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Moonflower’s Thousand Tastes:DC

小林TKG

リピリピリピリピリピリピリピリピリピリピ

小説

5,000文字

父親が死んでから、倅はよく花月に行くようになった。

父親は昔の人間だった。あるいはある程度の年齢に達してもう新しいものを求めなく、必要としなくなったのかもしれなかった。

例えば……、

例えば、ラーメン。倅の思う父親、その父親にとってラーメンと言えば、
「醤油ラーメン。五百円」

で、あった。あと父親は行列に並ぶという行為を嫌った。忌み嫌った。嫌悪した。唾棄した。迫害さえした。その考えには倅も同意している。行列に並んでまで食べなくてもいい。見なくてもいい。行かなくてもいい。父親ほど嫌うと、憎悪すると、余計な軋轢が生まれる為、程々に薄めてはいる。薄めてそれで、そういう他人をどうこう言ったりはしない。考えもしない。自分よりも下に置いたりしない。大変だなあ。に留めている。それ以上先には進まない。ろくなことが無い。

花月。ラーメン花月。ラーメン花月嵐。花月に何時から嵐が付くようになったのか、倅は知らない。子供の頃はラーメン花月だったような気がする。もしくは倅が子供の頃から、ラーメン花月は本当は、ラーメン花月嵐だったのかもしれない。調べれば事実が判明するかもしれないが、調べる程ではない。分かったからってなんだっていうのか。事実にどんな意味があるのか。正確さに何の意味があるのか。

ラーメン花月は、倅が子供の頃に生活していた地域にもあった。学生時代に出来た記憶がある。出来た時は驚いた。田舎の、田舎なのだ。倅が生まれ育った場所は。関東圏とか、他の人口密集地域の様な、人のいる場所では無かった。いや、もちろん人はいるけど、でも、いるって言っても違う。関東圏や他の人口密集地域のような感じではない。渋谷のスクランブル交差点みたいなものは無かった。無い。無い無い。コミケのような感じも、文フリのような感じも、浦和の駅前のカルエにビックカメラがオープンした時のような感じも。倅と父親が生活していた場所には無かった。せいぜいがお祭りの時に人が集まるとか、年始の八幡神社に列が出来るとか、甘酒が飲めるイベントがあるから行ってみるとか、そういう事でしか人は集まらなかった。

偶に、稀に、偶然に、その地域に新しい店が出来る事はあった。例えば、イオンの中のヴィレッジヴァンガードみたいな店。そういう店はまずもって長く続かなかった。誰も怖くては入れないのだ。実際に使ってみたら便利かもしれないけど、でも、その実際に使ってみるという行為を誰もしなかったし、本心から望んでいなかった。様な気がする。今となってみれば。

だから、花月もつぶれるものだと思っていた。倅は。父親は勿論、知らない。家から出たくない人だったから。なるべく、家から出たくない。そういう人だったから。それに知った所で、
「ラーメンに千円?」

と言っただろうし。あとはもう、蛇蝎のごとく嫌っただろうし。

今も、ラーメン花月はある。倅が子供の頃に生活していたあの町に。駅裏に。正直言って、よく、今もあって、残っていてくれているなあ。と倅は思っている。父親は知らなかったし、外食もしなかったし、したがらなかったし、したがらないくせに、母親の料理には文句言ってたし、砂糖とかみりんとか使ったら怒ってたし、ラーメンに千円は考えられない人だったし、行列に並ぶとかも絶対にNGの人だったし、駅裏だったし、今と違って当時は駅裏に行きづらかったし、だから全く興味の範囲外だったけども。でもきっと、父親とその家族、倅以外の人達からの支持があったのだろう。だから今も残っているんだろう。

唯一、寿楽というラーメン屋さん、ではないけども、定食屋さんに行く事だけは、父親はOKであった。理由はそこのタンメンが美味しかったからだ。日高屋の野菜たっぷりタンメンの麺を日高屋の麺よりももう少し細くした感じのタンメン。そこには幾度となく行った。父親がそこならばOKだったから。麺は柔らかかった。それだけが不満だった。いつも少し麺を固めでお願いしますと注文をしていた。しかし固めで出てくることは無かった。麺は柔らかかった。それでも父親はOKだった。タンメンは美味しかった。タバコの様に徐々に値上げしたし、具材もミスタードーナツとかの様に徐々に減ったりしたが、それでも父親はそこならばOKだった。タンメンであれば。

倅が子供の頃、まだ何も知らない。世界の成り立ちとか、世の理不尽さとか、人生の無常さなどを知らなかった子供の頃、倅はそこでタンメンではない、違うラーメンを頼んだことがある。一回だけ。

しかし、そのラーメンは、何のラーメンだったかはもう覚えていない。そのラーメンはタンメンほどは、美味しくなく、そんな気持ちが顔に出ていたんだろう、倅に対して、
「だから、言っただろう」

と父親は言ったのだった。倅もそれからは、それ以降はそこに行ったらタンメン以外頼まない。日高屋でも野菜たっぷりタンメン以外は滅多に食べない。期間限定品として辛モツラーメンとかチゲラーメンとかが出た時は、迷う。一回は注文するかもしれない。でもまあ、やっぱりタンメンになる可能性が高い。
「だから言っただろう」

イマジナリー父が出てくるから。

父親が死んだ後、倅はある帰省の折、駅裏のラーメン花月に行ってみる事にした。駅がこざっぱりした昔の駅舎から、大きな黒い墓石みたいな駅舎に建て替わって駅から駅裏に抜けれるようになったのである。浦和のラーメン花月に行って、ラーメン花月ありだな。実家にもあるな。という気持ちが生まれていたのである。同時に帰省した姉にその話をすると、姉も、いいよと言った。母親はその日居なかった。昼ご飯をどうするのか、それを考えていたのである。

それからは帰省の度に、ラーメン花月に行くようになった。父親は外食自体を好まない人だった。嫌なんだろう。多分。ホームじゃないから。文字通り。ホームじゃないから。外食は全てアウェイ。外食だけに。文字通りアウェイ。故に他の家族には、外食自体ほとんど記憶にない。行っても、寿楽か、寿楽か、寿楽しかない。父親が死んで、残った家族に外食欲が湧くのは、湧き上がるのは当たり前と言えば当たり前、自明の理であったかもしれない。

母親にしても、そんなに料理が好きな訳じゃない。料理とか、片付けとか、皿洗いとか、毎日したい訳ない。子供ら、倅と姉だって、毎回母親にそれをさせるのは忍びない。忍びなく思っていた。

だから温野菜に行ったり。イオンモールのグランビュッフェに行ったり、コメダコーヒーに行ったり、ナガハマコーヒーに行ったり、タケヤが運営しているレストラン、レストランスペースの隣には、パンやバナナボートが売られている。所に行って、ご飯を食べた後、パンやバナナボートを買い漁ったりするようになるのは当然と言えば当然。フォレスタ鳥海で昼食を食べたり、ねむの丘で昼食を食べたり、こまちランドに行くついでにゆで太郎に行ったりするのは、当然と言えば当然の事であった。今はもう潰れてしまったけど、新幹線こまちで帰ったらドジャース食堂に行ったりもしていた。今はもう潰れてしまったけど。

母親に至ってはスタバにも入れるんだそうだ。倅は入れない。怖くて。だから、凄いなあって思っている。

倅がラーメン花月に行くようになって、ラーメン花月に行くからスマホにラーメン花月のアプリをダウンロードして、旧アプリから新しいアプリにバージョンアップした時に旧バージョンで貯めていた来店ポイントが無くなって、それについてアプリ上では随分と深刻に、引継ぎ出来なかったお客様への対応みたいなのが出来て、倅はそこまでのヘビーユーザーじゃないので、まあ別にいいか。位の感じなのだけども。まあ、たまによく行くから、行ったらちょっと記録として来店ポイントをもらっているくらいの気持ちなのだけども。でも倅にしてもドコモポイントとAmazonポイントが急に無くなったりしたら、正気を失うだろうから、花月にだってそれと同じような気持ちで来店ポイントを貯めてた人が居るのかもしれないから、だから、それを悪く思ったり、馬鹿にしたりはしないけども。

そんな中の出来事である。

ある日、倅のスマホが振動した。見るとラーメン花月からの通知であった。
「熊本復興支援企画」

その文字が見えた瞬間、倅は長い溜息を吐いた。
「はあぁぁぁぁぁ」

長い溜息。外であった。その時、倅は外にいた。新宿の、新宿御苑の、新宿御苑の渋谷区の中にいた。新宿御苑は新宿御苑とは言いつつも、新宿区と渋谷区に跨っている。そんな事でもない限り、倅が渋谷区に入る事は無い。倅にとって渋谷区はスタバに等しい。一定以上の水準の人間しか入れないと思っている。一定水準以下の人間は狩られると思っていた。信じていた。今も変わらない。倅はそう信じていた。

でも新宿御苑は大丈夫。なにせ有料だから。有料公園なのだから。輩は滅多に来ない。滅多には来ない。千駄ヶ谷門近くの、ベンチに座って、そこだけは子供がちょっとした遊具を持ち寄って、例えば、フリスビーとか、そういうのを使って遊ぶのをOKとしている広場の前で考え事をしていた。

倅はその時、破滅派について考えていた。破滅派の合評会の事を考えていた。

池袋駅から新宿区まで歩いて、花園神社に行って、ベローチェに行って、ベローチェは花園神社の側のベローチェ。花園神社で手を合わせて祈っていた。
「破滅派の次の合評会、テーマが熊本なんです。知らないです。熊本。ウッチャンとか、くりいむさんとかの出身地ってこと以外知らないんです。行った事も無いんです。それがテーマなんです。地震があったからだと思います。どうすればいいでしょうか、どうか何か、何か、何か来ますように」

それが割に、割にすぐ、すぐ来た。

有難いなあ。いやあ、有難いなあ。
「熊本復興支援企画」

ラーメン花月で、以前、二千二十六年の三月頃、味千、九州熊本豚骨黒マー油ラーメンを提供していた。それが戻ってきた、再版されたのだった。
「花月で味千を食べたら」

その売り上げが一部熊本の支援の為に寄付される。

ゼロがイチになる。

倅はその後、ラーメン花月嵐新宿二丁目店に行った。世界堂の向かいの辺りの。それから再び新宿御苑、新宿門から入って千駄ヶ谷門を抜けて、北参道の側に行きラーメン花月北参道店に入った。北参道店を出た後は、鳩森八幡神社に行って祈り、信濃町に行って、於岩稲荷と陽運寺に祈り、四谷三丁目駅でメトロに乗って池袋駅に戻り、池袋から東通りを抜けて、雑司ヶ谷霊園を周回し、護国寺に行って、護国寺で祈り、その後護国寺の近く、講談社の近くのラーメン花月に行って、池袋まで戻って電車で浦和に戻り、浦和の浦和不動尊で祈った後、浦和のラーメン花月に行った。

食べたのは全て、バリ辛、嵐げんこつバリ辛らあめん。

味千じゃない。

倅はラーメン花月嵐に行ったら、バリ辛しか食べない。バリ辛に辛壺ニラを入れて食べる。それしか食べない。それ以外を食べたことが無い。
「味千の為、熊本の為、破滅派の為」

そう思って何度もチャレンジした。神仏にも祈った。

でも、倅はラーメン花月に行ったらバリ辛しか食べない。

塩ベースか、みそベースか、細麺か、中太麵か、普通のか、チャーシュー入りのか、普通盛りか、大盛りか、何にしても、バリ辛しか食べない。

その後、姉にラインをしてお願いをして、朝霞の駅前に来てもらって、倅のお金で、姉に味千を食べてもらった。倅は勿論バリ辛。

だってバリ辛しか食べないんだもん。

おかげで、ゼロがイチになった。

その日の夜、いやもう夜を待たずに、倅のお腹は壊れたけども、トイレに籠って、あれだけ辛いのを食べたから。スープも飲んだし、唐辛子も食べたし、辛壺入れて食べたから、だから、お腹は壊れたけども、トイレから出れなくなったけども、寿命は極端に縮まったかもしれないけども。でも、ゼロはイチになった。ハンバートハンバートのマイ・ホーム・タウンをリピって心を静めた。

来月、十月実家に帰省する予定があるので、その時まで熊本豚骨、味千やってたらいいなあ。今度は母親も連れて行くから。そんで母親に食べてもらうから。味千。姉にももう一回お願いして、そんでもう一回食べてもらおう。味千。ラーメン花月嵐の熊本豚骨味千。復興支援って言って。それで食べてもらおう。熊本豚骨味千。倅は勿論、バリ辛。辛壺入り。

© 2026 小林TKG ( 2026年9月17日公開

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