ミスター・バブリーたちは、いつでも医療機関の手術室に立っている。黄色い発光した栄養剤を飲み干した研究員の全員が、いつもの茶色いコートではなく清潔な白衣を着込んで、さらにレースクイーンの立派なまつ毛を昆布だと必死に思い込み、意気揚々と中央の手術台を見ている。
「よし。さっさと始めようか」そうして咥え煙草を灰皿に投げ捨てる。ミスター・バブリーは煙草の臭いを、祖国に居る歴代大統領の誰よりも好んでいる。「おれは政治家が好きだ」消えていく煙を横目に呟く。
「まあとりあえず、この肉団子をどうにかしないとな!」
ミスター・バブリーは台の上の肉団子にゴム手袋で触れる。スイカほどの大きさの、すこしゴツゴツとした肉の表面はぬめりとしているが、触れている限りではそのぬめりがゴム手袋に付着することは無く、ただの不快感が手のひらから迫って来る。
「はい。液体を」
ミスター・バブリーが肩を揺らして号令をかける。すると助手のような存在がミスター・バブリーの手元に青いバケツを添える。バケツの容量の半分ほどを占める液体は透明。ミスター・バブリーはそれを奪い取るように持ち上げ、そのままの勢いで肉団子にぶちまける。大量の液体が肉団子を濡らし、手術台に降りかかり、緑色の床に散乱していく。肉団子を濡らした液体はたちまち透明色からちょうどオレンジジュースと同様の黄色へと変化し、さらに肉団子を覆うぬめりと合体したことで、粘着性を手に入れていた。
ねばねばとした黄色い粘液は、肉団子や手術台から糸を引いて滴り落ちている。粘り気に包まれている肉団子は、土砂崩れのように球体の形を喪失し、そのまま手術台から落下する。そしてその先で、無数のムカデへと変貌を遂げた。
「ほれ見ろ、やつはムカデで出来ていたんだ」
「やつはミミズではないから許された!」
やつは、自分のことを国の大黒柱だと思い込んている……。我が物顔で、生ごみのようなだらしない体勢を取っている。小皿に落ちる赤い液滴を思い出すだけで飛び跳ねるくせに、どうしてか、通常では偉そうな態度を示している。
集中治療室と隣接したカフェテリアは、いつでも解剖授業の残り香が漂っている。生きているプラスチックのような空気感の中で、生徒や執刀医たちは人体によく似たスープに口を付け、その温かさにありがたみを感じている。
「そうよ。私達は八回生なの!」マスクを脱ぎ捨て、黒い机を紅茶で汚す。
「ああ。私達は八回生なの」消毒液の瓶をひっくり返している。彼女の目には、ポテトフライは空を軽々しく飛ぶ存在になっている。クレヨンのような色彩の質感が眼球を包み、芸術家たちの食事を小麦粉だけで埋め尽くした。
「ならアナタは、黄色い屋根が目印ね!」
「ついでに昼食のも、買っておこうかしら」
孤児の時代を過ごした大学生は、いつでも自身らの落第や、浪人を望んでいる……。「押し問答を正解するのは難しいから」
自動販売機の冷蔵庫をこじ開けるとき、普通は山羊が住む橙色の町にある、拳銃型の鉄扉開封機を使う。キーワードを入力する際、いつもの汚れが蔓延している皮膚ではパネルに指紋が通らない。
「だって、トンネルはいつでも迎え入れてくれるでしょう?」
「ええ、変なの! だって、皮膚がいつでも赤色なんて、おかしいじゃない?」
「お前がそんなやつだとは知らなかったよ。まあ、お前がどんなやつなのかなんて、知らないんだけどな!」
道楽主義者たちの言葉を人体ゴミだと解釈し、おれは席を立つ。それからいつでも歩きづらい廊下を渡って、精神科医の部屋が集まっている区画に足を運んだ……。
「頭に、包丁が浮かんでくる……。自分に向かっている刃が、容易に、鮮明に想像できる……。恐ろしいドロドロとした黒色……。あいつはどこからともなく表れて、僕の思考を暗闇に落とす……」
明確な意思を持って脳裏に現れる。
「一週間後に私は自殺未遂をするだろう……」
ここにたどり着く患者はいつでも自殺願望におぼれている。来るのではなく、たどり着く。限界を超えた後にある境界を飛び越えてしまった時、気づいたら診察室の席に体を下ろしている。そして医者の温かい言葉にハッとする。患者はいつでも安明を求めているが、体の中の黒い感情がそれを隠してしまう。
頭を抱える患者を見ている主治医は、いつでも、そんな患者が健康になってくれないかと願う。薬も、回復への近道も教えるが、それでも患者の脳の中には、自殺道具を使用している自分が映し出され、いつしかそれは現実の自分へとすり替わっている。
「あの……もういつもの薬では耐えられないのです……どうか、新しいモノを」患者は震えている手で空中を掴む。おそらく主治医の両肩を掴んでいるつもりなのだろうが、主治医の白衣の肩には何も触れていない。「ああっ……恐ろしい寒さだ」
主治医は白衣のポケットに片手を突っ込むと、袋状になっているとある機械を取り出す。
特性の毒見機を舌に装着する時は、基本的に一人で居る方がいい。まるで下品な接吻をする時のように舌を前方に突き出し、袋状になっている毒見機を舌の先端にはめる。あのミスター・バブリーは毎回の食事会に、この最新の毒見機を装着して挑んだ。
食べ物を口に運んだ際、少しも噛まずにまずは毒見機を付けている舌で舐め回す必要がある。毒見機はそれ専用に設計されたので、ありとあらゆる唾液や食べ物の水分をものともせず、すぐに食べ物に毒が無いかを検証する。もしも毒が検出された場合は、舌と直接触れている内側の部分から小さい棘が出現し、舌をチクリと痛める。使用者が苦痛で飛び跳ねることで、それが退席する口実にもなる。
「毒見機に仕込んであるトゲが、どういうものなのかって? ああ、あれはムカデのやつだよ。柿の種みたいな見た目をした、アレさ」発明者のドクターの、愉快な表情が主治医の脳の世界に反響し、そのまま空気の一部となって鼻から抜けていく。
「こんなものはダメだっ」主治医は部屋の隅にあるゴミ箱に毒見機を投げ捨てた。それからすぐに机の引き出しを開けた。そこに収納されている錠剤の瓶を指で選び、一つの小瓶を持ち上げる。蓋は赤く、白いラベルには『レベル5』とだけ書かれた錠剤瓶。震えている患者の前にそれを差し出すと、患者は自我を失た獣のように瓶をひったくり、前歯で蓋をこじ開ける。そして中にある白い錠剤をジャラジャラと手の中に出すと、ほぼ全部のそれを一気に口に投げ入れた。スナックでも食べている感覚なのだろうか、と主治医は顎髭を撫でながら、興味深く観察する。患者は簡単に錠剤たちを噛み砕き、錠剤の悲鳴に脳が癒されているのを感じている。脳みそが冷たい水に浸されているような感覚。患者は目を閉じ、そのまま自分の過去が黄色くなっていくのをしっかりと視た。そうすると自分の人体から筋力が溶け落ち、ただの肉塊になっていく……。
患者はすでに丸椅子から転げ落ちていた。冷たい床に頬を付けて、もう二度と開かない瞼には、最後の血液が走っていた。
「よし大丈夫だ……」カルテを握りしめる主治医は、それから何度も、脳の中で自身の安全を唱え続ける。大丈夫だ大丈夫だ大丈夫だ……。脳内には患者の干し柿のような顔面と白色と錠剤があった。主治医はすぐに椅子から立ち上がり、酔っ払いのようなふわふわとした足取りで裏口に進む。水中の中に居るような視界の中で白い長方形の扉を押し、脳を直接刺激してくる日光にうんざりしながら歩いてゆく。
医療従事者たちによる緊急手術は、どこで発生してもおかしくはない。飲み屋の高級そうなテーブルを弾き飛ばし、専用の台座やステンレス製の台をどんと置く。「おれらは医学の専門家だ」
いつでも偉そうにしている医療従事者は、基本的に信頼しないほうが良い。
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