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犬鷲

合評会2026年3月応募作品

萩原蔵王

その山村には犬鷲の親子が棲んでいた。あまりの珍しさに将軍が来るほどだったが、村の猟師たちは獲物を奪う犬鷲たちを嫌っていた。ある日、とうとう我慢のできなくなった猟師の一人が父鷲の羽翅を撃った。怪我を負った父鷲は巣に帰ってそのまま眠りについた。しかし、父鷲の羽翅から垂れた血が子鷲の口に偶然落ちて了い、そこから全ての歯車が動き始める──。

タグ: #合評会2026年3月

小説

5,093文字

     一

 

 今は昔、在るかも知らぬ北国の、それも野鄙やひな山の麓に、名もなき小さな村が御座いました。その村を見下ろす小さな山の崖際の、ぽっかりと空いた小さな洞穴ほらの中に、犬鷲の家族がんでりました。なんでも蝦夷えぞの方から飛んで来たとか云うものですから、みやこから大勢の見物人やじうまが、吾こそはと挙って村に訪れるのであります。将軍様も見に来られたとか。そのような始末で御座いますから、村は小さくとも其処々々そこそこ繁昌はんじょうしている様で、一人の絵師が崖に悠々とたたず風貌ふうぼうを見事描き上て京へ売ったものが、遂にはその、質素剛健ごうけんたる犬鷲の風采ふうさいを、京の武士もののふが大いに気に入って、近頃ではその絵師はせっせと崖を遠望して揮毫きごう*するようになったのであります。村には幾十人かの戈人かりうどが居りますが、将軍様の御下知ごげちによりますと犬鷲への発砲は堅く禁じられて居るようなので御座います。戈人たちは毎朝山に潜る度に、彼等の啼声ていせいを聴いて山の容子ようすがハッキリと判るのだそうで──。たとえば犬鷲が平生へいぜいより慌ただしく啼いて居るのであれば、熊やらかみやらが鹿を多く喰ってしまって居るのだそうで、平生より低く遠く響くのであれば、少し湿っている訳ですから、もうすぐ大雨が降るぞといういましめなのだそうです。

 しかし戈人たちも、決して悠々たる彼らを好く思っている訳ではないので御座います。兎や仔禽ことりやらは、みな犬鷲が掠めて行って了いますから、彼らは毎日仔兎こうさぎや熊に葬られた、腐った鹿のむくろから少量の無事な肉を剥ぎ取るしかないのです。時折鹿を見かけることはありますが、手軽な兎は根刮ねこそぎ奪われてゆくので御座います。ですが、将軍様の御下知に逆らえばどうなるか考えたいものではありませんので、戈人たちは今日も、口惜くやしい思いで山を下りるのでした。

 或る年紀としの冬のことでありました。戈人の一人がとうとう堪えかねて、遂に父鷲の羽翅はねに向けて猟銃を放ったのです。殺して了っては不可ませんので、この戈人は姑息にも羽翅を狙ったのであります。弾は見事に父鷲の、左の羽翅に命中しました。父鷲はよろけながら、それでも猛禽としての勢威を張り続けて居りました。別の戈人がもう二、三発放ちました。一度桜の枝で悪戯いたずらをかけた戈人が、その父鷲の大きく鋭利な爪で、散々にやられて帰ってきたことがありました。ですから、一方的ではありますが一発撃っただけでは彼らの憤慨ふんがいは収まらなかったのであります。放った弾の内一発が、父鷲の脾腹ひばらに喰い込みました。戈人たちがそろそろ逃げおおせようとしたときに、父鷲はようやく断崖の棲処すみかへと帰って行きました。

 断崖の棲処に帰った父鷲は、洞穴の奥に這入はいって静かに眠りに就きました。彼が気力を治すのには莫大な時間が必要だったのでした。そして彼には、その莫大な時間を有すのに、眠入ねいることしかできませんでした。母鷲は血を垂れ流しながら帰って来た夫の身を案じていたのでしょうか、静かに啼声を上ました。しかし父鷲はそれを気にも留めずに、じっとまぶたを閉じて眠りにつくのでした。

 仔鷲はそのとき、父鷲の傍に坐り込んで居りました。そうして一つ、欠伸あくびをしたかと思うと、父鷲の羽翅から垂れた一滴の血が、っくりと仔鷲の口の中に流れ落ちたのです。仔鷲はそれをなめらかに呑み込んで、眼を見開いて父鷲の素形すがた凝視っと見詰めるのでありました。──

 

     二

 

その後少時は、父鷲は洞穴から出ない日が続きましたから、戈人たちは清々して、痛快な思いで山に籠るようになったのであります。別段父鷲を殺した訳ではありませんし、発泡が禁じられているとは云え監察者がいる訳でもないので、特に彼らが罰をけるということはありませんでした。将軍様も、近頃は御身体おからだが悪くなったようで、毎月犬鷲を観に来ていたのが、今ではパタリと止んで了いました。民衆も、態々わざわざ遠出して行く位なら、例の絵師の画を見ようじゃないかと思うようになりました。ですから戈人たちは、今までの口惜しい思い出に仇を成すように、程好ほどよく収穫を得て程好く山を恣にするのでした。

ところで、洞穴の容子はと云いますと、父鷲はやっぱり眠入ったままで、しかし死んだ容子ではありませんでした。仔鷲は、昔は小さく、こじんまりとしていたのが、今ではもうすぐ、母鷲を押し潰せる位に育って居りましたが、しかし、父鷲が撃たれたからというもの、中々外に出ることはまれなので御座いました。もう餌を独力ひとりで獲れる程でしたが、近頃は戈人たちの、山での行動が盛んですから、ちょっと出てみれば、彼らの気に障りかねないのであります。仔鷲は立派で黒い、鋭い爪と、焦茶色の雄々しき羽翅をそなえて居りましたが、しかし流石に戈人たちを襲える程、勇敢な気力は持ち合わせて居りませんでした。それでも、洞穴の入り口から森を見下ろして、戈人たちのこえと銃声の居ぬ間に、ひっそりと飛び降りて兎や仔禽やらをつらまえて来るのでした。

山は、春の陽気にまみれて、桃色に染まって居りました。麓の方では、村人たちが花見に出て、むしろを敷いて宴を開いて騒ぐのでした。その春が、夢のように去っていって、杏子あんずの萌える節から、鮮緑せんりょくの波が山を呑み込む節になりますと、森は賑わって、鹿も増え、仔禽もうたの勢いを増して、青蛙あおがえる清水しみずに集って大夏たいか*を貫きました。その鮮緑の節が、今度は紅い葉のおどる節となって、山は一気に燃え上り、幾枚もの落葉が、洞穴の中に舞い込んで来ました(この節が一番絵師の売れる時期なのです)。村人は、今度は紅葉狩りのために森へ脚を踏み込み、あたか花札はなふだの、鹿を時折見ゆる、真っ赤な森で御座いました。しかしその燃える秋も、二た月もすれば寒風かんぷう甚しい節となって、骨のような枝と、冴えて干からびた幹のみを残すようになったのです。そう、折節の目紛めまぐるしい合間あいまに、父鷲はすっかり好くなって、しかし猛禽たる狩りはいまだに消極的で御座いました。

仔鷲は、父が撃たれて洞穴に逃げ帰ってきた日、何かを口にしたような感覚がしてなりませんでした。珍味と云うべきか、得体の知れぬ何かを、自分は咽喉のどに滑り込ませた気がして居りました。それが液体だというのは心得て居りましたが、野兎を喰っても、鹿の肉を喰っても、それと似た風味は引き出されませんでした。

 

     ×     ×     ×

 

或日、父鷲に仔鷲が持って狩りに出かけました。燃える山もすっかりわびしくなって、枝垂しだれた紅葉も己の夢をほうり投げて、そのために、冬の気配が、ひしひしと羽毛の先から取って感じることができました。

 そのときでした。彼らが仔鹿を為留しとめて、その肉をむさぼっていると、途端に草叢くさむらから、一疋の牝鹿めすじかが躍り出たかと思うと、此方に向かって走り出したのです。牝鹿の目に、彼らがどう映っていたのかはあまり明瞭はっきりとしませんが、憎悪ぞうおのような目を燃やしながら(その牝鹿は母親だったのです)、突っ込んで来たので御座います。仔鷲は運好く鹿の通り道から外れましたが、不運なことに、三日前傷痍きずの塞がった父鷲の羽翅に、鹿のいかめしい角が当たったのです。鹿はそのまま、森の奥へと消え去って行きました。

 父鷲は仔鹿にもたれて、血を流してうめき声を上ていました。彼の爪は、鹿にまれて雄邁さが欠けて居りました。仔鷲が、父鷲にりかかって看病していましたが、父鷲の羽翅をめたときに、どこか懐かしい風味を見つけ出したのです。仔鷲は──澄んだ奥深いひとみを以て──凛々しい顔をふと上て、電撃のはしった口の内で、その風味そのものの、空間的な形を、存分に、過剰に味わい続けるのでした。──

 

     三

 

 父鷲のしかばねは、その日の内に空間的な形を失くしました。夕暮れ、洞穴に帰ったのは仔鷲だけでした。

 母鷲は、特に何か思う由はありませんでした。それは、ただただ、仔鷲が、長々と狩りに出続けることに、母鷲自身が反駁はんばくする姿勢を見せていたからでした。仔鷲は仔鹿の骸の千切ちぎったものをを、父鷲からけ継いだ剛健な爪で抱えて居りました。しかし、仔鷲は、かぎのような嘴でも肉をくわえて降りたって来たのです。母鷲は、吾子あこの帰りを、待ち侘びていたように啼いて体現たいげんしました。仔鷲は、獲物を捕らえている所為せいか、それに応じることなく、洞穴の奥へと歩んで黙然もくねんと骸をついばみました。

 仔鷲は、嘴で捕らえていた骸の断片を巣に吐き捨てて、爪で仔鹿の骸を押さえ込んだまま、遮二無二しゃにむに僅かな毛を貪って喰らいました。母鷲はその容子を微笑ほほえましく眺めていました。吾子が、夫と共に狩ったであろう獲物を喰らう容子を、祝福するように──。

 巣の奥底は、一定の毛が散らばって居りましたが、母鷲の視点からそれを目にすることはできませんでした(崖に無理遣りじ開けられたその棲処は奥の方が低い造りで御座いましたから、母鷲からすれば、子の頭が上下に振られている様態さましか見えないのでした)。ですから、いつしかきたようで、外に広がる春の訪れを賞翫しょうがん*するのでした。

 仔鷲は、その骸を喰い終えると、すぐさま仔鹿の肉に着手しました。しかし、どこか物足りない、つまらない表情で小首を傾げると、その肉を啣えて母鷲の元へ歩み倚り、懐裡へ落としました。母鷲はそれに気付いて、眸と、啼声と、その矮躯わいくで愛を示しました。そうしてせわしそうに喰うのでした。冬の陽がかたぶき始めました。

 父鷲は、帰りの遅いようでした。夫の帰りも待ち侘びていました。もしかすると、戈人に撃たれているのやもという忌まわしい見解が頭をぎりましたが、銃声のないために忘れました。もう冬の陽は、遠く遠く、京の方へ、惜しむように沈みかけて居りましたから、母鷲はいよいよ心配し始めて、少し両翼を運動させて、飛ぼうか、飛ぶまいか、迎えんか否かと、少しずつではありますが、巣の外へと、脚を動かすのでした。それでもやはり、優柔不断な母鷲でしたが、夫の姿が沈む天日てんじつの前に見えることはありませんでした。母鷲は、宵闇よいやみに呑み込まれる森に向けて、一つ、甲高い、虚しい啼声を上ました。

 その内に──母鷲は結局飛び立つことはありませんでした──夫の、翌朝に帰ってくることを願いながら母鷲は瞼を閉じました。澄んだ夜の気が充満する頃でした。

 仔鷲は月明かりに眠る母鷲の姿を、雄壮ゆうそうな眼で凝視っと捉えていました。眠る気配を一切かもし出すことなく、凝視っと、凝視っと、──彼の頭には屹度、父鷲に下敷きになった仔鹿の骸と羽毛とが散らばった情景を、感情もなく記憶の舟の上に浮かべていたに違いありません。しかしその記憶の舟の中に、或る風味が同伴どうはんしていたのです。

仔鷲は羽翅を、微風のように、それとて風を裂いて、剛健たる爪を躍動やくどうさせました。

 

     ×     ×     ×

 

落葉が北風に連れられて、とうとう消え去って、もうすぐ冬の終わりの、微かに感じる時分となりました。戈人たちが、冬の動悸どうきが目を醒ましていない内に、霧の立ち込める森の中に這入って行ったときのことです。枝を踐む音さえ騒がしいこの時だけは、森は恐怖の精神でした。白い息はその精神を更に膨張させるのですから、戈人たちは、その猟銃を構えながらもふるえる手と脚とを、ただ暗い森の中に──そして魔物は冷気に化けて──同時に、薄い嵐気らんき*に圧されて、ギコチナイ息切れをしながら歩いて行きました。

その朝霧が、ようやく晴れたと見えて、一人の戈人が、そびえる崖と澄明たる冬の曙空あけぼのぞら一眼ひとめ拝めようと、無意識に顔を上げたときでした。

「おい、あれを見ろ」

その戈人が、構えていた猟銃を肩に引っげて、威勢よく指を差しました。皆が、彼の指の延長線を、自慢の眼を扱って凝視っと、その光景を目撃したのです。

戈人の指す方は──忘れもしない犬鷲の棲処のある断崖で御座いました。その洞穴から飛び出た、枝で乱雑に組み込まれたと判るほどの外側に、一疋の犬鷲が佇んで居りました。しかし熟視よくみてみると、その犬鷲は、ピクリとも動かないのでありました。戈人たちが、棲処の直ぐ傍まで来てみても、やはり、その──厳しい眼と羽と爪とを携えた──犬鷲は、冬の寒さに羽を顫わせることもなく、まるでゆるがない冷気の魔物のように、佇んで居りました。

戈人が、その犬鷲の容貌に見惚みとれていると、途端にその犬鷲が、ふわりと揺れたかと思うと、そのまま柔らかに舞い降りて来たのです。羽を広げて、しかし羽搏きませんでした。地に落ちた犬鷲の素形を見て、戈人は遂に、この魔物の動かぬ訳を知りました。

犬鷲は、遠くから見て厳荘だった犬鷲の容貌は、酷く痩せこけて居りました。ただ雄々しかったのは羽の色と爪の鋭さだけで御座いました。彼は飢えて死んで居りました。その、父鷲から承け継いだという、爪に、懐かしい形を持たぬ温もりを、毛に添えて──。

© 2026 萩原蔵王 ( 2026年2月27日公開

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