き」
「つまらなくないかな。こんな絵」
「そんなことないよ」
「ありきたりだ」

「そんなに卑下しなくてもいいんじゃない」

「僕にしか描けない絵でないと」

「祐司が描く絵は、どれも祐司にしか描けないよ」

「そんなものかな」
「うん。そんなもの」

「僕の絵を観て、何を感じる?」

「うん。感じるというか、伝わる」

「何が?」
「生きるって、素晴らしいってこと」

その言葉を聞いて、私は不思議に思った。いつもと違う。それは元々私の中にあったものとは到底思えなかった。所詮自問自答、独り言だ。なのに光が自分の意志で私に話しかけているかのようだ。

「長く生きたくないとか言ってたくせに。本当にさっさと死んでしまったくせに」

「あはは。確かに」

私はいつしか朝靄の川岸に立っている。腕組みをしながら、あの日の姿のままで光が私に微笑んでいる。

私は川岸を歩き、腰を下ろす。

彼女も私の横に座る。

スーパーの店長も、画商のハインリッヒも、今はもうこの世にいない。しかし、ジャワに渡ってから、今まで時を経て、私はずいぶんと孤独を意識せずに生活できるようになった。何も考えずにただ必死で働きながら、必要に迫られて言語を習得していったことが大きかった気がする。この過程で、私は、人との距離感をつかむ訓練を知らないうちに積んだのだろう。私はこの島で初めて多くの友人を得た。

もちろん、子供の時分から今に至るまで、私は相変わらず絵を描くだけしか能がないし、それでいいと思っている。結局結婚もしなかったし、これからするつもりもない。しかしマハナをはじめ、私の周りには信頼できるスタッフや心を許せる友がいて、私を支えてくれている。

それでも私は折に触れて、死者である光と話す。

目を閉じてぶつぶつ独り言を呟く姿を、周囲から不審がられたくないので、人目があるときは控えている。マハナだけには、独り言は私の変な癖だから気にしないように、と説明した。変な癖の無いアーティストなんていませんよ、とマハナは笑った。

「光」

私は思いつくままに話しかける。

「車の中にいた君のお母さんに言われたんだ」

「ふうん」

「あの子は駄目、ってさ」

「違うよ。ママはね、あの子は大丈夫、って言ったの」

「そうだったの」

「そう。手紙にも書いたでしょ」

「光」

「何?」

「僕に、自分の未来をくれたの?」

あはは、と笑ってから、訳わかんないこと言うね、と呟いて、光は黙った。それからしばらくして言った。

「どうでもいいけど」

光は立ち上がり私に背を向け、右手を振って「じゃあね」短く言い、朝靄の中に歩み去っていく。私はそれを見送る。

彼女の姿が見えなくなっても悲しみは感じなかった。彼女のマジックはあの手紙が最後ではない。とっておきのマジックを彼女はまだ用意している。そしてそう遠くないいつか、私はおそらくそれを目にすることができる。
「またね、光」

そう呟いて、閉じていた眼を開く。そこはいつものアトリエだ。私はコーヒーを飲み干し、テーブルの上にカップを置く。ダチュラの白い花が風に揺れている。

 

 

2025年3月6日公開

© 2025 浅谷童夏

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