友達、に話しかけるみたいに、おまえは話しているみたいじゃないか、こんなふうにヴェランダから景色を見ているのはなんて犯罪的なことなんだろうとね、
おまえはヴェランダの壁に肘をついて、まるで誰かと友達ででもあるかのように、誰かの声を待っている。
ぼくは冬生まれだ、つまり冬にしか生まれたことがないから、夏に生まれる生まれ方のことはよく知らないが、それがだいたいどんなものであるかは知っている、ちょうどこのヴェランダのような場所で、誰かが遠くの闇の中の打ち上げ花火を夢みるようにして腰を抜かしているあいだに、星々の煙と見間違われるようにしておまえは生まれる、もやもやっと、それがすべてじゃないか。
おまえの待っている声が時間のトンネルの奥から響いてくる。
おまえの産声、友達の声。
真っ昼間よりも明るい光のトンネル、どこまで行っても白いばかりで、おまえの生まれたあの闇を見つけるのは苦労するだろうな、声を頼りに、足音を頼りに、くしゃみを頼りにさがしに行くんだよ、おまえは夏の闇の中で生まれたのだから、
おまえの産声、それはおまえの友達の声、おまえは友達に会って、今までの苦労をたっぷりと語り聞かせたいんだ、日が暮れるまで。
自転車に二人乗りで行こう、少し離れたところのレンタルビデオ屋さんだ。
そこに何がある、これは笑っちゃいけない話なんだ、そこにはすべてがあるわけじゃないが、すべてよりちょっと少ないくらいのことがすべて揃っている。
映画を観よう、おまえの出生を撮った映画なんてものはないんだけれども、出生というものはミステリアスなものなんだ、ミステリアスな出生はほとんどすべての映画に撮ってある、撮ってあるというか撮ってないからこそミステリアスなんじゃないのかい、そう言われればそんな気もしてくるだろう、だから深く考えずに、自転車で行こう、日光のチューブの中、缶ビールの空き缶の中、ビールの泡の中を漕いで行けばいい、おまえは誰かにたずねるようなものの言い方をするよ、このビール飲んでもいいかな、だなんてね。
いいかい、ビデオというものは他人に借りられている場合がけっこうあるものさ、おまえはがっかりするんだ、友達に会えなくて寂しいから。
向こうのアパート、のら猫が階段をおりていくよ、三毛猫、飼い猫だきっと。
おまえはヴェランダで景色を見ている。
右手のほうに美容室がある、その前の通りを人が行き交っているが、建物に遮られている部分のせいで、彼らを見ることができるのは一瞬だ。
母親が小さい子どもの手を引いて行く、右から左へ。
いやいや、それはおまえの友達じゃない。
美容室で鏡に向かって座っている女が見えるか、おまえはすでに彼女を見ている、そう、髪を切られている女がおまえの友達かもしれないと期待しているから、右から左へ。
女が何かを喋っているように見える、まるで友達に話しかけるみたいに、鏡に向かって話しているみたいじゃないか。
鏡の中にいるのは、彼女の友達かもしれない、彼女の友達の髪を切っている男の友達かもしれない、いずれにせよおまえは視線をそらす、右から左へ。
トンネルを進んでいく方法はなにも自転車じゃなくたっていいんだが、おまえは自転車の二人乗りが大好きだ、ぼくだって自転車が大好きさ、こういう場合はね、かわりばんこにペダルを漕ぐんだよ、右と左、ペダルを漕げば車輪が回転する、車輪が回転するということは地球が回転するということと同じ意味だ、たとえばひっくり返して、自転車が地球で、地球が自転車だったとしても、やっぱり車輪が回転するんだから地球も回転する、だからおまえとぼくは地球を二人乗りで漕ぎつつレンタルビデオ屋を目指すということさ、ひょっとしたら自転車を漕ぐより簡単かもしれないな。
今日が祝日だってことに思い当たったのなら、おまえは幸運だ、祝日には地球が回転する、祝日じゃない日には地球は回転しない、おまえの産声、友達の声、それがトンネルをくぐって届くあいだに地球が何回転すると思う? つまり太陽のトンネルは地球の自転何回転分に相当するんだ?
おまえは闇の生まれだ、それはほんとうにミステリアスなことだ、ミステリアスな地帯だ、
あのときぼくはヴェランダにいたんだ。
一人でか、二人かもしれない、それより多いということはない、あのヴェランダは狭いから。
ぼくはヴェランダで待っていた、だからやっぱり最初は一人でね、誰かの声を待っていた、後ろのほうから、優しい声を、部屋の中から聞こえてくるはずだった、根拠はないが。
ぼくはヴェランダの壁に肘をついて外の景色を眺めていた、外の景色というよりは光化学スモッグを見ていた。
美容室もあったし自転車もあったんだ、自信はないが、根拠はあるんだ、あったんだ、ぼくは自分の待っているものが何であるかわかっていた、
細いふくらはぎ、白い首筋、一点を見つめる目、透きとおった声、すべてはトンネルだった、トンネルという運動だった、一点を見つめるが永遠には見つめない目、ビール色をした町、泡のような永遠。
やってきたのは違うものだった、一人の旅人だった、かれは突然やってきて、ぼくの肩を叩いたよ、わたしは旅をしているのです、そういって男は地面に太陽の絵を描いた。
それはおまえだった。
良いこともありすぎるほどはなく、悪いこともありすぎるほどはない、休日はこうあるべきだ、というような平和な休日を過ごせることを、一応は感謝してみる、そんな感謝があってもいいと思うからね、
すべての出会いや、地軸の傾きや、めぐり合わせというようなことを感謝してみる、自転車を発明した人にも少しは感謝をするが、自転車の二人乗りを考案した人にはそれ以上の、それは人ですらないかもしれない、きっと猿だろう、二人乗りを考案した猿に、サドルに、感謝してみる、だけど、
まだまだ足りないものがいっぱいあるような、まだまだ感謝したくなるような出来事が起こってほしいと願うような、受け入れるのをしぶっている多くの惨めな現実を、とりあえずは考えの外においての気持ちだから、ほんとうに心から今日を感謝して過ごしたとはやっぱり言えないのかもしれない、
そんな日の出来事、ぼくは何に対してということではなく感謝をするのだけれど、それでもおまえだけは、ぼくが何に対して感謝をしようとしているのか、知っている、
友達にでもなく、産声にでもなく、青空にでも暗闇にでもなく、何にでもなく、何でもないもの、何か、トンネルのような、花火のような、何でもないもの、声、おまえがヴェランダで待っている声の心臓、未来から聞こえる友達の産声、げっぷ、ヴェランダに通じる窓を震わせる策略、かわりばんこの声、白と黒の、交通事故多発交差点、
なんでもいい、あの母親と小さな子どもにしよう、なげやりはやめよう、まるで友達ではない人にさよならを言うみたいに、ここからそっと去っていこう、そうすることで、罪をつぐなうことにしよう、どんな罪だ、景色を見るということさ、目なんてものがここにあるってことさ、
ヴェランダに立っているとほんとに気持ちがいい、同時にほんとうに悲しいんだがね、景色を見なければならないから、おまえのことを気にかけなければならないから。
いちばんいいやり方を教えてやろう、近づきすぎてはだめだ、二人の距離はお互いの顔の表情が見えるくらいならぎりぎり遠くてかまわない、できるだけ遠いほうがいいんだ、そんな距離になる場所に呼び出せばいい、春の公園でもいいし、秋の空港でもいい、何か目印を決めておくんだ、相手にその位置に立ってもらう、それはぼくか? あるいは女か? まあ似たようなものさ、女ということにしよう、おまえと彼女は離れた場所から見つめ合う、その場で、けして近づいてはだめだ、声をかけてもだめ、見るだけ、その二人の間をたくさんの人が通り過ぎていく、おまえたちはじっと立ったまま互いに見つめ合う、五分は長すぎる、二分、たった二分だ、そう、それだけ、二分過ぎたら彼女はくるりと回転して帰らなければならない、おまえもだ、それだけ、その二分のためだけにおまえは何を犠牲にすることができるんだろう、どんな代価を払うことができるんだろう、いまならどんなものでも犠牲にできそうな気がするだろう、二分のために十年の苦役にも、六千キロの歩行にも、八万キロの船酔いにも耐えられそうな気がしてくるだろう、だけどそれはほんとうのことじゃない、おまえにはだめなのさ、できないよ、なぜってそんなことは馬鹿げているもの、二分のためにせいぜい三日間か四日間、普段と変わらない仕事でくたくたになることができればいい、それでじゅうぶんなんだ、そのくらいがちょうどいいんだ、そのくらいの気持ちで彼女と、ぼくと、友達と付き合っていけばいいよ、そういうための祝日だと思わなくちゃ、こんなに晴れているじゃないか、おまえはヴェランダのひんやりした白い壁に頬ずりをしている、あくびもでるね、そろそろ彼女は着替え終わったから振り向いてもいいんだ、もう景色なんて眺めていなくていいんだよ、ぼくに話しかけたりしなくていいのさ、まるで友達に話しかけるみたいにさ、だけどおまえは話さずにはいられないようだね、こんなふうにこのヴェランダから景色を見ているのはなんて永遠みたいなんだろうとね。
"友達"へのコメント 0件