太陽は弱っていた。つかのま顔は出すも、すぐに疲れて帰ってしまう。かわりに強まったのは夜だった。そのちからで石に冷たい息を吐かせ、街を凍らせる。太陽が顔を出すとその息は白い蒸気となり、街を覆った。
夜行列車から駅に降り立った瞬間から、彼はそこが危険な土地であることを察知した。なんのことはない。あまりの寒さに露出した肌がぴりぴりと痛んだのだ。髪の間から体温が逃げていくのを感じたとき、彼はつい、数日前まで滞在していたイスタンブールの乾いた砂の匂いを懐かしんだ。
二〇一四年、二月二十日。
ゴムの焼ける臭いのせいで鼻がまがりそうだ。彼は看板の影に隠れて地面に膝をついていた。バックパックを抱え込んでその上にカメラを固定すると、多少体力を節約できる。しかし日本で買った安いダウンジャケットは、ウクライナの厳しい寒さを前には存在しないも同然だった。どんなに腹に力を入れても、小刻みに体が震えて動画がぶれてしまう。体の芯が凍りつくのをおそれ、彼は頻繁に体勢を変えた。そのせいで隣にいる男を怒らせたが、身体はかまわず彼を使役する。もっともその男がいなかったら、彼は凍死する前に銃弾に殺されていただろう。
後になって思えば、彼が命を落とさなかったのはすべて運だった。荒っぽい群衆にまぎれこんで怪我をしなかったのも、最も危険な場所にたどり着いたのも、そこで命を落とさなかったのも、誰かが彼の運を拾ってくれたからだった。けれども彼は気づいていなかった。画は向こうから彼の視界に飛び込んでくる。どこを見ても画になる。だからカメラを回し続け、シャッターを切った。これは使命だ、と彼は信じた。この様子を世界中に伝えなければならない。そのためにこの場所に導かれたのだ、と。
彼の撮影する道には、バリケードの残骸とゴミが一面に散らばっている。灰色の街は黒煙と霧にかすみ、モノクローム映画のなかにいるようだ。朝までそこを占拠していた人々はみんな、障害物の影にかくれて息を殺していた。時々諦めきれずに金属を叩いて抗議の音を立てる者もいるが、その音にかみつくように銃声が迫る。
救護員! と声がする。野太い男の声は切羽詰まっている。なにかまくし立てているが、彼は理解できない。しかし叫んでいる男が突然通りに飛び出して跳ね回り、一分もしないうちに座っているとも寝そべっているとも言えない奇妙な姿で地面にうずくまってしまう理由は知っていた。白いヘルメットと反射ベストを身に着け、蛍光オレンジの担架を手にした救護員が男に声をかける前に、救護員もまた不自然な倒れ方をする。救護員は地面に頭をつけ、動かない男のくるぶしをにぎりしめている。苦悶の表情をして、叫ぶこともできない。誰も彼を助けにはいけない。
連射ではない、断続的な銃声がするたびに重厚な街はびりびりと震えた。銃声は重く、音と音の合間が長いほど緊張は高まる。誰かが的を探している。狙いを定めているから、銃声と銃声の間が長くなる。それを十月宮殿のそばにいた人々はみんな知っていた。
彼らは死に狙われていたのだった。
「これ、食いなよ」
流暢なクイーンズ・イングリッシュに驚いて、彼は顔をあげた。
痩せた老人が立っている。髪の毛は白く、焼けた肌は黒い。細縁のメガネはいかにもインテリ風だが、所作はどこか粗野だった。老人は彼に向かって手を差し出している。その手の中にあるのは紙に包まれたなにか――ケンタッキーのハンバーガーだ。
たどたどしい中国語で謝意を伝え、彼は財布をひっぱりだした。しかし老人は片手をふってかまわないと言う。さっきからずっと座ってるから、腹が減ってるんじゃないかと思ってな。俺はいつもこれを食いながら見学するんだ。デモの声が聞こえると、足が外に出て行ってしまう。どこまでも歩いていってしまいそうになるから、こいつを買ってここで食うのさ。食ってる間は足も動かないからな。表通りの店ならしばらくあかないよ。あけたら勇武派が来て中をめちゃくちゃにする。ああいう輩には目をつけられないようにおとなしくしておいたほうがいい。あんたは――韓国人?
彼は首を横に振った。温かい紙の包みからは油の匂いがしている。包みを指差し、不辣? と尋ねると老人は目尻に少しシワを寄せて笑った。辛いのがだめってことは日本人だな。
礼を言って受け取り、彼はハンバーガーにかぶりついた。カリッと揚がった鶏肉の匂いが食欲を刺激する。熱いあぶらと唐辛子パウダーに急かされて夢中で頬張ると、口からマヨネーズがはみ出してしまった。親指で口の中に押し込んで顔をあげると、老人は仏頂面で緑色のペットボトルを差し出していた。
そんなにがっついたら喉につまるぞ。これもやるよ。ところで普通話はわかるか? 広東語は?
彼は首を横に振った。普通話はあまりできません、広東語はさっぱり。英語なら大丈夫。いつも案内をしてくれるやつは日本語ができるんですけど、昨日拘束されたらしいです。
老人は彼の隣に腰をおろし、わかったようにうなずいた。たるんだ頬には点々とシミがういて、口元にも細かいシワができているが、真っ白な髪の毛は根元が力強く立ち上がっており、第一印象よりは若そうだ。
彼は興味本位で老人に訊ねた。あなたは反送中デモに参加しましたか? 今の状況はどう思います?
老人は身を乗り出して、めったに見ない笑顔を浮かべた。質問を待っていたような仕草だ。面倒な相手に質問してしまったかな、と彼は瞬時に後悔したが、しかしすぐにその思いを打ち消すことになった。彼の想像していたどれとも異なった返答があったせいだった。
老人は送中条例には賛成しない、と慎重な口調で言った。香港は二〇四七年までは高度な自治権を持つって約束だった。それを破るのはよくない。でも五大要求についてはわからないな。ああ、でも「riot」を撤回させたいのはわかる。あれが一番大事だ。絶対撤回させたほうがいい。
虚をつかれて彼はとっさに「riot?」と訊き返した。五大要求の「撤回『暴動』定性」(抗議活動を暴動とする見解の撤回)のことですか? あれが一番大事だと?
まさか聞き返されるとは思わなかったという表情で老人は彼を見返した。当然だろう。戦車を見たいのか?
彼がウクライナに入ったのは、ユーロマイダンの抗議活動が制御不能状態に陥っていた二月十六日であった。
一月に決議された抗議取締法が二月のはじめに廃案にならなければ、彼とてキエフには足をのばさなかっただろう。けれども幸か不幸か抗議取締法は廃案となった。あやしげな勢力の流入により、内戦に突入しかねない状況に危機感を覚えた反政府派と政府の双方があゆみよった結果だったが、彼はそのことを理解していなかった。抗議隊に占拠されていた建物が開放されるかわりに拘束された人々に恩赦があるときいて、このまま事態はおちつくだろうと誤った判断をしてしまったのだ。外務省の出している渡航注意の勧告もあまり重く受け止めなかった。
イスタンブールからフェリーでオデッサに到着したのが二月十七日、港町は平穏そのもので、首都の出来事は遠く思われた。オデッサに一泊し、夜行列車でキエフに入ったのは二月十九日の早朝、事態はユーロマイダンからウクライナ騒乱へ移行し、悪化の一途をたどっていた。
二月十九日までの彼の写真は、素人の域を出ない焦点がぼんやりとした絵ばかりだ。構図は凡庸で、画はまとまりがなく、群衆の頭によってしばしば被写体が隠れる。意味のない連射で枚数を稼いでいるが、確固たるものは映っていない。埃でかすんだ中東の入り口イスタンブール、霞んだ空にそびえたつ美しい尖塔とアーチの影、ごった返す市場、食事、船、遠くに霞んだ岸――中東からヨーロッパに変貌した町並み、宮殿、絢爛なオペラ座の内部、夜行列車のコンパートメント――ガイドブックに載っている以上の情報はなく、Webを探せばどこかにありそうな写真ばかりだ。それもそのはず、彼は他の誰かの写真の再生産をしていたに過ぎなかった。なぜその被写体を選んだか、なぜその構図にしたのか、と訊かれたら、彼はきっとこう言っただろう。そういう写真を見たことがあるから、と。
キエフに入って最初の日も彼の写真は誰かの模倣の域を出なかった。薄暗さを感じるキエフの駅、ゴミの散らかった通り、遠くに上がっている黒煙、翻る活動旗とウクライナ国旗、ディスプレイウィンドウの落書き、建物の影からかろうじて見える独立記念碑、寒々しいホテル、食事、ビール――
その晩、彼は写真を数枚選んでSNSにアップロードした。それが終わるとすっかり暇になって、しかたなくベッドに寝転がってテレビを眺めていた。燃え上がる車や、火炎瓶が闇夜に尾を引いて消えていくところが映し出され、抗議に参加する一般市民が興奮気味にマイクに向かって話している。同じ市内で起こっていることだとは思えないな、と彼は瓶ビールを片手に思った。たしかにあちこち通行止めになっているし、黒煙が上がっているのもみえる。街は奇妙に浮かれて、ある種の高揚感があった。しかし生活は人々の足首を掴んでいる。夕暮れに追われて家路をいそぐ人の姿があり、高い声をあげて遊ぶ子供たちがいる。店には品物があり、どこかから食べ物の匂いが漂ってくる。列車は動き、インターネットをつなげば日常の延長があった。
こんなものなのか、と彼は思った。非常事態って感じはそんなにしない。ネットメディアで見たすごい写真はどこで撮れるんだろう。手作り投石機とか、中世っぽい手作りの盾とか見てみたかったな。残っている予定はチェルノブイリだけだし、せっかくだから明日、安全に見られる場所がないか探してみよう。
翌朝、彼は無防備に抗議隊に潜り込んだ。異質な彼を心配した若者が、せめてもとPRESSの腕章とオレンジ色のヘルメットを調達し、記者団のグループに押し込んでくれたが、そのことの意味さえ彼は理解していなかった。理解したときには彼はもう逃げられない場所にいて、震える手を突き出して映像を撮っていた。死ぬかもしれないという恐怖よりも、目の前にある光景を映せないことのほうがなぜかずっとおそろしく思われた。
彼は無知だった。そのうえ高揚感に飲み込まれていたのかもしれなかった。
老人はカメラを指差し、立派なカメラだな、と言った。急に話題を変えたことをなんとも思っていないような無邪気な声だった。もしかすると暇つぶしで若者をからかっているのかもしれない。老人というのはとかく話し相手を欲しがる。朝起きたら、妻や子供と話し、決まった時間にどこかにでかけて同じルーチンを持つ仲間と話し、飯をくって誰かと話す。一人で時間をつぶすことなど考えられない。彼の老いた両親もそうだ。
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