普通内面だと思われているものは外面である。
要素が内面である。
生まれることは関係(精子と卵子の出遭い)であって、絶対的な意図の結果ではない。
つまり結果論として生れる。
生れたときから既に用意された既存の語彙と要素で内面が構成される。
決定論ではなく、自由すらも外面に左右されている。
と、いうより、フルに自由であるということは、完全に外面的であり、外面に依存することを表している。
精神分析家のボラスはイディオムという言葉を使って個々人の「固有の文法」のようなものを指し表したが、そのイディオムこそが再生産の核心である。
それはブルデューの言葉でいうとヒステリシスの最も核心的な部分であり、ボラスの他の言葉で言えばUnthought Knownすなわち「考えられていない知識」である。
自分が考えるということが外部なのである。
だから、ソシュールのアナグラム研究にも、ユングのシンクロニシティ研究にも全部意味がある。
世界は同期していて、同時進行なのであって、原因と結果に別れているわけではない。
波が起こっているだけで、海とか天気とか言う複雑系は、何が原因であるとか何が結果であるとかいうことの判断ができない。
ただ起ったことは起ったことであるということしかできない。
たしかにブルデューの言うように外的な文化資本や経済的な資本も相続され、再生産されるが、最も核心にあるのは、内面(イディオム)の再生産である。
だから、ある時には外的な凄い成功をしている家系が、ある時には完全に不適応になることもある。そう単純じゃない。
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