川上にある町:ディレクターズカット

小林TKG

小説

4,800文字

本当は、アラジンの1:44の所の事も書きたかった。どんどんしてるところ。

母もその母もその町に住んでいた。優衣もその町に住んでいた。優衣はその町があまり好きではなかった。すごく田舎だったからだ。すごく田舎に感じたからだ。何とも言えないくらい田舎だったからだ。学生の頃その町を出たくてたまらなかった。

ヘルメットをして自転車で学校に向かっていたある時、優衣はその町を出る決意をした。通学路の途中、橋の途中で自転車を止め、欄干からその下を見た。そこには川が流れている。上流の町。川上にある町。至る所に大きな岩が転がっている。川底が見える。川の流れは穏やかだった。いつもそう。雨の日も川の水量はそう変わらない。いつもそう。夏、暑くなっても川には一定量の水が流れている。土曜、日曜になると釣り人がやってきて、川に糸が垂らされる。それが水や光に反射してキラキラと光る。いつもそう。いつもそう。

「いつもそう。いつもそう」

 

優衣は大学進学の為に都会に出た。父も母も渋面を作ったが、反対はしなかった。

「こんな田舎にいても将来、仕事も、どうにもならないだろうしなあ」

初めての一人暮らしは優衣にとって新鮮で楽しい事に溢れていた。テレビのチャンネルが川上の町よりも多かった。電車もひっきりなしに走っていた。人も沢山いた。色々な人が居た。バイトもしたりした。お金を稼ぐ大変さは楽しさや新鮮さ、川上の町にいたことに比べると大したこと、なんてことなかった。

 

しかし都会に住んで半年もすると朝日と共に目を覚ますことが無くなった。お腹が、腹痛を感じることが増えた。自然の香り、においがしなく、感じなくなった。川上の町にいた頃は嫌でも感じていたものが感じなくなっていった。季節の移ろい方や、光量の変化、空気の変わりよう、そういうものを感じなくなっていった。

 

大学三年の初秋、父が死んだという連絡が来た。大学もバイトも一週間ほど休んで川上の町に帰った。父はこれから火葬場に行くという所だった。父の死は突然の事だった。仕事が終わって帰る時、車に乗ろうとする時に何の前触れもなく倒れてそのまま意識が戻ることなく、死んでしまったんだという。母は泣いてこそいなかったが、憔悴していた。

優衣は父が焼かれている時、火葬場の外に出て池、水たまりが火葬場の前にあった。その縁にしゃがんでそのまま暫く過ごした。前の年の夏に帰省した際の事を思い出していた。勝手知ったる町。川上の町。優衣が出て行った時と何ら変わりのない、代り映えのない町。その時の事を思い出していた。

夜、晩御飯が終わってから、なんでか坂下にコンビニが出来たという話になった。それでなんでか行ってみようという事になった。家族三人で歩いてローソンに行った。途中、学生時代に自転車で行って帰ってを繰り返していた橋も渡った。なんてことない橋だ。特に面白いわけでもない。特徴もない。車道もあって、歩道もある。普通の橋。川上の町と同じ。なんてことない。いつも同じの。いつも一緒の。

 

「今日は涼しいなあ」

前を歩いている父がそう言った。優衣はずっと並んで歩いている母親と何かを話していた。何を話していたのかは覚えてない。思い出そうとしても思い出せない。思い出すのはその時の母親の顔。夜になった川上の町。夜になった川上の町の風景。車道。歩道。橋。欄干の下を流れていると思われる川。その周りの砂利。岸。土日になると釣り人が大量発生する川辺。川べり。夜空、星。雲はあったかなあ。風、風が揺らす木々。木々の音。前を歩く父の背中。街灯。あ、私が住んでた頃に比べて少しだけ街灯は増えたかもしれない。父の背中。

「あ、」

優衣が立ち上がると、母親が火葬場のガラス越しに優衣に手を振っていた。火葬が終わったらしい。いつの間にか二時間経っていた。火葬場の係の人に最初に言われていた、

「二時間ほどお待ちいただきます」

その二時間。死んだ父が骨になるまでの二時間。

 

大学を卒業した優衣はそのまま都会で就職した。休暇の度にこまめに実家に、一年に一回は必ず川上の町に帰省した。ある時の帰省の際、駅の改札がsuica対応になっていて驚いた。ある時には駅前に大きなスーパーマーケットが出来ていた。ある時にはついに、ついにというか、ちょっとした山の上にイオンが出来ていた。

「御所野イオン」

母親がそう言って教えてくれた。更にイオンの周りは、住宅もぼこぼこと建てられていた。ニュータウンになるんだそうだ。

「この辺もまた変わるのか知らねえ」

ちょっとした興味でイオンに行った帰りの車の中で助手席に座っていた母親はそんな事を言った。変わる。どうなんだろう。どうなんだろうなあ。変わる。変わるってなんだろう。変わる。変わる。変わる?

優衣はその時不意に腹痛を感じた。都会に居た時しか感じなかった腹痛。彼女は車を路側帯に停めて外に出た。ガードレール。山の中の道。片側、運転手席側にはのっぺりと山、その斜面が広がっている。反対側、助手席側にはガードレール。その下に川が流れている。流れていた。川。ゆったりと道に沿うように、時には交差するようにして、川。川が。川上の町の川とは違う。あの橋の下を流れる川よりも水量もある。でも川底は見えない。砂利、川べりはある。釣り人もちらほらいる。変わる。変わる。

優衣はそれを眺めた。しばらく眺め続けた。父の背中を思い出した。あの夜。あの夜の。気が付くと腹の痛みは治まっていた。

 

それから暫くして、優衣は子供を産んだ。都会で知り合った男性との子供。女の子だった。愛真と名付けた。その男性との結婚は色々あってしなかった。色々あって。色々とあった。本当に色々とあって、そうなった。それからまた少しして、母親が死んだ。その母親の死をきっかけに優衣は実家に帰った。実家に。川上の町に。仕事も辞めて、娘と二人だけで。彼女は川上の町に帰った。

優衣が地元に戻ってまた少し経った頃、愛真が死んだ。

 

優衣がその知らせを受けた時、彼女は家の掃除をしていた。すると突然に玄関の引き戸がやかましいくらいに叩かれた。外で誰かが大きな声で叫んでいた。優衣の名前を呼ばれたりした。父と母が生きていた頃は玄関に鍵なんて掛けたことが無かったらしいが、彼女は都会暮らしの経験から掛けるようにしていた。開けると、川上の町の若者、いや、若者なんてこの町には居ない。知らない、いや、どっかで、町で、何かで見たかもしれない男が何人か、もしかしたら学生時代の同窓生も居たかもしれない。男達がそこに立っていた。みな肩で息をしていた。

 

十歳になった愛真は橋から下の川に落ちたんだという。川と岩のくぼみに引っ掛かって流されずに死んでいる寝間着姿の愛真を釣りに来た人が発見した。

 

愛真が死んだのは未明から明け方の事だと警察で言われた。朝、愛真ちゃんを見てなかったんですか。と、言われた時、まだ起きていないと思ったから掃除をしようと思った。と、優衣は泣きながら答えた。運動部の部活で疲れているんだろうと思ったから。愛真は陸上部に入っていた。だから寝かせてあげようと思った。と。家の裏口、勝手口のドアの鍵が開いているのを優衣は知らなかった。前の晩、寝るときに閉めたはずだと。絶対に鍵を掛けたはずだと。彼女はそう答えた。

 

その時分、世間にパッとしたニュースが無かった。だから川上の町、田舎の町で起こったその事件にマスコミは群がった。優衣の家にも連日そういう連中がやってきた。家の塀に花束や人形も備えられたりした。川の、愛真が死んでいた岩の所にも、橋の上、橋の名前が書かれている所にも。近所への聞き込みを行った映像がニュースに流れたりしたし。ヤフーニュースなどのコメント欄には母親が怪しいと書かれていたりした。

しかし愛真が死んでから一か月が経った頃、都会のマンションの一室で女性を殺して風呂場でバラバラにするという事件が起きると、潮が引くように誰もいなくなった。

 

優衣はその一か月の間、ずっと腹痛に悩まされていた。お腹が痛くなる。どうしてか。もう都会には住んでいないのに。どうしてか。そしてそれは誰もいなくなってからもおさまる事は無かった。トイレに行く度、下痢、軟便、水様便が出た。それでも、それが終わってもなおじくじくと腹は痛み続けた。

 

ある時、家のチャイムが鳴って、開けると二人の女が立っていた。知らない女であった。片方は化粧っけも無いような顔をしており、もう片方はなんだろう。なんて言ったらいいんだろう。アニメの様な顔をしていた。

優衣の顔を見るとその知らない二人の化粧っけのない方が、

「生前、愛真ちゃんと仲良くしていて」

といった。それは、その言葉はまるで、他人事のように優衣には聞こえた。歳だって全然違うだろう。その二人はどう見ても、娘とは十は違うように見えるけど。でも、それにしても、それが、それで、

 

しかし何故だか、優衣はその二人を家に上げていた。二人は仏壇の前に座って祈るわけでもなく、ただ、優衣と対峙するように座っている。居た。

「この度は、どうもすいませんでした」

そして二人して優衣に、優衣に向かって頭を下げる。下げた。優衣には意味が分からなかった。

「あなたがそうなってしまったのは、あなたのせいではありません」

化粧っけのない方が言った。

「あなたのそれは不具合なんです」

アニメが言った。

 

そう言われても優衣は困惑するばかりだった。お腹が痛くなるのを感じるばかりだった。

「いつもお腹痛くて大変ですよね」

アニメがそう言った時、何かに操られるように、引っ張られるように、優衣はその顔を見ていた。

「きらきらりーん☆」

すると、隣のすっぴんがいつの間にか両手を優衣に向けてそう言い放っていた。他人事のような。感情のない。

「あなた達は、いったい」

優衣は困惑していた。何か、でも、何か、

「愛真ちゃんは今もうバナナの国の黄色い戦争ですから、大丈夫ですよ」

今、どっちが言ったんだろう。今。

「まあ、バナナじゃないとは思いますけども。でもあの歌詞の最後の一行ですから」

「だから、あなたも安心してこっち来てくださいね」

「あなたの事を恨んでもいませんし、憎しんでもいません」

「あなたのお父さんとお母さんと、毎日ニコニコしながら楽しそうに暮らしてますから」

 

気が付くと優衣は、仏壇の前に座って茫漠としていた。

仏壇の前には見覚えのないバナナが一房置かれていた。

優衣はふと、思い出したように携帯でさっきの二人が言っていた事を調べた。バナナの国の黄色い戦争。スガシカオ。歌詞が出てきた。最後の一行。

そのあとトイレに入ると、久しぶりに固い便が出た。固形の。立派な。今までどこに居たんだろうと思う位。

それから、夜、優衣はあの橋まで行って欄干から躍り出た。

 

墓の前にあの二人がやってきた。化粧っけのないのとアニメみたいなのが。二人は、

「パイセンの魔法のおかげで何とかなりましたね」

「いや、わたし別に魔法なんて使えないけど」

と話しながら墓に花とお茶を供えて、それから顔の前で手を合わせて、

「……」

「……」

目を瞑って祈った。墓前に祈りを捧げた。

 

違った。

 

その二人は祈ってなんていなかった。片方は小声で、水カンのアラジンのこすってからグラスターポリッシュまでの四回繰り返す所を。もう片方は、ずとまよのあいつら全員同窓会の最後の所。お疲れさまですから最後までの所をぶつぶつ言ってるだけだった。

 

まるでそれを念仏のように。

 

あるいはそれでも、そういうのでも、そんなんでも祈り、弔いですと言わんばかりに。

 

追悼のように。哀悼のように。

 

無垢の祈りのように。死者への敬意でも示すみたいに。

2023年7月24日公開

© 2023 小林TKG

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