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てのひらに命

曾根崎十三

構想から仕上げまで1時間で書こうとしたけど、見直してたら全然すぎちゃった!! 不快な話です。テーマは誕生日。

小説

5,577文字

平気な顔で生きている。普通の人間みたいに。悪いことをしたことなんてないみたいに。罪のひとつも知らないみたいに。普通の人間みたいに他人と喋って、笑って、飯を食い、睡眠を貪り、仕事をして、日々をすり減らしている。日々を消耗させている。早く終われ早く終われ。終わってくれ。目を瞑り、耳をふさいで、日々が過ぎていくのを待っている。それでも、この日がくると思い出してしまう。この日が二度と来なければ良いのに。毎年この日だけを飛ばしてくれないか。最悪なんだ。来てほしくないんだ。思い出してしまうから。違う。忘れたことなんて一度もなかった。ずっとずっと覚えていて、覚え続けていて、何をしていても突き刺さってくるのを見ないように、考えないようにして、息をひそめて、忘れさせてくれるわけないのに、突き刺さったままのなのに、目を逸らして、逃げ回って、どこに隠れても見つかるのに、逃げて逃げて逃げて。てのひらにはまだ感触が残っている。はっきりとくっきりと。まとわりつくように。きっと一生残る。君のじっとりと汗ばんだ柔らかな肌。親指に脈動が伝う。息を切らしているのは君だけではなくて、ひどく動悸がした。どうして。なんで。こんなことをしたかったんじゃなかった。懇願する君に勝てなくて。君の頼みを断ったことなんてないことくらい君だって知っているはずだ。わかっていて、甘えてきた。わかっていて頼りにした。ひゅーひゅーと虫の息。息の根。根から断つ。温かい。温かい脈動が手のひらの中にある。私の両手は命を掴んでいる。息が苦しいのは君も同じで。手が痺れる。頭も痺れている。どうして。どうしてこんなことを。私が手をかけた時、君はひどく恐怖していて、そして安心して、怯えて、安心して。安心の対義語はいろいろあるのに、安心は安心としか表せられないないはなんでなんだろう。弱り切った君の表情はようやく終わることができるのだという安堵と、終わってしまう全てを失うという絶望と恐怖とがないまぜになっていて、ぐちゃぐちゃだった。本当にこうしたかったのかな。本当にこれでよかったのかな。これでよかったなんて私ぜんぜん思ってないんだけど、君はそれを望むから。望むので。その瞳が私を捉えていた。まっすぐに見ていた。逃げられない。逃がしてくれない。微笑んだ時に目がひゅっと細くなるのは君の特徴で、それは全然いつもと変わらなかった。失敗した。失敗した。失敗した。失敗したのは君だった。失敗したのは私だった。私の方が君よりもよほど失敗した。怖がってあと一歩を踏み出さなかった。怖かった。この期に及んで怖かった。死にたいわけじゃなかった。死んだ方がいいんじゃないか、とぼんやり思うだけだった。産まれて来なければよかった、とまでは思わなかった。なんとなく、もうこのまま生きなくて良いんじゃないかと思っているだけだった。生きている痛みから逃げ出したいだけだった。君は死にたかった。死にたがっていた。私のようなささやかな希死念慮じゃなくて、君のそれはもう自殺念慮で。君は何度も死のうとしていた。自殺企図にまで至っていた。私はただ殺してもらえるのを待っているだけの怠け者だった。君に比べれば私の気持ちなんてものを浅はかで、軽率だった。自殺念慮と比べて希死念慮なんてものは言いたいだけ騒ぎたいだけの構ってちゃんが九割で、大抵生きていれば皆持ってるもんでしょと思っていたけれど、世の中の人は意外と自分のことを死ねばいいのに、とは思っていないらしい。驚いた。地面に寝転んでいるだけみたいに見える君からはじわじわと血が流れていて、黒いアスファルトに血を飲ませていて、まだ意識だってあって、ちゃんときれいなままで、頭も両手も足もちゃんと胴体と繋がっていて、それでも、君はもう助からなかった。もうおしまいだった。医者でもないのにそんなこと判断できっこないのに、でも君はもう助からないから、と思った。君はもう助からないと君が言っていた。それが望みであるかのように。だからせめて私の手で包まれて、手で絞められたいのだと、しどろもどろで。君は、自分のところへ走ってきた私を見て、よかった、と言った。よかった、と少し微笑んだ、ような気がした。痛みで顔をこわばらせただけだったかもしれなかった。死ぬのは痛いことなんだ。おばあちゃんの家で飼っていた犬が死にかけている時、苦しんでいた。死ぬのは痛いことなんだ。誰が言ったっけ。おばあちゃんだったっけ。私だっけ。死ぬのは痛いことなんだ。落ちようとした時にその言葉がふと蘇った。私は脚がすくんだ。落ちたのは君だけだった。落ちた君を見送って、私はずうずうしくも、走った。二足歩行ができた。五体満足だった。ほんとうに嫌になるくらい体は健康だった。走ることができて、呼吸ができて、ほんの一時間前まで君とコンビニで買ったケーキを食べていた。ささやかなバーステーパーティをした。最後の晩餐のつもりだった。ろうそくを刺して、私が火を吹き消した。君は私に「お誕生日おめでとう」と言った。言って私のことを見て、微笑んだ。ああ、あれが最高の瞬間だった。人生で一番の幸せだった。君と食べたいちごのショートケーキ。それが今胃からせり上がる。喉の奥にゲロの塊が引っかかっていてビリビリする。息が痛い。呼吸をするだけでしみる。指先が震える。膝小僧ががくがく笑っている。何もおもしろいことなんてないのに。君は私のてのひらをすり抜けて、落下した。落下した君のところへ、裸足で階段をかけおりて、駆け寄った。失敗した君は肉塊にはなってなくて、ちゃんと人の形をしていて、人の形をしたまま、呻いて、苦しんで、目をうっすらと開けたり閉めたりして、蚊の鳴くような声で私を呼んだ。ひどい失敗をした私を君は責めなかった。君はどこかでわかっていたのかもしれなかった。私は死ねないことくらい。まだ君が落ちた音に誰も気付いていなかった。大きな音がしたと、きっと誰もが思ったはずだった。近隣住民の皆様にも聞こえたはずだ。でも意外と誰も無関心なんだ。私も皆も。他人に優しくないし他人に興味なんてない。私は道端でしゃがみこんでいるおばあちゃんを放置したし、道の端で倒れている男を見ても声をかけなかった。君はきっとそれをひどいとは言わないでいてくれる。君も狭い世界で生きている人だから。ニュースなんて興味がなかった。日本がどうなったって知ったこっちゃなかった。外国が戦争をしていても、日本の政治がどうにかなってしまっていても、災害で人がたくさん死んでも、とんでもない凶悪殺人事件が起こっても、君がいればそれでよかったからまるで興味がない。だって君は同じだ。私と君は似ている。私が君に似ているのか。君が私に似ているのか。君は目の前で人が事故に遭っても、事情聴取されるのが嫌で素通りするような人だった。都会のど真ん中で飛び降り自殺があった時、私と君は一緒にいて、たくさんの悲鳴の中、その場から足早に逃げ出した。ショッキングな死体を見たくなかったからではなくて、面倒なことに巻き込まれたくなかったから。私と君は汚いところが同じで、優しくない、薄情なところがおそろいだった。でも、本当はみんなそうでしょう? 本当は薄情なくせに優しいふりをして生きているんでしょう? だって私だけじゃなかった。他にもたくさん通行人がいた。そうやって大衆の中で見殺しにされた人は何人いるのだろう。実際、往来の真ん中で人が死んでいたのに発見が遅れたという事件もちらほら聞く。世界の外側のことなんて皆心底どうでもいい。外側のことなんて関与する必要がなくて、これは物語における背景でガヤで生きていると耳に入ってくる生活音のようなもので、私は私のことに必死だから、他人に興味なんてない。君と私だけが世界だった。私の世界で生きている人間は君しかいなくて、あとは全部その他大勢だった。生きている他人は君しかいなくて世界にたった二人ぼっちだった。君だけが体温で、君だけが呼吸、君だけが鼓動。それが私の手の中で失われてしまう。あああして目を細めたのは笑ったからでしょうか。それとも、ただ、死にかけている君の筋肉の強張りでしかないのか。わからなかった。どうしてこんな残酷な願いを私に。この感触が一生てのひらに残ることなんてわかりきっていた。火を見るより明らかで。手を繋いでるみたいだね、と君は言った。言ったかもしれなかった。言った気がしただけかもしれなかった。私が思っただけかもしれなかった。君の首は熱くてちゃんと脈を打っていた。手を繋いでいるみたいだ、と思った。首を絞めているのに。私の手首にもきっと脈はあって。脈を孕んだ手首を君の首に押し付けるみたいに力任せに。抱きしめるみたいに。あの時、君と一緒にちゃんと落ちられたら、二人で一つの肉塊になれたのかな。ずっと二人ぼっちだった。たった一人の世界の住人なのにそんなことを頼むんですか。ずっと二人ぼっちだった。たった一人の世界の住人だからそんなことを頼むんです。ずっと二人ぼっちだった。君がいなくなって、私だけが生き残ってしまったら、それはもう本当にひとりぼっちで、私の世界は壊れてしまった。外側の世界はが私の世界として拡張される。今まで世界の外側だったものが、無関係ではなくなる。ガヤの一人一人に命があり、あれこれ考えたり、苦しんだり、痛がったりする感覚や意識を持ち、それまで積み重ねてきた人生があるのだということを理解しなくてはいけなくなる。広い世界を私は理解できないなりに理解しようとするしかなくて、関心を持つしかなくて、普通の人間みたいに、苦痛に耐えながら他人に合わせたりニュースを見たり国の未来を考えたりどこか遠くで傷ついている人たちについて考えないといけなくて、しないといけないことが随分と多くなってしまって、道に倒れている人がいたら救急車も呼ばないといけないし、飛び降り自殺の現場では大人しく事情聴取されなくっちゃいけなかった。君しかいない世界から放り出された私は人間初心者で、君は最初から私の理想だった。君は私のイマジナリーフレンドなんじゃないかと思った。でも、この感触は嘘じゃなくて、こんなにずっとてのひらにまとわりついているこれが幻のはずがない。この掌から熱は失われ、きっと私が何もしなくたって、君は死んでいた。私の誕生日に君は命を差し出した。とんでもないプレゼントだった。すべての誕生日の記憶が上書きされてしまった。鮮烈で強烈で壮絶で。小学生の頃にバースデーパーティーを開いてもらったことも、母がごちそうを作ってくれたことも、家族で旅行に行ったことも、なくなるわけではないのだけれど、消えるわけではないのだけれど、全部霞んでしまうくらいに凄まじく濃厚な一撃で。ただ、君のてのひらに包まれて死にたい、という気持ちはわかるので、ああ、君は本当にずるい人だなと思った。そんなの私だって同じなのに。私の願いは金輪際叶うことなんてなく、君のてのひらに包まれて死ぬことなんてできない。私が死ぬ瞬間に君はいない。私のてのひらで君の熱が失われていくその瞬間がひどく痛くて怖くて悲しくて、こぼれおちないようにもっと指に力をこめるのだけど、君はもうぐにゃぐにゃとしていて、それは君の本望ではないし、何の反応もない君は君ではなくて君だった何かだった。君の熱が失われると同時に私も血の気が引いて、でもちゃんと心臓は動いていてうるさいくらいに鳴っていて、脈が狂ったみたいに聞こえていて、耳鳴りがキーンとうるさく頭をしめつけて息ができない。聴覚をぶっ壊すようなキーンとした耳鳴りだっていうのに、自分の呼吸と鼓動だけはやけにはっきりとしていて、鮮やかだった。夢みたいな、夢であってほしいような、どこか現実感のない感覚に覆われているのに、そこだけはやたらと明瞭で、嫌というほど自分が生きている、生きてしまっているということを突きつけられてしまう。強烈な誕生日プレゼントだった。生きて痛い。息をやめたい。ただこの苦しみから逃げたいだけだった。ああ誰か。誰か今すぐ麻酔を打ってくれ。麻酔を打って今この瞬間からしばらく私の意識を消してくれないか。そうだ。麻酔。毒ではない。毒は要らない。図々しくもこの期に及んで私は死にたいとは言わないのだ。結局のところ私は生きる気しかなくて。もう生きてしまおうと開き直っていて。どうやって生き延びるかを考えている。風化を許す。風化を求める。きっと月日が私に呼吸の仕方を教えてくれる。月日が私の痛みをぼやかしてにじませていく。だったら今すぐ麻酔を打って十年でも二十年でも先にでもいかせてくれないか。いや、そんな贅沢は言わない。せめてこの一日だけでも。ちょっとこの日だけは目をつむって耳をふさいでやり過ごしたいから。どうか嵐が過ぎるのをやり過ごさせてくれないか。ただ生きているだけであらゆる光景があまりにも突き刺さるのだ。ただの高い建物が、ベランダが、駐車場が、植え込みが、苺のショートケーキが。何もかもが鋭く君に結びついて私に襲いかかってくる。どうかうずくまって頭を抱え隠れていることくらい許してほしい。柔らかい部分に突き刺さらないように。大きく息を吸い込んで、あとどれくらい息を止めていたらいい?

そして、自分でもおかしいと思うのだが、未だに私に深く深く突き刺さるのは、このてのひらに残った感触でも、生き残ってしまった罪悪感でも、すり抜けて落下した君の姿でもない。ほんとおかしい。おかしな話だ。私に一番深く突き刺さるのは、未だに血が溢れ出てくるのは、倒れそうなくらいに息が苦しくなるのは「誕生日おめでとう」と私に微笑んでくれたあの時の君の笑顔なのだ。

© 2026 曾根崎十三 ( 2026年8月24日公開

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