アイルランドを代表する作家ジェイムズ・ジョイス。彼の代表作であり、仏小説家マルセル・プルーストによる『失われた時を求めて』と並び、「意識の流れ」を大胆に導入した長編小説として20世紀、近代文学の金字塔となっている『ユリシーズ』。今年はこの名著がパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から発刊(一九二二年二月二日)されて百年目を迎えた。今作では、ダブリンでのある一日(一九〇四年六月一六日)を広告取りの冴えない中年男性レオポルド・ブルームを軸に描くことから、現在のダブリンで六月一六日は「ブルームズデイ」として祭典が行われる。せっかくなので、百年目のブルームズデイにはるか昔に挫折したこの大著を再び読み始めることにしようと思う。ただ読むのもなんなので、『ユリシーズ』と聞いてわたしが連想、聞き及んできたことをつらつらと書きつけながら、百年目の積読を読み崩すとする。
まえがき
わたしが『ユリシーズ』についてイメージするのは、やはりマリリン・モンローである。彼女がカラフルな横縞模様の水着で公園の遊具に座り、分厚いユリシーズを片手に読みふけっている写真の映像が脳裏に浮かぶ。どうやら、この写真は米写真家のイヴ・アーノルド氏が撮影したものだという。ジョイスの翻訳でも知られる丸谷才一が「水着の女と『ユリシーズ』」というエッセーで触れている。さらに、この写真は和田誠が展覧会「書物と映画」でのポスターとして漫画化している。アイルランドの文学・演劇研究者デクラン・カーバイトによる「『ユリシーズ』と我ら――日常生活の芸術」(坂内太訳、水声社)という『ユリシーズ』の解説本の表紙にもなっている。とにかくインパクトがある。
マリリン・モンローといえば、キム・カーダシアンがレンタルしたマリリン・モンローのカクテルドレスを一部破損したと報道されている。このドレスを着るために必死に減量したというキム・カーダシアン。無理はよくないなと思った。なので、無理せずにこの読書も進めていこうと思う。
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