こんな日は川島と夜の海に行きたい
二十三歳で会社を辞めて
東京で仕方のないでんぐり返りを何回かやったあとに
実家に漂着した
二十五歳だった
最初に電話した川島は
中学時代の陸上部仲間
ふたりで夜の鷹栖海岸を歩いて
水切りした
そこには
そんなことやってると明日 筋肉痛になっちゃうよ
なんて笑う馬鹿者はいなかったから
ふたりでずっと水切りしてた
きみがうすっぺらい石ころを探しているあいだ
僕は自分の石ころを握りしめて
きみを待ってた
八百メートル走
療養所からでてきたばかりのアル中が設計したような
きまじめに破綻している感ありの
建て増しをされた川島の部屋
炬燵の上に置いてあるのは
紙パックの緑茶と氷結ゼロが二本
爪切りと灰皿
使っていないコンビニの割り箸(爪楊枝付き)
彼は ある宿命について訥々と語る
自分はどうして あの中学時代に
八百メートルを陸上の種目として選んだのか
八百メートルがどれだけきつく
どれだけ報われない種目であるか
県大会で四位になったが
それがいったいなんだったのか
自分は結局なんだったのか
彼の探究
あるとき川島は
水源にむかって歩くことを思い立ったらしい
九頭竜川の源まで歩き続ける
そう思った
源流まで行くしかない
そう思った
歩きながら
はじまりへの予感に導かれながら
いくつもの支脈を
細流を
彼自らが選択していった
選択は彼にとっていつも苛酷だったわけだけれど
歩き続けて
彼がたどり着いたのは
コンクリートで塗り固められた穴ボコから
ちょろっと流れ出る水
それは蛇口をひねると流れ出るような代物で
実家の小汚い洗面所とさして変わらなかった
疲れきった彼が帰ると
福井テレビが
「ここが九頭竜川の源流です」と上空から湿原をヘリで放映していた
そんな話をしながら 彼は胸においた枕を抱きしめて
天井を眺めてた
彼の労働
その夏
川島はゲンタンを運ぶ仕事をやっていた
高校を出てからだから もう七年近くになる
ゲンタン 原反
反物とかいって なめたらあかんよ
これ本気で重いんだ 背丈こえてるしな
エアコンなんてものはない 蒸し暑い うす暗い倉庫で
二メートルはある くそ重いロールを抱えて
一日中 ひとりで運び続ける
汗まみれで運び続けた七年のあいだ 三十円昇給し
いまでは時給七百五十円
抱えている原反が彼の足の指先に倒れて
ア痛ッ
叫んでも誰も聞いていない
誰も聞いていない
彼の方法
パチンコで十五連勝することってあると思うか
と尋ねられる
まあそれも確率の問題やからね
じゃあ十五連敗することもあると思うか
そりゃあるだろう
どうせアチラ側で操作されてんだからやめとけよ
と答えると
彼はまた沈思に入る
天上の采配や
自らの星のもとについておもいをいたす
その前に
そんなに負けるまでやるな
ダイハツ ミラ 昭和六十年式
今日も電話で呼びつけてしまった川島は
乗ってきた車が違う
いまどき軽のマニュアルってなんだ
そのなめきったおんぼろぶりは
なにかの仕込みか?
そんなところまで仕込まなくても
もう十分すぎるほど
きみの人生は仕込まれてるじゃないか
「いやまた、ぶつけちゃってさ」
これで何台目の代車なのか分からない
「お前またパチンコで大勝ちしたのか?」
彼はうつむいたままだ
川島がパチンコで大勝ちすると
必ず事故るという摂理がある
でもまあ、わるくないんじゃない
このくたびれたミラでのドライブ
分相応って言葉もあるわけだし
どこへ行こうってわけでもないんだから
彼の状況
川島が一歳のころ
父親が脳溢血で倒れ 半身付随になった
私が遊びに行くと父親が台所で出迎えてくれる
なにをしゃべってるのかわからない
完全に麻痺ってる
母親は保育士を辞め
旦那の母親と旦那の介護についてる
ふすま越しに
母親が吹きならしてるハモニカが聞こえてくる
アレが趣味なんだと川島はいう
川島には兄貴と姉がいるが
みな結婚して家を出て行ってしまった
川島は四人で暮らしている
踏みとどまること
法定速度ってあるやろ
うん
あれって高速でも百キロメートルが限界やろ
うん
じゃあなんで世の中には百八十キロメートルのメーターがついた車が売ってんだ?
うん
お前はいつまでたってもそんなところで立ち止まっているから
川島のままなんだと答え
そんなことを言わなければならない自分をどうしたらいい
聖諦 Ⅰ
お前の部屋って落ち着くよな
炬燵とテレビと布団
ゆるゆるのマットレス
傍らに 場ちがいな電話の子機がひとつ
これが彼と母親とのコンタクトライン
一時間ごとにやんごとなき母上からコールがくる
「いつまでもそんな人間でいいと思ってるんか ああん?」
お前の母ちゃん、少しとち狂ってるんじゃねぇか
あれで少し、か
彼はタバコ吸ってる
聖諦 Ⅱ
僕は川島を救い出したいと思っている
それは僕を救い出すことに他ならないから
というつまらない問答はさておいて
僕は川島を救い出したいと思っている
川島の前には
ドストエフスキーもボードレールも効力を持たない
カネ? カネはかなり効くかもしれないが
私にはないし川島にもない
ひとまず支持しておきたいのは
彼はカフェごはんの軽薄さには裏打ちされていない
男であるということ
なにかできることはないかと尋ねれば
蒼井そらというAV女優の
無修正動画がみたいと言う
ネットで探してくれと言う
おい、他にないのかよ
べつにないというきみは
もう何も待っていないのかもしらん
彼の世代
ロスト・ジェネーレーションという
性懲りもない言葉で味つけされなくても
もうお互いこってり味わった
俺たちの問答は
迷子の子猫ちゃん と
犬のおまわりさん だった
ずっと困ってしまって
ふたりで鳴いて 吠えたけってるだけ
だった
彼の決定
原反バイトを辞めた川島は
レンズ工場の派遣社員になり
流れるレンズを見ていた
カール・ツァイス社と提携した地方企業の
おぼえめでたき眼鏡レンズに
キズがついていないか目視確認
一日中立ちっぱなし
無遅刻 無欠勤で
五年勤めた十二月の初め
「君、だってまだ三十歳じゃん まだまだ大丈夫、大丈夫
ほかのやつら、もういくトコないしさ カンニンしてね」
宣言が下り
クビになった
来年の元旦に東尋坊からダイブするよ
という電話がかかってきたのは
大晦日だった
先んずれば川島を制す
それで僕としては
彼を救い出すもろもろを案出する
こういうのはどうだろう
東尋坊でダイブしようかと
元旦から厳粛な顔をして
目をつむり
つめたい海風に吹きさらされながら
断崖でふるえている川島の脇から
背中をまるめてするりと走りぬける
「お先でーす」
さわやかに笑って
ちらりと会釈して
こっちがダイブしてしまうというのはどうだろう
「オツカレサマでしたー」
てのもいいな
狂おしいこと
この前、高木と一緒にスノーボードに行ってきた
川島に電話してそう告げられる
僕は東京にいてまたでんぐり返りを再開している
三十歳
お前、俺以外の人間と仲良くするなよ
お前と一緒に遊んで
お前がこころから愉しいと思える人間は俺じゃなかったのか
お前、俺を裏切るなよ
ふざけんな 畜生
卒業写真
いま手元に残されている中学時代の卒業写真は
一葉だけだ
高木と川島と僕が写っている
高木のお母さんが撮ってくれたものだ
高木は気恥ずかしそうにそっぽ向いてる
川島は笑ってる
僕は曖昧に笑ってる
川島は口元をきゅっと結んで笑ってる
僕は歯をさらして すこし意気込んでいる
まだタバコで汚れていないまっさらな歯
三人が三人とも
これから起こることをなにも知らない
それでも三人はうつくしい
三人は これからなにかが起ころうとしていることを
知っているから
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