「絶世の美女」ということばをさいごにみたりきいたりしたのは、はたしていつのことだったか。それがだれかに対しての惹句としてもちいられていたとするならばまさか令和のこのときにはふるめかしすぎるし平成のいつぞやではあるとおもうのだが、それにしてもふるめかしいだろう。ためしにGoogleで「絶世の美女」で検索してみると、画像に出てくるのはオードリー・ヘップバーンとか原節子とか吉永小百合といった女性たちで、どれも白黒写真のものばかりだ。「絶世の美女」はとうに死んだ表現なのである。
そんな死んだ表現の死にっぷりを十全にうけいれたうえでしかるべき文脈をえらんでねこだましのごとく不意打ち的に使用することで目が覚めるような峻烈な印象を読者にあたえる……、そんなエンバーミングじみた文章技法を華麗にあやつってこそ作家というものであり、この「絶世の美女」ということばに思いあたってからというもの私はそのしかるべき文脈をさぐりつづけていた。そういう「あえて」の不意打ち的文章手法で以て文章巧者の名で聞こえたところが私にはあって、処女作『帰りの列車』においてもっともおおくのひとから褒められた箇所は、「青い鳥」ということばをもちいた直喩のつかい方であった。だがいまおもえば「青い鳥」ということばのつかい方を過剰に褒められたのは作家的成長という意味では私にとりあまりよくなかった。文学的探求にきょうみをなくし、センスの良さにのみ拘泥する作家になったのだ。「絶世の美女」ということばを効果的に配置するという目的から逆算して文章を構成するといったあんばいで小説を書くものだから、しぜん、物語は貧弱になり内容は深みを欠いた。
平成のいわゆるゼロ年代であればその深みのなさをこそ肯定してくれる批評家もあらわれたやもしれぬが、音もなく時代はかわった。今日びただの美文家にむらがるのは自意識をこじらせたサブカル女だけである。なんのことはない、ただだれでもよいからひとからチヤホヤされたいという、めぐまれない学生時代の意趣返しの道具として小説をつかったむくいとでもいえばよいか、あるいはこの結果をふくめて当初の目的どおりなのだからむくいとさえいわずしらぬ顔をしてよろこんでおけばよいか、なんであれ私が文学に対してきわめてふまじめなのはまちがいがなかった。
「文学に対してただまじめなだけの作家よりよっぽど良いわよ」
などと言って私を肯定してみせるのは、由美子である。この女とはTwitterのDMでであってつきあいはじめた。その日私たちはきんじょの映画館で末期の肺がんと診断されたサラリーマンのさいごの百八十日をえがいたやけにしずかな映画をみてそのかえりに個人経営の喫茶店に寄ったのだった。店内では無名の女性歌手がうたう『ビリー・ジーン』がながれている。
それから由美子は、文学に対してただまじめなだけの作家のなまえをつらねてみせてこれらの作家に足りないのはじぶんが文章を書いているという自覚だ、と断じた。文学にとって真の問題とは言えぬ内実ばかりをもとめ文体すなわちスタイルができあがっていない。しばしばスタイルすなわち表層が内実をしめすことがあるということをもっとしるべきだ。だいたいはそんな論であったが、そうすると私は、みずからのスタイルを確立した、文章を書くということに意識的な作家ということになる。だがそうではないことはだれよりもこの私がよくしるところだ。
それから私たちはかるいものをたべてちかくのラブホテルにはいった。することをしてラブホテルの入口で由美子とわかれた。由美子は私にじぶんの家をしられるのが厭らしく、おくろうかと提案してもことわられるのだ。
マンションにもどってキッチンで水をのむと家路を往くあいだにしらずしらずあたまのなかで一箇の短編小説を書きあげていたことに気がついた。こうしたことはよくあるのだがこれをそのまま文字に書き起こしたのではとても読めるものにならない。何日かほうっておいて発酵するのをまつのだ。それから自慢の美文で加工すると、サブカル女くらいならどうにかだますことができる作文になる。
「子どもだましというのともちがいますね、芸大生の女限定でだましているわけですから」
とは、私の長編小説を担当している、私よりひとまわり以上も歳下のわかい男性社員に言われたことだ。なんにちかまえのことだが、私たちはかれの会社の金で焼き鳥をつまんでいた。
「えらいもんで文壇のえらい先生がたは私の小説など評価しないよ」
「そりゃそうでしょう」
と男性社員はおおきくうなずいた。「いくらなんでもここまでのニセモノになにかの賞をあげるわけにはいきませんからね」
男性社員はまだそれほどのんだわけでもないのにすでに酔いがまわっていた。私はかれの頭をすこしこづいた。
「わっ、なにするんですか。うちの会社の金でメシ食ってるくせに」
「たしかに私の小説はニセモノだが」
とことばに出して、つまった。思いがけず声がふるえてしまったことにじぶんでおどろいたのだ。
「私がわかくてかわいらしい女性作家だったら、なにか賞をもらえると思わないか」
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