やることがないのでもちばかりたべていた。しょうがつとはそんなものだ。年末にみんなで御所につよめの結界をはっておいたので、三が日くらいは出動するひつようがないとおもう。
ちょっとかぜっぽかった。きんちょうのいとがきれたせいだろう。なに、ただのかぜだ。
山岸から、新年あけましておめでとうという念波がおくられてきた。いまさらである。めんどうなのでむししていたら、こんどは荒谷から同様の内容の念波がおくられてきた。これ以上受信するとふゆかいなので、そこいら一帯にかるい結界をはって、こたつでうたたねをした。
めざめると、からだがあつかった。ばかをしたとおもった。寝室にいって、ベッドでよこになった。頭痛がした。しかしはんぱにねむってしまったせいか、目がさえてしかたなかった。アストラル体を解放した。からだがらくになるまでこのままでいることにした。
去年は、ことに物理的な戦闘がおおかった。にんげんせかいにおける金融マフィアたちのおこないが目にあまったためだ。あれだけの量のくびを狩ったことはここ百年でも類を見ない。
それでおもったが、いくら日本製でも、ナイフはナイフである。すぐに刃がだめになる。ことしもおなじことがつづくのであれば、くびのほねをへし折るだけでよしとすることを、上の連中に提案してもよいかもしれない。ナイフ代などたいした金ではないが、つもれば山となる。長老たちは、そのあたりのことをあまくみつもりすぎなのだ。
"おうち時間"へのコメント 0件