生きる以上傷は避けられないという強引な言葉で慰めるつもりはないけど
少なくとも全部として生きることはできる。
非人称ではないが
絶対的なものなんてなにもかもないから
頼れるものがないのは仕方ない。
生きていたらいいことあるとも、その損失があったから今の結果があるとも言えない
根性論には堕ちない
でも少なくとも全体として生きるとか、
総体性として生きるということはできる
傷ができたとしても傷は放置していればよい
生産的でなければならないという慣習から来る行いをやめる
DoingからBeingに代わる。
存在するだけで価値があるとしたら、その上で何をしたいか。
行動で証明しようとしなくていい
それは既に十分に証明されている
そうすれば破壊的な行いはなくなるだろう
自分から予定を作らない
なくていいものはなくていいと拒否する
なに一つ進んでいなくても世界は進むということを肌で感じる
そうやって「普通」に戻っていく。
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