「信号機がたくさんある場所って、赤一色になる瞬間はあるけれど、緑一色になる瞬間はないんだよね」
「全てが止まる時はあるけれど、全てが動き出す時はないからね」
「つまり、信号機の赤色と緑色が、スプラトゥーンのナワバリバトルをすれば、緑が勝つことは絶対にないってことだよね」
「緑色はその場を塗りつぶすことができないからね」
なら、重い思いってことかい。新聞屋のラクドル一世はそうやって、自慢の黄色い拡声器で問いかける。すると強烈な生臭さを放つ等身大のタイヤは、ゴムが擦り合わさる甲高い音を出した。それは歓喜の声だった。しかしラクドルは、ラグビー選手のような豪速球の走りを知らなかった。白いコートの中で駆け巡る蝉の鳴き声の達筆な聞き流し方法も知らなかった。蟻の巣の解体新書も、降り注ぐ鮭とばを回避する重力操作方法も、試験管の中では知りえなかった。秋刀魚を解体したことのないラグドルは、いつでも注射器だけで人体の眼球の深い潤いと気高さを消失させてみせたいと本気で思っていた。
長身に憧れた幼少期の彼は、深夜のたい焼きの屋台の前で、タイヤの強烈な生臭さを思い出していた。
素手には手錠のような冷たさがあった。
「なるほど、私は耳舐め系ASMRを聞き過ぎたせいで、鼓膜が性感帯になった可能性がある」
「それって、音を聞いただけで射精するっていうことかい?」
「その声でいま、射精しました」手品師のような引きつった笑みを浮かべていた。
あたりには白濁の水たまりがいくつも点在していた。草木のような青臭さが、この丘から見渡せる街の全てを覆っていた。
「それって、純粋江ッ知症候群じゃん!」
最新のカルテを投げ捨てて、蜥蜴の親子が硝子の隙間に刺さったことも理解せずに、解剖学者のラズーンは飛び降り自殺を連想していた。全身が、浮遊感に包まれていた。素手を天井に掲げると、いつの間にか教授気取りではげのボルデインが、両手を後ろで組みながら、ベッドに横たわるラズーンを見下ろしていた。しかしラズーンには、ボルデインの顔が鮮明には見えていなかった。このベッドに搬送される前、戦地にて脳に受けた弾丸がそうさせているようだった。
「な、なあ、僕のことを一生鼻血が止まらない生命体にしてほしいんだ」
まるで、死ぬ寸前に恋人の頬を摩る時のような掠れた声で、ボルデインのなぜか光沢感の皆無な頭を撫でつけた。
しかしボルデインは、まるで警部のような顔つきでラズーンの素手を振り払った。その目には新鮮な閃光弾のような強烈な光があり、それはすでに視神経が壊れかけているラズーンの視界にも、ぼやけた二つの黄金の光として映っていた。
「まあ、無理な話だね。いずれも」ボルデインは学徒の経験が無いにも拘わらず教授のふりを続けていた。
「どうしてだい」
「君は……」
するとボルデインは口に右手を突っ込み、口内から折りたたまれた教鞭を取り出した。それは最新式の黒い教鞭で、いくつかある曲げられる機構はストローの蛇腹のようになっていて、どの角度にも自由に曲げることができた。ボルデインは慣れた手つきで鞭を展開すると、先端をラズーンの眼前に向けた。
「君は蜥蜴じゃないからねっ」
南国の臭いが、診察室の注射針と翼状針を同時に溶かし始めた……。蜥蜴の皮で作られた生臭いカルテが宙を舞い、ラズーン専用の机の上に戻っていった……。同時にラズーンの視界が急速に鮮明さを取り戻していった。死が迫ったことで生存本能が脳を活性化させ、一時に限り正常な視界を取り戻したようだった。
「うわっ。双眼が輝いているモンだと思ってたけど、それってキンタマだった!」
眼前に迫っていたボルデインの睾丸を睨んだラズーンは、そのまま眠りに落ちるように絶命した。
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