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爆撃機が四百機

犬江目彦

ルースターズを聴きながら読んでください。

小説

1,716文字

公園のベンチに女と並んで座っていた。夏の暑い日で、地面から陽炎が立ちのぼっていた。俺は汗を掻いて女はガムを噛み、何も話さずに公園を眺めていた。

公園には浅く細い人工の川があり、陽炎が揺らめく向こうに裸足の子供が水を掛け合って遊ぶのが見えた。目を瞑ると子供たちの声と水が弾ける音が遥か昔の思い出のように聞こえた。小学校のプールで底に潜った時を思った。俺はゴーグルをして水泡が水面に上がっていくのを見て水泡はどこから出てくるのかと思っている。

ベンチの左脇のブランコで少女が立ち漕ぎをしていた。膝を深く曲げて勢いよく伸ばし、細い体は高く上がった。降下すると空気がぶおんと音を立て、澱んだ空気を切り裂くようだった。少女が通り過ぎる度に俺は汗を掻いた。汗の粒が額で大きく膨らみ流れ落ちる寸前で耐えていた。流れ落ちてしまえば。女がそう言った気がしたが、女はガムを噛みながらぼんやりと宙を見ていて、俺の汗のことを考えているように見えなかった。

ブランコと少女はだんだんと高さを増していった。降下する時には空気が張りつめ、頂点で鎖がしなる時に弛緩してまた張りつめた。ぶおんと音がして少し身を固くした俺の横で女が立ち上がった。女は俺の前を横切り安全用の柵を跨ぐと動くブランコの横に立った。女の目の前をブランコが通り過ぎ女の髪が靡いた。少女が女を見て膝の動きを止め、鎖を持つ両腕を内側に窄めた。ブランコが軋む音を立てて歪に揺れた。女に触れそうだった。少女はブランコの勢いと共に手前に飛び降りた。前のめりに倒れて地面に手をついたが素早く体を起こし、柵の外に走り出て後ろを振り返った。

女は口から出したガムを柵に擦りつけると、動いているブランコの鎖を無造作に掴んだ。ブランコが不均衡にばたついた。女はサンダルを履いた足で上から押さえ、ブランコの上に脚を広げて立った。ブランコが前後に小さく揺れ、ぎこっと情けない音を立てた。

空気は澱んで更に暑くなっていた。額の汗の粒は更に膨らんでいるのに潰れそうにない。いつまでも俺の額に貼り付いて永遠に流れ落ちないような気がした。子供たちの姿が陽炎の向こうで揺らめき、声は遠ざかったように聞こえる。プールの底の俺を想像する。ゴーグルをした俺が水泡を見ている。ひと際大きい水泡が揺れながら水面に上がっていく。あの水泡を潰そうか。潰すのは俺だ。誰かに潰されてしまう前に、だけどまだ潰したくない。

風を切る音がして水泡が弾けた。勢いのついたブランコが横を通り過ぎていった。女の体が高く上がり太陽を遮って止まった。青空に体のシルエットが浮かび上がり、黒い髪が広がってスカートが靡いた。ブランコが風と共に戻ってきた。後方でまた影になって止まり、そして降下した。女はしゃがむように深く膝を深く曲げ飛び跳ねるように伸ばし、ブランコは更に勢いを増した。

柵の向こう側に子供が集まっていた。子供たちは女とブランコを追って小さく顔を動かした。誰も瞬きをしなかった。

雨だ。一人の子供が言った。雨が降って来たよ。

他の子供が空を見上げた。

雨なんか降ってない。

空は真っ青で遠くに小さく雲が見えるだけだった。

降っているよ。大きい粒の雨だ。

そう言った子供の顔に赤い斑点がついていた。

女が通り過ぎ、他の子供の顔やシャツにも斑点がついた。

女の体は何度も空に高く上がって髪とスカートが靡き、風を切って通り過ぎた。その度に柵の外に並ぶ子供に順に赤い斑点をつけていった。

夏の暑い日だった。額の汗の粒はいつの間にか潰れていた。唾を飲み込むと火薬の味がした。空は透き通るようでどこまでも青く、ブランコに乗った女が股間から雨を降らせて子供たちに赤い斑点をつけた。

俺の顔にも雨の粒が落ちた。生暖かかった。左目に滴が一粒入り目を瞑った。瞼の裏で粘っこさが広がり眼球に貼り付くようだった。瞼に力を入れるとパチッと音がして目が開いた。右目から見えていた青い空に左目から見える赤く滲んだ空が重なった。

赤い空の奥に無数の黒い点が見えた。点はこちらに向かっていて、遠くから風に乗って轟音が聞こえてきた。

爆撃機が四百機、と俺は呟いた。ついに飛んでくるんだな。

爆撃機が、四百機。俺の汗は乾いていた。

© 2026 犬江目彦 ( 2026年5月24日公開

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