家に帰ると、午前二時を過ぎていた。勇樹くんは退塾させるしかないとして、佳穂ちゃんと修一くんをどうするかが目下の悩みだった。佳穂ちゃんは、本校で唯一の「一対一」契約の生徒であり、それだけに、無断欠席をされると、担当講師が出勤し損になってしまう場合が多いのだ(勇樹くんの場合は、たまたまその時間にほかの生徒が隣につかなかったために「一対一」指導になっているが、契約上は「二対一」である)。
そこで佳穂ちゃんの担当講師は、「二対一」に契約を変更して欲しいと俺に要求してきた。俺は、その旨を伝えるメールを佳穂ちゃんのお母さんに送った。五分と待たずに返信が来た。「それはやめてほしいと佳穂も言っています。彼女自身、塾に行きたいという気持ちは強いようです。」というものであった。「こういうときだけ返信が来るんですね」と、講師は毒づいた。まったくだ、と俺は思った。仕方がないので、佳穂ちゃんが来ても来なくてもその分の講師料は払うという約束を講師と交わすことで、その場を収めた。自分の月々の手取がいくらになるのか、ソロバンを弾く気にもならなかった。講師は、帰り際、「なぜやめさせないのですか。」と、聞くともなくつぶやいた。その言葉がみぞおちの奥に落ちて、俺の身体はいかにも重かった。
俺は、経営マネージャーに三人のことを相談するメールを送った。本文の最後に、「本校の新陳代謝を良くしたい。」と書いて締めた。赤字の原因がこれら三人の所為である気がしてならなかったのだ。
随分長い間、メールを作成していたらしく、閉じたカーテンの隙間から光が差し込んできていた。午前中にグループ会議があったが、三ヵ月に一度の心療内科受診が重なったため、欠席することになっていた。俺は睡眠を諦めた。
スーツに着替えた。ネクタイが上手く結べなくて、焦った。五回くらいやり直して、やっとそれらしくなった。それから、ポスティングのために町内を周って、その足で心療内科に向かった。受付で診察券と保険証を提示し、待合室のソファに座る。周りの目を確認して、鞄から本を一冊抜き取って開いた。二ヵ月前に買った自己啓発本である。作業の効率化ということが書いてあり、無性に腹が立った。作業効率を否定し、大いなる迂回を促進することこそが俺の仕事なのである。……
十五分少々待たされた後、診察室に通された。スキンヘッドに白髭を蓄えた、三ヵ月ぶりの顔がそこにあった。
「おひさしぶりです。」
そう言って、大浦先生はノートパソコンをパチパチと叩いた。「えー、睡眠前にリフレックスを半錠ということですが……。」
「そうですね。ですが、もう一週間くらい飲んでいません。」
と俺は言った。
「それは、薬なしでも眠られているということですか。」
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