黒猫を飼い始めた。
その猫は闇に紛れれば見えない程の漆黒の毛を纏い、そして闇に紛れれば、太陽よりも明るい黄色の目を備えていた。
僕はその猫をルーナと名付け、共同で暮らし始めたのだ。
彼と暮らし始める前、僕はこの世から除外されていた。
家族からとっくに縁を切られ、僕は世の中からロクデナシのウツケモノと言われている。
それもそうだ。否定は出来ない。僕は将来大物になるのだと言って上京した。
あの頃は夢で僕は詰まっていた。だが今はその夢すら萎んでしまって、僕には空虚のみが残った。
優しかった母親もいつの間にか鬼の様な顔を見せ、仕送りも来なくなった。
だが僕はそれでいいと思った。ルーナを飼い始めてから。
彼は僕をニャウンと甘い声で誘惑する。その声は僕を「こちらにおいで」と誘う。そしてその声の方を向くと、ルーナが僕を件の黄色い目で真っ直ぐに見るのだ。
僕は周りに影響されやすいと自覚している。だから僕は今まで周りの言う通り、ロクデナシのウツケモノだと思っていた。何も出来ない、人未満の存在。
だが、ルーナは違った。
ルーナは僕を優しく受け入れ、認めてくれた。
僕にここまで優しくしてくれたのはルーナだけだったのだ。
ルーナは僕を生かしている。そして僕もルーナに餌をやることでルーナを生かしている。
ルーナは棄て猫だった。
ルーナは僕がよく通る散歩のルートに棄てられていた。
雨の日だった。ルーナはか弱くニャアニャアと泣いていた。周りの人々は誰もその黒猫を見向きもせず、歩いていた。
僕だけがルーナの存在に気付いていた。
僕とルーナは惹かれ合い、出会った。
あの後、僕は偶然家主に会い、その猫の話をした。僕はその時、ルーナを腕に抱えていた。
「・・・・・・黒猫ねえ、私は良くは思わないわねえ。だって、ねえ知ってる? 黒猫っていうもんはね、昔っから言われてるのよ。不幸を呼ぶ存在だって」
大家のおばさんはそう言っていた。確かにその事は知っている。
だが僕はルーナに強く執着していた。だから僕は、ああそうですかと聞き流して、無理矢理にルーナを飼い始めた。
僕とルーナはこんな物では関係はちぎれないと思っている。
それは僕もルーナも心から思っていることだろう。
ルーナは僕が目覚めると、真っ先に僕の方へやって来て、ゴロゴロと喉を鳴らし、僕にすり寄る。
僕がそれを受け入れて、頭を撫でてやると、彼は更に僕を誘惑してくる。
僕はいつの間にかルーナの虜になっている。
ふと思う。仮にルーナが死んでしまったら、僕はどう生きていこう?
もしかすると、僕は何か壊れてしまうかもしれない。今僕の身体はルーナが居なくては生きられない状態になっていると言える。
でも僕は今思えば、そこまで考える能が無かったのかもしれない。
いや、どちらかと言えば、ルーナが僕の考える能を奪ってしまったのだ。
例えるなら、機械の重要なネジが、誰も意図しない所で入れ替わってしまった様な感覚だ。
既に元のネジはどこかへ行ってしまい、そのネジしか代わりはなくなってしまった。
その日は、とても爽やかで、心地の良い朝だった。
僕が目覚めると、朝日が縁側から差し込み、僕の瞼を撫でていた。
それの感触に体を任せてみる。
ああ、世はなんて美しく、そして儚いのだろうか。
僕はそう思い、もう一度縁側を見た。
ルーナがそこに立っていて、僕の方を見ている。
鋭く強い黄色い目が僕を刺激する。
そして僕をしばらく見つめると、ニャオンと甘い声で一鳴きし、庭の方へ走っていった。
もしかすると、僕を誘っているのかもしれない。
朝のウォーキングもたまにはいいだろう、と僕は寝間着のまま、外へ出た。
外は太陽が顔を出し、街の風景が明るく反射する。
ルーナの黒い毛でさえも、明るく光る。
僕はそれに混じり、ルーナの尻尾を追いかけていた。
周りも見ずに、僕はルーナを信用して歩く。
そして、今まで歩いていた路地裏を抜け、大通りへ出た。
ルーナは果たしてどこへ連れていくつもりなのだろうか? 胸に期待を抱き、僕は歩き続けるのだ。
その時、僕の右側から、無機質な轟音が響き渡った。
ビーとクラクションが鳴る。
トラックの騒々しいエンジン音。
ガソリンの鼻をつく匂い。
それが、すぐ近くで。
僕の、真横に。
ある家の一室、電話の呼出音が鳴る。家の主の婦人はそれを手に取る。
「・・・・・・はい。・・・・・・警察の方? ・・・・・・ああ、あの子の事ですね。私にも分かりませんよ。唐突に死んでしまったものですから。・・・・・・昔は、とてもいい子だったんですよ。私にとっては、就職してようがしてなかろうが、関係無かったものです。自分から積極的にお手伝いをしてくれて。息子みたいに可愛がってたものですよ。・・・・・・勿論、一番可哀想なのはお母様なんですけどね。息子が上京して、遺体で帰ってくる。しかも状態の酷い・・・・・・トラックに潰されて。・・・・・・ううう・・・・・・」
婦人は涙ぐむ。
「本当に、なんの前触れも無く、交通事故で亡くなってしまってねえ・・・・・・可哀想だわ。・・・・・・え?変わった様子ですか? ・・・・・・そうですねえ・・・・・・。ああ、強いて言うなら、
黒猫を飼い始めたくらいですかねえ・・・・・・。」
"黒猫輪舞"へのコメント 0件